03. 2013年3月06日 21:52:11
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復活か衰退か、中華の未来は賢者の登場次第 ロシアと中国(8)〜いまとこれから 2013年03月06日(Wed) W.C. 400年前の出合いに始まるロシアと中国の付き合いの歴史を、ここまで駆け足でたどってきた。連載の最後となる今回は、両国間のこれからの関係について考えたい。 その関係がどうなるのか、両国はこれからの時代を仲良しでやっていけるのか。この問いとその答えに多くの関心が集まる。うまくやれるのか、やれないのか。それ次第で日本をはじめとする周りの国々の対応も変わるかもしれないし、変えなければならないかもしれない。 一触即発の軍事衝突に学んだ両国 とはいえ、難問だから簡単に答えは出ない。議論百出である。そうした諸論を総じて見ると、「互いに信頼し合った仲ではないだろうし、なれもしないだろう」が、どうやら観察する側の多数派を占めるようだ。過去の歴史を振り返ればやはり、なのだろうか。 最近までの両国の関係は、表見(おもてみ)には18世紀の平穏無事な時代に似ているようでもある。中ソ和解の後しばらくして、両国間の関係は戦略的パートナーシップに格上げされた。これに伴って、双方の首脳の相互訪問がそれ以降の年中行事になる。 そして、中ロが加わる上海協力機構の創設(中国にとっての西方の安全保障政策から発展した)、中ロ善隣友好協力条約の調印、西部国境(モンゴルとカザフスタンに挟まれたわずか55キロ)に続いて東部国境の最終確定合意、共同軍事演習、とイベントが続いてきた。 この平穏無事を支えているのは、何と言っても、全面的な軍事衝突へ一触即発のところまでいった中ソ対立の二の舞いを怖れる両国の思いだろう。戦争は彼らにとってデジャヴュなのだ。 そして、世界の覇者を自任する米国の一極支配。両国ともにこれに我慢がならない。 万一米国との正面衝突になれば、核戦争は論外だし、通常兵器となれば、1カ国で世界の国防費の半分も食い尽くす米軍が相手ときては、両国合わせても勝ち目はまずない。そうなると、自分たちの方から手を出すわけにはいかない。 それを見透かしたうえで、米国はロシアや中国の内政にアレコレ口を挟んでくる。 何とも煩わしい話だ。己の頭の蝿でも追ってろ、と言いたくなる。注文をつけてくる米国に対してフラストレーションがたまるから、朝鮮半島、中東、西大西洋条約機構(NATO)拡張、といった諸問題で、両国は手をつないで反米スタンスをぶつけようとする。 米国への反感は、新古典派=新自由主義思想と両国の国家主導型経済との違いからも広がる。人それぞれ異なった環境下で、それぞれの経済のやり方がある。にもかかわらず、民主主義と自由主義市場経済でなければ世も末、などと勝手なことを抜かし、そのくせ自分の都合に合わせた基準は、強者の論理丸出しで好き放題に作り上げていく。 そうまでした挙句に、サブプライムに始まる国際金融不安などという不始末を仕出かしたのは一体誰なんだ? アホらしくて、やってられるか・・・。 共通の反米意識も各論では違いが浮き彫りに だから、元々は西側の投資銀行が考えついたBRICs(ブラジル・ロシア・インド・中国)という新興国経済グループのコンセプトを借用して、その集まりの中で欧米主導の今の世界経済の仕組みを批判する。 米ドルを基軸通貨とする時代はもう終わったのではないか。今の国際金融システムのあり方は西側金融資本のエゴの表象ではないか。そしてその走狗たる国際通貨基金(IMF)に抜本的なメスを入れる時期ではないのか。 だが、両国が奏でるハーモニーも、このあたりでタネが尽きてしまう。 反米姿勢とはいうものの、各論に入ってしまえば中ロそれぞれでニュアンスに差が出てくる。コーカサスでの問題が中国にとって二義的以下の話なら、逆に台湾やウイグル、チベット、あるいは南沙諸島の問題で、ロシアが米国との対立を深めてまで中国に加担するとはまず考えられない。 それに、中国にとっては対米関係の方が対ロ関係よりはるかに重要だった。経済面でのつながりの規模がまるで違う。ロシアが製造業での輸出力を持てずに終わり、米国は石油の輸入国ではあっても、それをロシアに頼らねばならないという立場でもなかったからだ。 では、中国はロシアに何を期待して付き合っているのだろう。2011年10月に出されたストックホルム国際平和研究所の報告書は、以下の5点を挙げている。 (1)国境の安定 (2)中国の中央・北東アジアでの地域パワーとしての容認 (3)国際社会での大国という立場への認知 (4)中国へのエネルギー供給や軍近代化での協力 (5)中国・東北地方の経済発展での協力 そして、その中の(1)の国境の安定問題は片づいたのだが、その他では中国が望むような状況には至っていない、と結論づける。 エネルギー関係に関しては、「見た目には最良のパートナー同士にもかかわらず、うまくいっていない」というコメントも特に加えられている(中ロのエネルギー関係については別の機会に譲りたい)。 この結論は、中国に対するロシアの今の立場もよく表している。中国を正面から大国と認めることなど、とてもとても、である。ロシアにも意地がある。いや、認めてしまうことが恐ろしいからか。中国がロシアをもはや超大国とは見ておらず、精々がヨーロッパや日本と並ぶ程度と考えているのだとすれば、なおさらだ。 ロシアと中国を結ぶもの、「便宜と冷笑」 ならば、同盟国にも敵にもならず、不承不承ながら中国が外交でももうロシアの弟分ではないことを認めたうえで、パートナーシップ関係の強化といったレベルを目指すしかない。「つかず離れず」は最良の選択というより、それしか思いつかない結果でもある。 だが、そうした消極策は、今度は相手のこちらへの理解を難しくしてしまう。モスクワ・カーネギーセンターのトレーニン所長は、米国や中国から見ると、ロシアが相手に何を望まないのかは明確なのだが、何を望むのかとなるとはっきりしなくなる、と評している。 対象とする国の画をロシアがうまく描けていないならば、それも当然だろう。相手の経済成長の源泉や文化に対する理解で迷いがあるから、「タタールの頸木」以来の遺伝子でもあるまいが、分析より先に警戒心の方が顔を出してしまう。 そうなると、両国は本当に双方にとって最重要な相手同士なのか、という問いにつき当る。中ロ関係を否定的に見るある論者は、両国間には共通の価値観や目標が欠けており、そこにあるのは「便宜と冷笑」だとすら述べている。 なるほど。しかし、ロシアに何を冷笑できるというのだろうか。年ごとに中ロの経済格差は開くばかりだ。ロシアはBRICS(BRICsプラス南アフリカ)の結集を主導した積もりだったのだが、5カ国の経済力の中で圧倒的な割合を占める中国に押されっぱなしになる。 このままでは、イワン雷帝とコサックのコンビが明の門を叩いた頃の両国の経済格差に戻りかねない。 中ロ間の貿易額は確かに増えている。けれども、全体の貿易額が拡大している中国にとって、その中でのロシアの比重はまだ2%程度で、取るに足らない存在である。 そして、ロシアからの対中輸出で1990年にはその3分の1を占めた機械類は、2010年で7%へ減少し、逆にこの期間で中国からロシアへの家電などを中心とした機械類の輸出は、ほぼゼロから対ロ輸出全体の半分以上にまで増加した。 つまりは、中国に対してもロシアは資源輸出国でしかなくなってきた、ということなのだ。それが厭だから、ロシアは自国の製造業へ投資するよう中国に要求する。だが、中国企業は乗り気になれない。 ロシアで生産したら中国内でやるより高くつく。だったら、何でわざわざそんなことをせにゃならんのだ? それに、投資してくれと言いながら、自動車生産への誘致では先進国志向に徹底してしまい、中国企業は対象から外されている。中国から見れば、何を勝手なことを、である。 認めたくなくても中国人の勤勉さを認めざるを得ない どうにも国力では分が悪くなってくるから、ロシアでの世論調査の結果では中国への親しみを持つ向きの割合は少ない。ロシアにとって中国が危険な国だと思う人々も少なからずいる。中ソ対立での侮蔑や恐怖の記憶は、まだ消え去っていない。 そして、目の前で生じている現実は19世紀に遡る歴史的なロシアの優位感を否定してしまいかねない。それを信じたくはないという心理も大きく影響してくる。 だからだろうか、中国人は狡猾だというイメージが、今でもロシア人の中には残っている。予想に反して相手が賢いと分かると、人はえてしてこう述べるものなのだが。 それでも、中国人が勤勉であることはどうやら認めざるを得ない。帝政ロシアの時代でも、労働者として使う分には、中国人は忍耐強く従順で飲酒癖も持たないとして、ロシアの事業家にも評価されていた。 裏返せば、それだけロシア人でもロシア人を使うのには当時から苦労していたことになる。中国人が勤勉、と言うよりもロシア人がそうではなかった、と見た方が早い。今でもロシア人の7割が将来的にアルコール中毒と徒食に陥るなどと言われるのだから、100年経っても状況はあまり変わっていない。 反対に中国人はロシアをどう見ているのか。古い世代には、ともに共産主義国家として歩んだ時代の記憶と中ソ対立時代に醸成された不信感とが交錯して残り、新しい世代は概してロシアへの関心が薄い。 中国の若い富裕エリート層は米国やヨーロッパへの留学を目指し、そのため彼らのものの見方が欧米的となり、ロシアへ目を向ける機会も減っている。若い世代全般となると、ロシアと言えばせいぜい資源輸出国といったイメージしか浮かんでこないらしい。 そして、報道を通じてでしかそうしたイメージが形成できない点や、そのイメージがあまり芳しくないもので終わる点でも、日本人の対ロシア観形成の過程に似ている。報道に左右されるとは、ロシアを自分の目で見る機会がないからであり、それはそれだけロシアに対する彼らの関心が薄いことを裏づけている。 こう眺めてくると、どうも仲良しにはなれそうもないような諸相が目についてしまう。それでもそうした中で、中ロ関係は続いていかざるを得ない。 恐らく、ヨーロッパで両国が事を構えるといった状況(マア、そんなことは起こるまいが)でも生じない限り、当分の間は現状に大きな変化はないだろう。今後エネルギー資源の分野で、いくつかの進展(中国の対ロシア輸入の増加)はあるだろうが、それで即座に「鉄の団結」が保証されるわけでもあるまい。 中国が主役でロシアは脇役 両国間の関係という舞台では主役が中国であり、その動きが与件となってロシアがそれにどう対応していくか、という図式が、これからも基本的に続いていくように見える。 その主役の中国は、少なくとも当面は、極東で露骨に手を出したりなどしてプーチンの神経を逆なでするような真似は避ける。南や東で片づけなければならない問題が山積しているから、それらに取り組んでいる間は、ロシアに大人しくしていてもらわねばならない。そして両国のこの関係には、日本も無関心でいるわけにはいかない。 一昔前になるが、1992年10月に開かれた中国共産党第14回党大会――新生ロシアの初代大統領、ボリス・エリツィインの訪中直前だった――の場で当時の江沢民総書記は、軍に対して海洋主権の課題を与えた。これが南進の始まりになる。 これを受けて翌1993年に中国共産党中央委員会は、南の海洋での西側との対立を想定して、北のロシアを戦略的な仲間(パートナー)と見なす方針を決定した。結果オーライだったものの、ロシアはまず攻めてはこないだろう、という判断をこの頃ですでに下せたというのは、それまでの長期にわたる両国間の軍事緊張を考えるといささか驚きでもある。 そして、この判断は今でも維持されているようだ。つまりは、現在の中国の対外行動は、その向かう先が台湾や南シナ海であれ尖閣であれ、北からの対中攻撃はないという大前提の上にすべてが成り立っている。 逆に言えば、中国が米国を上回るような軍事力を持つ時代がいつの日か来れば話は別だが、そうでなければこの南北2正面作戦を避けるという前提が外されてしまうと、今の中国の対外戦略は土台からガラガラポンである。 このことは、ロシアの軍部もよく分かっているはずだ。だが、ロシアの為政者はこれを対中外交でのカードには使わないだろう。 なぜなら、中国が極東に手を伸ばしてこない限り、ここでことさらに中国を脅す立場に回ったところで、その結果からロシアが何を得られるのかが見えないからだ。 それは、上述のトレーニン所長の指摘が含意するように、ロシアは自分が極東やアジア・太平洋地域で何を望むのかをはっきりさせられない、という問題にも起因する。 琉球は中国の領土という主張には乗れないロシア だから、日本と組んで中国の牽制に動くといった可能性は恐らくはない。同時に中国からの尖閣と北方領土問題での対日共闘案にもロシアは乗るまい。下手をすればそれは19世紀にロシアが清から奪った領土の問題にも跳ね返ってくる。 両国政府の公式見解でも、上述のストックホルム国際平和研究所の分析でも、国境問題は最終的に解決されたことになっている。だが、中国は本当にそれで収まっているのか? 疑えばきりがない。 中国はロシアがそのことを警戒し始めていると気づいたから、第2次世界大戦後の対日処分に領土問題を引っかけることで仲間に引き込もうとする。これまで自分が北方領土問題でそう主張してきたのだから、ロシアもそれを表向きは拒めない。 しかし、尖閣の問題に琉球(これも日本が不当に清から奪った領土!)まで加えるような発言が中国の中で出てきている。それもロシアは知っているから、その種の議論がアヘン戦争からの全時期をやがては包摂してしまい、19世紀の問題が結局は蒸し返されるという懸念を捨てることはできない。 中国はロシアの懸念を払拭して懐柔できるだろうか。3月末に予定されているという習近平共産党総書記の訪ロは、尖閣も含めた南進策の今後に影響を与える結果になるのかもしれない。 一方でロシアを巻き込もうとしながら、ロシアの極東地域については、ロシアがどう気張ったところで、自力で経済の繁栄を達成することなどしょせんできはしまい、いずれは真打の中国が出ていくことになる、とくらいに読んでいるだろう。 そして、西方の中央アジアに対しては、中国は今よりももっと積極的に出てくる可能性が高い。迎え撃つ側のロシアは、中央アジアが中国圏に入ってしまったなら自国の安全保障はどうなるのか、という問題に直面しかねない。 そのためにも、一刻も早くEUの相似形となるべきユーラシア経済同盟を立ち上げて、経済をロシアにとっての安全保障の盾にしていかねばならない。プーチンもこの同盟案の実現を急いでいるわけである。 さて最後に、中ロ関係を左右する側の中国のこれからについていくつか考えてみる。こうしたスケールの大きい将来予測はロシア人の得意とするところだから、彼らがこの方面で挙げていく今後の成果に、日本も助けられることになるだろう。 が、それを待つことなく、こちらも勝手な予想に走ってみよう。 中国の経済拡大も国民の不満の鬱積も、どこかで飽和点に達する。それが何年後にやって来るのかはまだ分からない。だから、先進国のやっかみも手伝ってか、さまざまな経済成長の阻害要因をほじくり出すという飽和点探しが盛んだ。 クルーグマンが示した成長の限界論 成長が多少鈍るたびに、乏しいデータを最大限に利用した悲観論が、半ば喝采をもって受けとめられがちでもある。 それは、民主主義・市場経済陣営がサブプライム問題で躓いて以来、本当にその体制が国家主導型経済に優っているのだろうか、という新たに生まれた不安の裏返しでもある。 そうした、他人の失敗への期待感や先進国自身の不安はさておいて、今日の中国をはじめとするアジアの新興国も一度は傾聴せねばならないのが、1994年にP・クルーグマンが持ち出した議論だろう。 中国やアジア経済の発展は生産性の向上ではなく、主として資本・資源の投入量増加によって達成されている、というものだ。 彼自身の表現によれば、そこでの成長は「頭脳ではなく汗によってもたらされたもの」であり、その維持は投資比率を常に上昇させることでしか達成できず、いつまでもそれを続けることは不可能だから、結局は行き詰まったソ連の経済と同じ運命にある、とされる。 これには新興国側からのみならず、経済学者の中からも多くの批判が出された。確かにこれでは、アジアは日本も含めて、「頭がカラッポな連中の肉体労働の世界」になってしまいかねない。 だが生産性、すなわち付加価値を高めなければならないという点では、クルーグマンの指摘は、例えば現在の中国の生産性を見ればかなり当たっていると言えるのではなかろうか。辛い話だが、多分日本のいくつかの分野でも、まだそれが当てはまるのかもしれない。 その付加価値を高めながら成長を続けたとして、それが中国人を幸福にするのかどうか。確かに都市住民の暮らしは豊かになってきている。だから、幸福かどうかなどと他人が忖度するのは、あるいは余計なお世話なのだろう。 けれども、これまでの急速な発展の最大の要因を挙げろと言われれば、中国人同士の激しい競争という答えが最も当たっている。そして、そのあまりの激しさで、各種の精神疾病患者の総数がすでに1億人を超えているとも伝えられる。 中国人最大の敵は孤独感 中国の作家・茅盾(マオトン)は、その戦前の小説『子夜』(1932年)の中で、上海企業のやり手社長である主人公の一断面を、次のように描写している。 「・・・自分の滅入っている姿を人に見せたことがない・・・・ただこれには弱点がある。むしゃくしゃして閉じこもっているときに、たまらない孤独を感じることだ」(*) 中国の競争社会を生きる人々にとって最も恐ろしい敵とは、昔からこの孤独というやつだったのではあるまいか。 ロシアは中国に比べれば、競争社会の度合いは低い。これが中国とロシアの経済成長の速度で、決定的な大きな差となって表れる。しかし、それゆえにロシアには、まだより多くの「安寧な人生」が残されているようにも見える。 「安寧な人生」とは夢でもあり、同時にロシアでは全くの非現実的な話でもない。その夢を叶えさせてくれる場や家族は、その気になれば得られる(過度の飲酒癖に陥らなければ、という条件はつくが)。 「安寧な」はロシア語での“スパコイヌイ”という形容詞の訳で、この言葉は「静かな」「平静な」「安静な」という状態の客観描写が1割で、残りの9割はその客観状況を感じて受けとめる本人の心の持ちようを表している。ロシア人の価値基準で、最上位に置かれる形容の1つでもある。 中国語へは「平静」と訳されているようだ。中国人にもこうした感覚がないわけではあるまい。だが、厳しい競争社会の中では、竹林の七賢宜しく「安寧」を夢見るよりは、国民を束ねるために共産主義に取って代わった愛国主義と新版「中華思想」に帰依した方が、魂の救済には手っ取り早い。 そこで形成されているのは、かつての華夷思想の単純な繰り返しではあるまい。それが依って立つ多くの理屈が、近代になって欧米から取り入れたものだからだ。さしずめ、華夷思想とウェストファリア体制のハイブリッドといったところである。 しかし、ならばそこには、相手が頭を下げればそれで満足した君子たる皇帝もいないし、寛容な中華帝国も存在しないことになる。 そして、周囲の国々がマイナーリーグだと中国が思い始める瞬間から、それが対外無知と無関心への道にもつながるという歴史の繰り返しになるだろう。その周りから尊敬されなければ、中華も華夷もない。経済取引だけでつながる面従腹背の世界だけが残るから、カネの切れ目が文字通り縁の切れ目にもなる。 ケ小平に続く名指導者は出てくるか さらに、中国の周りに今いるのは過去の蛮族の群れではもはやない。将来もし大中華圏が生まれたとしても、中国の属国でも構わない、とは決して言わない国だってあるだろう。それを見誤ればその先には、中国にとって「屈辱の歴史」の再現すら待ち構えている。 だが、もし中国に、国を愛しつつも、その先々まで見据えて手を打てる指導者がいるならば、そうした過ちも避けられよう。前回登場のケ小平はその例だが、彼だけではない。少し昔に戻れば、蒋介石を「日本切腹、中国介錯」で動かした1930年代の胡適がいる。 日本が攻め込んできた。どうするか。自国の軍の力で日本を跳ね返して追い出すことは不可能だ。しかし、数年経れば必ず米国とソ連が参戦する状況がやってくる。その時まで、何とか時間を稼ごう。戦闘で負け続けてでも、決して降参せずに持ち堪えよう(苦撑(とう)待変)。 日中戦争など1〜2カ月で片がつく、三国同盟に加わらねばバスに乗り遅れる、などと叫んでいた帝国陸軍の世界観は、こうした大きな趨勢を眺め通して考えられた戦略と戦ってしまった。どちらが正しかったのかは、すでに歴史が明白過ぎる答えを出している。 日本のエリートが束になっても敵わないような賢者が、時として中国には出現する。それが中国の本当の怖さでもある。 そしてその賢者の頭脳が、中国のみならず世界全体のために投入されたなら、それが他国には簡単に真似のできない、中国による最も大きな世界貢献になるだろう。その時こそが、真の「中華」の復興なのだ。 (*)平凡社 中国現代文学全集4.竹内好訳
中国は日本を調教する 老獪に使い分けられるアメとムチ 2013年03月06日(Wed) 古森 義久 中国は日本に対し、動物を人間に服従させるように命ずることに反すれば罰の仕置きを加え、従えばエサを与える「調教方式」を取っている――こんな考察が米国の2人の著名な中国研究学者たちにより発表された。
つまり中国共産党政権は、日本側で中国に同調する政財界の勢力には様々な形で報奨を与え、逆に中国の路線に反対する側には種々の懲罰を加えるというのである。まさにアメとムチの戦略だと言えよう。中国当局はその戦略の実施に際しては、中国の民衆の民族主義的な反日感情を最大限に利用するというのだ。 「天安門文書」公表の立役者、ネーサン教授 中国の政治研究で知られるコロンビア大学のアンドリュー・ネーサン教授と中国軍事研究の権威のランド研究所のアンドリュー・スコベル上級研究員は新刊の共著『中国の安全保障追求』で中国の対日戦略への考察を述べた。 同書は「中国は日本を調教する」という題の章で、まず中国当局が日本を「ほぼ永遠の摩擦の相手、対立の相手」だと見ることを強調する。中国側は、日本が台湾を支持すること、尖閣諸島の領有権を巡り中国と対立していること、そして日本が日米同盟に基づいてアジアでの安保の役割や防衛力を着実に強めていることなどに反発するために、そうした潜在的な敵対姿勢が生まれるのだという。 アンドリュー・ネーサン氏と言えば、米国の中国研究でもずしりとした重みを持つ存在である。同氏の名前を国際的に高めたのは、「天安門文書」の公表だった。天安門文書とは、1989年の天安門事件当時の、中国共産党最高部の議論の内容の記録である。2001年1月に米国大手外交雑誌によってまず暴露掲載された。 89年6月の中国共産党による民主活動家たちの大弾圧と殺戮は、天安門事件としてその後の世界に広く知られた。中国独裁政権の苛酷な体質を露呈する弾圧事件だった。天安門文書はこの事件を起こした共産党首脳部の議論のやりとりを詳しく記録した重要秘密文書だったのだ。その秘密文書が中国から国外に流出し、米国で公表されたのである。 その「公表」に米側で最大の役割を果たしたのがネーサン氏だった。だから中国共産党政権はネーサン氏を長く敵視するようになった。同氏への中国への入国ビザも一切、出さないようになった。まさにムチを受けたわけだ。 アンドリュー・スコベル氏は中国の軍事や安全保障の動向についての研究で広く知られる米国人学者である。米国陸軍大学の戦略研究所で研究員や教授として長年、中国の軍事を研究し、現在はランド研究所の上級研究員を務める。著書では『中国の軍事力使用』という書が高く評価された。 国交樹立前から使い分けていたアメとムチ さて、この2人の気鋭の研究者が共同で執筆した書『中国の安全保障追求』は中国の北東アジアでの対外政策、対外戦略について述べ、その中で「中国は日本を調教する」という章を設け、中国の対日政策を詳述した。 同書は日中両国の関係を国交樹立前の1960年代にまでさかのぼり、具体的な事例を多数挙げて、中国の日本に対する戦略を以下のように特徴づけていた。 ・中国共産党政権は一貫して中国の政策や立場に同調する日本側の政財界の勢力や人物には経済的利権や政治的特権を与えて報奨としてきた。その一方、中国が非友好的と見なす日本の企業などには貿易や投資での妨害、政治家には冷遇や非難の措置で懲罰を加えてきた。 ・中国当局は日本の政策が好ましくない方向に動くと、海軍、空軍を動員しての示威行動のほか、自国民一般の反日感情を利用した反日デモや暴動を展開させる。中国では全般的に日本への敵対的な民族主義的感情が強いとはいえ、当局がその種の感情の噴出のタイミング、長さ、強さを調整する。 ・中国当局は日本側から政治や経済での譲歩、修正を奪うために、日本側の戦時中の「残虐行為」を持ち出し、日本側の罪の意識をあおり、中国側の道義的優位を主張する。日中間の歴史や記憶を巡る紛争は中国側の政策の動因ではなく、警告の道具なのだ。 同書は、中国のこの対日調教戦略の多数の実例を、日中国交樹立前の時代から示す。また1990年代には、日本政府が天安門事件での国際的な対中制裁を破る形で対中宥和策を取ったことへの報奨として、日本側の尖閣諸島での灯台建設にもさほど抗議はしなかったのだとも記していた。 ケ小平氏が、尖閣問題を棚に上げ、次世代の処理に任せるという趣旨の発言をしたことも同様だったという。現実には中国は尖閣問題は棚上げどころか、92年には「領海法」という国内法を勝手に制定し、事実上の尖閣諸島の中国領宣言をしていたのだ。だが表面では日本の立場を非難するような言動はツユほども見せず、「アメ」対応の体裁に徹したのだった。 同書はまた中国当局が日本の政界でも中国側の政策に同調する個々の政治家には特に丁重で友好的な対応を見せる実例をも挙げていた。財界に関しても同様なのだという。 要するに、日本側の親中派を常に優遇し、反中派や中間派には冷たく当たり、ときには非難の声明をぶつけたり、中国への入国を拒否したり、という「ムチ」の作戦で切り崩しを図るということである。 小泉政権の時代にも親中派には「友好」の働きかけ 同書は2001年からの小泉純一郎政権の状況について特に以下のように述べていた。 ・小泉首相は米国との防衛協力を、ミサイル防衛や自衛隊のイラク派遣、防衛庁の省への昇格の試みなどにより大幅に強めた。小泉氏はそして靖国神社への定期的な参拝を実行した。中国が反対するこのような一連の言動に対し、中国共産党は中央宣伝部を主体として総力を挙げる糾弾作戦を展開した。2005年には小泉政権による日本の国連安保理の常任理事国入りへの外交活動が広がり、それに猛反対する中国当局は国内で大規模な「反日デモ」を組織した。その間、日本の親中派への「友好」の働きかけも忘れなかった。 確かに中国は小泉政権の時代にも村山富市元首相らを中国に招き、種々の公開の場で日中関係を語らせるというような戦術を怠らなかった。村山氏が中国各地の公式行事に出て、「村山談話」の効用を説き、いまの日本の政府の対中政策を批判するというパターンの政治宣伝は頻繁だった。 同様に、小泉政権時代は首脳会談を拒み続ける一方、自民党を含めての広範な政治家層に日中友好議員連盟などを通じて「友好」の手を差し伸べる努力も絶やさなかった。要するに、中国側が喜ぶ言動を取る日本側の政界、財界の人物は、ことさらに中国側から優遇されたのである。 この『中国の安全保障追求』という書は、中国当局のこの種の対日戦略について警告をも発していた。それは中国共産党政権が中国国民の反日感情を「日本叩き」に利用する際、その感情が中国政権への非難へと拡大する大きな危険があるという点だった。 これまでの反日デモや反日暴動を見ても、確かに、当初は明らかに当局の扇動や指導や黙認によって反日の炎が燃え上がるが、その勢いが一定線を超えると、中国当局は明らかにその抑制や火消しへと動くというパターンが明白である。 日本にとっても、中国にどう対応するかは、これからも長年にわたる国家的な超重要課題である。中国共産党政権が日本側をこのようにアメとムチで切り崩し、日本の世論や政策を中国にとって有利な方向へと変えようとする戦略は十二分に意識しておくべきだろう。 |