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第二次世界大戦の謎 日本の伊号第52潜水艦は濃縮ウランをドイツに運んだか?
イリナ イワノワ 2.02.2013, 14:30
過去の一つの謎を解明しようとする試みが、新たな謎を生み出す事は決して稀ではない。これから皆さんにお話ししようとする事もまた、そうだった。日本の潜水艦と広島への原爆投下の話である。
1995年、米国の探検家ポール・ティドヴェル氏は、ユニークな有用鉱物探査用レーダーを搭載したロシアの学術調査船「ユジモルゲオロギヤ」号をチャーターし、その助けを借りて、大西洋の海底に沈んだ日本の伊(イ)号第52潜水艦を見つけ出そうとした。この潜水艦は、1944年に不可思議な状況下で行方が分からなくなっていた。しかし、ティドヴェル氏が関心を持ったのは、この潜水艦自体ではなく、その積荷だった。
数々のアーカイブで資料を掘り起こす中で、ティドヴェル氏は、輸送用に特別に製造されたこの潜水艦が1944年の夏の初め、日本を出港した事実を突き止めた。潜水艦は、2トンの金と、民間の技術者グループを乗せドイツに向かっていたというのだ。航海の途中、潜水艦はシンガポールで、さらに錫、モリブデン、タングステン228トン、さらには生ゴム60トンを積み込んだ。そして潜水艦は、カーボベルデ諸島海域で浮かび上がり、ドイツの潜水艦V-350が見つけられるよう、自分達の居場所を暗号で打電した。ドイツ側は、日本側が運んできた金などを受け取る手筈となっていた。実は、米国及び英国はすでに大分以前から、日本の暗号を解読していたのだが、日本人達はそれを知らず、すべては極秘裏に首尾よく安全に行われていると考えていた。情報をつかんだ米英は、日独の潜水艦が出会う場所に、この海域に配属されていた空母「Bogue(ボーグ)」から爆撃機を派遣した。敵の出現は、日独双方にとって思いもかけないものだったが、両潜水艦はどうにか海中に沈み逃げる事ができた。そのため米海軍のパイロット、ジェリー・タイラー中尉は、水中に投下したソーナー付のブイを頼りに爆弾を投下する事となった。専門家らは、テイラー中尉には、日独の潜水艦のうちどちらか1隻だけでも沈没させ得るような、いかなるチャンスも残されていなかったと見ている。というのは、爆撃が成功したかどうかは海上に潜水艦の残骸が浮き上がったかどうかで判断するわけだが、テイラー中尉が最後の飛行をした時には、現場はすでに漆黒の闇に包まれていたからだ。その翌日、中尉は潜水艦の残骸を探しに向かったが、何も発見できなかった。当時、この件に関してはこれ以上注意が向けられる事はなかった。しかし後になって伊-52が戻らなかった事が明らかになったため、テイラー中尉による爆撃で潜水艦は沈没したものと見なされるに至った。
日独の潜水艦が極秘裏に出会うはずの場所に突然米軍の爆撃機が出現したため、研究者達は、伊-52からV-350への貨物の引き渡しは行われなかったと考えるようになったようだ。そうなると、2トンの金は日本の潜水艦の中に眠っている事になる。まさにそうした理由で、ポール・ティドヴェル氏はロシア船をチャーターしたわけだ。しかし彼は結局、何も発見できなかった。
ところがティドヴェル氏は、捜索活動を縮小しなかったばかりか、今度は、米国の戦利品アーカイブで見つけたドイツの V-350の艦長の報告書をもとに、別の海域で伊-52を探し始めた。報告書の中では、日本の潜水艦は別の場所で沈没したと書かれていた。そしてまもなくティドヴェル氏は、ロシアの学術調査船のレーダー画面に「シガー状の形をした」潜水艦の残骸を海底で発見することとなった。水中カメラにより船上に送られてきた映像には、爆発により穴の開いた潜水艦の胴体や何かの一部、日本海軍のマークなどがはっきりと写っていた。この潜水艦が日本の伊-52である事はもはや疑いなかった。ティドヴェル氏とチームのメンバーの喜びは計り知れなかった。しかし、チームのメンバーだったロシア人達の証言によれば、その時、海底からはいかなる荷物も、まして金など引き上げられる事はなかった。というのは調査に使っていたロシア船には、そのための設備がなかったからだ。ティドヴェル氏は帰港を命じ「来年、必要な準備を整えてまたここに来よう」と言ったという。
その後、ティドヴェル氏は金を手にしたのか、少なくともそうしようと試みたのかどうか、ここで情報はぷっつりと途切れている。マスコミも何も報じなかった。この調査プロジェクトに参加していたロシアの地質学者グリゴリイ・ストレジェノク氏は、後になって「ティドヴェル氏は日本の潜水艦の中で金を含め、いかなる高価な品々も見つける事は出来なかった。金が一体どこに行ってしまったのか分からない」と語っている。
. 一方、ドイツの潜水艦V-350の船長の報告書の中では、ドイツ語ではっきりと「伊-52からすべての積荷は、我々に移された」と書かれている。この「すべて」には、それが実際運ばれていたのであれば、当然金も含まれていたはずである。
なお沈没した伊-52の船体には外向きに 縁が開いた裂け口が見られ、この事は、爆雷や魚雷など潜水艦が外部からの攻撃で沈没したのではない事を物語っている。何かが潜水艦内部で爆発したのだ。それがドイツの潜水艦から運び込まれた食糧の中に隠されていた爆弾だったのであれば、ドイツ人艦長が、爆発物の作動時間を正確に知っていた事も当然だろう。それゆえ、伊-52の沈没場所をかなり正確に示す事ができたのだ。ここで一つ疑問が出てくる。一体なぜ、何のためにドイツ人達は、同盟国である日本の潜水艦を爆発させる必要があったのか?彼らは、一体何を隠したかったのか?という疑問だ。
まさに謎がまた謎を呼んでいるが、日本の潜水艦は実は、金ではなくドイツ人達に、もっとはるかに重要なものを届けたのだという説もある。それは、東部戦線ではソ連軍との戦いに敗れ、西部戦線では米英連合軍の攻勢にさらされていたドイツを救うものだった。つまり運んでいたのは、ドイツ報復のための最終兵器になるはずだった原爆製造のため必要な諸々のもの、例えば濃縮ウランなどだったという説だ。この説は、ロシアのインターネット上で注目された論文「『昇る太陽』作戦あるいは潜水艦伊-52の101の謎」で提起されているもので、論文の匿名の筆者によれば、ウランは広島の秘密実験所で濃縮されたものだったとの事である。筆者は「それゆえに、事実を知った米国は、原子爆弾の最初の投下地として広島を選んだ、日本の学者が原爆製造に成功しないよう手を打ったのだ」と主張している。
御存知のように日本ばかりでなくドイツも又、原子爆弾の製造が間に合わなかった。しかし、日本のウラン同様にドイツの成果も、後になって米国は利用したという事も十分あり得るのではないか。なぜなら、伊-52を爆破したかもしれないドイツのV-350の艦長の報告書を、探検家のティドヴェル氏が見つけたのは、他でもない米国のアーカイブだったからである。
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