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【早読み/先読み アメリカ新刊】
ビンラーディンとはどんな男だったのか
http://sankei.jp.msn.com/world/news/120602/amr12060218010003-n1.htm
2012.6.2 18:00 [早読み/先読み アメリカ新刊] 産経新聞
Manhunt; The Ten−Year Search for Bin Laden From 9/11 to Abbottabad
テロリスト追跡:9・11からアボタバードまでの10年
By Peter.L.Bergen
Crown Publishers
■ビンラーディンはなぜ10年間も逃げおおせたのか
米軍特殊部隊が2011年5月2日深夜未明、パキスタンの首都近郊アボタバードに潜伏していた国際テロ組織アルカーイダの指導者、ウサマ・ビンラーディン(享年55歳)を奇襲し殺害してから丸1年。ビンラーディン殺害に至る経緯についてはすでに事細かに報道されている。特殊部隊の活躍を軸にした本も出ている。
5月3日には米軍がビンラーディンを殺害した際に隠れ家から押収した手紙や日記の一部が公開された。同居する妻3人のためにビンラーディンが天然成分だけで製造されたバイアグラを服用したり、若作りのために白髪染めを愛用したといった「情報」もセンセーショナルに報じられた。
だが、このサウジアラビア上流階級出身の男がなぜ、超大国アメリカを敵に回して前代未聞の大規模なテロ攻撃に血眼になったのか。世界最強の軍事力と情報収集力を有するアメリカを敵に回して、10年余にわたり、なぜ隠れおおせたのか。こうした疑問に的確に答えてくれる報道はまだない。これらの疑問のいくつかを解くカギを提供してくれるのがビンラーディン殺害1周年に合わせて出た本書だ。
著者は、調査報道プラス鋭い分析でテロの神髄に迫る報道を続けてきたCNNのテロ報道担当、ピーター・バーゲン記者(49)。ミネアポリス生まれだが、育ったのはロンドン。ノースヨークシャーのアムプルフォース・カレッジを経て、オックスフォード大に進み、近代史で修士号を取得。ワシントンにあるシンクタンク「ニュー・アメリカ財団」国家安全保障プロジェクト部長、ニューヨーク大法律安全保障センター上級研究員などを経て、CNNに入社。ジャーナリスト活動の傍ら、ハーバード大大学院やジョンホプキンス大学高等国際問題研究大学院(SAIS)の教壇にも立っている。これまでにテロリズムに関する本4冊を著している。
■殺害数時間後に現場に足を踏み入れていた著者
著者は「9・11」直後からビンラーディンを追いかけること10年。アフガニスタン、パキスタンはいうに及ばず、山岳地帯にまで足を運び、文字通り「視覚、嗅覚、聴覚」でビンラーディンの足跡を追い続けてきたベテランジャーリストだ。オバマ政権中枢、米軍、CIA、パキスタンやアフガニスタンの諜報機関、現場の兵士や諜報工作員らとの精力的なインタビュー。新たな情報収集のためには、米軍の機密情報や米外交公文書を独自に入手し、公開している内部告発情報サイト「ウィキクリークス」まで目をこらしている。
発売と同時に「ニューヨーク・タイムズ」「ワシントン・ポスト」など米主要紙が書評を書き、関係者の間には「ビンラーディンものとして歴史的文献になるのは確実」(『Looming Tower』(倒壊する巨塔)の著者、ローレンス・ライト氏)、「その取材力と分析力で群を抜いている」(米公共ラジオ放送NPRのD・テンプル・ラストン記者)と絶賛する声が上がっている。
著者は、アラブ世界や南アジア以外のジャーナリストとして、ビンラーディンに直接会っている2人のジャーナリストのうちの1人だ。もう1人はCNNで同僚だったピーター・アーネット記者。戦争報道では「伝説のジャーナリスト」として知られる人物だ。
本書には、「テロリスト・ビンラーディン」だけでなく、切れば血の出る「人間・ビンラーディン」が描かれている。おそらく著者自身、握手したときに感じたビンラーディンの手のぬくもりや、そのまなざしに、ある種の親近感を覚えたからかもしれない。
ビンラーディン殺害の数時間後には殺害現場に駆けつけていた著者は、血の海と化したビンラーディンの寝室、子供たちが遊んでいたオモチャが散乱する居間を実際に目撃している。そんなジャーナリストはほかに、西側メディアの中にはいない。現場の描写には、現場に踏み込んだ記者にしか再現できない迫力がある。
■最後まで家族と一緒に住むことを決めていたビンラーディン
すでに報道されたことだが、ビンラーディンはメモに「I don’t understand why people take only one wife. If you take four, you live like a groom.」(みんななぜ1人の妻しか持たないのかわたしには分からない。4人の妻を持てば、新郎のように生きれらるのに)と書いていた。
これだけ知ると、ビンラーディンは一夫多妻の好色家。嫁いだ妻たちも男のいいなりになり、あまり教養のなさそうな女性たち、といった印象を受ける。が、著者によれば、ビンラーディンは大変な愛妻家で、妻一人一人を大切にしていた。イスラム教の一夫多妻制度を闇雲に踏襲していたわけではない。「イスラム教徒を増やすためにより多くの子供たちをこの世に誕生させる」ため、より多くの妻を娶ったというのだ。
ビンラーディンには6人の妻がいたとされる(6番目の妻の名前は明らかにされていない)。ビンラーディンが17歳の時に結婚した最初の妻、ナジワ・ハナムさん(当時15歳)はシリアの知識階級の出身。9・11の2日前にビンラーディンのもとを離れ、アフガニスタンからシリアに帰国している。ビンラーディンの希望だった。
第二夫人のカイラさんは、サウジアラビア上流階級出身のキャリアウーマン。身体障害児教育で博士号を取得している。28歳の時、ビンラーディンこそ「聖戦の兵士」と確信して結婚したという。
殺害時に一緒に住んでいた妻は3人。隠れ家にはそれぞれの妻のために寝室を用意していたという。6人の妻たちとの間には20人から26人の子供たちがいるという。
こうしたビンラーディンの「家族思い」については米諜報機関も察知していた。米側がビンラーディンの隠れ家が山岳地帯などではなく、都市周辺にあると絞り込んだのも実は、ビンラーディンがいかに妻たちや子供たちを愛していたか、という前提に基づく推理だったようだ。「家族思い」なら一緒に住んでいる可能性が大であり、生活環境もいい都市周辺−−という理由立てだった。その場所が、ビンラーディン側近が極秘行動で訪れたパキスタンの首都近郊アボタバードだった。
■オバマに「ゴーサイン」を促したのはヒラリー
ビンラーディンが信頼するアブ・アーメド・アル・クウェート(別名シェイク・アブ・アーメド)なる人物が隠れ家に一本の携帯電話をかけたことを探知したのは10年8月。11年2月ごろから隠れ家への人の出入りを監視する体制をとり、この隠れ家に数人が住んでいることが推定できた。
報告を受けたオバマ大統領は、3月半ばからホワイトハウス内の危機管理室で5回にわたり極秘の協議を重ねた。3月14日に開かれた協議では、3つのオプションが提示された。1つはB2爆撃によるアボタバード空爆、2つ目は無人機による空爆、そして3つ目が「シール・チーム・シックス」による奇襲だった。
密室での行き詰まるやりとりが本書では再現されている。
パネッタ米中央情報局(CIA)長官は奇襲作戦を主張、バイデン副大統領とゲーツ国防長官は「そこにビンラーディンがいるというのはあくまでも状況証拠、もう少し様子を見るべきだ」と、奇襲には反対した。
著者によれば、その時、クリントン国務長官は、「標的に極めて近くなってきたわ。私は奇襲すべきだと思うわ」と言い切る。そしてオバマ大統領はヒラリー長官の意見を聞くことになる。
■ビンラーディンの3つの誤算
ビンラーディンについてオバマは「素晴らしい才能の持ち主だった」と褒めた。だが、その頭脳明晰で実行力のある男がなぜ最後には殺されたのか。どこでどう間違えたのか。
著者は、ビンラーディンの戦略上の失敗の要因として3つの点を挙げている。
1つは、9・11以降、アメリカが報復のためにこれほど大規模な兵力をアフガニスタン、パキスタン、さらにはアラブ世界に展開するとは考えてもみなかったこと。
第2は、アフガニスタンに築き上げてきたアルカーイダの基地が完膚なきまでに破壊されたこと。
第3は、米軍のMQ−1プレデター、MQ−9リーバーといった無人機による空爆で、「聖域」とされてきたアフガニスタン・パキスタン国境の山岳地帯に構築してきた軍事拠点が壊滅状態になったこと。
一時期、アルカーイダは一部イスラム世界では、イスラム教の開祖、軍事・政治指導者だったムハンマドの意志を継いだ「Caliphate Group」(ハリハ=後継ぎ的存在)として一般民衆の支持を集めていた。だがビンラーディン率いるその「アルカーイダ」もやがて一般大衆まで巻き込む過激テロに走る過程で、イスラム大衆の支持を失っていく。
著者はその流れを冷徹な眼で見つめている。現場主義に徹してきたジャーナリストだけに、他の追随を許さぬ説得力がある。(高濱 賛)
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