01. 2012年7月24日 21:43:38
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ウィキペディアに、「在日米軍機事故の一覧」があったので、紹介します。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%A8%E6%97%A5%E7%B1%B3%E8%BB%8D%E6%A9%9F%E4%BA%8B%E6%95%85%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7在日米軍機事故の一覧(ざいにちべいぐんきじこのいちらん)では、在日米軍の軍用機が日本国内で起こした墜落事故など航空事故についての概要を発生年月日順に表示する。 なお、返還前の沖縄県にて発生した米軍の航空機事故についても併せて記載する。 在日米軍機事故の概要 第二次世界大戦の終戦のあと日本国内へ米軍が来て、国内各地に航空基地を持つに至った。こうして日本の空を数多くの米軍機が飛ぶようになったが、それと合わせて日本国内での米軍機の事故も上記の通り多発することとなった。 例をあげると昭和31年2月4日付の読売新聞に昭和28年度から30年度までの3年間の米軍機の墜落機数と不時着機数が以下のとおり掲載されている。 昭和28年度 - 墜落15機(うちジェット機10機)、不時着12機 昭和29年度 - 墜落30機(うちジェット機23機)、不時着8機 昭和30年度 - 墜落23機(うちジェット機15機)、不時着13機 上記の数字はあくまで墜落や不時着だけのものであり、この他にも増槽(補助燃料タンク)の投棄など、落下物の被害も少なくない。 米軍機の墜落などにより日本人の身体や財産に被害が生じた場合には行政協定第18条により米軍から補償を受ける権利があるが、米軍が公務中の事故の場合は補償額の75%を米軍、25%を日本政府がそれぞれ分担して支払うこととなっている。被害額が防衛施設庁(旧・調達庁)の調査で決まると、まず日本政府が全額立替払いするがこの補償額が低いと問題になっている。 前述の昭和31年2月4日付の読売新聞の記事によれば、死亡した者についてはその死者の日収の1000日分で上限100万円まで。子供や年寄りなど無職の者に対しては一律20万円となっている。これは「タクシーに轢かれて死んだ場合の30万円より安い」と書かれていることからかなり低い額となっていた。その後、上限額が100万円から150万円に引き上げられたり、死者の遺族に配偶者がいる場合は1名あたり10万円が加算されるなど、ある程度は改善されたが依然として安い金額である事に変わりはなかった。 なお、1972年(昭和47年)に復帰した沖縄県では、復帰以降の米軍航空機関連の事故は平成16年12月末現在で328件(うち墜落41件)発生していることが報告されている。 1940年代 1945年(昭和20年) 8月18日 - 秋田県大館市にある捕虜収容所に救援物資を空輸するため飛来したB-29爆撃機3機のうち1機が同県南秋田郡戸賀村(現在の男鹿市)の加茂地内にある男鹿真山に墜落した。この事故で機長以下11名が死亡した。そして1名の軍曹が生き残り地元の人達により救助された。この墜落地点には1964年に慰霊碑が建てられた。 8月19日 - 富山県富山市山下の立山重工業工場の敷地に食料を投下しようとして低空飛行したグラマン・アヴェンジャー機1機が工場近くにある民家の土蔵に衝突し大破。乗員1名死亡。 8月28日 - 秋田県大館市の捕虜収容所に救援物資を空輸中の3機のアメリカ軍第73航空団497爆撃群所属のB-29爆撃機のうち1機(機体番号44-69998)が、秋田県南秋田郡戸賀村(現男鹿市)にある男鹿真山に悪天候により墜落。11名死亡、1名生還。1964年に地元住民により墜落現場付近に供養塔が建てられ、1990年には男鹿市立加茂青砂小学校(現男鹿市立北陽小学校)に「平和の碑」が建立された[2]。 8月30日 - 福岡県にある捕虜収容所に救援物資を空輸するため飛行中だったアメリカ軍第58航空団40爆撃群所属B-29爆撃機(機体番号44-61554)が宮崎県西臼杵郡高千穂町五カ所にある祖母山に墜落。乗員12名全員死亡。1995年に平和祈念碑が五カ所高原の三秀台に建立された[3]。 9月4日 - 長崎県長崎市西彼杵郡香焼島(現・長崎市香焼町)川南造船所の福岡捕虜収容所第2分所に救援物資を投下中のB-29爆撃機(機体番号44-61666)が事故により、対岸の山中に墜落。搭乗員全員死亡。遺体は開放された捕虜たちにより火葬され、遺灰が長崎市の大浦天主堂に納められた[3]。 9月4日(または18日?) - 福島県常磐炭鉱の捕虜収容所に救援物資を空輸中のB-29爆撃機が操縦ミスにより福島県石城郡磐崎村(現在のいわき市)にある湯ノ岳の中腹に墜落。乗員13名全員死亡[2]。 1946年(昭和21年) 5月5日 - 東京都の伊豆大島の三原山山頂から400フィートほど離れた場所にフィリピンのニコラス飛行場を飛び立ち厚木基地に向かって飛行していたC-46輸送機が墜落。事故の後すぐに駆けつけた村民達は事故現場から16名の生存者を助けた。 1947年(昭和22年) 5月31日 - 朝鮮から厚木基地へ向い飛行していた乗員8名のC-54輸送機が厚木基地西方の山に墜落し全員死亡した。墜落現場は飛行機も犠牲者も原形を留めぬ状態だったという。 7月14日 - 東京都の横田基地を離陸したA-26攻撃機がエンジン故障をおこし八高線多摩川鉄橋を通過中の列車の上に墜落して1両が鉄橋から河原に落下した。この事故により死者は4名。 1948年(昭和23年) 1月 - 山口県岩国市車町に米軍機が墜落。 1949年(昭和24年) 1月8日 - 兵庫県西宮市にある工場にB-26爆撃機が墜落し工場は全焼。工員3名が死亡、十数名の重軽傷者を出した。 3月6日 - 那覇から立川基地へ飛行していたC-46輸送機が墜落。乗員12名のうち6名死亡、2名死亡、その他は行方不明となった。 4月1日 - 米軍のB-26爆撃機が富士山の標高9500フィートの地点に衝突して大破。乗員4名全員が死亡。 1950年代 1950年(昭和25年) 3月28日 - 愛知県名古屋市の東方25マイルの地点にC-47輸送機が墜落。乗員4名のうち死亡3名、重傷1名。 4月23日 - 神奈川県の蛭ヶ岳の山頂より南へ約500メートルの急斜面にC-54輸送機が墜落し乗員35名全員死亡。またこの事故により山火事が発生し400メートル×5000メートルの広大な範囲の森林が燃えた。(神奈川県蛭ヶ岳米軍機墜落事故) 6月18日 - 青森県の三沢基地を離陸したまま行方不明だった米軍機の残骸が太平洋で発見された。乗員1名は行方不明。 7月27日 - 東京都の羽田空港を離陸し九州へ飛行していたC-47輸送機が伊豆大島南方約10マイルの海に墜落。乗員等6名は行方不明。 8月 - 沖縄本島の読谷村に米軍機の増槽(補助燃料タンク)が落下して住民1名死亡。 9月 - 山口県岩国市横山に米軍の中型爆撃機が墜落して民家が焼失。住民3名が死亡して5名が負傷した。 9月11日 - B-29爆撃機1機が九州西方の東シナ海に墜落。乗員12名中3名は救助されたが9名が行方不明。 9月26日 - 米軍のC-54輸送機が対馬海峡に墜落。乗員51名のうち28名が救助され1名が遺体で発見された。のこり22名は行方不明。 10月5日 - 福島県耶麻郡慶徳村(現・喜多方市)の水田にB-29爆撃機1機が墜落。乗員11名はパラシュートで脱出しうち1名が負傷。 1951年(昭和26年) 2月 - 山口県岩国市内に米軍機が焼夷弾を誤投下。 5月10日 - 福岡市の市街地にジェット戦闘機が墜落し乗員1名と地上に居た者合計10名が死亡。 8月 - 山口県岩国市柱島に米軍機が500ポンド爆弾6個を誤投下。 9月27日 - 神奈川県の小田原市上空で立川基地へ向うC-46輸送機と、同じく立川基地へ向かうC-119輸送機が接触して双方とも墜落。このうちC-46輸送機は足柄上郡寄村(現・松田町)にある丹沢山系の五佐原山の中腹に墜落し乗員14名全員死亡。C-119輸送機は足柄上郡三保村(現・山北町)の玄倉川の上流付近に墜落した。 10月 - 沖縄本島の那覇市に米軍機の増槽(補助燃料タンク)が落下して住民6名死亡。 11月5日 - 東京都の立川基地を離陸しようとしたF-80戦闘機が離陸に失敗し立ち木に翼が接触し墜落炎上。操縦士1名が死亡。 11月18日 - 東京都の横田基地を離陸したB-29爆撃機が離陸直後に墜落し周辺の民家を巻き込んで炎上。積んでいた爆弾が誘爆し5戸を全焼し数戸が半壊。二十数名が負傷。爆弾の爆風が凄まじく、4km四方の700戸の家々で窓ガラスが割れたり雨戸が落ちるなどの被害が出た。米軍は墜落現場から半径1kmの住民に対して避難勧告を出した。「砂川村B29爆撃機墜落事故」を参照 1952年(昭和27年) 1月14日 - 午後4時50分頃、米海軍の4発式爆撃機が横浜市保土ヶ谷区今井町の田に墜落し乗員ら合計13名が死亡。 1月19日 - 川崎市馬絹にある栗林に爆弾を積んだB-29爆撃機が墜落し、激しく爆発炎上。乗員13名はパラシュートで脱出し無事。 2月7日 - 埼玉県入間郡金子村(現・入間市)にB-29爆撃機が爆弾を積んだまま墜落し激しく爆発炎上、乗員ら13名死亡。なお、この墜落機は墜落時に送電線を切ったため大規模な停電が発生した。(埼玉県金子村B29墜落事故) 5月20日 - 茨城県久慈郡東小沢村(現・日立市)留地先にジェット機が墜落。乗員13名はパラシュートで脱出し無事に常磐線の久慈川鉄橋近くに降下した。 5月28日 - 小牧空港を飛び立ったF-94戦闘機が離陸直後に墜落し民家に激突。乗員2名死亡。 6月2日 - 立川基地所属のB-26爆撃機が東京都の奥多摩の日原川乗山の山腹に墜落。 6月6日 - 横田基地を離陸した双発ジェット機が村山貯水池近くに墜落。 6月7日 - 横浜市上空で練習機2機が接触し、そのうち1機は同市金沢区六浦町高谷に墜落。もう1機は同区にある野島に墜落。2名死亡。 7月23日 - 福岡県の芦屋基地を離陸した輸送機が墜落し炎上。乗員8名が死亡。 8月6日 - 東京都南多摩郡由井村(現在の八王子市)西長沼にB-29爆撃機が爆弾を積んだまま墜落し搭載していた爆弾が爆発。乗員13名はパラシュートで脱出したが、うち2名が死亡。なおこの爆撃機は墜落直前に爆弾を付近の山林に投下しながら墜落した。(東京都由井村B29爆撃機墜落事故) 8月8日 - 愛媛県大和村(現・大洲市)豊茂出石寺八合目付近に大型飛行艇が送電線にひっかかり炎上しながら墜落。乗員13名全員死亡。 9月20日 - 福岡市地行西町に米軍機が墜落し民家を巻き込み炎上。2名死亡。 9月26日 - 島根県広瀬町(現・安来市)京羅木山付近にB-26爆撃機が墜落し乗員3名が死亡。 1953年(昭和28年) 1月26日 - 静岡県の御殿場で小型連絡機が墜落し2名死亡。 2月13日 - 大分飛行場を離陸したSA16型機が門司烏山の山中に墜落し乗員7名が死亡。 2月27日 - 気象観測のため飛行していたB-29爆撃機から7名の全乗員がパラシュートで脱出し機体を放棄。無人のB-29爆撃機はそのまま相模湾まで迷走飛行したのち伊豆大島から13・14マイルほど離れた海上に墜落。 3月17日 - 北海道夕張市滝ノ上にF-84戦闘機2機が接触して墜落し2名死亡。 6月18日 - 立川基地を離陸したC-124グローブマスター輸送機が墜落し死者129名。 →(立川基地グローブマスター機墜落事故) 6月23日 - 芦屋基地を離陸した双胴輸送機が山口県豊浦郡角島の西約15マイルの海に墜落し乗組員7名が行方不明。 7月27日 - 長崎県の対馬に小型ジェット機が墜落。乗員1名はパラシュートで脱出し海に降下したところを漁船に救助された。 7月29日 - 日本海でB-50爆撃機が墜落。米軍は墜落地点の海域を捜索したが搭乗員16名は行方不明のまま7月31日午前10時に捜索を打ち切った。 8月13日 - 神奈川県の鎌倉沖約3kmの海上に双発機が墜落。乗員1名は無事に漁船に救助された。 8月14日 - 静岡県田方郡函南村(現・函南町)丹那の玄岳に単発機が激突し乗員1名死亡。 8月17日 - 千歳基地を離陸したジェット機が苫小牧沖約5マイルの海に墜落し1名死亡。 8月24日 - 沖縄県から横田基地へ向かう途中のB-29爆撃機がエンジン故障により飛行出来なくなり、神奈川県津久井郡内郷村(現・相模原市)の上空で全乗員13名のうち9名が飛行機を放棄してパラシュートで脱出し、無事に内郷村に降下した。残り4名のうち3名もその後にパラシュートで脱出して無事に同郡青野原村(現・相模原市)に降下して生還したが、1名が不明となった。その後、B-29爆撃機は東京都西多摩郡檜原村藤原白岩の山中に墜落して大破炎上した。 8月26日 - 板付空港(現・福岡空港)を離陸したF-80戦闘機2機が空中で接触し博多湾外の地ノ島付近に2機とも墜落し1名死亡。 8月27日 - 東京都と埼玉県の境あたりを飛行していたB-29爆撃機で火災事故が発生し全乗員(7名)が飛行機を放棄してパラシュートで飛び降りた。このうち4名は埼玉県所沢市に無事に降下。飛行機は無人のまま飛び続け相模湾へ出たのち伊豆大島の近くに墜落した。 9月4日 - 木更津基地を離陸したF-86セイバー機5機が悪天候により燃料切れとなり全機墜落。 11月1日 - 北海道千歳町(現・千歳市)で連絡機が墜落。乗員1名重傷。 11月26日 - 岩国基地から美保基地へ飛んでいたC-46輸送機が日本海に墜落。乗員30名は全員助かった。 12月19日 - 愛知県の小牧飛行場で火災を起こしたB-29爆撃機が炎上したまま不時着し大破。2名死亡。 1954年(昭和29年) 1月3日 - 福岡県糸島郡芥屋村(現・糸島市)芥屋大門の海岸線にある防風林にC26双発水上機が墜落し4名死亡。 1月6日 - 埼玉県のジョンソン基地(現・入間基地)所属のジェット機が東京都西多摩郡瑞穂町箱根ヶ崎に墜落。乗員2名死亡。 2月1日 - 北海道苫小牧沖にC-46輸送機が墜落し35名死亡。 3月15日 - 青森県の野辺地駅構内にF-84戦闘機が墜落。乗員1名は死亡し、保線区員7名と一般人5名が負傷した。 4月8日 - 横田基地のKC-26大型機が愛知県長久手村(現・長久手市)長湫字市ケ洞山林中に墜落。3名重傷、2名行方不明。 4月9日 - 北海道の千歳飛行場近くにF-84戦闘機が墜落し乗員1名死亡。 5月 - 広島県双三郡布野村(現・三次市)に米軍爆撃機が墜落。乗員1名死亡。 6月6日 - 厚木飛行場を離陸した爆撃機が広島県の山中に墜落し5名死亡。 6月11日 - 鹿児島県の屋久島に岩国基地を飛び立った飛行艇が墜落。 6月17日 - 広島県の山中に米軍機が墜落。 7月1日 - 兵庫県伊丹市に複座式戦闘機が墜落し乗員2名死亡。 7月9日 - 千葉県の姉ヶ崎の沖合いに米軍機が墜落し乗員1名が死亡。 7月16日 - 神奈川県の丹沢でF-84戦闘機2機が墜落。 8月4日 - 神奈川県の大磯海岸沖にF-86戦闘機が墜落し乗員1名が死亡。 9月2日 - 埼玉県三ヶ島村(現・所沢市)にB-26爆撃機が墜落し3名死亡。 9月20日 - 岐阜県上宝村(現・高山市)にB-26爆撃機が墜落し3名死亡。 11月7日 - 北海道の納沙布岬と歯舞諸島の間の海上で地形観測を行っていたB-29爆撃機がソ連のミグ戦闘機2機から攻撃を受け別海村(現・別海町)にある農家に墜落し農家は全壊した。この飛行機の乗員は12名で、そのうち10名は無事にパラシュートで降下、1名死亡、1名行方不明となった。 11月8日 - 北海道別海村の原野に前日の航空機事故の調査のため飛来した小型機が墜落。 12月21日 - 横田基地を離陸したジェット機が東京都稲城村(現・稲城市)に墜落。 1955年(昭和30年) 1月6日 - 茨城県東茨城郡で厚木飛行場から飛び立ったジェット機が空中爆発し、落下した破片で中学生1名死亡。パイロットは脱出し無事だった。 1月6日 - 羽田空港近くの東京湾上空で横田基地を飛び立ったF-86セイバーとT-33練習機が空中衝突し火の玉になって墜落。2名死亡。 1月14日 - 鳥取県米子市の美保基地を飛び立った無人機(無線操縦)が大篠津駅に墜落。駅にいた1名が重傷。 1月31日 - 福岡県志賀町(現・福岡市)沖の海中に405S型ヘリコプター(HO5Sの誤記の可能性あり)が墜落し乗員3名死亡。 1月24日 - 茨城県玉造町(現・行方市)の霞ヶ浦に米軍ジェット機が墜落。 1月24日 - 北海道勇払郡穂別町(現・むかわ町)でに米軍ジェット機2機が墜落。うち1機のパイロットはパラシュートで脱出し無事だったが、もう一機のパイロット1名は死亡した。 2月20日 - 京都府久美浜町(現・京丹後市)沖約2マイルの日本海にF2F双発ジェット機が墜落し3名死亡。 3月1日 - 福岡県芦屋町の沖約18マイルの海上にC-119型双発機が墜落し乗員7名のうち4名は漁船に救助され3名死亡。 3月4日 - 埼玉県ジョンソン基地(現・入間基地)を離陸しようとしたジェット機が離陸に失敗し滑走路から約1.5km離れた畑に墜落。乗員2名死亡。 3月24日 - 埼玉県入間郡名細村(現・川越市)の民家にF-94B型戦闘機が墜落して炎上。この民家に住む家族7名のうち2名が死亡し、乗員2名も死亡した。(埼玉県名細村米軍機墜落事故) 5月24日 - 長野県南佐久郡川上村の金峰山に米軍機が墜落しているのが発見された。(この機体は錆びていた事からかなり以前に墜落したものと思われた。) 5月25日 - 宮城県仙台市の沖に米軍のH-19ヘリコプターが墜落し乗員6名死亡。 6月17日 - 愛知県小牧基地に着陸しようとした千歳基地所属のF-86ジェット戦闘機が送電線に接触して墜落し民家3戸が全半壊し少年1名が死亡、重傷1名、軽傷4名を出した。乗員1名も死亡した。 6月23日 - 神奈川県横浜市港北区の上空でF-100スーパーセイバー戦闘機2機が接触し、そのうちの1機が墜落。乗員は無事だった。 6月25日 - 横田基地を飛び立ったF-86機が行方不明。 6月26日 - 東京湾に米軍のジェット機が墜落した。 6月26日 - 伊豆七島方面に米軍のジェット機が墜落。乗員2名はゴムボートで漂流し無線で救助を求めた。これに対して米軍や海上保安庁が大規模な捜索を行ったがゴムボートは発見できなかった。 6月28日 - 伊豆七島方面に墜落した米軍機を捜索していた1名乗りジェット機と4名乗りヘリコプターが行方不明となった。 9月12日 - 千葉県の木更津基地を離陸しようとしたジェット練習機がエンジン故障で離陸に失敗し墜落。乗員2名は無事だった。 9月19日 - 横田基地を離陸したF-80機が東京都八王子市の民家が点在する場所に墜落。住民5名と乗員1名が死亡。(八王子市F80機墜落事故) 9月29日 - 横浜市保土ヶ谷区今井町に厚木基地所属のジェット戦闘機が墜落し乗員1名が死亡。 10月9日 - 東京都日野町(現・日野市)にB-26爆撃機が墜落炎上し乗組員2名が死亡。(日野町B26爆撃機墜落事故) 10月21日 - 青森県の三沢基地を離陸しようとしたB-47爆撃機が離陸に失敗し大破炎上。乗員4名のうち1名が死亡。 12月15日 - 神奈川県の国府津沖約3マイルの相模湾に米軍のジェット機が墜落し乗員1名が行方不明となった。 1956年(昭和31年) 2月3日 - 東京都にある総武本線新小岩駅北口から100mほど離れた商店街にFJ-2セイバージェット戦闘機が墜落。民家5戸が全焼し住民4名の重軽傷者をだした。住宅密集地でありながら幸いにも地上にいた者に死者は出なかった。戦闘機の乗員1名は死亡した。(新小岩駅前米軍機墜落事故) 3月1日 - 横浜市戸塚区汲沢町の民家の庭先に米軍のジェット機が墜落し民家が半壊。乗員1名死亡。 5月5日 - 名古屋市内の畑にF-86D機が墜落し乗員1名死亡。 5月22日 - 埼玉県入間郡坂戸町(現・坂戸市)の民家にジョンソン基地(現・入間基地)を飛び立ったF-86機が墜落し4歳の幼児が即死。 6月25日 - 神奈川県秦野市の農家にジェット機が墜落し物置や牛舎などを全焼。パイロットはパラシュートで脱出し平塚海岸に無事降下した。 6月27日 - 茨城県下館市(現・筑西市)下平塚の上空で厚木基地のAD型単発式練習機が爆発し墜落。パイロットはパラシュートで脱出したが火傷した。 7月20日 - 福岡県門司市(現・北九州市門司区)の沖約5マイルの海上にC107型輸送機が墜落し4名死亡。 9月5日 - 名古屋市の上空で小牧基地を飛び立ったF-84機とF-86機が接触し、F-84は同市北区中富町に墜落。F-86は同市西区天塚町に墜落した。乗員1名はパイロットはパラシュートで脱出し無事だったが、もう1名は死亡。 9月11日 - 島根県の隠岐島にRB-50観測機が墜落。 11月6日 - 神奈川県相模原市新戸の畑に座間基地を飛び立ったビーチクラフト機が墜落し大破。乗員は重傷を負った。 11月8日 - 栃木県下都賀郡間々田町(現・小山市)平和農の雑木林にF3D機が墜落し爆発炎上。農家3棟を焼いて3名が火傷を負った。乗員は助かった。 11月9日 - 千葉県君津郡清和村(現・君津市)東日笠に厚木基地のジェット機がエンジン故障で墜落し付近の住民1名が負傷。乗員1名はパラシュートで脱出し無事。 11月23日 - 東京都南多摩郡忠生村(現・町田市)下小山田の雑木林に厚木基地の小型海軍機が墜落し乗員1名死亡。 12月28日 - 埼玉県飯能市高山に横田基地から飛び立ったWB-50型気象観測機が墜落。この事故で農家裏の大木が倒れて農家を直撃し1名が死亡した。また墜落機は火災を起こし、近くにあるキャンプ場の高山展望台バンガローなど5棟を焼いた。乗員11名のうち9名が死亡、2名重傷。 1957年(昭和32年) 1月29日 - 岐阜県大野郡の山林に米軍機が墜落し1名死亡。 2月8日 - 神奈川県の厚木基地で双発機が離陸直後に墜落し炎上。乗員3名死亡。 2月18日 - 東京都台東区坂本町1丁目の民家の屋根に米軍ジェット機の車輪格納庫の部品が落下。そのすぐ後に荒川区日暮里町1丁目でも路上に駐車していた小型トラックの屋根に米軍機の部品が落下。続いて同区浅草石浜町2丁目の路上にも米軍機の部品が落下した。これらの落下物は全て同じ米軍機によるもので車輪格納庫カバーが風で壊れてめくれあがり、風圧で次々と剥がれ落ちたためと推察された。この米軍機は墜落せず、厚木基地に着陸した。 2月26日 - 福岡県福岡市でF-100スーパーセイバー戦闘機とC-47スカイトレイン輸送機が衝突した。この事故により民家2戸が全焼し、乗員3名が死亡した。 3月12日 - 羽田空港を離陸したC-47輸送機が10時40分頃に新潟市の上空から位置報告したのを最後に消息を絶つ。この飛行機は後日長野県の白馬岳に墜落しているのが発見され乗員4名全員が死亡しているのが確認された。 3月12日 - 東京都の横田基地を離陸したKB-50空中給油機がウェーク島に向かう途中で行方不明。 3月22日 - サンフランシスコからウェーク島を経て羽田空港へ飛行していたC-97輸送機が八丈島の東方200マイルあたりで墜落。米軍人の家族など合計67名が乗っていたが全員死亡した。 3月29日 - 青森県の三沢基地所属のF-86機が太平洋に墜落。乗員1名はパラシュートで脱出したがそのまま行方不明となった。 4月22日 - 福岡県八幡市(現・北九州市)河内上奥田の山中にC-119輸送機が墜落。乗員4名死亡。 4月22日 - 福岡県八幡市市ノ瀬の山中に上記の事故の捜索のため出動したH191型ヘリコプターが墜落し天狗岩と呼ばれる岩山の壁に激突して大破。乗員3名のうち1名死亡、2名重傷。 4月27日 - 静岡県田方郡上大見村(現・伊豆市)地蔵堂の万三郎岳にビーチクラフト機が墜落し乗員4名全員死亡。 5月 - 山口県の岩国基地の沖約1kmの海上にAD6攻撃機が墜落。 5月7日 - 神奈川県高座郡綾瀬町(現・綾瀬市)蓼川の麦畑にジェット機が墜落し大破。乗員1名重傷。 5月8日 - 静岡県賀茂郡南伊豆町波勝崎の沖約8マイルの海にKB-50空中給油機墜落。乗員8名のうち2名は近くにいた漁船に救助されたが6名は行方不明となった。 6月 - 山口県岩国市の今津川河口より東へ約1kmの瀬戸内海でAD6攻撃機が墜落。 6月22日 - 熊本県玉名市上空を飛行していたF-862機が接触し2機とも墜落した。乗員2名が死亡。 7月19日 - 横浜市港北区小山町(現・緑区小山町)の畑にジョンソン基地(現・入間基地)を飛び立ったジェット機が燃料切れで墜落。乗員2名はパラシュートで脱出し無事だった。 7月25日 - 神奈川県高座郡大和町(現・大和市)下鶴間に厚木基地所属のジェット機が墜落。乗員1名死亡。 8月3日 - 茨城県那珂湊市(現・ひたちなか市)で自転車に乗っていた母子が超低空で飛行してきたL20型単発連絡機にハネられて母親は胴体を真っ二つに切断されて即死。子供は病院へ搬送されたが内臓破裂で死亡。(米軍機母子殺傷事件) 8月29日 - 岩国基地所属のAD6攻撃機が羽田空港で離陸を失敗して墜落。飛行機は大破炎上し乗員1名重傷。 10月 - 山口岩国市阿品にAD6攻撃機が爆弾を誤投下。 10月15日 - 沖縄を飛び立ち鹿児島県の鹿屋基地へ向っていたA3D攻撃機が薩摩半島の山川港沖約8マイルの海に墜落。乗員3名はパラシュートで脱出し無事だった。 10月20日 - 横浜市戸塚区瀬谷町上瀬谷にある厚木街道の三叉路の近くにジョンソン基地(現・入間基地)所属のB-57爆撃機が火を吹きながら墜落。乗員2名はパラシュートで脱出し1名は無事だったがもう1名は死亡。 11月8日 - 埼玉県狭山市上奥富地内にある入間川の河原にジョンソン基地(現・入間基地)所属のB57爆撃機が墜落し炎上。乗員2名死亡。 12月12日 - 東京都八王子市犬目町の山に横田基地に着陸するため高度を下げて飛行していたC-46輸送機が送電線に接触して墜落。乗員5名全員死亡。(八王子市犬目町C-46輸送機墜落事故) 12月29日 - 高知県の足摺岬南方の太平洋上で飛行訓練していた米軍機が海に不時着。乗員2名が死亡。 1958年(昭和33年) 1月 - 山口県の岩国基地の沖約2.5kmの海上にF-84が墜落。 1月25日 - 岩国基地を飛び立ったF-84戦闘機3機が離陸直後に空中で相次ぎ接触し瀬戸内海に墜落。乗員3名死亡。 2月8日 - 東京都八王子市小比企町にある多摩少年院近くの麦畑に、板付基地を離陸し横田基地に向かっていたT-33機が墜落。乗員2名はパラシュートで脱出し1名は無事に降下したが1名は腕を骨折する重傷。 3月6日 - 横浜港沖の東京湾でF9F戦闘機が公開訓練中にロケット弾発射のため急降下し、そのまま機首上げ出来ずに東京湾に墜落。乗員1名死亡。 3月7日 - 沖縄の那覇の南方の海でR4Q輸送機とレーダー哨戒機が空中衝突し両機とも墜落。 3月16日 - 東京都北多摩郡田無町(現・西東京市)の大同機械株式会社の工場近くの畑に立川基地所属のB-33ジェット機が炎上しながら墜落。乗員2名はパラシュートで脱出し1名は無事に降下したが1名は死亡した。 4月 - 山口県の岩国基地の沖約2kmの海上にP5M飛行艇が墜落。 4月 - 山口県の岩国基地の沖約2.5kmの海上に米軍ヘリコプターが墜落。 6月 - 広島県大竹市の多田島にF9戦闘機が墜落。 6月 - 山口県の岩国市で米軍のヘリコプターが高圧線を切り愛宕橋南側川洲に墜落。 6月12日 - 福岡県の板付基地(現・福岡空港)を離陸したジェット戦闘機が山口県の仙崎から15海里ほど離れた海上に墜落。乗員1名はパラシュートで脱出し無事。 6月12日 - 福岡県の板付基地(現・福岡空港)を離陸したジェット戦闘機が長崎県の五島列島福江島から15海里ほど離れた海上に墜落。乗員1名が死亡。 7月8日 - 東京都にある横田基地を離陸したC-47が離陸直後にエンジンが故障して墜落。乗員2名死亡。1名負傷。 7月25日 - 埼玉県のジョンソン基地(現・入間基地)を離陸したB-57爆撃機が狭山市入間川にある豆腐業を営む民家の屋根に接触して墜落。この事故により民家4戸が全壊し1戸が全焼。住民1名死亡。12名重軽傷。乗員1名も死亡した。(埼玉県狭山市B57爆撃機墜落事故) 8月26日 - 愛媛県西宇和郡瀬戸町(現・伊方町)川之浜の南方約4kmの海上に岩国基地所属のスカイレイダー攻撃機が墜落。 8月 - 神奈川県の厚木基地を離陸したアメリカ軍所属ジェット機が神奈川県横浜市神奈川区に墜落。パイロットと住民1人が重傷、7人が軽傷を負う。[4]。 8月31日 - 神奈川県横浜市神奈川区神大寺町にある住宅地裏手に厚木基地所属のFJ-4戦闘機が東京湾方面より飛来し、そのまま墜落し大破炎上。これにより民家2戸全壊、4戸半壊、住民2名がアゴに裂傷、顔に全治1ヶ月の大火傷を負うなどして重傷。その他に多くの付近の住民らが軽傷を負った。墜落現場は直径15mもの大穴が開いて破片は100m四方に飛び散った。これだけの事故でありながら住民に死者が出なかったのは不幸中の幸いと言える。なお戦闘機のパイロットは死亡した。 9月9日 - 神奈川県厚木市七沢にある丹沢の大山の北東側の斜面に米軍のチャーターしウェーキ島から東京へ向って飛行していたフライング・タイガー航空の旅客機ロッキード コンステレーションが墜落。パイロットやスチュワーデスなど乗員8名全員が死亡した。 10月29日 - 茨城県猿島郡岩井町(現・坂東市)の上空で米軍第16飛行隊に所属するジェット機2機が接触し相次いで墜落した。この事故で畑仕事をしていた20歳の農夫1名に事故機の部品が直撃し怪我を負った。 12月23日 - 埼玉県朝霞町(現・朝霞市)のキャンプ・ドレイクに所属する米陸軍の兵士1名がクリスマス休暇を利用して調布飛行場にてセスナ機を借りて東京湾方面へフライトしたところ江東区東雲の10号埋立地沖の東京湾に墜落し兵士は重傷を負い病院へ搬送された。 1959年(昭和34年) 1月 - 群馬県太田市東別所にある太田飛行場で物資投下訓練をしていた大型輸送機が軍用ジープを投下訓練中に投下目標地点から遠く離れた一般住民の住む地域に誤ってジープを投下した。幸いに怪我人などは出なかった。 3月10日 - 群馬県甘楽郡下仁田町栗山にある久保山の頂上付近にT-33練習機が墜落した。パイロットはパラシュートで脱出し足に怪我を負っただけで助かった。 3月30日 - 埼玉県狭山市入間川地内入間川本流の新富士見橋の上流約100mの場所にジョンソン基地(現・入間基地)から飛び立ったT-33練習機がエンジン故障で墜落し乗員2名が即死。付近の民家に被害はなかった。 5月20日 - 硫黄島から鹿児島県の芦屋基地に飛来したC-130輸送機が着陸に失敗し同基地内線の兵舎に激突。この事故で死者2名、負傷者12名、火傷2名。 6月30日 - 沖縄本島の石川市(現・うるま市)にある石川市営宮森小学校(現・うるま市立宮森小学校)に米空軍のF-100スーパーセイバー戦闘機が墜落し爆発炎上。この事故ではパイロットは機体を放棄してパラシュートで脱出した。しかし無人となった戦闘機は小学校に墜落し、墜落現場となった小学校とその周辺にいた民間人ら17名(そのうち小学生は11名)が死亡。その他に重軽傷者200名以上を出す大惨事となった。(宮森小学校米軍機墜落事故) 10月2日 - 愛知県海部郡十四山村(現・弥富市)で伊勢湾台風の被災者の救出活動を行っていた米軍のヘリコプターが墜落し、救助しようとしていた被災者2名か死亡。パイロット1名重傷。 10月5日 - 和歌山県の潮岬の南方約270キロで米空母ミッドウェイ所属のF3H戦闘機2機が空中で接触し太平洋に墜落。 10月24日 - 茨城県那珂湊市(現・ひたちなか市)にある米軍射爆場の沖でジョンソン基地所属の戦闘機1機が海に墜落。 12月22日 - 神奈川県の厚木基地を離陸したジェット戦闘機が離陸直後に誤ってAIM-7サイドワインダー・ミサイルを落下させた。安全装置がかかっていたので爆発の危険はなかったが、このミサイルは基地の外の道路を歩いてた工員のすぐ近くに落下し、工員は落下時に飛び散った破片などで負傷した。 1960年代 1960年(昭和35年) 4月29日 - 山口県玖珂郡由宇町中倉にある大将軍山に空母レンジャー所属のジェット機が墜落し乗員1名死亡。 6月27日 - 長野県大町市にある鹿島槍ヶ岳の東側斜面に厚木基地所属のジェット機2機が墜落。 7月12日 - 青森県三沢市の三沢基地で同基地所属のF-100スーパーセイバー戦闘機が着陸に失敗し滑走路の約800メートル手前の荒地に墜落。乗員1名死亡。 7月29日 - 神奈川県小田原市早川にある石垣山一夜城跡から西へ約4km離れた聖ヶ丘山に米海軍の哨戒機とみられる双発機が墜落。乗員2名死亡。 9月2日 - 静岡県御殿場市内の水田に米海兵隊の連絡機(セスナ機)が墜落し乗員2名が死亡。 9月8日 - 東京都にある横田基地を離陸しアリューシャン列島方面まで気象観測に行く予定だったWB-50型気象観測機が福島県石川郡石川町板橋にある三境山に墜落。地元の消防団が救護に駆けつけたが乗員全員11名が死亡した。 9月22日 - 沖縄本島の那覇の南南東約290キロの宮古島付近にて米海兵隊所属のDC-6型輸送機が墜落し乗員26名全員が死亡。 10月14日 - 青森県の三沢基地を離陸したF-100スーパーセイバー戦闘機が三沢市沖の太平洋に墜落。乗員1名死亡。 月日 - 相模原市田名にF-4Dファントムが墜落。乗員1名死亡[5]。 1961年(昭和36年) 1月11日 - 神奈川県厚木市妻田にある麦畑にアメリカ海軍所属のジェット機が墜落して大破。乗員はパラシュートで無事に脱出。 1月11日 - 東京都の八丈島の南東約100キロの太平洋上に米海軍所属の乗員1名乗りのF4D戦闘機が墜落。墜落前に無線で脱出すると連絡がありその後数日間にわたり米軍や海上保安庁が付近の海域を捜索したが乗員は見つからなかった。 1月18日 - 神奈川県大和市上草柳地内、相模鉄道本線の相模大塚駅から東へ約600m離れた線路脇に厚木基地所属の単座式戦闘機が午前10時15分頃に墜落し乗員1名が死亡。この事故で架線が切れたり線路が損傷したりしたため相鉄本線は運行できなくなり復旧するまで5時間ほどかかった。また電話回線も切断されてしまった為に付近一帯で電話が使えなくなった。 3月22日 - 茨城県那珂郡東海村照沼原の畑に米軍機の模擬爆弾が落下した。落下地点から僅か15m離れた場所では農民2人が農作業中だったが幸いに無事だった。この爆弾は地中4〜5mの深さにまで突き刺さっており現場検証にきた米軍は「模擬爆弾だから爆発の危険はないし、深く刺さっているから掘り起こすのが大変だ」との理由でこの模擬爆弾の撤去作業を拒否した。 4月 - 神奈川県の厚木基地所属のアメリカ軍機が離陸直後に高圧電線に接触、藤沢市高倉の民家に墜落。パイロットと住民1人が死亡、2人が負傷した[4]。 4月21日 - 神奈川県藤沢市中高倉にある民家に厚木基地所属のA4D攻撃機が墜落し墜落現場の民家に住んでいた夫婦2人が焼死。攻撃機の乗員1名も死亡した。 4月24日 - 静岡県吉原市の沖に空母レキシントン所属のF4D戦闘機が墜落。 6月3日 - 東京都青梅市上成木下分二本竹にある雑木林に横田基地を離陸したジョンソン基地所属のF-102戦闘機が墜落。乗員2名はパラシュートで脱出したが、うち1名は脱出時の高度が低かったためパラシュートが完全に開く前に地面に激突して死亡。もう1名は助かった。 6月23日 - 東京都の伊豆大島にある波浮港より南へ約11km離れた太平洋にB-57爆撃機が墜落。 9月6日 - 茨城県内で米軍のP33機から増槽(補助燃料タンク)が落下。民家の屋根に落ちたあと転がって民家の庭先で遊んでいた6歳の児童の上に落下し即死した。 11月2日 - 神奈川県中郡大磯町の南約11kmの相模湾に厚木基地所属のジェット機が墜落。乗員1名は墜落後にゴムボートで漂流したが無事に立川基地のヘリコプターに救助された。 11月20日 - 長野県東筑摩郡麻積村叶里の農家横の桑畑に厚木基地所属のF4D戦闘機が火を吹きながら墜落。乗員1名はパラシュートで脱出したが地上へ降下後に死亡した。 11月20日 - 茨城県那珂湊市にある米軍射爆場を飛行中のB-57爆撃機が射撃の訓練中に謝って付近の繁華街へ向けて20mm機関砲を誤射。これにより那珂湊市釈迦町の旅館やその近辺の民家8軒などに多数の砲弾が打ち込まれた。この事件により民家の屋根瓦や窓ガラスが割れたり壁に穴が開いたりした。また付近の道路にも弾が当たったと思われる穴が開いていた。現場から警察と住民が合計13発の20ミリ機関砲弾を回収した。この事件では幸いに死者や怪我人は出なかった。 11月27日 - 神奈川県横浜市戸塚区瀬谷町本郷3丁目の民家の近くにA4D攻撃機が墜落。乗員1名はパラシュートでの脱出を試みたがパラシュートが開かず、地面に激突して即死。 12月 - 沖縄本島の具志川村川崎部落に米軍のジェット機が墜落。住民2名が死亡、4名が重軽傷を負った。 12月7日 - 福岡県福岡市香椎にある民家にF-100スーパーセイバー戦闘機が墜落。パイロットは墜落前にパラシュートで飛行機から逃げ出したので無事だったが、この事故で墜落現場のすぐ近くにあった民家3戸は事故機から飛び散ったジェット燃料を浴びて瞬く間に炎上し、中に居た3名が焼死した。その3日後に病院に運ばれていた住民1名も死亡。最終的にこの事故による一般人の死者は4名となった。 1962年(昭和37年) 4月11日 - 青森県の三沢基地所属のT-33ジェット練習機が青森県上北郡で畑に墜落し2名死亡。 5月24日 - 埼玉県秩父郡横瀬村(現・横瀬町)芦ケ久保地内にある北根入山の山腹に立川基地を離陸したC-124グローブマスター輸送機が墜落し乗員7名全員が死亡した。 6月21日 - 青森県にある三沢基地を離陸したF-100スーパーセイバー戦闘機が離陸直後にエンジン火災を起こし、行方不明となった。そして翌日朝に平内町と野辺地町の境界にある烏帽子岳に墜落しているのが発見された。 8月11日 - 午前11時半頃に神奈川県大和市上草柳で厚木基地を離陸したジェット機2機のうち1機が県道を走っていたトラックに接触したのち、相模鉄道の相模大塚駅から約500m離れた線路の架線にも接触して墜落。これにより架線が切断されて相模鉄道は不通となったり復旧は夕方になった。パイロットは墜落の衝撃で重傷を負った。 12月20日 - 沖縄本島の嘉手納基地に着陸しようとしたKB-50J型空中給油機が滑走路手前にある電柱に接触して墜落。飛行機は滑走路近くの民家に墜落し大破炎上、住民2名死亡、重軽傷2名、乗員5名死亡、重軽傷2名の大事故となった。 12月20日 - 群馬県太田市東別所にある太田飛行場で物資投下訓練をしていた大型輸送機が投下訓練用のドラム缶を誤って投下目標地点から300m離れた民家裏に投下した。幸いに負傷者等は出なかった。 12月21日 - 沖縄の糸満町の海岸にFJ-3が墜落。パイロットは無事脱出し、住民にも被害は無かった。 1963年(昭和38年) 1月 - 東京都の横田基地を離陸したT-33練習機が昭島市の民家の庭先に模擬爆弾を誤投下。 1月18日 - 福岡県福岡市の板付空港(現・福岡空港)でF-100スーパーセイバー戦闘機が離陸直後に爆発炎上し、そのまま民間旅客機のターミナルビル前のエプロンに墜落。破片はターミナルビルなどに降り注いだ。この事故により空港待合室で日本航空の旅客機に乗るため待っていた乗客40名や空港職員などで空港ロビー内は一時騒然となった。この事故で空港警備員1名が割れた窓ガラスで負傷。パイロットは死亡。 5月16日 - 埼玉県入間郡毛呂山町毛呂山本郷にある(社福)毛呂山病院の看護婦用宿舎の近くにB-57爆撃機が墜落。この事故で病院の食堂で職員1名が死亡、看護婦1名が足を骨折する重傷、その他に病院関係者や消防団など十数人が重軽傷を負った。 5月23日 - 座間基地から羽田空港へ飛来した米軍のビーチクラフト機(U8D)が車輪の故障で羽田基地に胴体着陸し機体は激しく損傷。乗員3名は軽傷ですんだ。 7月18日 - 神奈川県中郡伊勢原町(現・伊勢原市)下粕屋にある水田に米軍の大型ヘリコプターが墜落し乗員3名全員が死亡した。 8月2日 - 青森県東津軽郡平内町清水川の沖約300mにF-100スーパーセイバー戦闘機が墜落し乗員1名が死亡。 8月29日 - 青森県の三沢基地所属のF-102戦闘機が基地から約90km東方に離れた太平洋に墜落。乗員2名は無事に生還した。 11月19日 - 神奈川県秦野市にある春岳の山腹に沖縄から横田基地に向けて飛行中のT-33機が墜落し乗員2名死亡。 1964年(昭和39年) 1月16日 - 神奈川県高座郡座間町(現・座間市)相模台にある畑に米海軍のジェット機が墜落しパイロット1名が死亡。この事故による破片が周囲の民家にも飛び散り13世帯が爆発による爆風と飛んできた破片などで窓ガラスが割れたり屋根に穴が開いたりした[5]。 1月18日 - 福岡県の板付空港の上空で米軍のF-100戦闘機が空中爆発。これにより破片が空港施設に飛び散ったため空港は閉鎖された。パイロット1名死亡。 2月15日 - 鹿児島県の薩摩半島にある開聞岳の南約9kmの海上に米空母から発進した哨戒機が燃料切れにより墜落し、乗員2名が死亡。 3月18日 - 神奈川県横須賀市大田和にある山林に米海軍横須賀基地所属の艦艇から発進した無人ヘリコプターが墜落した。 4月5日 - 東京都町田市にある横浜線原町田駅(現・町田駅)近くの商店街に、沖縄県嘉手納基地から飛来し厚木基地へ向かう途中のF8U-2 クルセイダージェット戦闘機が墜落。この事故で住民4名死亡、32名重軽傷者の大惨事となった。パイロットは墜落前にパラシュートで飛行機から脱出して無事だった[5][4]。 「町田米軍機墜落事故」を参照 7月22日 - 茨城県鹿島郡鹿島町(現・鹿嶋市)にある県立鹿島高校の北約100m離れた場所にある養鶏所の敷地内に米軍機の標的用の吹流しとその付属品が落下した。 7月31日 - 神奈川県藤沢市大庭にある畑にF4ファントム戦闘機が墜落炎上。乗員2名はパラシュートで脱出しうち1名が軽傷。この事故により畑や雑木林など約200平方mが焼失。 8月13日 - 岩手県下閉伊郡新里村刈屋堀谷下神立にある山林に三沢基地を離陸した米軍のKB50型気象観測機が炎上して墜落。乗員11名のうち4名はパラシュートによる脱出に成功したが他の7名は死亡した。 9月8日 - 神奈川県厚木市厚木にある相模川の河川敷にF-105戦闘機)が墜落し乗員1名が死亡。 9月8日 - 厚木基地を離陸したF-8A戦闘機が離陸直後にエンジン故障を起こし、高度が上がらず低空飛行を続けた末、滑走路端から2.7km離れた上草柳の舘野鉄工所の建物に接触したあと、50mほど離れた畑に墜落し爆発炎上した。この事故で鉄工所の工場内にあったアセチレンガスのタンクが燃え上がり住宅と2棟の工場が全壊。工場棟で作業をしていた3人が即死、重傷を負って入院した2人も後日死亡、負傷者4人、家屋全壊4棟、一部損壊6棟をもたらす大惨事となった。パイロットは鉄工所に衝突する直前にパラシュートで脱出したので軽傷だけで済んだ[5][4]。 「大和米軍機墜落事故」を参照 10月6日 - 神奈川県横浜市金沢区富岡町字滝にある山林に米海軍の大型ヘリコプターが墜落し乗員6名全員が死亡。 10月29日 - 長野県南佐久郡小海町の五箇地区にあるカラ松林に嘉手納基地所属のF-105Dが墜落。またこの墜落の少し前に長野県諏訪郡原村の柏木地区の民家近くに同F-105Dの外部燃料タンク2個が落下して爆発炎上し民家248平米を全焼した。パイロットは墜落の直前にパラシュートで脱出し無事だった。 12月 - 横田基地の近くにある昭島市堀向地域内でF-105戦闘機が超低空を猛スピードで飛行し、その時に発生した衝撃波で付近一帯の民家のうち14戸で窓ガラスが多数割れる被害が出た。そして同地区にある銭湯でも窓ガラスが多数割れて中に居た人々に割れた窓ガラスが降り注ぎ入浴中の女性が血だるまになる等の被害がでた。 12月8日 - 神奈川県愛甲郡清川村煤ケ谷金翔にある農家の庭先にF-8C戦闘機が墜落。墜落の衝撃でジェット燃料が周りの農家に飛び散って火災が起き農家4棟を全焼したが住民はいち早く逃げ出しで無事だった。パイロットもパラシュートで脱出して無事だった。 1965年(昭和40年) 1月 - 東京都にある横田基地所属のF-105戦闘機が曳行標的を昭島市内に誤投下。 1月10日 - ウェーク島を飛び立ち沖縄へ向っていたC-133輸送機が太平洋に墜落し乗員6名が行方不明。 2月2日 - 埼玉県入間郡西武町(現・入間市)野田芝の入間川の横にある茶畑にT-33機が燃えながら墜落。墜落現場近くに燃えて穴の開いたパラシュートが発見されそのすぐ近くで乗員2名が死んでいるのが発見された。 2月16日 - 東京都青梅市新町小藤塚にある麦畑にF-105戦闘機が墜落。乗員2名はパラシュートで無事に降下した。 2月18日 - 福岡県の板付空港(現・福岡空港)の南約21kmの山中にF-100スーパーセイバー戦闘機が墜落。乗員1名はパラシュートで無事に降下した。 5月 - 東京都にある横田基地所属のF-105戦闘機から部品が脱落し、福生市内の住宅地に落下。 5月5日 - 神奈川県相模原市上鶴間の米軍家族住宅に横田基地を離陸したF-105戦闘機が墜落。この事故で子供2名が死亡、軽傷8名だった[5]。 6月15日 - 神奈川県の大磯海岸沖の相模湾にF-4Bファントム戦闘機が墜落し乗員2名死亡。 6月25日 - 神奈川県の厚木基地に着陸しようとしたA-4C攻撃機が着陸に失敗し再びバウンドして基地外へ飛び出し、神奈川県大和市上草柳にある相模鉄道のコンクリート製トンネルに接触したのちトンネル先の麦畑に墜落し大破。現場は1962年(昭和37年)8月11日におきた米軍機墜落事故の場所とほとんど同じ所で、その事故のあと1964年(昭和39年)11月に米軍機の墜落に備えて厚さ40センチのコンクリート壁でトンネルを作ったばかりだった。もしこのトンネルが無かったら相模鉄道への被害は免れなかったと言われている。なおパイロット1名はこの事故で重傷を負った。 9月27日 - 福岡県遠賀郡岡垣町糠塚の森林に米軍機が模擬爆弾を誤投下した。模擬爆弾の落下した場所からわずか10メートル離れた所には松の伐採作業をしている人達7名が居たが、幸いに負傷者は出なかった。 1966年(昭和41年) 3月6日 - 東京都の立川基地で米軍機が滑走路をオーバーランして滑走路先の柵に衝突。 4月27日 - 広島県佐伯郡沖美町(現・江田島市)の沖合いの瀬戸内海に岩国基地所属のF-4ファントム戦闘機が墜落。乗員1名は墜落前にパラシュートで脱出し付近の漁船に無事に助けられた。 5月1日 - 東京都の立川基地に着陸しようとしたCL44機が基地手前の防護柵に車輪が接触した。これにより柵は壊れたが、幸いに飛行機の車輪は全く壊れず無事に滑走路に着陸できた。この柵は3月6日の事故で壊れた柵を応急的に修理した脆いもので、もし柵をもっと頑丈なものに作り変えていたら事故は免れなかったと推察される。 5月19日 - 沖縄の嘉手納基地を飛び立ったKC-135空中給油機が嘉手納町とコザ市(現・沖縄市)の境にある道路に墜落し、たまたまこの道路を走っていた本土から仕事で来ていた会社員の運転する車を巻き込んで大破し会社員1名が死亡した。飛行機の乗員10名も全員死亡した。 8月 - 東京都の横田基地所属のF-105戦闘機からエアブレーキの部品が脱落し昭島市明神町に落下した。 9月12日 - 東京都の横田基地からウェーク島へ行こうとした米軍のチャーターするDC-7旅客機が離陸に失敗。滑走路先の柵をなぎ倒したあと基地の外にある畑まで飛び出して炎上した。乗員4名は飛行機が燃える前に脱出して無事だった。なお、この事故では飛行機の燃えた場所が五日市街道のすぐ横で、同街道が4時間以上に渡って通行止めとなり付近一体は大渋滞した。 1967年(昭和42年) 2月1日 - 午後5時55分頃、横田基地を燃料満載の状態で離陸したF-105戦闘機が離陸直後にエンジンが停止し、そのまま府中市にある多摩川の河川敷に墜落した。乗員1名は機体から脱出する前に機体に付いている増槽(補助燃料タンク)2個を切り離した。この増槽2個も、それぞれ飛行機の墜落現場に近い多摩川の河川敷の土手に落下し、事故機と増槽から漏れ出た燃料により河川敷の広範囲が焼失した。特に増槽1個については燃料が多摩川の水面に流れ出し、文字通り一面が火の海になった。パイロットはパラシュートで脱出に成功し府中本町駅近くに無事降下。事故機のパイロットは「民家を避けて、人がいない場所に飛行機を落とそうと思い多摩川に飛行機が落ちるようにした」と語っている。そしてパイロットの狙い通り、事故機は人の居ない多摩川に落ちたのでこの事故では人的被害は出なかった。 6月24日 - 神奈川県大和市深見にて、アメリカ軍ジェット機による部品落下事故発生。被害なし[5]。 4月28日 - 長崎県上県郡上対馬町の東北東約9kmの海上にP-3Aオライオン哨戒機が墜落。 8月 - 横田基地に駐機中のB707機から火災が発生して全焼。 12月28日 - 東京都の三宅島坪田南の約500m沖合いにF4戦闘機が墜落。乗員2名は漁船などに助けられた。 1968年(昭和43年) 1月16日 - 山口県の岩国基地を離陸したP-3Aオライオン哨戒機が愛媛県西条市にある石槌山の近くに墜落。乗員17名全員死亡。 6月2日 - 福岡県福岡市箱崎にある九州大学工学部の建物にF-4ファントム戦闘機が墜落した。墜落現場から十数メートル離れた場所にはコバルト60を保管する倉庫があり、もしそれを直撃していたら福岡市内の広範囲が放射能汚染を受ける危険があったと言われている(九州大学電算センターファントム墜落事故)。 6月7日 - 東京都昭島市上川原町にある日枝神社の境内に横田基地所属のF-4ファントム戦闘機の風防の部品が落下した。当時、境内には何人かの人が居たが幸い負傷者は出なかった。 6月18日 - 埼玉県熊谷市三尻宮島にあるジャガイモ畑と隣の田んぼに重さ約200kgのジュラルミン製の燃料タンク2個が落下した。航空自衛隊が調べたところこれは横田基地へ向かう途中の米軍機から落下したものだと判った。 11月19日 - 沖縄県の嘉手納基地でB-52爆撃機が爆発を起こした。幸いに死者は出なかった。 1969年(昭和44年) 1月12日 - 福岡県福岡市箱崎にある九州大学の正門前にある商店に米軍偵察機の防風ガラス清掃用の部品が落下。怪我人など出なかったものの、この現場は前年6月2日にファントム機が墜落した「九州大学電算センターファントム墜落事故」の現場からわずか400mしか離れていない場所だったので九州大学では再び米軍批判が高まることとなった。 1月12日 - 東京都の横田基地所属のF-4ファントム戦闘機が埼玉県入間市元狭山の狭山湖に墜落。この事故機は墜落の際に送電線を切ったため、三多摩地区の合計1万戸が停電した。なお乗員2名は即死した。 4月15日 - 神奈川県にある厚木基地をEC-121早期警戒機1機が離陸し北朝鮮まで飛び上空から諜報活動を行ったが、北朝鮮より飛び立ったMiG-21戦闘機2機に当該機は撃墜され日本海に墜落した。搭乗員31名全員が死亡。(アメリカ海軍EC-121機撃墜事件) 6月21日 - 神奈川県横浜市北区鴨志田の雑木林に、山口県の岩国基地から神奈川県の厚木基地へ向けて飛行していた在日米軍の軽飛行機が墜落し操縦士1名が死亡。生き残った同乗者の証言によれば「突然エンジンが止まった」とのこと。 7月18日 - 山口県の岩国基地を離陸し青森県の三沢基地へ向かう途中のF-4ファントム戦闘機が岐阜県美濃加茂市の山林にAIM-7スパロー・ミサイルを落とした。厚木基地よりヘリコプターが飛び立って落下地点と思われるあたりを探索したが爆発の痕跡などは見つからなかった。この事故に対して時の内閣の佐藤総理は22日の閣議でこの問題を日米間の協議問題に取り上げる旨を表明した。 10月18日 - 沖縄県の勝連村にある米軍港ホワイトビーチ桟橋のすぐ近くの海で米軍のヘリコプターが墜落。落下した破片で米軍基地で働いてる日本人1名が重傷。ヘリコプターの乗員18名のうち3名も死亡。 1970年代 1970年(昭和45年) 3月4日 - 広島県佐伯郡湯来町(現・広島市佐伯区)鹿ノ道の近くにある山に岩国基地のA-6攻撃機が墜落。乗員2名はパラシュートで脱出して1名は無傷、1名は負傷。 4月10日 - 沖縄県那覇市南約30kmの海上で那覇基地所属のC-134A輸送機)が墜落。乗員9名は行方不明となった。 6月17日 - 神奈川県の丹沢の山中に岩国基地を飛び立って横田基地に向かっていたF-4ファントム戦闘機が墜落。乗員2名死亡。 7月10日 - 神奈川県相模原市大沼でアメリカ軍ジェット機による部品落下事故発生。屋根、玄関ガラス戸に損害[5]。 7月20日 - 沖縄県の読谷飛行場上空でパラシュート降下訓練をしていた米兵が風にあおられて飛行場の外に降下した。負傷者などは出なかった。 7月20日 - 沖縄の読谷飛行場上空で物資投下訓練をしていたヘリコプターが投下した重さ約10キロの鉄のおもり(パラシュート付)が風にあおられて飛行場から約1km離れた住宅に落下した。幸いにパラシュートが屋根に引っ掛かり怪我人などはでなかった。 7月27日 - 沖縄の那覇空港に着陸しようとした米軍チャーター機のフライング・タイガー航空のDC-8旅客機が空港手前に墜落し乗員4名死亡(フライング・タイガー・ライン45便那覇沖墜落事故) 1971年(昭和46年) 8月24日 - 神奈川県横浜市旭区上白根にある団地近くのバス停の横にある雑木林にFJ8戦闘機)が墜落。 10月19日 - 島根県の壱岐島の北西約35kmの場所で空母ミッドウェイから発艦したE-2ホークアイ哨戒機とA-7コルセア攻撃機が接触しE-2ホークアイ哨戒機が墜落し乗員8名全員が行方不明となった。A-7コルセア攻撃機は事故後に自力で飛行し岩国基地に帰投した。 10月 - 沖縄県の読谷村にジェット練習機が墜落し農民1名が負傷。 11月3日 - 岩国基地所属のA-4攻撃機が沖縄の那覇市北西約24kmの海上に墜落。乗員はパラシュートで脱出して無事に米艦艇に救助された。 12月 - 神奈川県の厚木基地所属のH46ヘリコプターが東京都の横田基地の滑走路南端に墜落。乗員7名死亡。 1972年(昭和47年) 6月 - 東京都にある横田基地を離陸したB727機のエンジンカバーが瑞穂町内に落下。 1973年(昭和48年) 5月9日 - 神奈川県相模原市西大沼にアメリカ軍所属のヘリコプターが不時着。被害なし[5]。 8月20日 - 神奈川県横須賀市のアメリカ軍横須賀基地内にあるヘリポートでCH-46ヘリコプターが墜落。乗員8名のうち2名が死亡。 12月5日 - 沖縄県中頭郡西原村(現・西原町)のサトウキビ畑にCH-46ヘリコプターが墜落し乗員3名が死亡した。現場からわずか200m離れた場所にはガスタンク(500立方m×2基)があり、もしそこに墜落していたら大惨事になるところだった。 1976年(昭和51年) 8月31日 - 山口県にある岩国基地でハリアー戦闘機が垂直離陸しようとして失敗し墜落。パイロットは脱出して無事だったが、この事故で出動した米軍消防車のうち1台が滑走路一面に広がった消火剤の泡で横転し米軍消防士6名が車外に投げ出されうち1名が消防車の下敷きとなり重体となった。 10月24日 - 東京都西多摩郡瑞穂町駒形富士山にある民家の屋根に米軍ヘリコプターの風防が落下。これは横田基地から入間基地へ向かう途中のCH-53ヘリコプターが落としたものだった。 1977年(昭和52年) 9月27日 - 神奈川県横浜市緑区元石川町(現・青葉区元石川町)山林に空母ミッドウェイへ向かう途中のF-4ファントム戦闘機が墜落して民家2棟が全焼。この事故で民家に住んでいた3歳の幼児と1歳の乳児の2名が全身火傷で死亡。母親は大火傷を負い一命を取り留めたものの、その後4年間に渡り60回もの皮膚移植の手術等の治療を受けていたが、1982年(昭和57年)1月26日についに力尽きて死亡した。パイロットはパラシュートで脱出し無事だった[5]。 「横浜米軍機墜落事件」を参照 1978年(昭和53年) 1月18日 - 静岡県御殿場市にある東富士演習場で厚木基地所属のヘリコプターが墜落し乗員26名のうち4名が死亡。 8月21日 - 神奈川県横浜市旭区の上空を飛行していたP-3C対潜哨戒機が翼の前縁カバーが落下。米軍は「乱気流に巻き込まれたため」と発表したが、日本側で調べたところ28本あるボルトの締め付けが全て甘かった事が判り、部品落下の原因は整備不良である事が判明した。 10月 - 東京都の横田基地を飛び立ったP-3対潜哨戒機がアリューシャン列島で墜落。乗員15名のうち10名はソ連の漁船に救助された。残り5名については2名が遺体で発見されたが3名は行方不明のままとなった。 10月18日 - 東京都の横田基地の滑走路上でDC-8機が火災を起こして炎上。 1979年(昭和54年) [編集]2月26日 - 鹿児島県の与論島沖合い約3kmの海に嘉手納基地所属のCH-53ヘリコプターが墜落。乗員4名のうち1名は地元の観光業者が観光船で駆けつけて救助したが残り3名は死亡した。 1980年代 1981年(昭和56年) 2月5日 - 沖縄県国頭郡伊江村の伊江島にある米軍射撃場でヘリコプター2機が射撃訓練を行っていたところ、このうちの1機が機関銃を誤射した。この誤射した弾は射撃場外の民家のブロック壁にあたりブロックが割れるなどしたが幸いに怪我人などは出なかった。 9月9日 - 広島県双三郡作木村(現・三次市)森山にある山中にA-4スカイホーク攻撃機が墜落。乗員はパラシュートで脱出し頭部に重傷を負ったが助かった。 1982年(昭和57年) 2月25日 - 神奈川県相模原市キャンプ淵野辺跡地にアメリカ軍所属ヘリコプターが不時着。被害なし[5]。 4月6日 - 沖縄県の嘉手納基地所属のF-15戦闘機が沖縄本島北西約75kmの海上に墜落。乗員2名はパラシュートで無事に脱出し海兵隊のヘリコプターに救助された。 1983年(昭和58年) 3月9日 - 東京都にある横田基地に着陸したC-141Bスターリフターからタイヤが外れ、滑走路上を数百mにわたって転がった。 1985年(昭和60年) 5月6日 - 鹿児島県の種子島南南西約40kmの東シナ海に岩国基地での基地祭に参加し沖縄へ帰る途中のCH-53ヘリコプターが墜落。乗員17名全員が行方不明となった。 1986年(昭和61年) 4月1日 - 東京都の伊豆諸島三宅島より東方へ約20kmの海上でEA-6プラウラー電子戦機が墜落。乗員は全員無事だった。 1987年(昭和62年) 3月 - 青森県の三沢基地所属のF-16戦闘機が洋上訓練中に故障を起こして八戸市沖の太平洋に墜落。 3月22日 - 鹿児島県の屋久島から東へ約220kmの海上に米軍機が墜落。 10月26日 - 神奈川県大和市南林間でアメリカ海軍所属のP-3C哨戒機による部品落下事故発生。民家換気扇カバー破損[5]。 11月 - 東京都にある横田基地所属のC-130輸送機が埼玉県比企郡小川町の上空を飛行していたところドアが脱落して民家の庭先に落下。 1988年(昭和63年) 6月25日 - 愛媛県西宇和郡伊方町にある伊方原子力発電所の南東約1kmの地点に沖縄県普天間基地へ向かう途中だったCH-53ヘリコプターが墜落。 9月 - 青森県の三沢基地所属のF-16戦闘機が飛行中にエンジン出力が低下し、岩手県の山岳地帯に墜落。 9月2日 - 青森県三沢基地所属のF-16戦闘機が僚機と編隊飛行中にエンジン出力が低下し、岩手県下閉伊郡川井村(現・宮古市)にある山の中に墜落。 乗員は墜落前に脱出して無事だった。 10月31日 - 沖縄県国頭郡東村の米軍演習場にて2機のCH-46ヘリコプターが接触し1機が墜落。 1989年(平成元年) 3月14日 - 沖縄県中頭郡読谷村にある残波岬の北約18kmの海上にSH-3ヘリコプターが墜落。 5月31日 - 沖縄県糸満市にある喜屋武岬の南東約17kmの海上で揚陸艦から発進しようとしたCH-53ヘリコプターが墜落。 6月12日 - 愛媛県東宇和郡野村町(現在は西予市野村町)で飛行訓練から帰投中のF/A-18戦闘攻撃機が墜落。乗員は墜落前に脱出して無事だった。 9月7日 - 神奈川県大和市下鶴間へアメリカ海軍所属のUH-1ヘリコプターが不時着。植木破損[5]。 1990年代 1991年(平成3年) 5月 - 青森県の三沢基地所属のF-16戦闘機が飛行中にエンジンに異常をきたして三沢基地内に墜落。 1992年(平成4年) 1月 - 日本からアメリカ本土までの遠距離飛行中だった青森県の三沢基地所属のF-16戦闘機が太平洋上で空中給油機から給油を受けようとして空中給油機と接触しそのまま太平洋上に墜落。 6月22日 - 神奈川県相模原市宮下にてアメリカ軍所属C-130輸送機による部品落下事故発生。民家屋根に被害[5]。 1993年(平成5年) 4月 - 青森県の三沢基地所属のF-16戦闘機が韓国のソウル南部にある烏山空軍基地(オーサン空軍基地)の沖で空中支援訓練中に墜落。 12月17日 - 沖縄県の嘉手納基地を離陸したF/A-18ホーネット戦闘攻撃機2機が空中衝突をおこし沖縄本島の東南沖の太平洋に墜落。 1994年(平成6年) 4月4日 - 沖縄県の嘉手納基地の嘉手納弾薬庫近くにF-15戦闘機が墜落。幸い弾薬庫は無事でパイロットも脱出した。 4月6日 - 沖縄県の普天間基地を離陸しようとしたCH-47ヘリコプターが離陸に失敗し滑走路上で大破。 8月17日 - 沖縄県の嘉手納基地を離陸したハリアー戦闘機が沖縄本島西方の粟国島付近に午後4時頃に墜落。 11月16日 - 沖縄県のキャンプ・シュワブでUH-1Nヘリコプターが墜落。 1995年(平成7年) 10月18日 - 沖縄県の沖縄本島より南へ約100kmの太平洋上でF-15戦闘機が墜落。乗員は墜落前に脱出して無事だった。 1996年(平成8年) 4月 - 東京都にある横田基地所属のC-130輸送機が投下訓練用の砂袋を誤投下[6]。 6月4日 - 共同演習に参加していた海上自衛隊の護衛艦ゆうぎりが、標的を曳航していた米海軍のA-6イントルーダー攻撃機を誤射しA-6は墜落。パイロットは脱出して無事。 5月 - 東京都にある横田基地に着陸しようとしたC-141輸送機がブレーキ故障で滑走路をオーバーラン[6]。 1997年(平成9年) 2月9日 - 山口県の岩国基地所属のF/A-18Dホーネット戦闘攻撃機が韓国のソウル南部にある烏山空軍基地(オーサン空軍基地)近くの沖で墜落し乗員2名は行方不明となった。 10月24日 - 山口県の岩国基地で離着陸訓練中のAV8BハリアーII攻撃機が基地近くの海に墜落した。乗員は脱出して無事だった。 1998年(平成10年) 4月19日 - 沖縄県国頭郡国頭村にある米軍北部訓練場から東方へ約1kmの海上で夜間飛行訓練中だったCH-53Eヘリコプターが墜落。 7月24日 - 青森県の三沢基地所属のF-16戦闘機が同基地で離陸に失敗し滑走路をオーバーランして炎上。 7月 - 沖縄県の米軍基地敷地内、キャンプ・ハンセン内で米海兵隊所属のUH-1Nヘリコプターが墜落事故[1]。 8月19日 - 神奈川県相模原市の上空を飛行していた羽田発広島行きの日本航空DC-10において突然、空中衝突防止装置が作動した。直後、厚木基地を離陸し岩国基地へ向かう途中の在日米軍のF/A-18戦闘機が高度差約110メートル、距離差約1110メートルでDC-10の横をすれ違った。 10月 - 東京都の横田基地を離陸したC-9航空機から1.5m四方の金属板が落下。後日エンジン火災を起こしており、エンジンカバーを紛失していたことが判明[6]。 1999年(平成11年) 1月20日 - 高知県沖の太平洋上で空中給油訓練中のF/A-18戦闘攻撃機が僚機と接触して高知県夜須町(現・香南市)の沖約18kmの土佐湾に墜落した。 1月21日 - 青森県の三沢基地所属のF-16戦闘機が岩手県釜石市橋野にある山林に墜落。墜落の原因はパイロットが制服のファスナーに気を取られている間のいわゆる「わき見運転」が事故原因だった。後日、この飛行機には発がん性物質であるヒドラジンが搭載されていた事が判明し問題となった。 4月 - 沖縄県の在日米軍所属のCH-53Eが北部訓練場の沖合に墜落し、乗員4名が死亡する事故発生[1]。 5月5日 - 東京都の横田基地所属のC-130輸送機が飛行訓練中に東京都町田市小山町で投下訓練用の砂袋(重量約7kg、パラシュートつき)を誤って落下させた[6]。この砂袋は民家に落下し屋根瓦4枚が破損した[5]。 6月4日 - 沖縄県の嘉手納基地で滑走路上にホバリングしていたAV8BハリアーII攻撃機がエンジンに異物を吸い込みエンジンから火を吹き墜落。パイロットは墜落直前に脱出し無事だった[1]。 2000年代 2000年(平成12年) 11月13日 - 青森県の三沢基地所属のF-16戦闘機2機が北海道の松前町の西方約50kmの日本海上で空中衝突し2機とも墜落。 2001年(平成13年) 4月3日 - 青森県の三沢基地所属のF-16戦闘機が三沢基地の近くの天ヶ森射爆場(Ripsaw Range)の数百mほど先の海に墜落。乗員は海上自衛隊のヘリコプターに救助されて無事だったが墜落現場の海に飛行機から漏れ出した燃料が広がるなど漁業被害がおきた。 9月 - 東京都にある横田基地所属のC-17輸送機が飛行中に部品が脱落し羽村市神明台にある工場の屋根に落下。部品の重さは約1.2kgもあり工場の屋根に穴が開いた。後日、国が在日米軍を相手どって正式に抗議[6]。 2002年(平成14年) 4月15日 - 青森県の三沢基地所属のF-16戦闘機が青森県西津軽郡深浦町にある千畳敷の沖合いの日本海に墜落。乗員は墜落前に脱出して無事。 8月 - 沖縄県の本島南方約100kmの海上にF-15戦闘機が墜落。 9月15日 - 神奈川県藤沢市(場所不明)で、アメリカ軍所属機による部品落下事故発生。被害なし[5]。 2003年(平成15年) 3月14日 - 相模湾上空を飛行中のアメリカ軍所属ヘリコプターからの部品落下事故発生。被害なし[5]。 5月21日 - 神奈川県秦野市大槻の上智大学のグラウンドにUH-60ヘリコプターが不時着[5]。 2004年(平成16年) 4月14日 - 広島県内でCH-53ヘリコプターが油圧系トラブルで河川敷に不時着。 4月26日 - 山口県の宇部岬沖に射撃訓練用の模擬標的を誤落下。 5月6日 - 埼玉県内でC-130輸送機からエンジン部分の部品が落下。 6月16日 - 沖縄県でF/A-18戦闘機から金属部品が住宅地に落下。 7月19日 - 神奈川県の上空を飛行中のUH-60ヘリコプターから銃弾200発が落下。被害なし[5]。 8月2日 - 青森県でF-16戦闘機1機が機体のトラブルのため青森空港に緊急着陸。またこの故障機をサポートするためにもう1機のF-16戦闘機も緊急着陸した。 8月10日 - 東京都の硫黄島でリムパックに参加していたS-3ヴァイキング対潜哨戒機が墜落。 8月11日 - 北海道でF-16戦闘機2機が燃料系のトラブルが原因で函館空港に緊急着陸。 8月13日 - 沖縄県の普天間基地所属のCH-53Dヘリコプターが沖縄国際大学の1号館北側に接触して墜落炎上。事故当時、1号館内には大学職員など20数名がいたが幸いに怪我人は出なかった。ヘリコプターの乗員3名負傷。 「沖国大米軍ヘリ墜落事件」を参照 8月19日 - 神奈川県内を飛行していた横田基地所属のUH-1Hヘリコプターが飛行中にトラブルを起こして民間ヘリポートに緊急着陸[6][5]。 8月21日 - 東京都の横田基地で開催されていた基地祭の最中にデモ飛行していたC-130輸送機からヘルメットが落下[6]。 10月4日 - 沖縄県内でF-15戦闘機2機が空中接触。幸い2機とも墜落しなかった。 11月 - 神奈川県横田基地所属のUH-1Nヘリコプターが飛行中にエンジンの燃料ポンプが故障し静岡県沼津市にある野球場に緊急着陸[6]。 11月 - 神奈川県横田基地所属のUH-1Nヘリコプターが飛行中に調布飛行場に電気系統のトラブルのため緊急着陸[6]。 11月29日 - 神奈川県厚木基地内でF/A-18Cホーネット戦闘攻撃機から部品が落下。被害なし[5]。 12月7日 - 神奈川県藤沢市桐原でF/A-18Cホーネット戦闘攻撃機から部品が落下。民家の屋根に被害[5]。 2005年(平成17年) 2月1日 - 神奈川県伊勢原市西富岡にUH-60ヘリコプターから部品が落下。被害なし[5]。 4月14日 - アメリカ軍所属のジェット機2機(FA-18Eスーパーホーネット戦闘攻撃機、EA-6Bプラウラー電子戦機)から、神奈川県内(場所不明)にはしご、模擬弾のフィンが落下。被害なし[5]。 5月 - 神奈川県横田基地所属のUH-1Nヘリコプターがエンジントラブルのため富士山付近(山梨県南都留郡鳴沢村)のスキーリゾート駐車場に緊急着陸[6]。 5月23日 - 神奈川県内(場所不明)アメリカ軍所属のSH-60Bヘリコプターから部品が落下。被害なし[5]。 7月30日 - 神奈川県藤沢市片瀬海岸にUH-3Hヘリコプターが不時着。被害なし[5]。 2006年(平成18年) 1月17日 - 沖縄県の嘉手納基地所属のF-15戦闘機が沖縄本島の東方近海の北緯26度25分、東経128度44分の地点に墜落。乗員1名は米軍に無事救助された。 5月22日 - 神奈川県丹沢山中上空にてアメリカ軍所属のC-2輸送機の脱出用ハッチが落下。被害なし[5]。 10月12日 - 神奈川県小田原市上空にてアメリカ軍所属のUH-60ヘリコプターから懐中電灯が落下。被害なし[5]。 2007年(平成19年) 2月27日 - 神奈川県内(場所不明)にアメリカ軍所属のFA-18Eスーパーホーネット戦闘攻撃機の部品落下。被害なし[5]。 3月22日 - 青森県の三沢基地所属のF-16戦闘機が飛行訓練中に燃料漏れをおこし函館空港に緊急着陸。 4月10日 - 神奈川県内(場所不明)にアメリカ軍所属のFA-18Eスーパーホーネット戦闘攻撃機の部品落下。被害なし[5]。 6月 - 東京都横田基地所属のUH-1Nヘリコプターがトランスミッション不調のため神奈川県横浜市のサッカー場に緊急着陸した[6]。 6月11日 - アメリカ軍所属のUH-1Nヘリコプターが神奈川県相模原市水郷田名の相模川河川敷へ不時着[5]。 6月13日 - アメリカ軍所属のUH-1Nヘリコプターが神奈川県横浜市金沢区へ不時着[5]。 2008年(平成20年) 6月11日 - 東京都の横田基地所属のUH-1Nヘリコプターがエンジン故障のため神奈川県相模原市田名にある相模川の河川敷に緊急着陸した[6]。 7月 - 東京都の横田基地所属のUH-1Nヘリコプターから立川市または昭島市(場所不明)にペットポトルが落下[6]。 7月14日 - 東京都の横田基地所属のC-130輸送機が同基地から北へ約100マイルの場所を飛行中、重量約1.4kgのアンテナが脱落[6]。 12月 - 東京都横田基地所属のヘリコプターがトランスミッション不調のため新座市の朝霞駐屯地に緊急着陸[6]。 2009年(平成21年) 2月17日 - 神奈川県内(場所不明)にアメリカ軍所属のFA-18Eスーパーホーネット戦闘攻撃機の左翼フラップが落下。被害なし[5]。 2010年(平成22年) 1月28日 - アメリカ海軍第5空母航空団所属の(FA-18Eスーパーホーネット戦闘攻撃機が神奈川県綾瀬市上空を飛行中、部品落下事故が発生[7]。民家窓ガラスに被害[5]。 3月4日 - 神奈川県の厚木基地所属のF/A-18Cホーネット戦闘攻撃機が周辺飛行中(場所不明)に部品落下による部品紛失の可能性があるとアメリカ海軍厚木航空施設が発表[7]。被害なし[5]。 ●これの次は…。 |