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国際政治は再び「地政学」の時代に戻った
日本経済新聞社編集委員 鈴置高史さんに聞く朝鮮半島情勢【番外編その2】
2012年5月11日 金曜日 池上 彰
2012年は朝鮮半島を巡る情勢が急変することになりそうだ。韓国は大統領選を控え、与野党ともに左傾化傾向が強まっている。そして、北朝鮮は政権を握ったばかりの金正恩第1書記の下、ミサイルの発射に踏み切り、さらには核実験の実行までも懸念されている。米国や中国などの大国の論理に翻弄されてきたこの2国はこれからどう動くのか。日経ビジネスオンラインで「先読み 深読み 朝鮮半島」を連載中の、日本経済新聞編集委員、鈴置高史さんに聞いた。
地政学の時代ふたたび
池上 彰(いけがみ・あきら)
ジャーナリスト1950年生まれ。慶応義塾大学経済学部卒業後、NHK入局。科学文化部記者として経験を積んだ後、報道局記者主幹に。94年4月から11年間「週刊こどもニュース」のお父さん役として、様々なニュースを解説して人気に。2005年3月NHKを退局、フリージャーナリストとして、テレビ、新聞、雑誌、書籍など幅広いメディアで活躍中。主な著書に『伝える力』(PHPビジネス新書)、『知らないと恥をかく世界の大問題』(角川SSC新書)、『そうだったのか! 現代史』(集英社)など多数。
(写真:丸毛 透、以下同)
池上:ミサイル実験まで行うことで存在感を示さざるを得ない北朝鮮が、さまざまな意味で日本にとってやっかいな国である、というのは周知の事実です。ですが、鈴置さんの著書『朝鮮半島201Z年』を読むと、いま、韓国の地政学的な立ち位置が、日本にとってやっかいな問題を巻き起こしそうに見えてきます。韓国は中国と距離をとっている、と思いきや、「なんだ、結局、中国の懐に抱かれようとしているのか」と思わせるストーリーになっている。現実に、韓国と中国の距離はどんな状況なのでしょうか?
鈴置:この本が出版された2010年秋の時点では「韓国が米国から離れ中国につくなんて、そんなバカな」と言われました。ことに韓国人は否定的でした。彼らにとってもそれはうれしい未来ではないからです。でも、最近では韓国人を含め「韓国はアメリカと距離をとるだろう」と予測する人が増してきました。中国による圧迫が増す一方、米国の退潮が明らかになって来たからです。いまや、世界の安全保障関係者の間では「米韓同盟はどんなに長く持っても後20年」との見方が主流だそうです。
池上:アメリカと距離をとる、とは具体的に何を意味するのですか?
鈴置:一番極端なケースが、米韓同盟をやめて中韓同盟を結ぶというシナリオです。つまり米国の核の傘から出て中国の傘の下に入るわけです。あるいは、どの国とも同盟は結ばずに自前で核武装する、というシナリオもありえます。ただ、前者の可能性の方がはるかに高いと思います。
今や、米韓同盟は矛盾に満ちており、その矛盾は日増しに膨れ上がっています。韓国の軍事的な仮想敵は北朝鮮です。そして北朝鮮の後ろには中国がいます。かつては韓国にとって中国も仮想敵でした。
ところが、1992年の中韓国交正常化以来、中国と韓国の関係は非常に緊密になりました。経済関係では韓国は全輸出の約3割を、香港を含む中国に向けています。ちなみに対米向けの輸出は1割程度にまで落ちています。韓国にとって中国は一番の上得意。もう、決して敵ではありえません。
一方、米国は中国との対決の度を強めています。オバマ大統領の豪州演説などは、はっきりと中国を敵と見なした宣言です。北朝鮮は米国にとって、主敵ではありません。できればミャンマーのように取り込んで、中国に対抗するコマとして使いたいでしょう。
韓国と米国とで、はっきりと敵が異なるようになった。仮に米中間の対立がさらに深まり、例えば軍事的な小競り合いでも起きたら韓国はどう振る舞えばいいのでしょうか。中国は韓国に対し、在韓米軍を追い出せ、と言うでしょうから。
これは思考実験ではありません。2008年に李明博大統領が訪中した際、直前に中国外務省のスポークスマンが記者会見で「米韓同盟は過去の遺物だ」と明言しているのです。これは「米韓同盟は止めろ」ということです。
オバマ大統領は安全保障面でもアジア重視を掲げます。でも、財政が悪化した米国が、これからどれだけアジア防衛に関与できるか疑問が持たれています。一方、中国はどんどん海軍力を増し、韓国との間にある黄海も「中国の海」になりつつあります。
隣家の“ちょっと怖い人”がますます怖くなり、一方で近所の交番が財政難から廃止されそうな時、人はどう行動するでしょうか。“怖い人”と戦う手もありますが、その自信がない人は“怖い人”の子分になってしまうかもしれません。それも安全を担保する一つの方法です。
池上:その感覚は、日本人には少しわかりにくいかもしれませんね。これまで間接的に敵とみなしてきた国が圧力をかけてきたとき、その国に自ら取り込まれにいくというのは。
鈴置 高史(すずおき・たかぶみ)
日本経済新聞社編集委員。1954年、愛知県生まれ。早稲田大学政経学部卒。77年、日本経済新聞社に入社、産業部に配属。大阪経済部、東大阪分室を経てソウル特派員(87〜92年)、香港特派員(99〜03年と06〜08年)。04年から05年まで経済解説部長。95〜96年にハーバード大学日米関係プログラム研究員、06年にイースト・ウエスト・センター(ハワイ)ジェファーソン・プログラム・フェロー。論文・著書は「From Flying Geese to Round Robin: The Emergence of Powerful Asian Companies and the Collapse of Japan’s Keiretsu(Harvard University, 1996)」、「韓国経済何が問題か」(韓国生産性本部、92年、韓国語)、小説「朝鮮半島201Z年」(日本経済新聞出版社、2010年)。「中国の工場現場を歩き中国経済のぼっ興を描いた」として02年度ボーン・上田記念国際記者賞を受賞。
鈴置:そうなのです。中国にどう向き合うか、という点で日本と韓国は異なる道を歩むと思います。日本人は、中国が強くなると「負けてたまるか」と思うものです。1880年代末に中国が海軍力を増強し、ことに日本と向き合う北洋艦隊に巨大戦艦をそろえようとした時、日本政府は海軍増強案を議会に提出しました。いったんは否決されましたが、官吏の俸給を減俸するなどして艦隊を整備し、それでようやく日清戦争に勝ったわけです。
当時の清と日本とでは、国家の予算規模がまるで違いました。圧倒的に清のほうが大きかった。普通に考えれば勝てるはずがない。なのに、言いなりにはならないぞ、という一心で戦う道を選びました。
池上:そういう話を聞くと、日本人と韓国人の単なる個別のメンタリティの違い、というよりは、むしろ歴史的に中国に対して抱いている感情が日本と韓国では違うような感じがしますね。
鈴置:同感です。日本と中国の「距離」については、日本人自身が錯覚している部分が相当にあるかもしれません。多くの人は同じ漢字文化圏に属するから関係が深い、と思い込んでいる。でも、ほかのアジア諸国、例えば高麗や李氏朝鮮と比べると、日中両国は没交渉だったと言っていいほどです。
たしかに漢字を含めさまざまな文化を日本は中国から輸入してきました。江戸時代の儒学者も中国の文献を大量に読んでいます。でも、考えてみてください。江戸時代の儒学者は中国人と会ってもいないし、ましてや中国に留学したこともない。江戸から長崎へ行っただけで「これで中国に近づいた」と喜んだほど“生身の関係”はなかったのです。
池上:たしかにそうですね。中世以降は、中国との物理的な接触は案外少ないのかもしれません。
韓国と中国との距離感
鈴置:では、韓国はどうでしょう。李氏朝鮮時代の役人が書いた「熱河日記」という中国出張の記録が残っています。日本語にも翻訳されています。当時の日本の儒学者がこれを読んだら、うらやましがったに違いありません。
李氏朝鮮の高官が家来を連れて馬に乗って清国を往復するのですが、途中、毎日毎日、清国人の知識人や庶民と接触する様が描かれています。陸地の隣国同士の身近さには、現代の日本人が読んでもうなるものがあります。朝鮮半島の人々は古来、中国と日常的に接してきたのです。
日本でNHKが放送した韓国のドラマ「宮廷女官チャングムの誓い」に、こんなシーンがあります。李氏朝鮮で王様が代わるのですが、勝手には交代できません。中国の皇帝が派遣した役人にお墨付きをもらってようやく認められる仕組みです。ところが、この中国の役人が意地悪でなかなか許可を出してくれない。そこでチャングムが得意の薬膳料理でその役人の、糖尿病でしたか病気を治し、それで許可もいただける、という話です。
今でも韓国にとって「皇帝」といえば中国の皇帝のことです。日本が「天皇」などと、中国の皇帝に匹敵する呼称を使うのは、韓国人にしてみれば、大変に生意気な行為に映るわけです。
池上:今でも、韓国メディアは、「天皇」とは書こうとしませんものね。皇の字を避けて、「日王」と書く。
鈴置:それでも昭和天皇崩御までは、韓国メディアでも「天皇」と表記することがありました。まさに昭和天皇崩御の日、ある韓国メディアが「天皇」と書いていたので、私が速報メディアで「韓国メディアが『天皇』という言葉を使用している」と書いたところ、それがきっかけかどうかはわかりませんが、その後、「天皇」表記はいっさい見られず、すべて「日王」という表記になりました。
興味深いのは、韓国人に「エチオピアのナンバーワンは誰だったか」と聞くと、「××皇帝」と答えることです。中国とは全く関係がない国については「皇帝」表記も気にならない、ということでしょう。
池上:韓国には中国に対して、なんらかの歴史的コンプレックスを抱いている側面がある、という見方ですね。その話を伺うと、韓国の中国に対する弱腰外交の理由が少し見えてきます。最近、韓国領海内で中国の漁船が不法漁業をするケースがニュースになりますが、韓国政府の対応はものすごく弱気に見えます。周りでおろおろしているだけで、まとめて捕まえよう、という動きにはならない……。
鈴置:「尖閣事件」での菅内閣の対応を見れば、日本も韓国のことは笑えませんが。中韓漁業摩擦は昔からの話のようです。最近、韓国の新聞で読んだ話ですが、李氏朝鮮時代から黄海の韓国側の海域にも明や清の船がやってきて高級海産物を獲っていく。朝鮮側では取り締まりができずに悔しい思いをしたのだそうです。
池上:現代の中国と韓国の微妙な関係はそこまで遡るんですね。ただ、そんな背景が歴史的にあったとしても、外から見ていると韓国はアメリカの方を向いているよう感じます。若者たちは実に熱心に英語を学びますし、アメリカに留学する学生も少なくない。中国に近づこうとする韓国、アメリカに憧れる韓国、どちらがより実態を表しているんだ、と。
J子とK子と元カレ
鈴置:『朝鮮半島201Z年』でも書いた話ですが、例え話をしましょう。ある村にJ子とK子という女の子がいます。ふたりはお金持ちで力も強いUS君をボーイフレンドとしてシェアしていました。ある日突然、K子が「隣村に住む、元カレのC君とよりを戻す。もう、この村には戻ってこない」とJ子に言うのです。驚いたJ子が「今、幸せじゃない。なぜ、おっかない元カレのもとに?」と聞くと、K子は「あの男とは、他人には分からない深い因縁があるのよ」(笑)。
J子はあっと気がつきます。K子とUS君の付き合いはせいぜい数十年ですが、元カレのC君とはもう何千年も付き合っていたんだと。J子は自分がC君と付き合ったことがなかったので、K子がC君とよりを戻す、という可能性に気づきもしなかったのです。
しかも、K子は過去に2度、US君に裏切られているのです。2度目はアチソン声明の時、1度目は桂・タフト協定の時です。
池上:アチソン声明というのは、1950年に朝鮮戦争が勃発する直前のアメリカのディーン・アチソン国務長官の発言ですね。「アメリカが責任を持つ防衛線は、フィリピン〜沖縄〜日本〜アリューシャン列島というラインだ」と。つまり朝鮮半島を含まなかったんですね。それを聞いた金日成は、ならば「南」を攻撃してもいいだろうと攻め込んだ、という話です。
鈴置:韓国では「米国は韓国を防衛線の外に置いたつもりはなかった。北がアチソン声明を誤解した」と説明されています。でも、公平に考えて、声明当時の米国は韓国を見捨てた――この言い方がきつければ、韓国の将来など考えもしなかったと思うのです。もっとも、いざ韓国が侵略されると米国は軍事介入し、自国の青年の血を大量に流して守ったのですが。
池上:桂・タフト協定というのは、1905年に日米間で結ばれた協定ですね。非常に簡単に説明しますと、日本はアメリカの植民地であるフィリピンには手を出さない代わりに、韓国では支配的立場に立っていいというものです。
鈴置:1882年に李氏朝鮮は米国と米朝修好通商条約を結んでいます。これにより、李氏朝鮮は「何かあったら助けてやろう」と米国から約束された、と信じた。しかし、桂・タフト協定で韓国の思いは簡単に裏切られたわけです。
池上:韓国の歴史をひもとくと、アメリカに対しては複雑な感情が積み重なっている。となると、はるかに古い付き合いのある、わがままなところがたくさんある中国の方が、やはり付き合っていくにはいい相手じゃないか、……というのが鈴置さんの見立てですね。一方、日本の立場からすると、韓国が感じているほど中国に魅力を感じてはいないのかもしれません。
鈴置:そもそも、日本は中国文化圏の一員だったとは言い切れない部分があります。大陸アジアとの親和性は、地続きの国々と比べはるかに低い。島国であるがゆえに、独立と言いますか孤立していたのだと思います。しばしば、同じ島国である英国と欧州大陸との関係と比較されますが、ドーバー海峡と比べ、日本海は大きいですからね。
島国だったニッポンの優位性
池上:サミュエル・ハンチントンは『文明の衝突』の中で、日本を独立した文明国として描いていますよね。それを読んだときは、こんなに日本を持ち上げていいのかなと思ったのですが、今の鈴置さんの解説を伺うと、やはりそうだったのか、と腑に落ちます。やはり島国だったことが大きいのでしょうね。
鈴置:そう思います。一方で、中国と朝鮮半島は支配、被支配の関係にあり、長い間、中国は朝鮮半島の国を正式の――というのも変ですが、宗属国として扱ってきました。朝鮮半島の人々も中国とのそんな関係を、今になっては「格好いい」と思わないにしろ「慣れてはいる」のだと思います。
韓国人に言われたことがあります。「日本は島国で気楽でいいね」。中国の圧迫を受けにくい、という意味です。冗談で「でも、韓国は地震も台風もほとんどないから、その分、日本をうらやむ必要はないのでは」と言い返したのですが、言いながら、ふと思いました。「日本人にとって地震や台風は避けようがなく、嫌でも受け入れるしかない。韓国人にとって中国とはそんな存在なのだな」。
その意味で、韓国人の中国への向き合い方を研究する価値があるのだと思います。韓国のやり方をそのまま日本が使えるわけではありませんが、貴重な情報です。ことに今、元寇以来、初めて、中国の艦船が日本の周りに押し寄せてきているのですから。
こうした話は新鮮に聞こえるかも知れません。でも、歴史を振り返り、地理を学べば当たり前の話です。その当然の話をなぜ私たちが今ここで改めて議論しているのか――。それ自体が面白いと思いませんか?
池上:ずばり、なぜでしょうか。
鈴置:国際政治が「地政学」の時代に戻ったからだと思います。
池上:地政学――、地理的な環境や条件が、国際政治の方向性を決める、というわけですか。インターネットがこれだけ発達し、人類はむしろ地理的な制限から解き放たれたのではないんですか?
鈴置:国際政治に関していうと、むしろ逆です。1945年の第二次世界大戦後以降、世界は資本主義陣営と共産主義陣営とに分かれました。いわゆる東西冷戦の勃発です。世界を分けたのは地理ではなく、イデオロギーです。このときは、同じイデオロギーを持つ国同士がスクラムを組んで、敵方陣営ににらみをきかせ合っていました。
日本と韓国はアメリカの子分で、西側陣営の一員でした。事実上、52番目だか53番目だかの州のごとく、アメリカの方針に従って来た。ところが80年代末から90年代初頭にかけて、アメリカと旧ソ連とを西と東のボスと戴く冷戦という名のイデオロギー対立が終わりました。新たに生まれたのが台頭する中国と、比較優位を失うアメリカとの対立関係です。それに皆が気がついた瞬間、地政学が再び重みを持つようになったのだと思います。
池上:それは興味深い指摘です。中国がチベットを絶対に手放さないのは、チベット高原にインド向けの核ミサイル基地があるからです。今でこそ中国はインドと良好な関係を築こうともしていますが、もともとは中印戦争で戦った敵国同士の時代がありました。
そこで、まさに地政学的に興味深いのがブータンです。国民総幸福量(GNH)の概念で知られ、昨年は国王夫妻が来日し、日本では平和国家の象徴のように語られるブータンですが、実は国境を接している中国と国交を結んでいません。ブータンはチベットと同様にチベット仏教の国です。
となると、疑問がわきますね。なぜ、四国ほどの面積に70万人しか住んでいないブータンが、かつてのチベットのように中国に吸収されずに生き残れてきたのか、と。実はブータンはインドと手を組んでいます。ブータンはインドからさまざまな援助を受けています。そしてインド軍が駐留しています。一方でブータンは豊富な水力を活かし、水力発電で起こした電気をインドに輸出しています。先ほど触れたブータン国王夫妻は、新婚旅行で日本に来る前に、まずインドに挨拶に行きました。まさに、地政学的なバランスをとって、サバイバルしているのがブータンです。
鈴置:ブータンがインドに接近するように、韓国があえてアメリカと距離をおいて中国に接近する。その結果、今度は北朝鮮がアメリカにすり寄る――といった展開にならないとは言い切れません。イデオロギーで政治が動くのではなく、地政学的なリアリズムで政治が動き始めたのです。
そんな地政学の時代に、中国にとって痛恨の一撃だったのが、ミャンマーの急激な民主化です。東南アジアでもっとも中国に近かったはずのミャンマーが、アメリカや日本、欧州にさらわれかけている。
池上:たしかにミャンマーの民主化は衝撃ですね。中国からすると、すっかり自分のものになっていたはずのミャンマーが民主化によって一気に欧米と近くなってしまったのですから。
ミャンマーが軍事政権下にあり、アウン・サン・スーチー氏を幽閉していた期間、アメリカはミャンマーに対して強硬的な姿勢を崩さず、日本に対しても軍事政権下にあるミャンマーへの援助をやめろと通告していました。日本は素直にやめたふりをして、実際には生活物資の支援だけは続けていました。アメリカはもちろん承知していましたが、あえて目をつぶりました。2011年からの急速なミャンマー民主化に伴い、アメリカはここへきて急激に援助を始めようとしています。
鈴置:1997年、アセアンがミャンマーの加盟を認めたとき、欧米からは「アジア人は人権というものを分かっていない」と厳しく批判されたものでした。「クーデターを起こした軍事政権を認めるのか」とも。しかし、アセアンはミャンマーを受け入れた。最近、あるアセアン加盟国の外交官に会ったら、こう言っていました。「当時、我々がミャンマーを孤立させていたら中国陣営に完全に行って戻ってこなかったろう」。同感です。
そのミャンマーがなぜ一気に民主化に傾いたのか。ある専門家によると、支配を強める中国への反発もありましたが、同じ東南アジアのベトナムやタイに比べて成長が遅れた、負けた、という悔しさの方が大きかった、というのです。私はこの説にとても惹かれます。
池上:たしかに東南アジア地域では、何百年もの間、ミャンマーはかつてのビルマがナンバーワン国家でした。軍事政権下のミャンマーはいったんイデオロギーに傾きましたが、いまはまるで歴史を数百年さかのぼったかのように地政学的な見地から民主化の道を選んだ。
そう考えると、東西冷戦をひとつの型として国際政治を眺めてしまう私たちの思い込みを大きく修正する必要がありそうですね。あらためて近代以前のように、地政学的な見地から考えないと、むしろポスト冷戦時代の国際政治は見えてこない……。マスメディア自身がまずこの古い構図から脱却し、事実関係そのものを見た上で仮説を立てられるようになるべきですね。
では、そんな地政学の時代に、アジアの安全保障はどう変化するのか。ひき続き鈴置さんに解説いただきましょう。
(次回は5月16日に掲載の予定です)
鈴置高史さんの近著
『朝鮮半島201Z年』
(日本経済新聞出版社、1900円+税)
朝鮮半島の近将来を予測したシナリオ小説。
「すでに一部は現実のものとなっている」
「最近の事件や政治情勢の現実とリンクして書かれており、冷や汗をかいてしまった」(amazon.co.jpのブックレビューから)。
池上彰の「学問のススメ」
池上彰さんが、さまざまな分野の学者・研究者を訪ねて、日本と世界が直面するさまざまな問題を、各界を代表するプロの「学問の目」でとらえなおす。いわば、大人の大学、それがこのシリーズです。池上彰さんがときに「生徒」となり、ときに「対話相手」となり、各界の先生方とこの問題を論じます。
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池上 彰(いけがみ・あきら)
1950年長野県生まれ。慶応義塾大学卒業後、1973年NHK入局。1994年よりNHK「週刊こどもニュース」でお父さん役として出演。2005年3月にNHKを退社し、現在はフリージャーナリストとして活躍。著書に『わかりやすく〈伝える〉技術』(講談社現代新書)、『高校生からわかる「資本論」』(集英社)、『14歳からの世界金融危機。』(マガジンハウス)など多数。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20120509/231818/?ST=print
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