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毎日新聞 2013年09月19日 地方版
http://mainichi.jp/area/nagasaki/news/20130919ddlk42040378000c.html
長崎原爆の爆心の東約3キロにある長崎市西山地区には「黒い雨」などの放射性降下物が最も多く降り注いだとされている。被爆から間もない時期に記録された、住民の白血球の異常増加を示すデータに放射性降下物を調査している県保険医協会会長の本田孝也医師が着目。放射性降下物の影響の解明を目指し、当時調査対象になった住民から体験を聞いている。【樋口岳大、大場伸也】
「これはうちの家族ですね」。原爆投下時から今も西山地区に住む中尾恒久さん(78)。本田氏が示した、家族10人の白血球の推移が記録された表を見つめた。
データは、被爆から53日後の1945年10月1日から、九州帝大のグループが住民の白血球を調査したものだ。中尾さんの父高市さん(故人)は西山4丁目の町内会長だった。篠原健一教授(当時)らが自宅で放射線を測定していたことや、耳から血を採られたことなどを覚えている。170人以上を調べ、原子爆弾災害調査報告書(1953年)などに掲載されたが、あまり注目されてこなかった。
西山地区は金比羅山(標高366メートル)の陰になり、原爆の爆発に伴って放出された初期放射線の影響はなかったとされる。一方、「黒い雨」などの放射性降下物に関する証言は多く、原爆投下から間もないころの専門家らの測定では周辺地域より線量が高い。
被爆時10歳だった中尾さんは、自宅近くで原爆の閃光(せんこう)と爆風に見舞われた。しばらくしてドロドロした黒い雨が降った。黒く汚れたカボチャを食べ、小川の水を飲んだ。その後もこの地で農業を営んできた。
中尾さんの場合、一般的に血液1マイクロリットル当たり3500〜9800個が正常とされる白血球が、1945年10月28日には3万700個に増加した。篠原教授らは10月1日に西山地区で放射線を測定し「屋外において大体自然放電の約150〜200倍であって、落下物が比較的そのまま付着して残留していたと思われるものについて測定した値は1000〜1200倍にも達している」という状況だった。
データを分析した本田氏は「若い人ほど白血球増加が早く表れ、程度も強い。低線量の持続的被ばくによるものだ」と指摘する。
http://mainichi.jp/area/nagasaki/news/20130919ddlk42040378000c2.html
中尾さんは篠原教授の調査後も米原爆傷害調査委員会(ABCC)などで検査を受けたが、結果を教えてもらった覚えはない。30歳過ぎて、甲状腺疾患と診断され、姉も甲状腺を患っている。2004年には妹が乳がんで、05年には別の姉が肺がんで亡くなった。中尾さんは「自分もがんになるのでは」と不安を抱えながら、「原発事故で苦しんでいる福島の人の救済に、自分たちのデータを生かしてほしい」と話した。
また、中尾さんの兄進さん(87)は、原爆投下時は千葉の工兵学校にいて戦後、西山に戻った。白血球は10月28日の測定で、正常値よりもはるかに多い3万2500個と記録されていた。原爆投下時に長崎にいなかった進さんには、被爆者健康手帳が交付されていないが「相当な残留放射線を受けたはずだ」と考えている。
本田氏は「進さんも残留放射線の影響を受けていたと考えざるを得ない。残留放射線の影響を解明するうえで、西山地区のデータ解析は重要だ」と指摘する。
〔長崎版〕
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