02. 2012年12月07日 05:37:39
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JBpress>日本再生>世界の中の日本 [世界の中の日本] 沖縄の「独立」を日本は止められるか マキァヴェッリ先生ならこう考える(37) 2012年12月07日(Fri) 有坪 民雄 先月25日、スペイン・カタルーニャ州議会選挙で、スペインからの分離独立派が議席の過半数を占めました。カタルーニャ州はもともとスペインとは違う文化圏であることから、独立志向が強いのです。何度もカタルーニャ共和国が建設されては、潰されてきた歴史を持っています。 これにはスペイン政府も妥協して、自治権を認めるなどしていました。しかし1934年に最後のカタルーニャ共和国が成立後に起こったスペイン内戦(1936〜1939)で、フランコ率いる反乱軍が勝利して、政府側についていたカタルーニャを弾圧します。そのときの恨みつらみは、今なお残っています。 これは対岸の火事でしょうか? 筆者には、沖縄がいずれ独立を目指すのではないかと思っているので、対岸の火事には見えません。 沖縄県民が「独立したい」と考えても無理はない 沖縄は、もともと琉球王国が存在し、廃藩置県が行われたときに日本が武力にものを言わせて「沖縄県」が成立しました。第2次大戦時の沖縄戦は、広島、長崎の原爆投下に匹敵する悲惨な戦いでした。 1945(昭和20)年6月6日、沖縄戦の終了間際の絶望的な状況下、日本軍全滅を予感した太田實少将が本土に送った電文は有名です。沖縄戦がどれほど県民に犠牲を強いたのか、淡々と綴られた電文の最後は、涙なしには読めません。 「沖縄県民かく戦えり。県民に対し、後世格別のご高配を賜らんことを」 第2次大戦後、沖縄には多くの米軍基地が作られて、日本復帰後もその状況は変わりません。失業率は日本一です。 こんなご高配を賜るくらいなら、独立して日本政府や米国政府と対等にやりたい。中国が大事にしてくれるというなら応じてもよい。そんな沖縄県民が多数出てきても不思議ではありません。 事実、2005年から2007年にかけて3度行われた琉球大学の林泉忠氏の調査によれば、日本政府が認めるなら2割程度の人が、認めない場合でも1割から2割の沖縄県民が「独立すべき」としています。これは決して少ない数字ではありません。 相手国の内紛を利用して統治したフィレンツェ (『ディスコルシ 「ローマ史」論』、ニッコロ・マキァヴェッリ著、永井三明訳、ちくま学芸文庫) 共和制ローマは内紛が絶えない国でした。当時ローマよりも文化程度が高く、強国だったウェイイでは、ローマの内紛が激しくなった頃を見計らって攻めればローマに勝てると踏んでいました。 チャンスがやって来て、ウェイイはローマを攻めます。しかし、ウェイイが攻めてきたことを知ったローマ人は、内紛を忘れて一致団結し立ち向かい、ウェイイは敗北します。 なぜこうなったのか。マキァヴェッリは、皮肉を込めて、内紛は平和に飽きてヒマだからやるもので、ウェイイへの恐怖と戦争がローマ人の団結を呼び覚ましたのだとします。 言い換えれば、内紛に苦しむ国を武力で攻めるのは得策ではないということです。なぜなら、いかに内紛で疲弊していようとも、強敵が現れたら国民は一致団結して立ち向かうものだからです。 そうしたやり方が上手くいった例として、マキァヴェッリはピストイアの統治を挙げます。 当時フィレンツェが周辺の小国に対して取っていた態度は、高慢ちきで、周辺諸国からは当然嫌われて、あまり上手に統治はできませんでした。しかし、ピストイアだけは上手くやったのです。なぜなら、ピストイアはもともとパンチャティキ家とカンチェリエーリ家という2大勢力の内紛が常態化していたからでした。 フィレンツェは、ピストイアを我が物とするのに、武力で制圧するではなく、両家の内紛に平和的に介入することを選択します。すなわち、どちらかの勢力が強くなり片方が弱くなると、弱い方に肩入れして両勢力を生かさず殺さずの状態に持っていくことで、両者から頼られる、しかし絶対に勢力拡大を許さないようにしたわけです。 しかもその方法は巧妙で、「常に兄弟のような親しみ」で接し、決して自分の意図を見抜かれないように注意してやっていました。そのため、ピストイアは、内紛に疲れると、兄貴分であるフィレンツェに仲裁してくれよと「ひとりでにフィレンツェに身を投げだすように」仕向けられてしまったのです。 しかしこの方法は、チェーザレ・ボルジアが存在感(プレゼンス)を高めてきた頃には通用しなくなります。なぜなら、国際関係が比較的安定していて、介入してくる者が他にいないうちはうまくいきますが、安定した国際関係をぶち壊しにかかってくる者が出てきたら、内紛国の片方の勢力を支援し、内紛国のパワーバランスを崩しにかかってくるからです。 もっとも、このときは運良くマジョーネの乱やチェーザレの失脚によってフィレンツェは救われました。しかし、現代の日本ではどうでしょうか? 日本語のまま中国の「省」になる可能性も 中国が東シナ海の制海権を確保しようとする場合、与那国島から鹿児島まで延びる南西諸島は第1列島線の最前線として是が非でも欲しい島々です。その大部分は沖縄県に属しています。その沖縄が抱えているのが米軍基地問題です。 沖縄では、米軍基地を雇用の受け皿として認める人たちも存在しますが、多くが基地削減を求める人たちで、選挙においても米軍基地を肯定していては当選できません。米政府としては対中国政策上、基地はできるだけ現状維持で置いておきたい。しかし、それは沖縄県民の支持を得られない政策です。 日本政府は、ピストイアを相手にするフィレンツェのごとく、米軍に思いやり予算(米軍の維持費の一部を日本政府が拠出している予算のこと)を与え、沖縄県民相手には、普天間基地のキャンプ・シュワブ移設を認めてくれたら飴を与えるとして、双方の兄貴分的な役割を演じ、現状維持を画策していると見ていいでしょう。ただ、フィレンツェと違うのは、そうした意図が沖縄県民にも見抜かれていると見て間違いないところくらいでしょうか。 中国の立場に立ってみましょう。沖縄の米軍基地は、もちろんあってほしくありません。当然第1列島線の中核となる沖縄も領有したいと考えています。政府と沖縄県民の考えが正反対なのは歓迎すべき事態です。チェーザレ・ボルジアのごとく、パワーバランスを崩しにかかるのにこれほど好都合な状況はありません。 中国人に沖縄の魅力を訴えて観光客を増やしたり、沖縄企業の生産する商品を優遇して輸入するなどして沖縄経済での中国の存在感(プレゼンス)を上げていけば、沖縄県民は中国になびきます。そうなると、日本に所属するより、親中国の国として独立した方がいいと考える人が増えることが期待できます。 中国のやり方いかんでは、中国の新しい「省」になった方がいいとなるかもしれません。沖縄でそんな世論が力を持ち始めた頃に中国企業が沖縄に進出し、大きな雇用を生んだら、もはや逆らう術はないのではないでしょうか。 沖縄県民は日本語を話している。中国になったら言葉が通じないではないか。あるいは社会主義国である中国に属したいと沖縄県民は考えないと思われる方は、中国の「一国二制度」を思い出して下さい。中国は、香港が返還されたとき、香港の旧来の制度を維持することを約束し、一国二制度を導入しました。一国三制度になっても、どうということはありません。 中国語を強制するようなことはなく、これまで通り日本語を使っていい。通貨も、ものすごい財政赤字を出している円よりも中国元の方が将来的に有利だ。軍隊も香港同様に駐留はさせてほしいが、米軍よりもはるかに小さい駐留軍と、空海軍の基地が1つずつあればそれでよい。空いた米軍基地や演習場の広大な跡地は、沖縄県民が自由に使えばいいではないか・・・そんな提案を中国がしてきたら、沖縄県民にとって失うものは米軍基地だけです。 そんな状況に誘導され、提案された沖縄県民の多数が、独立運動を支持しないと誰が断言できるでしょうか? 尖閣諸島を領有しようとするのは難しいが、平和的に謀れば沖縄県全体を取ることはできる。中国がそんなことを考えないうちに、取れるべき手は取らねばなりません。 沖縄県民に米軍を押しつけられる時代は、終わったのです。 |