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ソ連参戦情報の「小野寺電」 「大本営に着信」参謀が証言書簡
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120808/plc12080807020004-n1.htm
2012.8.8 07:01 産経新聞
日ソ中立条約に違反してソ連が満州(中国東北部)に侵攻して9日で67年。第二次大戦末期のヤルタ会談で、ソ連が対日参戦する密約を結んだとの情報を入手し、大本営に打電したとされるストックホルム駐在、小野寺信(まこと)陸軍武官の公電について、大本営の情報参謀だった堀栄三氏が参謀本部に着信しながら、握り潰されたのは確実と証言する書簡を送っていたことが7日明らかになった。小野寺氏の証言を裏付ける有力な証拠で、ソ連参戦情報を得ながら、十分に生かせなかった陸軍中枢の責任が改めて問われそうだ。(岡部伸)
書簡は平成2年7月26日付と同年8月14日付で堀氏から小野寺氏の妻、百合子氏にあてたもの。
書簡によると、堀氏は「大本営の中には、次長、作戦部長、作戦課、軍務課の一握りの『奥の院』があって、同じ小野寺電でも、戦争の趨勢(すうせい)や軍の士気に重大な影響のあるものは、情報部にも見せず、一握りだけが握りつぶしていたことは確実です。好例としては、私の『台湾沖航空戦』の戦果に疑問を持った電報が握りつぶされたり(これは瀬島龍三氏((四十四期)))が私に告白しながら、その後は一切とぼけて語らず)、また『米国が原爆を研究中である』旨の情報が握り潰されて、私達が最後までテニアンの正体不明機を解明出来なかった」(7月26日付)と証言した。
さらに「『あの電報が参謀本部に不着』ということは絶対にありません。(中略)大本営の一握りの奥の院のことや、軍事機密とされると最早キリの参謀のところには廻(まわ)ってこなくなって、赤表紙の部厚い封筒に入れられて、一握りのピンの者にのみ廻って見せる方法がとられていました。(中略)当時の私達には『ドイツが降伏したら、三カ月後にソ連は対日参戦する』というのが常識の判断になっていましたが、そういう判断が私達の部内に、そもそもあったこと自体、(小野寺武官の)ブ情報の内容が一握りの者から洩(も)らされていたのです」(同年8月14日付)と記した。
堀氏は平成元年に出版した『大本営参謀の情報戦記−情報なき国家の悲劇』の中で、「ヤルタ会談で、スターリンは『ドイツ降伏後三カ月で対日攻勢に出る』と明言したことは、スウェーデン駐在の小野寺武官の『ブ情報』の電報にもあった」と大本営参謀の中で唯一、小野寺電が届いていたと明記していた。
このため百合子夫人が堀氏に問い合わせ、同氏が書いたのがこの書簡である。
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