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(回答先: 山本美香さんは日本でマスコミに採り上げてシリアに誘い込み、至近距離で首に一発の計画的謀殺でしょう。 投稿者 福助 日時 2012 年 8 月 26 日 09:13:11)
http://gendai.net/articles/view/syakai/138312
【私の秘蔵写真】山本美香(戦争ジャーナリスト)
2012年8月18日 掲載
初めての戦場取材で肩に力が入ってますね。目の前には爆弾がゴロゴロ転がってたんですよ」
<96年暮れ、内戦真っただ中のアフガニスタン入り。旧ソ連製ミグ戦闘機の前で>
およそ10年前。イラク戦争が勃発したバグダッドに入り、通信社の記者として34日間にわたって現地の様子を生中継で伝えた山本美香さん。紛争地取材のスペシャリストの振り出しは、アフガニスタンだったという。96年末、タリバン政権と反タリバン勢力が対峙(たいじ)した内戦真っただ中に飛び込んだ。
険しい表情の山本さんが右手を掛けているのは、旧ソ連製のミグ戦闘機。左手に持っているのは、砂ぼこりよけにアフガンスカーフを巻きつけたビデオカメラ。アフガニスタン北部のマザリシャリフで97年1月に撮影された。モコモコと着込んでいるのは寒さ対策もあるが、ボディーラインを隠すため。“女性らしさ”の露出を嫌うイスラム圏で無用なトラブルを回避する気遣いだった。
「初めての戦場取材で、いま思えばずいぶん肩に力が入ってますね。私、怖い顔してる! 意気込みと不安がないまぜになってガチガチだったんでしょうね。写り込んでいませんが、目の前には爆弾がゴロゴロ転がっていたんですよ。
このひと月ほど前、96年12月にパキスタンを経由してアフガニスタンに入ったんです。首都カブールなどのタリバン支配地域や最前線を取材後、反タリバン勢力の拠点の北部に抜けて撮影した一枚なんです。この場所にたどり着くまで、長くてしんどかったですね」
<断食月は役所も半ドン、ヤル気なし>
取材中にイスラム教の断食月であるラマダンにぶつかってしまった。ムスリムは日中の飲食などを禁じられる。
信仰のためとはいえ、空腹は誰にとっても耐え難い。取材窓口の役所は半ドン状態でまともに機能せず、取材チームを組んでいた現地のドライバーや友人たちも力が入らない。
「“北の王様”と呼ばれた反タリバン勢力のトップ、ドスタム将軍を取材することが目的だったんですが、ラマダン中はなかなか物事が進まない。将軍のいる基地に日参しても門前払いですし、側近など彼が信頼を置く人々に少しずつ接触して、夜討ち朝駆けで依頼を繰り返して……。ようやく2週間後に面会許可が下り、ジェット戦闘機がガンガン飛び交うところも取材できて、結果的に珍しい経験をさせてもらいました。隣の男性はウズベク系のパイロットで、確か30代だったかな」
90年に朝日ニュースターに入社し、報道記者やディレクターとして活躍。雲仙普賢岳の被災地など事故や事件の現場を数多く踏んだが、紛争地経験はゼロだった。
<現地女性の取材は日本人初>
96年に独立系通信社のジャパンプレスに籍を移し、アフガニスタン入り。29歳だった。怖いもの知らずに見える山本さんは身長154センチ。意外に小柄で華奢(きゃしゃ)な体つきだ。
「取材のきっかけは、イスラム原理主義強硬派のタリバンが女性の人権を侵害していると伝えられるものの、実態リポートがほとんど見当たらなかったからです。就学と就職の機会を奪われ、全身を布で覆わなければ出歩けなくなった女性たちは泣き暮らしているのか、あるいは淡々と生活しているのか。タリバン政権下の女性の暮らしぶりを取材した日本人記者は私が初めてです。取材でヘトヘトになり、化粧が崩れっぱなしの私は彼女たちに『ダメよ、口紅くらい塗らなきゃ』『それじゃ、くたびれた子どもみたいよ』って、よくたしなめられました」
タリバン支配下のアフガニスタンでは、民衆の中に紛れ込んだ宗教警察や秘密警察が市民を監視し、密告を奨励。体制批判を口にするのはもちろん、外国人との接触も固く禁じられていた。そんな中、取材対象を獲得するのは容易ではない。
<人の生きざまが一番面白い>
「民族や部族の違いで殺し合いをしている世界ですから、人の紹介がなければ取材は成り立ちません。時間をかけて人間関係をつくり、ツテを増やすのが一番信頼できるんです。そうして出会った女性たちは凛(りん)としていて、こちらの背筋がピンと伸びる思いでした。生まれた時から戦時下で暮らし、逃げ惑う生活を送ってきた彼女たちは『この国を支えるのは自分たちの世代』という意識がとても強い。当時は閉鎖されていましたが、カブール大学に通う学生の4割は女性なんです。もっとも、そういう状況下なので、取材対象の身の安全確保が第一。撮影で身元が割れたり、住まいが特定されたら彼女たちの生死に関わる。目的地まで車を何度も乗り換え、迂回(うかい)し、細心の注意を払いました。語弊があるかもしれませんが、人の生きざまは取材していて一番面白いですね。彼女たちに将来の夢を聞いたりする中で、『結婚は?』とぶつけると、それまで毅然としていたのが一転、ポッと頬を赤らめるんです。やっぱり、どんなところにあっても、女の子は女の子なんだなあって」
現地滞在は1カ月半に及んだ。ライフワークとなったアフガニスタンでの取材活動は、延べ十数回に上っている。
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