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綾瀬はるか「戦争」を聞く (12) 〜ナガサキ67年目の証言〜
20120809爆心地で家族を焼かれ、中華なべに遺骨を拾い集めた
20120809爆心地で家族を焼かれ、中華なべに遺骨を... 投稿者 bakaTepco14
看護師が見た 爆心地の惨状
田上富久市長が福島の原発問題に触れ、長崎で77回目の原爆の日を迎えた。今回、原爆の爆心地の近くにいた、当時19歳の看護師だった西久保キクノさんが、綾瀬はるかと対話を行った。看護師だった西久保さんは佐賀から派遣され、看護に当たった凄惨な光景について語った。
爆心地で家族を焼かれ・・・
赤ん坊を背負って立ち尽くす写真に写る女性を綾瀬はるかが取材した。写真の女性、四田シヅヨさんは当時26歳で、現在病院で入院していた。爆心地から150mしか離れておらず、10ヶ月の赤ん坊と防空壕にいた中で原爆が投下され、みんな死んでしまったと語った。赤ん坊が泣き、防空壕に戻ったことで助かったが、家に戻ると跡形もなく、父親も死んでいたと語った。息子の四谷忠雄さんは原爆で被災していく人がほとんどいなくなる中、どのように伝えていっていけばいいのかと語った。四田さんは、また戦争が起こされないよう、悲しみがわかる人を1人でもつくってもらいたいと語った。
被爆体験 世代を超えて・・・
原爆投下当時小さい人達が、原爆の伝えることに対するもどかしさについて膳場貴子が語った。世代を超えて伝えていく事の難しさがあるからこそ伝えることの大切さについて播磨卓志が語った。 長崎と広島で被曝した人の平均年齢は77歳となる。
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