05. 2013年1月23日 21:21:29
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JBpress>日本再生>世界の中の日本 [世界の中の日本] 沖縄(琉球)が独立する日−国際的に正当性を訴える 龍谷大・松島泰勝教授にきく(上) 2013年01月22日(Tue) 川井 龍介 日本国内にある米軍基地の74%が集中する沖縄。生活環境の悪化、“特権”を持つ米軍関係者の犯罪など、基地が存在することによる弊害を長年にわたって甘受してきた沖縄で、いま“独立論”が広がりつつある。 学際的な研究と同時に国際的に独立をアピールしていく動きが出ている。この担い手として自治・独立への学問的研究と運動を進める、龍谷大学経済学部教授、松島泰勝氏に、沖縄(琉球)独立の理念と実現性について聞いた。 穏やかな語り口ながら、日本と沖縄の間には差別と植民地化の構造があると批判する松島氏は、世界の独立例を踏まえて、その実現性とメリットを語る。かつての琉球国の存在やまとまりを意識して「沖縄」とは言わず「琉球」という名称を使う。 「琉球独立総合研究学会」立ち上げに向けて 松島 泰勝(まつしま・やすかつ)氏 1963年石垣島生まれ、南大東島、与那国島、沖縄島那覇で育つ。早稲田大学政治経済学部経済学科卒、同大学院経済学研究科博士課程履修単位取得、経済学博士。97年から99年までグアムの在ハガッニャ日本国総領事館、99年から2000年まで在パラオ日本国大使館で専門調査員として勤務。東海大学海洋学部海洋文明学科助教授を経て、現在、龍谷大学経済学部国際経済学科教授。NPO法人「ゆいまーる琉球の自治」代表。著書に『琉球独立への道−植民地主義に抗う琉球ナショナリズム』(法律文化社)をはじめ『沖縄島嶼経済史―一二世紀から現在まで−』『琉球の「自治」』(ともに藤原書店)、『ミクロネシア―小さな島々の自立への挑戦』(早稲田大学出版部) ――これまで沖縄の中で「沖縄は独立すべきだ」という論はありましたが“居酒屋談議”の域を出ないとも言われてきました。それが最近現実的な議論になってきました。
松島 私は『琉球独立への道−植民地主義に抗う琉球ナショナリズム』(法律文化社2012年2月刊)という本を出しました。 ここではこれまで思想的、文学的に論じられてきた独立論を、脱植民地化の国際的な動きを研究することで、国連や国際法と関連して、具体的なプロセスを含めて論じました。こうした動きがいま出てきています。 1996年には、ジュネーブの国連欧州本部に行って、国連人権委員会の中の先住民族作業部会で先住民族として琉球での植民地主義の問題について発言し、世界の先住民族と交流しました。琉球と世界との関係も強くなり、独立論が地に足が着いた具体論として語られるようになりました。 また、仲間と「琉球独立総合研究学会」というのを4月に立ち上げる予定です。政治学、経済学、国際法、言語学など学際的な視点から独立の可能性、プロセスを研究し発表していく考えです。 ――なぜ、国連を通して国際的に訴えようと思ったのですか。 松島 国際法に基づいて世界の先住民族とネットワークをつくろうと思ったきっかけは、大田昌秀・元沖縄県知事が行った代理署名訴訟(米軍用地の強制使用に必要な代理署名を拒否できるかどうかで国と当時の大田知事との間で争われた)で、96年8月に最高裁で大田知事が敗訴したからです。 これでは国内では基地問題は解決はできない、常に国内問題に矮小化され、今後も裁判所、国会、行政府に握り潰されてしまうと考え、国際問題として認知してもらうことにしたのです。国連の人種差別撤廃委員会は、琉球人は先住民族であり、基地の押しつけは人種差別であることを認めて日本政府にも勧告しました。国際人権規約委員会でも差別の問題として見ています。 こうして、国際的なネットワークを使って日本、アメリカ政府に責任を問う。これがいままでの独立議論と違うところです。 琉球併合から独立論は続いてきた 『琉球独立への道−植民地主義に抗う琉球ナショナリズム』 ――これまでも多くの独立論がありました。過去に遡ってその変遷や違いについて教えていただけますか。
松島 独立論には、実践の面と思想の面があります。実践面で言うと、琉球併合によって琉球王国がなくなった後に、王国の元の家臣が清国に亡命して、琉球王国の復活運動を行うわけです。これは実践的独立論です。それが日清戦争で日本が清国に勝って、運動は衰退していきます。 戦後、日本の統治が終わったときには、独立を掲げた政党が出てきます。大きな流れとしては日本への復帰運動が起きる中で、復帰が近づくと沖縄人の沖縄を考える会とか琉球議会とか、復帰後に経済的に不況などの不利益を被りそうな人が独立を求めたことが一時期ありました。 その後いろんな政党ができたり、「うるまネシア」といった自立、独立を問う文化誌が発行され議論されてきました。 1996年からは国連を通じた脱植民地化の動きが始まります。はっきり独立とは言いませんが、脱植民地化を明確に訴えています。また、個々人の独立論や運動はいろいろあります。高良勉さんという詩人は、エッセイの中で80年に独立論を訴えていました。 CTS(石油備蓄基地)反対運動のリーダーだった安里清信さんはパラオに行って、琉球は独立すべきだと考えたという話もあります。太平洋の島々を参考にそして連携して独立を論じるという考えも出てきました。同じ島であって人口がずっと少なくて独立しているところがあるからです。 また、奄美では新元博文さんらが奄美独立革命論を書いています。彼もパラオに行って影響を受けています。 グアムとの共通課題として脱植民地化を 琉球人独立を議論する雑誌「うるまネシア」 ――独立を研究する新たな学会はどういう経緯で立ち上がることになったのですか。
松島 2012年5月にグアムのチャモロ民族3人を琉球に招き沖縄国際大学で、琉球・グアムの脱植民地化シンポジウムを開きました。グアムはアメリカの属領ですが、植民地と言えます。 そのため脱植民地化の動きがあり、2014年を目標に、国のあり方について国民投票の準備をしています。そこには3つの選択肢があります。完全独立、パラオなどのような自由連合、それと、アメリカの州になることです。 独立派を中心に委員会がつくられ、連合を組んで独立のプロセスを検討しているほか、それぞれの派にも構想があります。人口20万弱のグアムがこうした試みをできるのだから140万人の琉球でも独立を前提とした議論ができるだろうということになりました。 松島 最初に、友知政樹さんという沖縄国際大学の准教授が学会を提案し、これに賛同した、主に復帰後に生まれた人が中心となって準備が進みました。この中には、学者もいれば学生もいるし編集者や農家、新聞記者、ビジネスマン、主婦、NPOなどメンバーはいろいろです。学者だけが議論をするのではなく、学問的なスタイルを取って一般の人も参加して議論することになっています。 琉球人の中には、独立を前提とした意見だけでなく、独立に関心があり、議論をしていく中で考えようという意見や、独立には反対だが現状はおかしいという認識に立ち議論に参加したいなど、いろいろな意見があります。これらすべてに門戸を開いて、議論し切磋琢磨して、「独立阻止」を主張する人とも平和的に議論していきたい。 神聖な場所での米軍の実弾演習 ――グアムについて言えば、沖縄の海兵隊をグアムに移転させることにもなっていますが、グアムもまた基地反対、独立の動きがあるのですね。 松島 私も2年間グアムの日本総領事館で働いていたので分かりますが、琉球以上に植民地だなと感じました。島の3分の1が米軍基地。グアムでは軍用地主に地代も払われていない。また、アメリカ大統領を選べないし、グアムからの議員は発言権はあっても投票権はない。連邦政府、連邦議会がグアムに対する決定権を持っています。 また、現地の観光業は日本資本が牛耳っている。グアムはもともとチャモロ人のものですが、マゼランが来て16世紀以降はスペインに支配され、1898年以降はアメリカ、戦時中は日本、そしてまた戦後はアメリカに統治されます。1950年になってようやく市民権が与えられました。にもかかわらず米議会や政府がグアムの事情を決めてしまいます。アメリカ本土のようには扱わないということを身をもって感じました。 グアムで勤務したのち私はパラオで1年間働きました。パラオは独立して大きな権限を持っています。見た目はグアムの方が発展しているように見られますがグアムは内実は植民地です。であれば琉球からの海兵隊のグアム移転はおかしい。 最近では特にパガットという村で建設されようとした米軍の実弾演習場が問題になりました。チャモロの遺跡もある古代の村であり精神的にも神聖なところで、実弾を海に向けて発射するという計画です。 住民は激しく反対し裁判に訴え、この案は棚上げになりましたが、軍に対する強い反発が生まれています。また、空軍と陸海軍がある上に海兵隊がやってくることで、レイプなどの琉球で起きたような事件が女性の間で心配されています。 「これが復帰40年後の現実か!」 ――ここ数年の沖縄の米軍基地をめぐる政府や日本の対応への不信と不満が、いままでのように、政府の言いなりにならないという気持ちを高めたのでしょうか。 松島 2012年11月に宮古島で開かれた九州市長会で、ある市長が沖縄県へのオスプレイ配備撤去の決議を出すことに反対しました。自分のところに来るかもしれないことに反対してのことです。こうしたことで、琉球人はますます自分たちが差別されていることを感じています。 オスプレイの配備については、県議会、市町村議会の反対決議があっても押しつけられた。また、レイプ事件などが発生しても日米地位協定を変えようとはしない。これが復帰40年の現実なんですね。われわれが求めていた復帰とはこんなものだったのかと、かつて復帰を推進してきた人もいま言っています。 本土復帰に尽力し、復帰後に最初の知事を務めた屋良朝苗さんという有名な政治家がいますが、彼の秘書的存在だった石川元平さんも最近地元紙の論壇で、独立をすべきだと言っています。元教員で復帰論者だったんですが、いまは独立を主張しています。 当時は、日本国憲法は平和を掲げているし、基地もなくなり事件事故も少なくなるだろうと思っていたんですが、実際はそうならなかった。 価値観を共有していない、琉球人と日本人 返還決定を伝える当時の新聞・号外(沖縄市戦後文化資料展示室内で) ――地位協定といえば、驚いたのが一昨年に見直しされることになった1956年の合意です。その内容は、アメリカの軍人・軍属が公の行事で飲酒した後に自動車を運転した場合も公務扱いになるというものでした。
こうした非常識なことが長年行われていたことは沖縄以外の日本に伝わっていないですね。 松島 日本国民の大部分にとって、基地、日米地位協定は自分の問題として考えられていません。琉球に住んでいると分かるのが、琉球人と日本人との感覚が大きく違うことです。 ともに同じネイション(民族)なのかと思うほどです。価値観を共有するのがネイションだと思いますが、これを共有していません。 イタリアにある米軍基地と琉球とはずいぶん違います。イタリアでは米軍機が墜落したときイタリア政府が調査、回収を行います。また、戦闘機などの飛行の角度、回数が制限されていて、住宅地を回避しているし、イタリアでリポーゾというお昼寝時間は飛行機はエンジンを切ることになっています。でも、琉球の基地にはこうした配慮はありません。 戦争で負けたことに対する負い目が日本側にあるとともに、米軍基地があるからこそ日本は守られている、基地を置くために米軍やその家族に対しては優遇的な措置を取るという考えが政治家、官僚、一般国民にもあるのでしょう。反対に琉球からの要求は無視されています。 ――原発立地・建設における中央と地方との構図も似ていますが、基地の場合は日本政府のほかにアメリカからの支配という、複雑な構図がありますね。 松島 これは本当に琉球にとってやりにくい。日本政府に対して基地の問題を質すとアメリカが関係するからどうしようもないと言い、アメリカに聞くと国内の問題だと言われることがある。両方とも責任逃れ、あたかも自分には責任がないように、軍人の考えをそのまま伝えるようなことをする。抑圧された琉球人にとっては抵抗の相手が2つあって簡単にはいかないという気がします。 ――恩恵を受けるため、中央の要求を受け入れざるを得ないような状況もありましたか。 松島 中央、都市部ではいらないものを周辺に押しつけ、その見返りに交付金などを与える。しかし、補助金、交付金以上に基地があることの経済的な損失は大きいし、また犯罪などお金で換算できない犠牲、コストといったマイナス面もたくさんあります。 中央では、地政学上重要だから基地のあることは諦めてくれと言います。これついては反証できる調査も行われています。例えば琉球の米軍が中東に出るときは佐世保に寄ってから出ていきます。琉球はサンゴ礁に囲まれていていい港がないからです。だから海兵隊はハワイとグアムとダーウィンに移設できるわけです。また、米軍はローテーションで動いているから、常に日本を守っているわけではありません。 返還後の土地は基地より大きな経済価値を生む ――基地がなくなったら経済的に困るでしょうという意見があります。しかしこれまでの基地返還後の土地の利用価値、経済効果を見ると、基地より大きいのが明らかだというデータが出ていますね。 松島 そうです。年間の県民総所得のたった5%しか基地経済は生み出していません。跡地利用を見ると、おもろまち(那覇市)や北谷町美浜をはじめほとんどすべての基地跡地は何十倍、場合によっては100倍以上も経済効果を生んでいます。 基地の跡地は、商業・文化施設になったりしています。例えば読谷村では紅芋畑で栽培した芋を材料にして紅芋タルトというお菓子を作ったり、やちむん(焼き物)の里ができ、琉球陶器やガラス細工など工芸品も作って文化の里になっています。いま米軍基地の中のスーパーで働いたり、警備員、通訳などの技能を持った人が働ける機会は基地の外にもあります。 返還後の土地にできたショッピングとアミューズメントタウン、アメリカンビレッジ ですから基地反対、基地返還はかつては革新勢力の人が主張していたのが、いまでは保守派や産業界からや、稲嶺前知事、仲井真知事など政界も保革問わずオール琉球としても、なるべく早く返してくれと言う声が上がっています。「基地があるから潤っている」という話はもう通用しません。
――雇用については、基地の有無はどう関係するでしょうか。那覇の専門学校では軍関係への就職をPRしているところも見られます。現状は基地内での雇用を積極的にとらえているようですが。 松島 いま、9000人ぐらいが軍関係で雇用されています。これは琉球の全就業者数60万人の一部であり、全基地が撤去されてもこの雇用は吸収できます。 専門学校も以前よりも宣伝はしなくなりました。準公務員としての扱いはありましたが、労働条件を見ても裁判になったり、ハラスメントも生まれています。以前に比べて軍で働くことが魅力的ではなくなっています。 若い人の中にはレイプ事件などによって、軍事基地があることは自分たちの生命や家族、恋人などの生命が危険にさらされているという意識が生まれています。沖縄市などでは青年団がいま自警団を組んで町を回るという動きも出てきています。基地は生活を不安にするという思いが若者の中から生まれています。 日本から離れる覚悟のある人が増えている ――こうなると、琉球に対する処遇を手厚くする、つまり“もっとアメをあげないとまずい”という見方が出てきますが、これに対してはどう思われますか。 松島 さまざまな補助金や優遇措置といった“アメ玉”が、これまでと同じであれば失敗が繰り返されるだけです。1995年に少女がレイプされて、そのあとずっとものすごいお金が特に米軍基地のある市町村に投じられました。名護市にも600億円くらい投じられましたが、効果は薄かった。 政府はこれまで国土の0.6%で140万人しかいない小さなところに対して、なんでもやりたい放題してきた。しかし、独立論が具体的になって現実味を帯びてくると、琉球の価値、意味を日本全体が考えるでしょう。日本から離れる覚悟がある人が増えているという実態を見ると、対等な相手として見るようになるかもしれませんし、琉球人としては日本政府に対して政治的な地位を変えるための交渉ができる可能性があります。 沖縄戦で、沖縄本土に上陸したアメリカ軍 松島 1999年にスコットランドはイギリスから分権化して独自な政府と議会をつくったんですが、沖縄県議会、県庁なども、外交の一部を担うような分権化の議論を日本政府と交渉できると思います。
日本政府、そして日本人は、米軍基地を取るのか琉球を取るのかということを選択しないといけないのではないでしょうか。 米軍は日本のほかのところで引き受けるから、琉球は日本のままに、というのなら分かりますが、このままだと「沖縄差別」が永続化すると、保革問わず琉球では言っています。 根底に異質なものとして沖縄は見られている? ――基地の存在や地位協定の実態は、「差別」を反映しているということですが、この根底には沖縄という地方に対する意識の上での差別があると感じますか。 松島氏 松島 1879年に琉球処分で沖縄県が誕生したときに、日本への同化政策で差別が行われてきて、戦争中には琉球の言葉を使っただけでスパイ容疑で処刑されたこともありました。
講和条約後は日本から切り離されて米軍の統治下になり、それからずっと基地を押しつけられてきました。これらは差別です。 ――意識の上での差別はどうでしょう。石垣島出身のアコースティックバンド、BEGIN(ビギン)の3人にインタビューをしたとき聞いた話ですが、1980年代終わりに彼らが東京に出てきていて、あるときアルバイトをしようとして多数の人に交じって現場に集合したとき、「君たちはこっち」と言われ外国人たちの集団に入るように言われたそうです。 松島 私は石垣で生まれて、高校、浪人までは那覇で勉強して、日本人として何の疑いもなく来ました。しかし東京へ来てみると、色は黒いし言葉がちょっと変だとかで、周りのヤマトンチュ(日本人)から「どこの国から来たのか」と言われ、同じ日本人とは思われませんでした。 当時、沖縄県人材育成財団の寮に住んでいたのですが、そこに住む同じ大学生の中にはそうしたことがショックで、寮から出られなかった人がいました。1980年代半ばのことです。琉球の人を異質な者と見ている普通の日本人は多いなと感じました。 あるいは、もしかしたらあえて異質な者と名指しすることで、相手を支配下に置こうとしているのではないかと思えました。これはショックでしたが、いい機会でもあり改めて琉球の文化や歴史を学んで、足元を深く掘り下げて議論していく気になりました。琉球にずっと住んでいたらこういうことはなかったかもしれません。外に出ていくことで、自分は何者かを知ることになりました。 ――御著書の中に「人類館事件」のことが出ていますね。かつての差別に関する複雑な事例です。 松島 琉球への差別であるのと同時に、あの事件に関して琉球が屈折しているのは、自分たちは帝国の臣民であり、自分たちより下の人を差別するということがあった。差別の螺旋階段を琉球人自身が作ろうとしてしまっていたわけですが、これではいけない。 ★注:人類館事件: 1903(明治36)年、大阪で開かれた内国勧業博覧会の「学術人類館」なるところで、アイヌ、琉球女性、朝鮮人、台湾先住民らが、生身で「展示」された。人類学的なものという名目だったが実際は見世物的で沖縄からは抗議の声が上がった。しかし、その内容は沖縄人は日本国民なのにアイヌら他民族と同様に展示されたというもので、のちに沖縄内でもこの主張に批判が出た。 (下につづく 龍谷大・松島泰勝教授にきく(下) 2013年01月23日(Wed) 川井 龍介 前編はこちら
日本国内にある米軍基地の74%が集中する沖縄。生活環境の悪化、“特権”を持つ米軍関係者の犯罪など、基地が存在することによる弊害を長年にわたって甘受してきた沖縄で、いま“独立論”が広がりつつある。学際的な研究と同時に国際的に独立をアピールしていく動きが出ている。 この担い手として自治・独立への学問的研究と運動を進める、龍谷大学経済学部教授、松島泰勝氏に、沖縄(琉球)独立の理念と実現性について聞いた。 穏やかな語り口ながら、日本と沖縄の間には差別と植民地化の構造があると批判する松島氏は、世界の独立例を踏まえて、その実現性とメリットを語る。かつての琉球国の存在やまとまりを意識して「沖縄」とは言わず「琉球」という名称を使う。 戦争が起きたらまず巻き込まれるのは、また沖縄だ 松島泰勝(まつしま・やすかつ):1963年石垣島生まれ、南大東島、与那国島、沖縄島那覇で育つ。早稲田大学政治経済学部経済学科卒、同大学院経済学研究科博士課程履修単位取得、経済学博士。97年から99年までグァムの在ハガッニャ日本国総領事館、99年から2000年まで在パラオ日本国大使館で専門調査員として勤務。東海大学海洋学部海洋文明学科助教授を経て、現在、龍谷大学経済学部国際経済学科教授。NPO法人「ゆいまーる琉球の自治」代表。著書に『琉球独立への道−植民地主義に抗う琉球ナショナリズム』(法律文化社)をはじめ『沖縄島嶼経済史―12世紀から現在まで−』『琉球の「自治」』(ともに藤原書店)、『ミクロネシア―小さな島々の自立への挑戦』(早稲田大学出版部) ――尖閣諸島をめぐる中国との緊張関係などを見ると、安全保障の点から沖縄はより重要な防衛の拠点だという論が根強いと思います。
沖縄の独立論はこれをどう乗り越えていきますか。沖縄独自のナショナリズムは日本のナショナリズムとどうぶつかっていくのでしょうか。 松島 まず琉球人にとっての安全保障と日本人にとっての安全保障は違います。過去の戦争での捨て石の作戦を見れば分かるように、沖縄戦は本土決戦を遅らせるためのものでした。 琉球人にとっては押しつけられた沖縄戦によって15万人近くが死んで、その後は米軍統治が行われ基地ができました。 琉球の島々を捨て石にすることで日本を守るというのが日本の安全保障だと思います。米軍は琉球を守ってくれない。それどころかレイプなどの事件や、ヘリコプターの落下事故などを起こしています。 私は、2004年に沖縄国際大学に米軍ヘリが落ちたとき現地にいましたが、その時感じたのは、米軍は琉球人を守ることができるのか、という疑問でした。ヘリの残骸の調査も米軍が行い、事故調査結果は日本に報告されていません。 現場の米兵の中にはトランプをしながら談笑していた者もいました。自分たちが起こした事故に対して責任感もない人たちが琉球人を守れるはずはないでしょう。 遠くから見れば、ああ世界最大の軍だから守ってくれると思うかもしれませんが、現場にいればそれは無理だと分かります。日米の上下の関係の中で、彼らがどうして自分たちの血を流してまで守るでしょうか。 松島 もし島の中で戦争が起きたら住民は必ず巻き込まれ、自分たちの文化も歴史も失ってしまうのは目に見えている。日本軍は戦時中、琉球人をスパイにして殺して、自国民を守らなかったという教訓もあります。 『琉球独立への道−植民地主義に抗う琉球ナショナリズム』 島には軍隊がない方がいい。世界には先例があります。大国の力がせめぎ合うバルト海のオーランド諸島のように、琉球を永世中立の島にすることによってかえって周辺の国々の緊張緩和につながるのではないでしょうか。
――しかし、最近の中国の様子を見ると、そんなことは言っていられないという意見もあるでしょう。 松島 領海侵犯などが起きていますが、歴史を遡ると島嶼防衛という形で、宮古、八重山諸島に自衛隊の配備を始めたのは日本政府です。東京都による購入計画と国有化が行われ、これに中国が反発した。 両国とも40年前に日中国交平和の議論にあったように棚上げにして平和的に解決するということに合意してきたのに反している。 私は、尖閣列島はコモンズ、つまり共有地にした方がいいと思います。永世中立の島にすることによって米軍基地も引いていくということを目指す。 中国は琉球を侵略したら瓦解する ――非武装でやっていける、と言うと反論は大きいでしょう。独立国となった場合、中国に対してどういう外交政策を取りますか。中国の中には沖縄はもともと中国のものだという論もあります。 松島 すぐやられるぞと、私もよく言われます(笑)。では、琉球が独立したら中国が本当に攻めてくるかということですが、もしそうだとしたら中国が得ているすべての国際的な地位を失う。国連の常任理事国、第2位の経済大国、これらが琉球独立を侵略するという野蛮なことによって、国連憲章に反し世界中から反発を招くでしょう。 チベットとかウイグルとかで独立の動きもありますから、琉球を侵略したら中国自体が瓦解する。また、世界には50万人の琉球人もいますし、これらのネットワークによる反発を考えれば、そこまでの危険を冒して中国はどれほどの利益を得るのでしょうか。 琉球人には世界中にネットワークがある。(一昨年、世界のウチナーンチュ大会パンフレットより) 琉球は、琉球王国時代に明、清に朝貢的な関係を持っていましたが、これはあくまで儀礼的なもので、内政に影響力を及ぼしたことは一度もありません。
――沖縄では5年に1度、沖縄からこれまで世界中に移民した人たちが集まる「世界のウチナーンチュ大会」があります。広島など多数の移民を送り出している県はほかにもありますが、こうした大会は沖縄だけですね。 松島 世界に約50万人いるウチナーンチュのつながりは強く、例えば戦争で被害に遭ったとき、ハワイにいるウチナーンチュが琉球に豚を送ってくれるなど支援してくれました。同時にハワイのウチナーンチュからは独立した方がいいという声も少なからずありました。 イリノイ大の名誉教授で宮古島出身の平恒次さんは有名な独立論者です。琉球内にはいろいろな独立論があります。こうした独立論や自立についての議論をする「うるまネシア」という雑誌も出ています。 仲井真知事も中国系〜日本とより長い中国との関係 ――ところで、もし琉球が独立した場合、琉球は中国とどういう関係をつくっていくのでしょうか。 松島 琉球と中国の関係は、日本と中国のそれより長くて深いものがあります。明朝時代に閩人(びんじん)三十六姓という現在の福建省出身の人たちが明の皇帝によって琉球に派遣され、その後、久米村の地域に中国人が住んで外交や貿易の仕事に携わってきました。 彼らは琉球人とまじわっていて、そういう人はたくさん生まれました。例えば、仲井真(弘多)知事も中国系です。政界、財界、あらゆるところに関係者がいて中国との人脈があります。 琉球人には門中(もんちゅう=父系の血縁集団)がありますが、同様のものは中国系という共通の先祖を持っている華僑がいるベトナム、マレーシア、シンガポールにもあり、こうしたところと連携して独立すれば、長い歴史を踏まえて今後経済的にも文化的にもつながりができます。 独立したからといって、日本から離れて孤立するのでなくかえって付き合いが広がっていきます。与那国も台湾とうまく付き合えないという壁がなくなります。 ――総選挙前後から右寄りの論調が強まり、中には核武装をして対米依存脱却という論も出てきました。こうした論と沖縄の基地とはどう関係してくると思いますか。 松島 橋下(徹)大阪市長が琉球に来て街頭演説で言ったのは、普天間基地の代替として辺野古しか選択肢がないということでした。基地は必要だということで、これまでの日米安保を堅持するやり方と変わらないし、石原(慎太郎)さんも変わらないでしょう。 小沢一郎さんが日本から米軍基地を撤廃して、時々軍隊を置くという形にしようと言うと、官僚に反対され、マスコミから叩かれたという状況があります。米軍依存脱却ができないのは右寄りでも同じだと思います。 私が言いたいのは、日本のナショナリスト、愛国者が本当に琉球人を日本人と思うのなら、米軍依存、脱却に二の足を踏んでいることはおかしいということです。柳田國男は、「海上の道」を通って日本人がやって来たと言っていますが、古代の文化を残す琉球はそこで重要な役割を果たしたとされています。その琉球にいま異国の軍隊と基地がある。同じ日本国民が危機にさらされていることを日本の右寄りの人は納得できるのでしょうか。 私は琉球人は日本人とは違うネイションだと思っていますが、日本の民族右翼はどう考えるでしょうか。彼らは場合によって同国、異国と使い分けているように感じます。 ――日本のメディアの沖縄問題の扱い方についてはどう感じますか。沖縄の新聞が偏っているという見方をする識者もいます。 松島 琉球の新聞の1面に出ても全国紙には載らないこともあるし、オスプレイの琉球配備の時も1面に載せない新聞もあります。だから琉球の人は大新聞をあまり読まない。 本来は琉球の基地は国際問題であるのに、日常の事件、事故の本質をとらえていないのではないかと思います。バラエティー番組では観光の島、癒やしの島という1つのパターンで琉球を見て、こういった島でなければならないといった視点で琉球は遊ぶところとして見ているなと思います。 グローバル化の中でどう生き残るか ――独立に関連した経済、交易についてお尋ねします。今日グローバル経済の中に入っていかないと取り残されていく危険性があり、一方で浸食される恐れもあります。島にとってどういう政策が考えられますか。 松島 島嶼地域ではグローバル経済というのは、マイナスの形で働いています。地場企業は競争の仕組みの中で衰退に追い込まれています。琉球が40年前に日本に復帰したとき、いわばグローバル化となり、関税で守られていた琉球の企業は、日本の企業に席巻され、特に地元のみそ、醤油などの製造業が衰退しました。 フェンスの向こうには広々とした基地が。沖縄では至る所に見られる光景だ 琉球の経済政策は、東京に拠点を置く昔の沖縄開発庁に、いまは内閣府の沖縄担当部局に決められています。グローバル化に島社会も乗らないといけないと言われ、特別自由貿易地域、IT特区、金融特区などが設けられました。しかしほとんど失敗しています。
さらにグローバル化と口では言いながら中身は中央集権体制で、官僚が特権を握っています。税金は安い、規制は緩和されているといっても、本当の意味の緩和ではないので企業は投資しない中途半端な政策で、琉球にアメ玉をしゃぶらせて不満を和らげるためのものとして定期的に出てくるものです。 2012年の秋から始まった一括交付金という仕組みも自由に使えそうで、最終的には官僚が決定権を持っています。基地を受け入れなければ恩恵がなく、いろいろな恩恵は基地を押しつけるための方法になっています。 ――望ましいグローバル化とはどんなものでしょう。 松島 琉球は島社会で、人が住んでいる島は大小40くらいありますが、島によって同じ経済政策は取れません。都市型の経済が必要な島もあれば自給自足的な島もあります。西表島のようにジャングルがあるところや与那国のように台湾に近いところなどそれぞれ特性があります。同じような経済政策を当てはめようとするのがおかしい。不適切な開発によって赤土による珊瑚の破壊などの問題を引き起こしてしまう。 琉球の島々の間での連携、アジア、太平洋の島々との連携が必要です。例えばパラオとの関係を考えると、人々は大きなマンゴーを日本へ輸出したいと考えていましたが害虫がいて日本には出せない。しかし琉球には害虫を駆除する技術がある。これをパラオに伝えれば連携の道が開かれる。 また、与那国島は台湾と110キロ位の距離にありますが、大きな障壁があって行き来ができません。もしもそれがなくなれば交流が深まります。 パラオの外国投資法などから学ぶ ――与那国島は台湾との交流、公益を目的とした“特区”の構想がありましたが、認められなかったですね。 松島 そうです。港の広さや貨物取扱量など全国一律の基準を与那国島にあてはめてみて、税関、検疫所などは置けないということでした。日本政府の中国、テロリズム脅威論があって、閉めてしまえという考えもあったと思います。 その一方で政府は法務局や気象台の測候所などを閉鎖して、どんどん人が住みにくい島にしている。自衛隊しか住めないという防人の島にするというメッセージが感じられます。島嶼防衛の対象となっている宮古、八重山も基地としての位置づけが強まれば人々は出ていき、島の文化、歴史が継承されない。琉球人にとって最悪のパターンを政府が進めている。 松島 日本政府の政策が失敗に終わったというのは、本気で琉球の経済を自立化させるための政策がなかったということです。独立して基地撤廃後は、琉球の企業が投資して、外国資本との提携によって地元企業が生き残れるようなものを目指すべきだと思います。 パラオの例を見れば分かります。国内の企業や雇用を守る外国投資法という法律があって、日本、アメリカ、台湾企業が押し寄せて食い荒らされるのを防いでいます。 ――パラオの法律を沖縄にあてはめることはできるでしょうか。 松島 パラオは資本主義の国ですが、外国企業は土地を所有できないんです。これらの制度を市場経済と調整しながら行っています。琉球でも同様なことが可能でしょう。 これまでの40年間は日本の仕組みが、亜熱帯であり島嶼によって構成され、独自な風土をもつ琉球にあてはめられ、ヤマトの企業によって開発され、移住者によって支配されてしまいました。 ヤマトの投資家が軍用地を買うというひどい話 松島氏 ――とは言っても、これまでは沖縄の人の中でも土地を沖縄以外の企業などに売却してきました。
松島 そうです。しかしそれよりいま問題なのは、琉球の中で(琉球の地主が米軍に貸している)軍用地をヤマトの投資家に売るという問題が起きています。不動産屋には軍用地の売り買いの案内が出ています。 軍用地を持てば毎年値上がりする地代を地主は手にします。この地代を目当てにした投資が増えると永久に琉球に基地はあった方がいいということになります。日本に住んでいれば基地の被害を受けず利益もあるというひどい話です。 琉球人の側が売らないという覚悟を持つ必要があると思いますが、それを実践している島もあります。竹富島では一度バブルの前後に島の3分の1を島外の人に売ってしまったため、これではまずいと竹富島憲章という合意事項を設けました。 売ってしまった土地はその後星野リゾートが買い取って、一定期間後、土地を公民館に譲るということになっています。また、久高島には久高島土地憲章という土地の総有地制をうたった合意事項があり、リゾート開発を阻止しました。 独立のメリットにイマジネーションを膨らませる ――独立については、果たしてやっていけるのだろうかという不安やデメリットを先に考えてしまいがちですが。 松島 琉球の経済界では中小、零細企業が多く、いまは公共事業でも受注する企業の5〜6割は日本の企業で、琉球の企業は下請けに回っていて、自分たちの島の事業を受注できないという不満を持っています。 観光業でも大手のリゾート会社などが資本の力で支配しているため、琉球の会社は苦境に立たされている。しかし、独立したら民族産業、地場産業を守り育てることができる。 独立したときのデメリットを考えるのではなく、「もし日本に属していなければ自分たちはどういう発展の仕方があるのか」というイマジネーションが必要です。パラオでは2万人でも独立してパラオの企業、雇用は守られています。 ほかのさまざまな事例を見れば分かりますが、(独立していないことで)なんと自分たちは損しているのか、独立すればもっと得られたはずの利益をいまは失っていることが、合理的に考えてみれば分かります。 世界各地で独立への動きが盛んに ――昨今の世界各地での独立の動きはこれからどうなるでしょうか。 松島 いま世界的に独立が盛んです。2014年にはスペインのカタルーニャやスコットランドで独立を問う住民投票が行われます。ヨーロッパでは、民主主義の母国(イギリス)でも独立問題は現代的な課題になって行動にも移されているのです。 住民投票の後は、憲法を作って国内の体制を固めていく。そのうち国家として世界中の国から承認してもらう。国連総会で認められた後、安保理で正式に認められる。まずは地域の中の意思の確認をすることです。スコットランドではスコットランド国民党が政権を取っている。カタルーニャでも自治州議会の過半数は独立派が占めています。つまり、独立はいまや夢物語ではなく具体的な選択肢の1つになっています。 今後、太平洋の島々でもニューカレドニア、仏領ポリネシアやグアムなどでも独立を問う動きが出てきます。国連が認めている世界中にある非自治地域という、いわば独立してしかるべき植民地が現在16あります。 グアムはこの1つです。世界中には琉球のように、リストに載ってはいないが植民地状態にあるところがあります。琉球はまずこの非自治地域リストに登録されることが必要です。 ――1994年に独立したパラオは、その後うまくいっているのでしょうか。 松島 パラオはミクロ的に見てうまくいっていると思います。しかし、マクロ的に見ればアメリカに大きく依存しているし、日本、台湾、その他の国々からの政府開発援助(ODA)に頼っているところがあります。 しかし、見方を変えれば、外交権があるわけですから立場を利用して外国からの支援を主体的に引き出すことができているとも言えます。琉球も外交権を使って同様のことができるでしょう。 また、パラオにも米軍基地はありますが、オープンで、のどかで、基地とも言えない基地です。それも独立しているからこそ本格的な基地は造らせないという政治力の表れです。 ――具体的に今後議論の中でどのあたりの地域をモデルにしながら考えていきますか。 松島 パラオは、島の人、企業、自然を守るという点で参考になります。それからかつては王国で、琉球併合と同じようにイギリスに併合されたスコットランドは1920年代あたりから独立運動が盛んになり、民主主義に基づいた独立運動を展開してきた点で参考になります。 また、EU内の国家のあり方は、孤立化せずに周辺諸国と経済的、政治的な関係が保証されるモデルになると思います。琉球が独立しても東アジア、東南アジア、太平洋諸島と連携する枠組みを模索する必要があるでしょうね。 普天間飛行場の返還後に描く青写真とは 米軍や基地に対する一般人の不満が爆発したコザ暴動を伝える当時の新聞(沖縄市戦後文化資料展示室内で) ――自治、独立に関連して、文化的には沖縄でどういう動きがありますか。
松島 那覇市役所では素晴らしい試みをしています。窓口で男の人が来たらハイサイ、女性が来たらハイタイという挨拶をする。市役所の職員採用の面接の際に琉球語(ウチナーグチ)を取り入れることにしました。政治的な脱植民地化だけでなく、精神的な意味でも脱植民地化を図ろうとしています。 ――具体的に独立した場合のビジョンが見えてくると面白いと思いますが、1970年に起きたコザ暴動に関わった沖縄国際大学野球部監督の安里嗣則さんに以前話を聞きました。 元県高野連の理事長でもある安里さんは、返還された土地の利用も含めて気候温暖な沖縄をスポーツの国際的なイベントの島にしたらいいだろうというビジョンを描いておられました。基地が撤去された場合には今後どんなビジョンが描けるでしょうか。 松島 2012年の8月に沖縄国際大で集中講義をしたときに、普天間飛行場が返還されたらどうしますかと学生たちに聞いたら、沖縄国際大を大きくして、さまざまな学部をつくって平和研究とか平和思想を世界に発信したいという意見がありました。そうした思いで普天間飛行場を見ているのかと気づきました。 いまは基地があって金網の向こうには行けないのですが、それがなければもっと大学の敷地は広がって、騒音といつ何かが落ちてくるかもしれないという不安の中ではなく、もっと安心して青空の下で勉強できるのにという気持ちが分かり感動しました。 ――基地問題が、国際関係であり安全保障という全国的な問題であるなら、もっと沖縄以外の若い人が沖縄の歴史を勉強すべきでしょう。 松島 そうすればもっと差別もなくなるでしょうし、基地は琉球にあるしかないという一方的な根拠のない議論に惑わされないで済むでしょう。 ――戦争体験のある人もほとんどいなくなってきました。戦争の実態が何かを知ることなく、互いに脅威論が盛んになっているように思います。 松島 脅威を解くのは軍事力ではなく、人間と人間の関係性です。そのためにも琉球は平和の島にすべきで、それを米軍基地は阻んでいます。人を殺すという、異常な状態の中で生きている人々が小さな島にいて、基地の外へも出ていくという状況が何十年も続いている。これが異常なのです。 |