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強まる中国の支配と突破口を求める北朝鮮
中朝関係の歴史と現況
2012年11月13日(Tue) 矢野 義昭
中国と北朝鮮は歴史的に緊密な外交関係を保ってきた。1950年に中国は北朝鮮支援のため戦争に参加し、血で固められた友誼関係を築いた。(敬称略)
冷戦初期には中朝は、1961年の両国間の軍事同盟以外にも、マルクス・レーニン主義イデオロギーを共有しており、また朝鮮戦争間と戦後復興での中国の対北朝鮮支援もあり、両国関係は緊密であった。
北朝鮮を米軍との間の緩衝地帯と見なす中国
特に中国の指導者は北朝鮮を、韓国に駐留する米軍との緩衝地帯と見なしていた。さらに両国は分断国家としてのイデオロギーも共有していた。
中ソ対立が激しかった1963年に、周恩来は、北朝鮮との秘密会談で共産ブロック内での中国の孤立化に風穴を開け金日成の支持を得るため、1949年以来厳格な姿勢を取ってきた中朝国境の領土問題で柔軟な姿勢を取り北朝鮮の要求に応じるように、中国側代表団に指示した。
その後、中国の文化大革命と金日成に対する紅衛兵による批判が原因で、1968年3月から翌年3月の間、白頭山地区で中朝両軍の小規模な軍事衝突があった。
その間、中国は北朝鮮との国境を閉鎖していた。1970年11月に中国政府は北朝鮮への批判を止め、北朝鮮政府との関係改善を図った。70年代に入り両国関係は好転し、1970年1月、両国政府は鴨緑江と図們江の航行条約に署名した。
1970年代には中朝間では利害関係とイデオロギーが共有されていたことから、両国関係は数十年間にわたり友好関係が続くと見られていたが、80年代に入り、ケ小平が中国の指導者となり、改革開放政策を取り市場メカニズムを取り入れると両国関係は悪化し始めた。
1992年に中国が韓国と国交を回復すると中朝関係はさらに悪化した。孤立感を深めた北朝鮮は核開発を本格化させ国際的な圧力が強まった。これに反発した北朝鮮は、翌年核拡散防止条約(NPT)脱退を宣言するなど、朝鮮半島の緊張は高まった。
しかし、1994年に米朝枠組み合意が成立し北朝鮮の核疑惑をめぐる緊張が緩和されると、中朝間の公式的な関係も改善に向かった。
経済関係も2000年代に入り急速に緊密になった。他方では、北朝鮮の核開発疑惑が再び浮上し、2003年に北朝鮮は再度NPT脱退を宣言し、その後2006年には核実験を強行し、国連安保理決議に基づく厳しい経済制裁を受けることになった。
そのような経済的孤立の中で、中国は北朝鮮への支援を継続して経済関係を拡大し、2009年までには中国が北朝鮮の経済分野での支配的なパートナーになるまでになった。
ただし軍事面での北朝鮮との協力関係には中国は慎重に取り組んでいる。
2009年、中朝友好の年を宣言
2011年7月の中朝友好協力相互援助条約締結50周年では、中朝は相互に祝賀代表団を送って「代を継いでの友好」を確認し合ったものの、同条約が明示している有事の際の「自動介入条項」の有効性について、中国側は曖昧な姿勢を取り、北朝鮮側との間に微妙な温度差が見られたと報じられている(「読売新聞」平成23年7月13日)。
2008年6月26日には北朝鮮が核計画の申告を中国に提出、これを受けて米国は北朝鮮のテロ支援国家指定を解除した。ただしその後実質的な成果を挙げるには至らなかった。
2009年元旦には、胡錦濤と金正日は、新年の挨拶を交わし、両国の外交関係樹立60周年を記念して、2009年を「中朝友好の年」とすることを宣言した。しかし、2009年5月の北朝鮮の2回目の核実験以降、6カ国協議は中止された。
2009年末以降、中国は米国と北朝鮮との間の直接の対話を促すようになった。
2012年1月、中国を訪問中の李明博韓国大統領は9日、胡錦濤国家主席との首脳会談で北朝鮮の核問題と関連し、「必要ならば、6カ国協議の前提条件を満たす方向で、関係国の対話が再開されることを望む」と明らかにした(Daily NK, January 10, 2012)。
しかしその後も協議再開の見通しは立っていない。
中国政府は北朝鮮との軍事同盟を維持し経済援助を続けてはいるが、近年両国間の目標と利害は相反するようになっている。北朝鮮は依然として閉鎖的でかつ極度にイデオロギー的で破滅的な経済政策を取っている。
それに対して中国は、かつてのイデオロギー的な熱狂を否定し実利的で競争力のある市場指向の経済体制を取っている。
中国政府の立場では、これらの経済問題よりは、北朝鮮の安定保持という北朝鮮政府との共通の利害の方が依然としてより重要ではあるが、中朝の利害の共通性と両国の統治の差異によりもたらされる緊張はますます高まっている。そのことが外部の政策立案者に、中朝関係は複雑で曖昧という印象を与えている。
中国の指導者たちは、北朝鮮について政治的あるいは戦略的に相矛盾した政策判断を迫られている。
北朝鮮の崩壊を何としても避けたい中国
一方では、北朝鮮との緊密な関係を維持しなければならない要因がある。例えば、社会主義イデオロギーの共通性、これまで中国が北朝鮮に投入してきた人的物的資源、中国政府への信頼の維持、強まる経済関係、韓国に対する緩衝地帯、北朝鮮の国家破綻によりもたらされる破滅的な影響などの要因がある。
他方には、中国をいら立たせる要因がある。例えば、北朝鮮の瀬戸際政策、北朝鮮への底なしの経済支援による資金の浪費、北朝鮮の核政策が北東アジアでの核軍拡競争を招く懸念、北朝鮮の挑発により中国が紛争に巻き込まれる恐れなどである。
中国が国連の経済制裁決議にもかかわらず、北朝鮮に対して食料やエネルギーの援助を行うのは、中国の立場に立てば、北の体制崩壊、南北間の戦争、韓国による北の併合などの中国にとり最悪の事態を回避するための措置と見ることもできる。
中国の北朝鮮に対する外交政策の目標は、北朝鮮への影響力を最大限に行使することにあると見られるが、その確実な方法は中国にも不明で、北朝鮮は、中国には従わないとの意思を予期しない形で示す傾向がある。
中国にとり食料やエネルギーの援助は、北朝鮮への経済的な影響力を強め、北朝鮮の経済改革を促し、中国が北朝鮮を操る能力を高め、相互依存関係を深めることにより経済規模の小さい北朝鮮側の選択肢をコントロールすることもでき、北朝鮮の利害をより中国寄りにできるという効果がある。
北朝鮮から見れば中国との関係は二律背反的な要素をはらんでいる。20年近くにわたり中国は北朝鮮政権にとり、経済面外交面での支援をしてくれる最も信頼のおける存在であった。
しかし中国が時折示す国連安保理での制裁への同調と援助の削減は、北朝鮮に中国への過度の依存に対する懸念を深めさせた。
冷戦時代には金日成は中ソ対立を利用して両国から経済援助を引き出してきた。しかし中国の援助は1990年代中ごろから少なくなり、北朝鮮は、特に飢餓から逃れるために、一時的に台湾を含むその他の国からの援助に頼った。
2008年に先立つ10年間は、韓国の左翼政権が「太陽政策」を唱え、北朝鮮にかなりの経済的援助と外交的な支援を行った。
1990年代中頃からは、北朝鮮は米国に食糧援助とエネルギー支援を求めた。日本も、2004年末に北朝鮮の工作機関による拉致問題により協議が紛糾し対北貿易を中止にするまで、北朝鮮に大量の資金援助を行った。
北朝鮮経済への支配を強める中国
他方、2008年末から中国は北朝鮮に対するこれまでにない支配的な貿易相手先として登場している。
北朝鮮の核問題は、中朝関係と地域の戦略的状況に新しい局面をもたらした。2009年の4月から5月にかけて、北朝鮮が弾道ミサイルの発射試験と2回目の核実験を行ったことは、中国の我慢の限度を超えた挑発的行為であった。
その年の5月の核実験とその後の北朝鮮政府による声明から、北朝鮮は決して核兵器計画を諦めることはなく、その目標が核兵器保有国になることであることが明らかとなった。
中国は、それ以降北朝鮮に対する態度を変え、朝鮮半島の非核化と安定化に対朝外交の焦点を絞るようになった。北朝鮮が核放棄をする可能性は乏しいが、核関連活動に対する制裁により北朝鮮の経済が不安定化する可能性は残っている。
6カ国協議における中国の議長国としての役割により、北朝鮮との関係において、中国は微妙なバランスを取らざるを得ない立場にある。
6カ国協議では中国は、北朝鮮の安定化と体制の護持を優先的な課題として、米国その他の参加国が非核化で指導力を発揮するのを歓迎している。
中国政府は米国政府が北朝鮮と2国間協議を通じて核問題を協議するように促し、また北朝鮮に対して2010年に6カ国協議に復帰するように求めた。
中国の言動は相矛盾したものになっている。中国は北朝鮮の核実験を非難した国連の決議1874号を支持した。しかし中国政府は、朝鮮半島の基本的な平和と安定を守り、北朝鮮という緩衝地帯を崩壊させて韓国よりも敵対的な米国が中国との国境まで北上してくるような統一朝鮮の出現を阻止する条項を入れることを主張した。
決議1874に票を投ずるときには、中国代表は、北朝鮮の主権と領土の統一、安全保障上の合法的な懸念および北朝鮮の開発による利点が尊重されること、さらにNPT復帰後は北朝鮮が条約加盟国としての原子力エネルギーの平和利用の権利を保障されることを主張した。
また他方で中国は、積極的に北朝鮮支援も行っている。2009年10月4日、中朝外交関係樹立60周年には温家宝首相が首相として18年ぶりにピョンヤンを大型の随行団を引き連れて親善訪問した。
北朝鮮の中国国境に大規模な自由貿易地区を新設
両国は、相互の援助を誓約し、経済技術協力を含むいくつかの文書に署名し、総額約1億5000万ドルと見積もられる中朝両国間の鴨緑江にかかる大橋の新たな建造を促進することに合意した。そのほかに温家宝は5000万ドル相当の経済協力を約束した。
2009年11月には、中国が通化―丹東経済地区と呼ばれる新しい大規模開発地区を計画していると報じられた。
この計画では、橋の再建、港湾の新設、自由貿易地区の新設、倉庫、産業移転施設などが予定されている。また同計画の対象地区には西部中朝国境のほぼ半ばに当たる約350キロメートルが含まれている。
金正日は、2000年、2001年、2004年、2006年に続き、3年以上経過した2010年に5回目と6回目の訪中をした。2009年10月に温家宝が金正日と会談した際に、再度の訪中に招待した。
2010年3月には韓国哨戒艦・天安の沈没事件、同年11月には延坪島への砲撃があり、中国政府は微妙な立場に立たされた。2011年1月の胡錦濤―バラク・オバマ会談への悪影響を恐れ、中国は北朝鮮に、もしも韓国が2010年12月の紛争中の島での砲撃訓練を延期したなら、核戦争の脅威を控えるように要求したと報じられている。
このように中朝の外交関係は、近年改善され、経済的な交流が深まるだけではなく、次回詳しく述べるが、国防相訪問などの軍事交流も再開されている。
しかし中国としては、朝鮮半島の安定的な発展とさらなる北朝鮮に対する経済的支配を強化し、北朝鮮に対する政治的外交的な影響力を強めつつも、中国にとり重要な緩衝地帯の安定を崩したり、核問題を悪化させて米韓との軍事衝突に至ることも、逆に北朝鮮が経済的に行き詰まり不安定化して難民が押し寄せるような事態も阻止することが、対北朝鮮外交の方針と思われる。
他方の北朝鮮は、中国の経済援助を歓迎してはいるものの、その支配力があまりにも強まり植民地化することは、中国式の改革開放を取り入れることにより、体制が動揺する危険をはらんでおり回避しなければならないと見ているであろう。
しかし金正恩自身は経済の立て直しのためには、改革が必要と認識しており、金正日が踏み込めなかった社会の開放、民衆への情報開示に踏み切る兆候も見られる。
これに対して軍を中心に、警戒感が高まり、北朝鮮指導部内でも対立があるのかもしれない。また対中一辺倒を避けるため、米日韓との外交関係の立て直しも図られる可能性がある。
日本に対しても拉致問題などで問題解決に動く可能性もあり、そのことは日本人の遺骨収集団受け入れにも表れている。日本としてもこのような北朝鮮側の動きに応じて、機敏かつ柔軟に対応し北朝鮮側とのパイプをつくり、拉致問題などの早期解決を図るべき時ではないだろうか。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/36513
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