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グレーゾーン・想定外に対処できる自衛隊にせよ!
本来の軍事組織たらしめよ!
2012年11月14日(Wed) 山下 輝男
1 はじめに
自衛隊は、その創設以来、防衛出動を主たる任務とし、必要に応じ行う任務として治安出動、災害派遣等とする体制が長らく続いてきたが、冷戦の終焉(1989年12月)後の状況の進展に応じ、自衛隊の任務の位置付けの見直しが行われ、自衛隊の任務・役割が大きく変容した。
「公共の秩序維持」が本来任務に追加され、これまで付随的業務とされてきた活動が本来任務と位置付けられた。即ち、国際平和協力活動や周辺事態への対応が本来任務化された。“任務は増えたが、予算は削られ、人も減らされて自衛隊も大変だ”。
閑話休題
今また、尖閣諸島等を巡る動きに関連して「領域警備法」の制定に関する論議が起きている。(自民党昨年度の提言等、官房長官制定を否定8月21日、国会議員の勉強会開催等)
しからば、領域警備法が制定されれば自衛隊の行動に関する法体系は、万全になるのであろうか?
自衛隊はいかなる事態にも法的に矛盾なく対処し得るのだろうか?
自衛隊の行動に係る新たな任務が増え、それに伴う法的整備もなされ、一見万全な体制が整ったかに見える。
しかしながら、自衛隊が活動すべき事態と事態の間やその事態に至る間に、グレーのゾーンはないのか、明確に規定された発動等の要件に該当しないようなケースは絶対起きないと言えるのか?
東日本大震災福島第一原発事故の様な事態は、いわば想定外の事態とされたが、今後、自衛隊の対応が求められるような想定外の事態が起きないと言えるのか、起きるはずがないと断言し得るのか?
抑々(そもそも)、自衛隊に対して事細かに種々規定することが必要な事だろうか?
本稿はそのような問題意識のもとに、自衛隊が本来の軍事組織になるためにいかなる法的規定が必要かについて論じるものである。
2 何が起きても可笑しくない時代に突入している我が国周辺の安全保障環境
冷戦が終結して既に20年余り、冷戦の頸木(くびき)を解き放たれた世界は、伝統的な国家相互間の課への対応という時代から、新たな脅威や多様な事態等の様々な課題への対応を要するという時代に突入している。
世界的大規模紛争生起の蓋然性は低下しているが、それに反比例して、大規模紛争には至らないものの予測不可能な事態が複合的に生起する確率が飛躍的に高まっている。
特にアジア太平洋地域は、欧州正面と異なり、民族・宗教など多様性に富み、その多様性故に不安定性が増しており、一方では、冷戦以来の対立の構図も引き続き残っているという複雑な様相を呈している。
領土や主権、経済権益などをめぐり、武力紛争に至らないような、いわばグレーゾーンの対立が増加する傾向にある。主権国家間の資源、エネルギーの獲得競争や気候変動の問題が今後一層顕在化し、比較的規模の大きい地域紛争の原因となることも十分にあり得る。
南シナ海における中国とASEAN関係国の領土・領海に係る紛争、台湾をめぐる統一・独立もあり、更には朝鮮半島の情勢は我が国の安全保障に関して重要なファクターである。風雲急を告げる朝鮮半島の情勢の影響を、我が国は間違いなく受ける。
周辺事態や武装難民が混在した大量の難民の我が国への到来、テロやテロ紛いの活動も起きるかもしれない。
また、第4および第5戦場として最近喧伝されるサイバー空間や宇宙空間からの(または「における」)脅威も見逃せない。それらの戦力を国家戦略として造成中の国家と必ずしも友好的でないとすれば、何らかの影響があると考えるのが当然である。
また、波高し東シナ海では尖閣諸島を巡る中国や台湾の動きが急であり、何時・いかなる事態が生起するか全く予断を許さない。
また、上述したこれ等に係る事態が単一で生起するのではなく複合して起きることも予期すべきだ。
加えて、軍事科学技術などの飛躍的な発展に伴い、兆候が現れてから事態が発生するまでの時間は短縮化する傾向にもある。
また対応すべき事態は、我が国の法律が予期するような段階を逐次に経てエスカレートするものではなく、ある段階から一気に脅威度の高いレベルに移行することもあろう。事態がエスカレートしてから対応するよりは、脅威の低い段階に早期に収拾を図ることが必要でもあろう。
複合的、急激に推移する事態、あるいは今まで想定すらしていなかったような事態に対して、シームレスに即応し、事態の拡大を防止、早期収拾を図らなければならない。
また、我が国の国際貢献も更なる質的・量的アップが求められつつあり、いわゆるPKO法等で対処できない場合、従来のような必要により特措法を制定してということでは迅速性にも欠け、国連マンデートによっては、従来の延長線上のような姿勢では対応できないような事態にも直面することもあり得よう。
3 自衛隊の行動等に係る法律の制定状況
自衛隊は、将来否近い将来生起する事態に有効に対応できるのだろうか?
冷戦後の我が国防衛に係る法律の制定状況は、その場しのぎとしか思えない。冷戦終焉後の自衛隊の行動に関する法律の制定状況を、まず管見してみよう。
国際平和協力業務(国際平和協力法H4/6/19)
国際緊急援助活動(国際緊急援助隊法、隊法84条の4 H4/6/19改正)
在外邦人等の輸送(隊法100条8 H6/11/18→隊法84条3)
周辺事態における対処措置(周辺事態安全確保法H11/5/20)
周辺事態における船舶検査(船舶検査活動法H12/12/6)
テロ対策特措法に基づく対処措置(テロ対策特措法 H13/10/29)
自衛隊の施設の警護(自衛隊法95条の2(H13/11/2))
イラク人道復興支援特措法に基づく対処措置(イラク人道復興支援特措法H15/7/26)
特定公共施設の利用
(武力攻撃事態等における特定公共施設等の利用に関する法律H16/6/18)
船舶検査・回航措置(海上輸送規制法H18/12/22)
弾道ミサイル等に対する撃破措置(自衛隊法82条の3(H21/3/27))
海賊対処行動(海賊対処法、隊法82条2 H21/6/19)
4 自衛隊の行動を規定する法の問題点は!
前項で確認した如く、事態が起き、論議が起きるたびに、それぞれに応ずる対応が検討され、公共財としての自衛隊の活用が叫ばれ、その結果、法律の改正や新たな法律の制定という形で、自衛隊に対して新たな任務が付与され、行動要領も法律によって律せられてきた。
これくらい、いろいろと制定されてみると、自衛隊の行動に関する法的な体制整備は万全となったとも言える。
尖閣諸島を巡る状況の切迫性から、今領域警備法の制定や自衛隊に対する任務付与の必要性が議論され始めている。これなど、平時から有事への移行段階、その狭間と言うべきものだろうし、グレーゾーンである。
警察機能の延長線上としての治安出動を下令して対応するということもある。それから防衛事態に移行するというのか?
しかし、そもそも、国家主体と思われる勢力による領域侵犯への対応と言うのは本質的には国家防衛機能だ。警察力としての対応と国家防衛としての対応力には明らかな差異があり、早期に対処し、事態の拡大を防止するためには防衛力を有効に活用することが必要だ。
考えてみてもらいたいのだが、ある時点までは〇〇として対応し、a時点には、(ある事態と認定して)△△として対応し、またb時点になったならば、××として対応するなどという器用なことが果たしてできるのか?
国家中枢がそのような適時適切に的確な判断ができるのだろうか? 現場指揮官が判断するならばまだしもと思うが・・・。
国家中枢の警護についても、警察の任務とされているが、果たしてそれで十分なのだろうか?
何も自衛隊がでしゃばる必要はないが、武装ゲリラなど(と認定される以前の段階)に対して警察力では心許ないし、防護すべき重要警護対象等の多さも考えるならば、自衛隊も事態切迫段階以前から対処し得るように措置する必要があるのではなかろうか?
法律の想定外の事態である。警護出動において行使できる権限も、警職法の一部準用と武器の使用のみである。これも治安出動次いで防衛出動と次第にエスカレーとさせるというのか。
警護出動が想定している事態は低強度であり、それが大規模なテロ攻撃等と認定して防衛出動を下令するまでには、甚大な被害が発生する可能性もある。想定外やグレーゾーンが多々存在する。
似たような事例はほかにもあるかもしれない。そのようなものを全て洗い出して法律として規定する事は人智を超えている。
また、想定できないような事態もないわけではなかろう。例えば、サイバー空間での対応が重要性を増しつつあるが、現在の法律は、いかにも片手落ちの感を否めない。
サイバー攻撃に対して防護することは可能だとしても、それに積極的対応端的に言えば攻撃することは現行法上可能だろうか? 厳密には否である。
サイバー攻撃へのカウンター攻撃は、相手の特定困難性があり、例え特定したとしても従来の防衛出動の要件に該当するのかどうか疑わしい。また、行うカウンター攻撃が果たして武力の行使なのかも法律的には疑わしいと思われる。
さる識者が、日本は「こと」が起きるたびに法律を整備してきたが、例え100の事態に対応する100の法律があっても101番目の事態には対応できないと嘆いていたが、蓋し至言、正にその通りである。いかに精緻かつ巧妙な法体系を構築しても万全ということはあり得ないはずだ。
事態に対応する101番目の法律を迅速に制定できるというのだろうか?
決められない政治が機能するはずがない。制定された時には事態は全く別の位相に進展しているかもしれない。
101番目を制定し、さらに102番目をもと、次から次へと法を制定したならば、日本は法の海の中に埋没してしまう。
あまりに細かに規定することは現場の自主性や柔軟性を奪ってしまう。疑義あるたびに上級司令部にお伺いを立てなければならなくなる。対応する前に防衛関係法律集を首っ引きで捲るという仕儀になりかねない。
また、常に法律違反になるのではないかとの懸念があり、当然の対応を行うことを躊躇させることも在り得るかもしれない。このように考えると、軍に関する活動をすべて事細かに規定することには無理がある。
新大綱はあらゆる事態にシームレスに対応することを目指し、動的防衛力を構築・運用するとしているが、防衛力を効果的に運用するために、自衛隊の行動に関する規定を抜本的に見直す必要があるのではなかろうか?
6 なぜこのような状況に陥ってしまったのだろうか?
日本は法治国家であり、日本の行政機関は須らく、その活動の根拠を法律に依拠している。自衛隊も例外ではない。自衛隊も国家行政機関の一翼を担うのだから、当然だとの考えから、自衛隊の行動は事細かに法律で規定されている。
一方、列国の軍隊においては自衛隊のように事細かな法律による規定はないようだ。
先行研究によれば、『我が国の防衛法制は警察法的な法体系になっており、その規定の仕方は、いわゆる「ポジリスト」方式で、原則禁止で「できること」が定められている。すなわち、自衛隊の行動にはすべて法律の根拠が必要で、それに定められていないことはできないとされる。これは諸外国の軍隊を規律する法規が、いわゆる「ネガリスト」方式で原則自由で、国際法でできないとされること以外は何でもできるのと対照的である』と。
我が国はそういう意味では特異な国家である。なぜこのようになってしまったのか?
いろいろな見解があろう。戦前旧軍が暴走した反省から、法律で厳しく規定する必要があるのだとか、あるいは、自衛隊を創設しその骨格を定めたのは内務官僚であり、警察的発想で自衛隊に関する法律を制定したから、このような法体系になったとの見解も表明されている。
また、自衛隊は警察予備隊として創設され、それが保安隊そして自衛隊になったのであり、自衛隊が国際的には軍事組織とされた後も、従前の法的感覚で法律が制定されたからであるとも。
さらには、自衛隊は軍隊ではなく国家行政組織だからこのような体系になるのは当然だとのシニカルな見方もある。恐らく、これらの全て見解は正しいのだろう。
7 どうすべきか?
自衛隊を国内法的にどう位置付けるかがキーポイントである。国家防衛の主体たる自衛隊を、あくまでも国家行政機関の一部とするのか、軍隊として明確に位置づけるかを、明確にする必要がある。
現状の歪な状態を是正するためには、軍隊として明確に位置づける必要があろう。軍隊と明確に位置付けることで、(先般の小生の問題提起である)軍法会議の設置に係る問題点も解決されよう。
国際標準の軍事組織と位置づけて、その上で行動に関する諸規定をも国際標準にする必要がある。
この場合、6項で述べたように、自衛隊の行動を、今までと同じようにポジリストのままに据え置くのか、それとも国際標準であるネガリスト方式に改めるのかを検討する必要がある。
ポジリスト方式は、軍隊組織の運用についてじっくり検討して結論を得ることができるという利点があるが、反面、事態への即応性・柔軟性では極めて劣ったものになると考えられる。
ネガリスト方式の場合は、各種事態に適時適切に対応できる反面、政治による軍のコントロールの適時性・的確性で劣るという側面がある。
言うまでもなく、自衛隊の行動には対国民(国内作用)の面もあり、それらは国民の権利・義務にかかわることでもあり、警察法と同じく、いろいろな権限の制約等があってしかるべきだろう。
警察官の職務遂行上の原理原則である「警察比例の原則」等の諸原則が基本的には適用されるのは当然である。
もちろん、対外的活動においても、常に無制限の武力の行使が認められているわけではない。任務を達成するために必要かつ事態に応じ合理的な範囲での武力行使が認められていると解するべきだ。それを担保するのがいわゆるROE(交戦規定)である。
もちろん、軍の行動を一刀両断に対国内、対国外行動と区分してネガ、ポジリスト化するのは乱暴である。
ネガを主とする行動であっても、それらの行動の対象が状況によっては対国民となる場合がないわけではない。その場合に無制限な武力行使が許されるはずがない。そこはROEで規定することになろう。
このような発想の大転換が行われれば、政治決断により、警察機能的な行動から国家防衛の一環としての行動までがシームレスに対応できるのであり、今検討されているような領域警備法的なものは、必要なくなるのかもしれない。
8 政治の責任は極めて大である!!
自衛隊の運用にあたって、今までのように法律の字義解釈に狂奔するのではなく、政治が、当面あるいは予測される事態に応じ適切な運用を決定し命令すればいいのである。
当面するあるいは予期する事態を直視し、いかに合理的な決定をするかの責任を政治家は負うているのだ。
自衛隊を真に公共財足らしめるために、政治家が軍隊の運用に関する識能を磨く必要がある。明治時代は政治家が軍事を十分に理解しその運用を効果的ならしめたので、あの興隆があったのだろう。
時代は下って、昭和になると軍事と政治が分化し、疎遠になったために日本は破滅への道を転がり落ちていったとも言える。
軍隊は暴走する習性・習癖を具備していると誤解している人も多いようだが、少なくとも現在の自衛隊にはそのような気風は全くないと断言できる。
言うまでもなく、先進民主主義国家では政治による軍事のコントロールがスムーズに行われている。ネガリスト方式に改めて、政治による軍事統制システムを確実に機能させればいい。
具体的には事前または事後の速やかな国会承認を条件として政治コントロールを担保する必要があろう。
ネガリスト方式による自衛隊の運用を適切に行うためには、国家中枢軍事最高司令部が有効に機能しなければならない。多言するつもりはないが、WAR CABINET的な組織が必要であり、それを補佐する軍事専門組織も重要だ。
いずれにしろ、政治の責任は大きい。そして政治はこの重みに耐えねばならない。
9 終わりに
近年、憲法改正に関する議論が賑やかになってきた。その焦点は言うまでもなく憲法第9条であり、自衛隊を憲法上どのように位置づけるかである。
自衛隊が国際的標準の軍隊と位置付けられるのであれば、その任務・機能・役割を十全に発揮できるように防衛に関する法制を見直すべきである。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/print/36530
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