01. 2012年12月02日 21:26:43
: Vc8ROHMAY2
**以下、転送を歓迎します** ○○○ナブルス通信○○○Information on Palestine ──────────────────────────────── ガザへの8日間攻撃(「雲の柱」作戦)の犠牲者はいまだに出続けています。すでに174人を超えました。この数字にかき消されてしまう一人、ひとりの生と、家族を失った悲しみを少しでも「単なる数字」からすくいあげるために、次の記事を訳出しました。 「「ただ笑うことしか知らなかった」ガザの赤ちゃん」
2012年11月26日 ジョン・ドニソン BBC NEWS MAGAZINE イスラエル・ガザ紛争における民間人の死はどちらの側においても悲劇である。とりわけ、犠牲者に子どもが含まれる場合には。ガザのBBC特派員ジョン・ドニソンはそのような悲劇を間近に目撃した。 --- 私の友人であり同僚であるジハード・マシュハラウィーは、いつもガザ支局を退社する最後のひとりだ。よく働くが穏やかに話す彼はしばしば遅くまで職場に残り、常に手の届くところにあるノートパソコンでせっせと作業をしている。 ジハードは冷静で、落ち着いた頭脳を持っている。私のような連中が彼の周りでばたばたしているときでも、彼は落ち着いているのだ。ジハードはビデオ編集者で、私たちのオフィスを動かしている地元のBBCアラビア語担当スタッフのひとりだ。 しかし水曜日の終業前、ガザでの最新の戦闘がイスラエルによるハマスの軍事司令官アフメド・アル=ジャバリ氏殺害によって幕を明けて1時間かそこらのとき、ジハードは編集ブースを叫びながら飛び出してきた。 彼は階段を駆け下り、頭を抱えていて、顔は苦悶にゆがんでいた。 たったいま、友人のひとりからの電話で、彼は自分の家がイスラエル軍に爆撃され、11ヶ月の子どものオマールが死んだと知らされたのだ。 たいていの父親は、子どもがかわいいと話すものだ。 オマールは、絵本から出てきたような子どもだった。 今週、焼け跡となった自宅に立ちながら、ジハードは携帯電話の写真を見せてくれた。 それはいたずらっぽく、ぽっちゃりとまるい顔で、デニムのダンガリーを着た小さな男の子で、ベビーカーの中で笑っているのだった。黒い目をして、細い茶色の髪が眉の上にかかっていた。 「この子はただ笑うことしか知らなかったんだ」ジハードは私に言った。私たち二人が涙をこらえようとしていたときに。 「二つの言葉しか言えなかった。パパとママ」彼の父親はつづけた。 ジハードの携帯にはもうひとつの写真があった。ひどい有様の小さな死体。オマールの笑顔はほとんど燃え尽きて、細い髪は頭蓋骨と溶け合わさっているようだった。 ジハードの義理の妹のヘバも殺された。 「まだ彼女の頭が見つからないんだ」とジハードは言った。 彼の兄弟のアフメドはひどいやけどを負い、数日後に病院で亡くなった。 ジハードにはもうひとり子どもがいた。4歳のアリだ。軽傷を負った彼は、赤ちゃんの弟はどこに行ったのかと尋ねつづけている。 マシュハラウィー家の11人はガザ市のサブラ地区にある軽量コンクリートブロック造りの小さな家に住んでいた。5人がひとつの部屋で眠っていた。 そこのベッドはもはや炭同然だった。戸棚は焼けた子ども服の山で一杯だった。 台所の棚には、パレスチナのハーブやスパイスが詰まったプラスチック容器が溶けて並んでいた。遊園地の鏡に映った姿のようにその形はゆがんでいた。 そして玄関では、ミサイルが突き抜けた2フィートほどの穴が薄い金属の天井に開いていた。 イスラエルの空爆によるものであることを示す証拠があるにもかかわらず、何人かのブロガーはこの件がハマスのロケットの誤爆である可能性があるとほのめかしている。 しかしあの時、イスラエルの作戦が開始された直後、イスラエル軍はガザから迫撃砲が発射されたが、ロケット弾はごくわずかであると報じていた。 迫撃砲はジハードの家を包み込んだと思われる火の玉を引き起こしはしない。 他のブロガーたちは、ジハードの家に対する被害はイスラエルの強力な攻撃によるものとは一致しないと主張している。しかしBBCは非常に似通った火災被害を受けた他の爆撃地点を今週訪問した。それらはイスラエルが「電撃的局地攻撃」と呼ぶものが実行されたと認めた場所なのだ。 そこではジハードの家のように、構造的な損害は非常に少なかったが、犠牲者たちは重傷かつ致命的なやけどを負った。オマールはおそらく確実に、イスラエル軍が最初の攻撃としてガザ各地に行った20ヶ所の爆撃のうちのひとつによって殺されたのだ。 オマールは、テロリストではなかった。 もちろん、オマールにかぎらず、双方の民間人の死はすべて悲劇だ。国連は予備調査を行い、ガザの158名の死者のうち103名が民間人だと報じた。 そのうち、30名が子どもだった。12名は10歳以下だった。1000名以上の人々が負傷した。 イスラエル政府のスポークスマン、マーク・レゲブはあらゆる非戦闘員の死もしくは負傷は悲劇であり、「作戦上の失敗」であると述べた。 イスラエルでも、犠牲者が出ている。4名の民間人と2名の兵士だ。多くの負傷者もいる。しかし、イスラエルの救急サービスが不安症や打撲傷によるものまで報告しているという事実は、紛争の非対称性を示すものだ。 ジハードの子どものオマールは、この最新の暴力によって殺されたおそらく最初の子どもだ。 最後の子どもの犠牲者のひとりは6歳のアブドゥル・ラフマン・ナイームで、停戦が宣言される数時間前にイスラエルの攻撃により殺された。 アブドゥル・ラフマンの父親のマフディ医師はガザ市のシーファ病院を率いる専門医のひとりだ。 彼が息子の死をはじめに知ったのは、ある患者を診察したときで、そこではじめてそれが彼自身の息子だとわかったのだった。 マフディ医師はアブドゥル・ラフマンに何日も会っていなかったようだ。負傷者を治療するのにあまりにも忙しかったのだ。 焚き火を囲み嘆き悲しむ人たちの中に座るジハードを残し、彼の家を離れる前に、私はたぶん、愚かな問いかけをした。オマールの死に怒っているかと聞いたのだ。 「とても、とても怒っているよ」彼はいった。携帯の写真を見つめながら、彼のあごは固く緊張していた。 これが、私が声を怒りに荒げるところすら見た覚えがない男から聞いた言葉なのだ。 考える暇すらほとんどなかった一週間のあとで、私の心はいまジハードとその家族とともにある。 驚くべきことに、そしてそんな必要などないのに、彼は私に対して、自分の心が私や他のBBCスタッフとともにあると言ってくれた。 「ほんとうにすまないと思っているよ、ジョン。行かなくてはならず、仕事を手伝うことができなくて」私たちが抱き合いさよならを言う前に、そう彼は言った。 ──────────────────────────────── 翻訳:がと 原文: Gaza baby 'only knew how to smile' http://www.bbc.co.uk/news/world-middle-east-20466027 ※このサイトには、ニコニコ笑ったオマール君の写真も出ています。 犠牲者の一人ひとりが持っているストーリーを描き出せたらよいのでしょうが、それは難しいことです。私たちはオマール君の笑顔から、失われた一人の死を知り、そして想像力を働かせることができます。いったい、どれほどの人たちが家族の死にうちひしがれていることだろうか、と。 29日付けP-nabi info 「停戦はしたけれど…」 に書いたように、停戦後もイスラエル軍は合意を破り、ガザへの攻撃を小規模にねちねちと仕掛けています。国連総会でのパレスチナの「国家」としてのオブザーバー参加承認のニュースに隠れて、ほとんど日本では報道されていませんが、昨日(1日)までに「停戦」破り13回、そのうち南部のラファの青年は撃たれて死亡。漁船への攻撃も常態化。今、入ってきたニュースでは中部のボーダー付近への爆撃で3家族が負傷し、うち2名が重体だとのこと。停戦は危うくなっています。イスラエル軍がこういう攻撃をしていることをちゃんと書きとどめておきたいと思います。国連総会のことはまた今後の通信で。西岸での入植地建設許可もまた加速しています。 http://0000000000.net/p-navi/info/column/201212020653.htm ──────────────────────────────── ──────────────────────────────── (編集責任:ナブルス通信 ) ブログ: http://0000000000.net/p-navi/info/ |