01. 2013年2月27日 14:05:21
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記者: GABRIELE BARBATI 翻訳者: 加藤仁美 | 2013年2月25日 10時03分 更新 イスラエル・パレスチナ紛争:エルサレムで不幸な隣人が同居 グローバル 最新ニュース 日本の2倍のタバコ消費するロシアで喫煙禁止法が�... オバマ米大統領、歳出の強制削減に伴う軍事費削減�... 米上院、ヘーゲル氏の国防長官就任を承認 More Sharing Services 1 エルサレムのイスラエル人とパレスチナ人は、いつか同じ地域に両者が平和共存しなければならないと気づくのかもしれない。しかし今のところ、2国間の紛争は続いている。両民族の対立が時には、同じ屋根の下の住民にも影響を与えることがある。 写真を拡大する ロイター エルサレム近郊、ヨルダン川西岸のシュアファット(Shuafat)パレスチナ人難民キャンプには東エルサレムとの分離壁があり論議を呼んでいる。1967年の第三次中東戦争でイスラエルがガザ地区とヨルダン川西岸地区の支配権を獲得してパレスチナを統一してシナイ半島とゴラン高原を軍事占領下に置いた。 エルサレムはパレスチナの古都で、イスラエルが首都と定めている。ユダヤ教、キリスト教、イスラムの聖地でもある。
エルサレムの住民であるパレスチナ人のナビル・アルクルドさん(Nabil Al-Kurd)(68歳)とその家族は、イスラエル政府の許可を受けたユダヤ人家族と同居している。だが、決して幸せな同居生活ではない。 アルクルドさん一家は、現在90歳になる母親が1948年に最初のアラブ・イスラエル戦争が勃発した際、故郷であるイスラエル北西部のハイファ市から逃れて来て以来、その家で暮らしている。 アルクルドさんと同居するユダヤ人家族は、2009年にこの家に引っ越してきた。現在この家の3つの部屋を使用して暮らしている。アルクルドさんは企業経営者で、彼の家族11人は、この家の残りの4部屋を使用して暮らしている。 アルクルドさんの話によると、彼が家を改造しようと決めたときに、家と紛争にまつわる奇妙な物語は始まったという。 「10年以上前、私は妻と息子と共により快適に生活するため、私の家を拡張した。しかし、建設許可を得るのは困難だった。このため許可なく改築した」とアルクルドさんは述べた。「改築が終わると、イスラエルの裁判所は、私が30年間家賃を払ってこなかったことも含めて私に罰金を科した。そして裁判所は新たに拡張した箇所を没収して、その後ユダヤ人に委託した」とアルクルドさんは説明した。 アルクルドさんの家族はほぼ60年この家で生活してきたにもかかわらず、イスラエルの裁判所は、この家は自分のものであるとして提訴していたユダヤ人原告の主張を認めた。1948年以前にはこの土地にユダヤ人所有者の家が建っていたからだ。 その結果、お互い憎みあう2つの家族による不愉快な同居生活が始まった。家長のアルクルドさんから末娘のマハさん(4歳)まで、アルクルドさん一家は狭いスペースに膝を寄せ合い、2人の息子は屋外で寝ている。彼らは家の裏側にあるドアを通って家屋に出入りしている。一方で同居しているユダヤ人家族は取材のためのインタビューを拒否したが、この家屋の残りの部分を占拠していて、家屋の正面にあるドアを通って中に入る。 ユダヤ人の住民は男性1人である。このユダヤ人男性の2人の息子が時折この家を訪れる、とアルクルドさんは述べた。たまにこの家のユダヤ人側の居室がイスラエル入植者の出会いの場や社交クラブのために使われるという。その時は何十人もの人々が出入りしているとアルクルドさんは言う。 両家族の共有スペースは家の外の路地であり、話し合いは行き詰まっている。互いに侮辱する言葉が飛びかう。対立の結果、頻繁に警察が呼び出される。たとえパレスチナ側が不満を感じて警察を呼び出したとしても、結局パレスチナ人が連行される場合が多いという。 写真を拡大する ロイター エルサレム近郊、ヨルダン川西岸のシュアファット(Shuafat)パレスチナ人難民キャンプには東エルサレムとの分離壁があり論議を呼んでいる。1967年の第三次中東戦争でイスラエルがガザ地区とヨルダン川西岸地区の支配権を獲得してパレスチナを統一してシナイ半島とゴラン高原を軍事占領下に置いた。 隣家のユダヤ人入植者は頻繁に、アルクルドさん一家に卑猥な言葉を大声で叫ぶ。敬虔なムスリムの女性にとって不愉快だ、と90歳のアルクルドさんの母は語った。 イスラエルとアラブ諸国の間では、1948年・56年・67年・73年の4回にわたって中東戦争が発生している。 1948年から1949年にかけて行われたアラブ諸国とイスラエルとの戦争は第一次中東戦争(パレスチナ戦争)と呼ばれる。イスラエルはこの戦争に勝利し、独立国としての地位を固めた。パレスチナ地域のうち大部分をイスラエルが獲得し、停戦時にエジプト軍が保持していたガザ地区はエジプト領になった。 ヨルダン軍が保持していたエルサレム旧市街を含むヨルダン川西岸地区は、部分的なパレスチナ人の賛同とトランスヨルダン議会の決議によりトランスヨルダン領に編入され、国名をヨルダン・ハシミテ王国に変更した。このとき確定した国境線はグリーンラインと呼ばれ、現在もイスラエルとその占領地との境界線として国際的に認知されている。 聖地エルサレムは旧市街を含む東部をヨルダン、旧市街を含まない西部をイスラエルが領有して、中間を国連が監視する非武装中立地帯とした。 「ヨルダン人はエルサレム旧市街近くのシェイク・ジャラ(Sheikh Jarrah)地区のイスラエル人によって放棄された土地を引き継いだ。その後彼らはパレスチナ難民に土地を賃貸した。そしてイスラエル当局は、1967年の第三次中東戦争で東エルサレムを占領した。イスラエルの法律では土地の元の所有者と相続人はいつでも戻ってきて土地を再利用できることになっているという」とセツルメント・ウォッチ・プロジェクト・フォア・ピースナウのディレクターであるハジット・オフランさん(Hagit Ofran)は述べた。 現在、シェイク・ジャラ地区では、イスラエル入植者が所有権を主張して住みつき、元の居住者のパレスチナ住民と対立しているなど、複雑な住宅問題が発生している。 現在、アルクルドさんと同居しているユダヤ人の間では法廷闘争が進行中である。まだ土地の所有権について裁定はされていない。両者は次回の公判予定日を待っているが、その間も互いに不愉快な思いが漂っている。 シェイク・ジャラ地区の家の正門を過ぎると、ユダヤ教の祭式に用いる7本枝の大燭台が閉じられたドアの前に立てかけられていた。ドアにはスプレー塗料で「パレスチナに自由を」と書かれていた。
「イスラエル入植者は毎日私たちに問題を与えてきた」とアルクルドさんは説明するために写真を見せながら言った。「彼らは私たちを罵倒した。そして子どもたちに汚水を投げかけた。ある夜には、私たちが路地に設置していたテントに火をつけようとした」と彼は訴える。 シェイク・ジャラ地区の利害関係、土地、遺産、帰属意識は、エルサレム旧市街周辺の地域とも重なる問題だ。イスラエル入植者の組織がパレスチナの所有者に対して主張するために敏腕弁護士を雇い、合法的主張を通すために多額の資金を導入している。 「現地の法律や裁判所はユダヤ人に帰還権を与えた。それと同時に、現地法律や裁判官はパレスチナ人には1948年時以前に所有していた土地への帰還権を否定した」と別のイスラエル人権組織のビーセレム(B'Tselem)の広報担当者である、ユダヤ人のサリット・ミカエリさん(Sarit Michaeli)は述べた。「これが不公平と不平等の主要原因である。加えて国際法上では、占領した地域に占領軍の人員を移入させるのは違法とされている」とミカエリさんは言った。 イスラエル人の主張は、イスラエルの土地に対しパレスチナの領有権を主張することは盗難車の所有権を主張する場合と同じで、何百年使っていようが正当な所有権は初めに持っていた者に属するのが当然だ、ユダヤ人から最初に土地を盗んだのはローマ人だが、その後パレスチナが手に入れたからといって所有権はない、というものだ。 一方、パレスチナ人の主張はこうだ。聖書になんて書いてあろうと、われわれには関係がない。われわれの土地に突然ユダヤ人がやってきて、イスラエルという国を建国した。ユダヤ人はパレスチナの土地を盗んだ泥棒だ。そのため600万人のパレスチナ住民のうち300万人近くが難民となり、現在も200万人がガザとヨルダン川西岸に不自由な生活を送っている。たとえイスラエルという国を認めるとしても、少なくとも1967年の第3次中東戦争で占領したガザとヨルダン川西岸は返還すべきだ、というものだ。 先月、国連人権委員会がイスラエルに対して、すべての入植者は撤退するよう求めた報告書を発行した。イスラエル入植者は「隣接する、独立可能なパレスチナ国家を阻止している」からだとした。これに対してイスラエル外務省は「偏見」であり「逆効果」であると反論した。 イスラエル人の中には、エルサレムが将来パレスチナとの和平交渉に含まれるべきであると主張する者もいる。人気ラジオ番組の司会者イシャイ・フライシャーさん(Yishai Fleisher)は、東エルサレムを「ユダヤ人風にする」ための権利は完全に合法だと主張している。 「エルサレムを2つの国で分割すると、私たちは前へと進めなくなると思う。ユダヤ人にとってもイスラエル人にとっても、1つの国として話し合う必要がある」とフライシャーさんは東エルサレムのマレー・ハザイティム(Ma'aleh Hazaytim)の入植地にある彼の家で語った。「パレスチナ人はここでは少数派だが、住宅、教育、医療援助などあらゆる権利を持っている」と彼は述べた。 アルクルドさんもフライシャーさんも、パレスチナ人とイスラエル人はお互いに対立するのではなく、平和のうちに生きることができると何度も繰り返した。しかしこの地における現状は、彼らの言葉とは裏腹だ。 現在、土地に関する法廷闘争や隣人と隣人の恨みが続いている。問題の焦点は再び政治の場へと持ち込まれた。 イスラエルでは1月22日に総選挙の投票が行われた(比例代表制、定数120)。その結果ベンヤミン・ネタニヤフ(Benjamin Netanyahu)首相率いる右派統一会派「リクード・わが家(Likud-Beitenu)」が選挙前の42議席から11議席減らして31議席となった。一方、中道政党のイエシュ・アティド(Yesh Atid)は19議席を獲得するという予想外の健闘を見せて第2党に躍り出た。イエシュ・アティドはわずか9か月前に元ジャーナリストのヤイル・ラピッドさん(Yair Lapid)によって旗揚げされたばかりだ。同氏は一夜にして政界の新星となった。
写真を拡大する ロイター エルサレム近郊、ヨルダン川西岸のシュアファット(Shuafat)パレスチナ人難民キャンプには東エルサレムとの分離壁があり論議を呼んでいる。1967年の第三次中東戦争でイスラエルがガザ地区とヨルダン川西岸地区の支配権を獲得してパレスチナを統一してシナイ半島とゴラン高原を軍事占領下に置いた。 イスラエルの制度では最多得票の政党が連立政権を組むとは限らないが、ネタニヤフ首相が次の政権を担うという見方が広がっている。投票締め切りの直後、ネタニヤフ首相は交流サイトのフェイスブック(Facebook)で有権者に感謝するとともに「可能な限り幅広い連立政権」を作ると述べた。
3月にネタニヤフ首相がオバマ米大統領と会う見通しだと米政権高官は12日述べた。実現すれば、オバマ大統領就任以来初のイスラエル訪問となる。 オバマ米大統領がイスラエルやパレスチナ自治区のヨルダン川西岸を歴訪すると決断した背景には、イスラエルで3月半ばにも発足する見通しのネタニヤフ新政権に対し、中東和平交渉再開に積極的に取り組むよう圧力をかける狙いがある。オバマ大統領とネタニヤフ首相とは、パレスチナ情勢やイランの核開発を巡る意見の対立から関係が冷え込んでいる。また、イスラエルとパレスチナの隔たりは大きく、米政権の介入で和平交渉再開への道筋を示せるかが注目される。 米国ではイスラエルとパレスチナの緊張関係がこれ以上高まることへの懸念が強い。パレスチナは米政権の反対を押し切り、昨年11月、国連で地位格上げに成功するなど、イスラエルに揺さぶりをかけ続けている。パレスチナが「独自外交」でさらにイスラエルを刺激しないよう、早期に和平交渉を再開させたい「焦り」もある。 大統領訪問についてイスラエル政府は公式コメントを示していない。しかし地元テレビは、イスラエル政権が米政権側に「大統領の訪問は和平交渉で大きな成果をもたらす」と伝えたと報じた。パレスチナ解放機構(PLO)のハナン・アシュラウィ(Hanan Ashrawi)幹部はAP通信の取材に対し「和平に向け内実の伴う訪問となるよう期待する」と歓迎した。 2009年度ノーベル平和賞受賞者のオバマ大統領が和平プロセスを再起動するという期待は高い。しかしアルクルドさんとその同居人との対立は、解決までまだ時間がかかりそうだ。 この記事は、米国版 International Business Times の記事を日本向けに抄訳したものです。 |