47. 2013年1月25日 14:59:08
: xEBOc6ttRg
>>45 http://www.geocities.jp/chibijyo888/page041.html カスバの女
映画モロッコ・外人部隊の映画パンフレット
作詞:大高ひさお 作曲:久我山明 歌手:エト邦枝 涙じゃないのよ 浮気な雨に ちょっぴりこの頬(ほほ) 濡らしただけさ ここは地の果て アルジェリヤ どうせカスバの 夜に咲く 酒場の女の うす情け 唄ってあげましょ 女(わたし)でよけりゃ セイヌのたそがれ 瞼(まぶた)の都 花はマロニエ シャンゼリゼ 赤い風車の 踊り子の 今更(いまさら)かえらぬ 身の上を 貴方も女(わたし)も 買われた命 恋してみたとて 一夜の火花 明日はチュニスか モロッコか 泣いて手をふる うしろ影 外人部隊の 白い服 1973年8月の暑い日、何の前触れもなく突然帰国した主殿から、 「一緒にアルジェリアに行ってくれ。」 と言われた時、親子3人で母子家庭を守っていた私は突然の話に驚かされながら、 色々現地の様子や苦労話を聞いている内にどうしても私が一緒に行かずばなるま いと言う事になって来ました。
傍らで私達の話を聞いていた息子殿は 「アルジェリアに行って親父殿の面倒を見るが良かろう、留守は心配 ご無用。 たまには小遣いでも送ってくれれば・・・。」 と、いとも簡単に快く許してくれた言葉を嬉しく聞いていました。 お友達へのご挨拶とこれからの留守居の間の事などのお願いが一段落して、改めて アルジェリアの位置関係が知りたく、子供の地理の教科書を紐解いて見てモロッコ、 アルジェリア、チュニジア、地中海、スペイン、フランス等の位置を改めて知る事が出 来ました。 そこで私は青江ミナさんの、 「ここは地の果てアルジェリア、どうせカスバの夜に咲く・・・」 の、歌謡曲の一節の哀愁を帯びたメロデーが浮かんで来ました。 この唄は昭和30年芸術プロの映画で「深夜の女」の主題歌として作られたそうです。 データでは作詞は大山ひさお、作曲は久我山明、 唄はエト邦枝となっていました。 その後複数の歌手の方が唄われましたが、私が一番馴染みのあるのは青江ミナさん でした。 そして、この唄に出て来るアルジェリアのカスバと言う処には夜に咲く花が沢山いて、 毎夜咲かせるその花はどんなに綺麗な花であろうかと想像していました。ましてやカ スバなる物がどの様な処なのか、その時の私は知る由もありませんでした。 アルズーの町に主殿と滞在する様になって4ヶ月程過ぎて、さはら砂漠の観光旅行が 計画され一緒する事が出来て、マグレブ(アラブ語で地の果てと言う意味)の「ムサブ の谷」にあるガルダイアのカスバを訪れる事が出来ました。 ガルダイアの位置するムサブの谷は首都アルジェーから南に450`程の距離です。 そのムサブの谷は地中海岸から、春夏秋冬を一日で味合いながら南下すると不毛の 大きな盆地に到着します。 ガルダイアのシンボルモスクの尖塔 ガルダイア。エル・アーティフ。ブーヌーラ。ベニ・イスグェン。メリカ。の5つの街が ムサブの谷と言う一つの巨大な盆地の中に点在しています。その中で一番有名な のがガルダイアで砂漠を往来する駱駝の隊商の中継地でもある様です。 ムサブと言うには種族の名前で、ベルベルの一部族と言われ、宗教上の理由から 迫害を受け、流浪の旅の末11世紀の末にこの地を開拓して住み着いたそうです。 一説にはガルダイアと言う女王がいて亡くなったあとガルダイアと言う街名になった とも言われていますが、真偽の程は解りませんでした。 中央広場からは、カスバに通ずる細道が続いていいます。カスバの入り口に2.3軒 の小さなお店があり、何となく一種独特の匂いがするお店でした。ここのお店を過ぎ 細道を進むと、頭上に大きな看板があり、それには男性も女性も服装を正しくして通 る様にと注意書が絵で書いてありました。 神えの道 カスバの通路 凡そ露地の風景からは想像出来ない事ですが、回教徒の教えに基づくもので、道は モスクに通じる道、言い換えれば神の道なのでしょう。カスバの入り口はモスクに通じ る道でもあるのです。 昨日、町の入り口から遠目に見て想像していた通り、モスクに向かう露地はなだらか な坂道となり、カスバの真ん中を通っている様です。そして辛うじて行き交う事の出来 る細い露地道の両側には、石と土で出来た住居がぎっしりと隙間なく並んでいました。 私がカスバと言う言葉を知ったのは、主殿の駐在先がアラブ圏内と言う事と、歌手の 青江みなさんが歌ったカスバの女と言う歌の中でした。彼女の歌を聞く限りでは、何と なく男のロマンのような物を感じましたが、本物のカスバには、歌の歌詞に出て来る様 な処など、薬にしたくもありませんでした。 「ここは地の果てアルジェリア どうせカスバの夜に咲く・・・」 この歌から連想すると、酒場の町と言うか、裏町の安ぽいスタンド酒場があり、夜毎に 咲く艶やかな花が咲きそして艶やかな花はそこに来る男を慰めている。そんな辺りを 連想していましたが、現実には大違いでした。
どうしてこんな歌が出来上がったのか考えさせられました。アルジェリアに来て少しは 色々の事を見たり、聞いたり、知った限りでは酒場もありません。第一女性の店員さ んもおりません。 ましてやカスバなるこの場所は、モスクを中心に厳重な掟と城壁に囲まれたアラブ人 の居住区、そして安らかな人々の憩いのメゾン(住居)なのです。分厚い土の壁と 小さな出入口、そしてその入り口には、分厚い木製の扉が堅固に作られています。 カスバの住居の屋上 年代物の木製の扉は片手位の力では仲々動く物ではありません。そして中に入ると そこは、綺麗に飾った植木鉢などが置いてあり、一日の疲れを癒す大切なところです。 無論カスバはここだけではなく両隣りのモロッコ、チュニジア、アラブ圏内どこにもある のです。 カスバの住居の内部は外見とは裏腹に綺麗に整頓されています。土塀に囲まれた 外観はお世辞にも綺麗とは申せません。風雨に晒された赤土の窓一つない囲い ですが、内部は床にはタイルが張られて水を流して清掃が出来る様になっています。 中央には観葉植物が植えられ四季折々に周囲の部屋の窓から楽しめる様になって、 子供たちも小さな妹、弟たちの面倒を見ながら遊んでいます。 或いは遠い昔に見たカサブランカ・望郷・アルジェ−の戦いと言う映画の画面にそれら しい処がありましたが、それ以外にもこの歌のヒントになる物がどこかに存在したか も知れません。 私が約7年の間アルジェリアにお世話になっていましたが、歌の歌詞に出て来るカス バの女らしい女性には一度もお目に掛かれませんでした。 私も日本で母子家庭になって我が家の留守を守っていた頃、主殿の仕事がアルジェリ アと聞いて、一瞬脳裏をかすめたのは、"ここは地の果て"の一節でした。 そして哀愁と言う言葉と一緒に、胸がじーんと熱くなるのを感じ、男の仕事は厳しい物 と訳も解らず考えた物でした。大地の果てに赤く夕日が沈む頃、そこに佇む人影が、 静粛な夕暮れの迫る中に今にも消滅し様として、大きくなったり小さくなったり、地の果 てと言うこの一言で、生きて帰れない所に行ってしまう様に思はれました。 これが日本にいる時、さはら砂漠と隣り合わせに存在するカスバのあるアラブの印象 でした。 さはらの夕日 この手記は、世界遺産に登録されたアルジェーのカスバの記事ではありません。 ですが、カスバの名称で呼べる処です。ガルダイアのカスバもアルジェーの カスバも構造、内部、日々の暮らしの様子は何処でも同じです。カスバの所 在地が地中海岸にあるか、サハラの真ん中にあるかの違いだけです。
Madame・Chibi |