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隣人に怯える中国を「教育」する
マキァヴェッリ先生ならこう考える(36)
2012年11月22日(Thu) 有坪 民雄
今はすでに廃刊になった集英社の「月刊プレイボーイ」誌には、毎月、時代のキーパーソンになる人物のインタビューが載っていました。1983年7月号に登場したのは田中角栄です。
選挙上手としても知られていた田中が選挙に勝つコツを聞かれると、統計と水系を見ると言っていたのに、大学生だった私は衝撃を受けた記憶があります。
統計の理解が選挙を勝ち抜くのに必要なのは分かりますが、水系を見るのはなぜだろう? 「利根川など同じ川筋にある地域の住民気質は同じだから、選挙は川で見るんだ」と、確かそんなことが書いてありました。
日本は山国ですから、住民の交流は必然的に河川に沿った方向に広がります。外国では、川に浮かぶ船が今も重要な交通手段になっているところが少なくありません。文化圏は川筋に拡大する。それを選挙に応用するとは、はやり田中角栄という人は目のつけ所が違います。
どんな教育を受けてきたかで人は対処の方法が変わる
<過去に目をそそぐことによって、将来を推しはかることができるのは、一国民が長い間にわたって同一の習俗を保持するものであるからである。つまり、これまで一貫して吝嗇(けち)な性分や、あるいは詐欺まがいの性格を持つか、さもなければ正邪いずれかの傾向を持ち続けてきた国民は、将来においてもずっとその性格を捨てきれないであろう。>
(『ディスコルシ 「ローマ史」論』、ニッコロ・マキァヴェッリ著、永井三明訳、ちくま学芸文庫)
マキァヴェッリは、軍事に関わることくらいしか、川には関心を持ちませんでした。ただ、地域の気質の違いには田中角栄と同様に注目していました。なぜかというと、人間は何か問題が持ち上がると誰もが同様の解決法を取ろうとするのですが、そのやり方が地域によって違うからでした。
同じ問題に対処するにしても、伝統的にやり方が上手な地域もあれば、下手な地域もある。その違いはどこにあるのかに関心を持ったわけです。
マキァヴエッリの答えは「教育」でした。教育には地域性と社会性があります。農耕に適した豊かな地域と、砂漠のような水や食糧確保に困難を極める地域では、住民の気質も違います。資本主義と社会主義といった国家体制の違いは言わずもがなです。
すなわち、どんな教育を受けてきたかによって、人は対処の方法が変わると言うのです。
これは以前話題にしたロマーニャ地方の住民を思い起こすと分かりやすいでしょう。チェーザレ・ボルジアが支配するようになるまで、ロマーニャ地方はありとあらゆる悪がはびこる地域でした。
そうなった理由は君主が悪辣非道だったからです。君主の悪辣非道が手本になって、住民は「教育」されたのです。そうした君主を殺したり追放して入ってきたチェーザレが厳しい治安維持政策を取ると、治安は一気に良くなったのでした。
すなわち、悪い教育を受ければ人間は悪くなり、良い教育を受ければよくなる。長年続く君主の家系も同様で、大胆な行動を行う家系に生まれた人は性格が大胆になるし、臣民に優しい家系で育った人は、やはり臣民に優しい政策をやろうとするものです。親が特に教育を意識していなくとも、そうなるよう自分の背中で子供に影響を与えているわけです。
中国の指導者層が抱える文化大革命のトラウマ
中国の場合はどうでしょうか。よく中国人が観光などでやって来るときのマナーが問題になったりしますが、こういうことは国外のマナーに不慣れなだけで、いずれ良くなると見ていいと思います。
しかし、政治は簡単にはいきません。なぜなら、現在の中国の指導者層は、若い、感受性の強い時期に、文化大革命を体験しているからです。
1966年から77年まで11年間に及んだ文化大革命(文革)は、熾烈な権力闘争に加え、紅衛兵の粛正運動によって多数の一般庶民も命を落とし、生き残れた人も一生癒えぬ肉体的、精神的傷を負いました。
仕事がつらいとつぶやいた程度の、取るに足らない理由で「反革命分子」のレッテルを張られると、一歩間違えれば処刑が待っている。密告が奨励され、近隣の人や自分の親族にすら本音を言えない。そんな恐怖が支配する社会で生きるのが彼らの青春時代でした。
そんな社会で怯えて暮らしてきていますから、中国では誰でも政治の怖さを知っています。権力の座から転落するとどんな仕打ちを受けるのか。そんな恐怖から逃れるためには自分の敵が周囲にいない状況を作るしかありません。
これが国際的な批判を受けてでも天安門事件や法輪功、チベットなどへの弾圧をやる動機になるのでしょう。文化大革命によって作られたトラウマは、それほどに大きい。自分たちに刃向かう者を生かしておけるほど、彼らは強くないのです。
日本叩きも、自分が社会の不満のターゲットにされたくないから、憎まれ役は他人に請け負わせて自分の安寧を図ろうとする、そうした時代に生きた者の知恵だとも言えるでしょう。
言い換えれば、中国の強気の裏にあるのは、まごうことなき周囲に対する恐怖感です。
中国の指導者層は、とうの昔に共産党が指導する一党独裁制が時代遅れになっていることを知っているはずです。しかし、だからと言って複数政党制に移行しようとは考えません。自分たちが政権を明け渡せば、今度は自分たちが粛正されるかもしれない。文化大革命の粛正の恐怖が、今なお指導者層に残っている。そうした気質は、そう簡単に変わることはありません。
正々堂々とした行いに感銘を受け降伏したファレリイ人
しかし、変わらないわけでもありません。マキァヴェッリは簡単に変わらないと言っていますが、そう言うマキァヴェッリ自身が、チェーザレの優れた統治でロマーニャ住民が変わったことを書いているのです。
ではどうすべきか。中国を教育するしかありません。
<時によっては、非情で激烈な行動に出るよりも、人間味のある温情あふれた行動を示すほうが、人間の心にはるかに訴えると言うことだ。>
(『ディスコルシ 「ローマ史」論』、同)
ローマの英雄カミルスがファレリイ人の都市を攻めたときのことです。包囲戦になりましたが、ローマ軍は都市を遠巻きに包囲していたようです。
そんな時、ファレリイ人の中に裏切り者が出てきました。戦いになったらローマが勝つと考え、保身を考えた教師がいたのです。彼は実習名目で生徒たちを城外に連れ出して、そのままカミルスの陣営まで行きました。理由は、「この生徒たちを人質にすれば、ファレリイは屈服します」と進言して自分の身を守るためでした。
カミルスは、教師の考えを知ると、彼を丸裸にして後ろ手に縛り、連れてこられた生徒を呼びました。そして事情を説明して生徒一人ひとりに教師をむち打たせて、生徒とともに送り返したのです。
カミルスの正々堂々たる行為に、ファレリイ人たちは感銘を受けました。この将軍相手なら降伏してもいい。そう考えて、ファレリイはローマに降伏したのでした。
一枚岩ではない中国で味方を増やしていく
中国を教育する。こんなことを書くと、プライド高い中国が日本の言うことを聞くはずがないと反論する方がおられるでしょう。確かに言うことは聞かないでしょう。しかし、気づかせることはできるのではないでしょうか。
典型例は、中国が脅しとしてレアアースの供給を滞らせたときの日本の対応です。日本はレアアースを不要にする技術を開発したり、新規の輸入先を確保するなどして対中依存度を下げて、中国は手痛い失敗を喫しました。
ビジネスの世界だけではありません。2012年11月は「日本鬼子(ひのもとおにこ)」という萌えキャラ誕生2周年の月にあたります。2年前、日本のどこかの萌えオタが、中国には“日本鬼子”という日本人に対する侮蔑語があることを知りました。
彼は“日本鬼子”の萌えキャラを作って、本来の意味とは別の意味や概念を作る。中国の反日デモで“日本鬼子”の旗を持った人を見かけた中国人が、ネットで検索したら、かわいい「日本鬼子」のイラストが出てくるという状態にしてやれと思ったようです。
「日本鬼子って萌えキャラ作って差別中国人を萌え豚にしようぜ」という呼びかけから作られた萌えキャラ「日本鬼子」は、反日思想を持つ中国人をうろたえさせるに十分なインパクトがありました。
この2つの例が素晴らしいのは、中国人に屈辱や敗北感を与えることなく勝利したことです。
中国は一枚岩ではありません。貧富の格差、農村からの都市への人口移動を制限し、機会均等を妨げる戸籍制度や汚職など、国民が中国共産党を憎悪するに十分な問題が山積しています。そして中国共産党内でも熾烈な派閥争いがあります。
彼らは孤独で、隣人は敵だと考えているような人も少なくないのでしょう。日本人の感覚からすると、親類縁者や恩人を異常なほどに大事にするのは、彼らの孤独の裏返しでもあるのでしょう。
中国から撤退するならそれもよし。撤退の時には「私たちは、金もうけだけでなく、皆さんを幸福にできると思って進出してきた。しかし、できなかった」「あれほど中国のために尽くしたパナソニックの工場まで襲撃された。君たちが日本企業の立場だったらどう思うか?」といったセリフを残して去りましょう。それが「教育」です。
留まるなら、困難は伴いますが、日本人それぞれが、いざというときに味方になってくれる中国人を1人でも多くつくっていくことです。そのとき留意すべきは、彼らに主張するのではなく、気づかせるように持っていく工夫でしょう。日本人相手より高いテクニックの「教育」をすることを考えましょう。
日本のビジネスマンは、それこそ中国共産党幹部クラスから、貧困層まで立場によって様々な階層の人たちを相手にしています。それぞれの日本人がそれぞれの立場で中国に味方をつくっていく。それは、前々回で述べた「六韜」(りくとう)に書かれている敵の分断戦略を日本人が仕掛けることにもなります。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/print/36579
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