02. 2012年7月07日 08:18:58
: S57QJHub3w
この報道もフォローが必要のようだ。 シリアの情報についてはカウンターメディアが腰砕けなので、というより中東情報ではカウンターメディアの一翼をになうべき肝心の左翼メディアは総崩れ状態なので既存メディアが幅を利かすことになってしまっている。 というより左翼メディアという呼称自体、もはや無効になってしまっている現在において中東情報は個人の営為によって支えられているというのが現実であり、個人の思考や思想は二の次に措いても個人的営為による異なる視点や情報精度は既存メディアの作為性丸出しの端折り(はしょり)記事をフォローする意味にあっては十二分にカウンターメディア足りえる。ということで、今回もこの記事のフォローにいつもの「日々の感想」氏のブログ記事を引用させていただく。 記事の文章が長いがご容赦。 シリア:共和国警備隊の司令官がトルコに逃亡(じゃなかった) マナーフ・タラース
作成日時 : 2012/07/06 02:55 治安高官は本紙に対し、元国防大臣・副大統領の息子であるManaaf Talaasマナーフ・タラース准将が、トルコへ逃亡したことを確認した。彼は、シリアの情報部によって指名手配されている。 そして同高官は、次のように続けた。情報部が彼を逮捕しようと思えばできた。彼が逃亡したのは、情報部が、彼の外国との接触を完全に把握していることを確認したあとである。彼の逃亡は、何も影響しない! マナーフ・タラース准将は、共和国警備隊、第105旅団の司令官である。スンニー派。 他方、治安関係者は、地上の状況は良く(体制優勢)で、不可逆的であり、どこのポケットに隠れていようが、テロリストを除去する、と確認した。 7月5日付け記事。 http://www.syriasteps.com/?d=110&id=89922&in_main_page=1 http://megalodon.jp/2012-0706-0136-48/www.syriasteps.com/?d=110&id=89922&in_main_page=1 本紙が当局に確認したところ、当局は、7月3日以降のマナーフの居場所を知らない(≒7月2日か3日に出国した)。
7月5日付け記事。 http://www.aksalser.com/index.php?page=view_news&id=abeee2d281af243933d001fdc86b1530&ar=978213990 ロイター電。 http://www.dailystar.com.lb/News/Middle-East/2012/Jul-06/179526-general-tlass-defects-from-republican-guard.ashx
マナーフは、元国防大臣Mustafa Talaasムスタファー・タラースの子である。ムスタファーは、故ハーフィズ・アル・アサド大統領と強い友情で結ばれ、内乱や対外戦争で逆境にあるときでも大統領を見捨てず、常にかたわらに寄り添っていた。このおかげで、彼の子供たちは特別な地位を与えられた。例えば、長男Firaas Talaasフィラース・タラースは、21歳でal-Maasアル・マース(ダイヤモンド)という企業グループを作り、食品業などに進出した。
マナーフ准将の逃亡は、兄フィラースの行動の変化と同期しているようである。過去において、フィラースは、ビジネスマンは政治にタッチしない。仕事でいろんな国々に出かけなければならない、として発言を差し控えてきた。ところが、彼は7月2日、Facebookで、次のように表明した。 「特定のメカニズムに従い、国際管理の下で選挙を実施し、国民議会を作る。これが目標である。平和的な政治潮流と、武装勢力(FSAを構成する様々なグループ)を統合し、一つの組織を作る。そうすれば、国際社会が危機を終結させるために殺到するだろう。(私は、2つの勢力の間の紛争と呼ばない。)これを実現するために、君たちは働かなければならない」。 ムスタファー・タラース元国防相は、国防大臣を1972年から2003年まで務めた。故ハーフィズ・アル・アサド大統領の盟友で、いわゆる守旧派とみなされている。 7月5日付け記事。 http://www.syriandays.com/?page=show_det&select_page=73&id=32243 http://megalodon.jp/2012-0706-0155-34/www.syriandays.com/?page=show_det&select_page=73&id=32243 (7月6日18時30分追記) トルコ経由でパリに出国したマナーフ・タラースは、過去1年間、実務から離れていた。新内閣に入閣することが期待されていたが、アサド大統領が拒否した。そこでマナーフは大統領から許可を取り、パリに出発したのであって、いわゆる離反報道は真実でない。
7月5日付け記事。 http://elmarada.org/details/56244/ http://megalodon.jp/2012-0706-1833-27/elmarada.org/details/56244/ (追記終了) ・・・アル・マラダのボスであるレバノンのフランジーイェ国会議員は、アサド大統領の幼少時からの親友。最近トルコがやたらと流している軍兵士の離反報道と同じ、情報戦の一つなのではないか。 元国防相の父ムスタファーは、治療を理由にパリに出国している。兄フィラースは、ドバイにいると言われている。
マナーフ・タラースは、幼少の頃からバッシャールの親友で、大統領の従兄弟ラーミーとハーフィズ・マフルーフ、叔父リフアトの子ムダール・アル・アサド、ナーディル・カライー(Syriatelの元CEO、ラーミーのビジネス・パートナー)、参謀長アリー・アスラーンの子ヤザン・アスラーンらとともに、イナー・サークルを形成していた。 ナマーフは、映画スターのようにハンサムで、多くの威厳を有している。彼は、バッシャールとは異なり、生粋の軍人で、全ての人生を軍隊で過ごしている。彼に近い人々は、マナーフが部屋にはいると、女性はもちろん、男性も彼に注目すると言う。彼には風格があり、威厳がある。 マナーフは、ダマスカス周辺で暴動が収まらないハラスターとドゥーマー地区の問題を解決するよう命じられていた。彼は、両地区の反体制派指導者らとの交渉で成果を上げ、政府軍と反体制派の両方が撤退することで合意した。 しかし、アラウィー派指導部は、それは我々がやりたいことではないとして、「ノー」と言った。彼らは、マナーフを退け、両地区の反体制派の頭上に、大量のレンガ(砲弾のこと)を落とした。国家権力を誇示し、軍事的手段で暴動を鎮圧しようとした。 マナーフは、交渉、柔軟性、妥協の政策を指示していた。彼は、軍事指導部によって却下され、従って、行き場を探していた。 彼はスンニー派で、若く、タラース家出身の軍人なので、暫定期間の指導者候補としては最適な人物だった。 7月5日付け記事。米国人のシリア研究者のブログ。リンク先に、映画スターのようにハンサムなマナーフの写真あり(笑)。 http://www.joshualandis.com/blog/?p=15242 http://megalodon.jp/2012-0706-0228-35/www.joshualandis.com/blog/?p=15242 ・・・(最後の部分)だとすると、足下を脅かしそうな人に、出て行ってもらったという解釈も可能かもしれない。逮捕しないということは、彼が外国に出たところで、脅威にならないという、何らかの確信なり、取り引きがあるのではないか。
フィラースのFacebookは、楽観的すぎて賛成できない。皆を集めて選挙すれば、諸外国が干渉しないと思っているとしたら、甘すぎる。圧倒的な軍事力で叩きまくり、一度刀狩りしないかぎり、治安は回復しない。 http://hibikan.at.webry.info/201207/article_35.html
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