http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/337.html
Tweet |
Elvis Presley - Hound Dog 1956
http://www.youtube.com/watch?v=2MnmIVBSZYM
ブルースには、セックスからドラッグまで、ありとあらゆる悪徳が「これでもか」と詰め込まれている。ロックやバナナはペニス、アップルやシュガーは女性器の隠語だった。
そもそも、ロックン・ロールという言葉でさえ、セックスの隠語だったのはよく知られている。
ロック=岩=固いもの=ペニス
ロール=回転運動
「ペニスの回転運動=セックス=ロックン・ロール」だったのである。
黒人ブルースを取り入れたエルビス・プレスリーは腰の動きがあまりにも卑猥だとしてテレビで放映されなかったことが話題になった。
エルビスは何をしていたのか。ロックン・ロールだ。
何を模していたのか。セックスである。
これが1950年代である。退廃とセックスと反抗と悪魔主義は、もうはるか以前から「ファッション」だった。
そういうものが売れるのは分かっているし、また売れてきた長い伝統があるので、ショービジネスが「悪魔さまさま」になるのは当然のことで、別に不思議でも何でもない。
売れるなら、神でも悪魔でもセックスでもオカルトでも何でも構わない世界だ。つまり、彼らは「悪魔を利用している」だけである。
だから、ローリング・ストーンズは「私(悪魔)に出会ったら、思いやりを見せろ」と「悪魔を憐れむ歌」で歌ったのだ。
神も、悪魔も、その程度のものだ。どちらも下らない妄想の一種であるということを考えれば、根は同じだ。神がいないのと同様に、悪魔もいない。妄想だけがそこにある。
そして、人類が共通して持つ妄想は、利用できる。重要なのは、この部分だ。神も、悪魔も、金に換算できるし、箔付けにもなるし、いろいろ利用できる。
存在が重要なのではない。それが利用できるのが重要なのだ。
エルビス・プレスリー。セックスをちらつかせて、商業ビジネスを成功させた。売れるから、神でも悪魔でもセックスでも何でも利用する。神や悪魔の存在が重要なのではない。それが利用できるのが重要なのだ。
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20131227T0152590900.html
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。