32. 2013年3月14日 01:42:44
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オスプレイ日本上空軍事訓練とジャンボ123便墜落事故これから日本ではアメリカ軍の飛行機がオスプレイに代表される軍事訓練飛行がおおっぴらに行われることになり日本全国いくつかのコースを飛行することになったわけだ。 僕はアメリカの国で飛行訓練やればいいじゃないかと考えていますが、アメリカでは国民が危険なのでやめてほしいということもあって日本でやることになったのだというふうに聞いています。もっともらしいことをいう賛成論者は地形が朝鮮とにているから必要なのだといいますが、それはアメリカのプロパガンダか日本のアメポチ外務省の詭弁だろうと思う。 最近、私が子供の頃におきた坂本九さん(歌手・上を向いて歩こう・すき焼きソング)の乗った飛行機事故〜日航ジャンボ123便の群馬御巣鷹山への墜落事故に急に興味をもって調べています。 my日本にいる人でもお若いかたは知らない事件でありましょう。僕が少年時代の話なので40年もたっているのです。 「日航ジャン日123便墜落事故」
事件名は 日航ジャンボ飛行機の群馬県山中への墜落 公式原因 飛行機は大阪の飛行場で尻もちをしたことがあり、それが原因で後日飛行機の後部圧力外壁がこわれて尾翼が吹き飛び、航行不能になってしまい航行不能になって関東平野上空をフラフラと飛び、最終的には群馬の山中に落ちた。死亡者は数百名。 ・・・しかし1986年10月26日のタイ航空機事故が、「なぜ」の一つの側面を明確にしている。タイ航空機は高知上空で機体後部の圧力隔壁が損壊し、大阪空港に緊急着陸した。その時、機内で何が起きたか。ドーンという爆発音とともに、機内与圧が急激に低下。白い水蒸気のような気体が充満し、乗員、乗客が一瞬で航空性中耳炎になった。だが、123便の場合は急減圧が起きず、白い水蒸気のような気体が生ずることもなかった。つまり、事故調査委員会の「後部圧力隔壁損壊」説は、タイ航空機事故により事実上破綻したと言えるだろう。 (仮説)アメリカは日本占領後アメリカ軍基地をつくっていますが、昔も今も実は日本上空で軍事飛行訓練をしているのではないか? (私の墜落事故の調べ)・・・・資料を取捨選択しての仮説段階の推理です
1アメリカ軍は日本上空で日常的に戦闘訓練をしている。 2戦闘訓練は日本上空をとぶ民間の飛行機をその仮想標的機にしており、通常は実弾を発射しないようにロックされているもののレーダーなりで民間機を追いかけてきてそして照準器でロックしては戦闘のシミュレーションをしている。 証言1近くをとんでいた輸送機の無線応答 アメリカの戦闘機から「戦闘訓練をしていたが安全装置のスイッチが入っていなくて実弾のミサイルを発射してしまった。命中させてしまったんだ。どうしよう」というパイロットからの無線で応答していたアメリカ兵士の証言があるのです。 証言2最初に救助にいったのはアメリカ軍のヘリコプター 最初の事故一報からアメリカ軍は日航のジャンボ機がフラフラと関東地方をとぶ軌跡を掴んでいて当然ながら現場の部隊はこれははやく救助しなくてはならないであろうとヘリコプターを飛ばし救助をしようと動いていたのだが、夕方の山への墜落直後にいちはやく到着していたし救助をしようとしていた。にもかかわらずアメリカ軍の司令部から連絡がはいり「救助活動は日本がおこなうことになったのでしなくていい。それとこの件は一切公言はするな」 で中止されてしまった。 〜後日、この救助にあたっていたアメリカ軍兵士たちは「なぜ救助活動が翌日からになったのか?あの時点ならば救助できたではないか?日本はなにをしているのか」という証言もあるのです。 証言3民間人でいち早く現場についた人がいた たくさんのうめき声とともに生存者がたくさんいたのを見ているのですが自衛隊の人たちがきていたのでこれでたくさんの人が助かるなあと思っていた。しかしテレビによれば助けにはいるのは翌日あけてからになりますと報道されていて「自衛隊が入っているじゃないか。なぜそんなことをいっているのか?そして後日生存者がほとんどいませんでしたという結果に驚き死なせてしまったのは何故なのか」そういう疑問をもつのですという民間人がいる。 「報道でも知られている事件の内容 〜 およそ日本人はこのように認識」
JA8119機は離陸後羽田沖180度方向(南)に順調に高度を上げ館山沖で200度方向(南南西)に進路を変えていた。天候は快晴。いつになく夕日がまぶしかった。18時24分(離陸から12分後)、大島上空を過ぎ徐々に水平飛行へと入りつつあった。高度24000フィート(7200m)(注2)。 (注1:実際は航空機関士は前2回JA8119に、副操縦士は別の機に乗務し、機長は当日最初のフライトだった) (注2:巡航高度の24000ft(7200m)へ向け上昇中、23900ft(7170m)) 突然スチュワーデスからの内線が入った。 「・・・たいという方がいらっしゃるのですが、よろしいでしょうか?」 「気をつけて、じゃ気をつけてお願いします、手早く、気をつけてください」 〜ドーンという衝撃音〜(伊豆下田上空) 「なにか×××たぞ!」「ギアみてギア」高原はとっさに“スコーク77”を発信した。パイロットとしての直感だった。航空上での最高度のエマージェンシーコールである。果敢にACC(東京航空管制)との交信をおこなう。 高原は飛行時間3900時間を越えるの優秀なパイロットだった。”多少のことでは動じない肝っ玉の据わったパイロット”と慕われ、同僚や後輩たちと飲んでいるときでもパイロットにとって一番大切なのは技術や知識よりも経験感だと説いていた。 ジャンボはハイテク機であるがゆえ必ずそのフライト時の総重量を入力する。飛行距離による燃料や乗客数によりそのつど重心位置が変わり操縦に影響を与えるからだ。ある時チェックリストをみてこの乗客数と燃料にしては軽いなあと不審に感じた。気になって整備部に問い合わせたところキロとポンドを間違えて報告していたのだ。もし軽い重量をもとにフライトしていたら人為的な事故になっていたかもしれなかった。 そして今また悪い予感は当たっていた。「ハイドロ全部ダメ!?」 <リターンバックトゥーハネダ> JAL123「アー、東京管制部、こちらJAL123便、緊急・・トラブル発生、羽田に戻りたい、22000フィートまで降下する、どうぞ」 管制部「22000フィートまで降下ですね。了解、要求通り承認します」 JAL123「大島へのレーダー誘導をお願いします」 管制部「右旋回しますか、それとも左旋回?」 JAL123「右旋回に移っています。どうぞ」 管制部「右旋回して、磁方位90度(真東)、大島レーダー誘導します」 ――山崎豊子著『沈まぬ太陽/御巣鷹山篇』(新潮社刊)より―― <アンコントローラブル> その時すでに垂直尾翼の2/3が脱落していた。ハイドロプレッシャー(油圧操縦)システムの4系統全てに損傷が及んで、エレベータ(昇降舵)やエルロン(補助翼)は殆ど操作不能となってしまった。 もはや飛行機の艇をなしていなかった。垂直尾翼のないJA8119機は出来損ないの紙飛行機のように飛行し激しいダッチロールやフゴイドを繰り返した。舵は全くきかない。エンジンスロットルのみで機体を操縦していた。「これはだめかもわからんね」すでに手は尽くしたとわかったとき。しかし奇跡はおこるかもしれない・・・。−−−−− −−−−− パワーマックス!フラップアップ、フラップアップ、あたま上げろ、パワーー。ああだめだ。ー衝撃音ー。 ACC(東京航空管制)は必死に呼びかけていたが、18時56分02秒レーダー上にEMG点滅するJAL123の輝点がスッーと消えた。 ////////////////////////////////////////////////////////////
私の直感 時の政府としては 日本の上空でアメリカ軍が戦闘訓練をしまくっていることを日本の国民には知られたくなかったのではないか?つまり、占領状態が戦後30年近くたった当時でも続いているような事実を隠したかったわけ。だから事件直後、アメリカの戦闘機によって誤射されてそれがもとで墜落しましたなどとは口がさけても言えなかったわけですね。でなんとそれを絶対に知られたくなかったので、救助などは後回しにしてアメリカ軍の救助隊と入れ替わりにすぐに到着していた自衛隊は事故隠しのための後片付けをして、そのあとで警察などの救助部隊を翌日に到着させて真相隠しをしてしまったよう。 たくさんいた生存者がたくさんいたようなのに死体は黒焦げになるまで燃やされていたというのですから自衛隊は証拠隠しをしたようなのです。自衛隊では不審な死に方というか自殺が多いのはこういったことも要因にあるのではないだろうか? ・・・・・・ もっと調べてみたい。 . |