01. 2012年7月20日 23:07:25
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IRIBイランイスラム共和国・国際放送ラジオ日本語より、関連ニュースを転載する。(転載開始) http://japanese.irib.ir/news/item/30467-イラン国会、「シリアでの犯罪に対する西側の沈黙は、テロリストの本質示す」 2012/07/20(金曜) 21:18 イラン国会、「シリアでの犯罪に対する西側の沈黙は、テロリストの本質示す」 イラン国会のラーリジャーニー議長が、「シリアの国防大臣と、治安当局者の一部に対するテロ事件に、西側諸国が沈黙していることは、西側諸国のテロリスト的な本質や思惑を示している」と語りました。 イラン国会通信の記者の報告によりますと、ラーリジャーニー議長は20日金曜、イラン国会及び、聖職者会議の一部のメンバーの会合において、最近シリアで発生したテロ行為を非難し、「アメリカやイギリスといった、一部の西側諸国がこの事件に対し沈黙を決め込んだことは、そうした国々がシリアで、自国の特別な政治上の目的を果たすためには、あらゆる犯罪をも大目に見るということを示している」と述べています。 また、イランのイスラム革命を破壊し、イスラム体制に対するイラン国民の信頼を挫こうとする工作は、空ろな幻想に過ぎないとし、「イラン国民は、1979年のイラン革命以来、アメリカの前に立ちはだかり続け、この道を歩む彼らの意志は、決して揺らぐことはない」としました。 ラーリジャーニー議長はさらに、イラン国民が常に同国の最高指導者ハーメネイー師の教令を活用して、あらゆる障害を克服してきたことに触れ、「覇権主義者は決して、イラン国民の団結や連帯意識を揺るがすことはできなかった」と語っています。 そして、「今や西側諸国は、戦争をもってしてもイラン国民の堅忍不抜さを打ち砕くことはできないことを知っているため、対イラン軍事攻撃を選択肢から外している。だが、彼らは政治的、文化的な手段を行使してイラン国民を破壊しようと目論んでいる」と述べました。 ラーリジャーニー議長は、科学技術分野においてイランが進歩を遂げ、イラン国民が国内での自給自足達成に向けて確かな足取りを進めていることを指摘し、国内生産をより所とすることが、制裁による圧力から脱出するための方法の1つであるとした上で、「イラン国内での生産量が高いことから、経済制裁によりイランが弱体化することはないだろう」としています。 (転載終了) 本日7月20日は、イランにとって歴史的な日なのです。下を見てください。 (転載開始) http://japanese.irib.ir/home/today-in-history/item/30459-イラン国民が王制に対して蜂起した日 イラン国民が王制に対して蜂起した日 西暦2012年7月20日 イラン暦1391年ティール月30日 イスラム暦1433年シャアバーン月30日 イラン暦1331年ティール月30日、テヘランをはじめとするイラン各地で壮大なデモが行われました。モサッデグ首相が解任され、イランの最後の独裁者となったパフラヴィー朝の国王、モハンマド・レザーシャーが、ガヴァーモッサルタナを首相に任命したことを受け、政治的、宗教的な指導者のカーシャーニー師が声明を出しました。 この声明は、ガッヴァーモッサルタナの首相任命に強く抗議するものでした。ガッヴァームは、植民地主義国の傀儡であり、独裁政権に貢献する人物でした。ガッヴァームは、就任直後、政教分離のスローガンを唱え、カーシャーニー師をはじめとするイスラム勢力に対する闘いを開始しました。カーシャーニー師は声明の中で、独裁政権に対する闘争に立ち上がるよう、国民に求めました。そのため、ティール月30日の出来事が起こったのであり、イラン各地で、イスラム教徒の国民による蜂起が始まりました。 このデモは、王制によって弾圧されましたが、最終的に、国王が立場を譲り、モサッデグ首相の再任を命じました。モサッデグ首相は、国民の闘争によって再び政権を握りましたが、それから13ヶ月と経たないうちのイラン暦1332年モルダード月28日、アメリカのクーデターにより崩壊しました。 (転載終了) |