http://www.asyura2.com/12/warb10/msg/392.html
Tweet |
JBpress>日本再生>国防 [国防]
国防も災害復旧も無責任すぎる日本の政府
福島に集う即応および予備自衛官ボランティアに顔向けできるか
2012年11月06日(Tue) 森 清勇
即応予備自衛官の活躍が新聞などで大きく報道されたのは昨年の東日本大震災直後であった。現役自衛官10万人超が災害派遣されることになり、もともと手薄な日本防衛が一段と手薄になることは目に見えていた。そこで制度が発足してはじめて即応予備自衛官が招集され、期待以上に活躍したのであった。
周辺国の軍事力増強
国際情勢を一顧もしない財務官僚は、「一律10%削減」や辻褄合わせの「シーリング」という安易な官僚的手法で自衛隊予算を年々削減してきた。
平成9(1997)年度をピークに減少に転じ、平成12(2000)〜14(2002)年度は一時的に微増したが、その後は今日に至るまで10年間(通算16年間と言っても過言ではない)にわたって低下してきた(『平成24年版 防衛白書』および『23年版防衛ハンドブック』による、以下同じ)。
同盟国の米国も過去5年間は国防費を微増させたが、今後10年間は大幅な減額が課されている。
他方で、中国は公式発表だけでも1989年以来24年間毎年10%以上の伸び率で国防費を増大させ、今年度の予算は23年前の30倍以上である。こうして米大陸に届く移動式多弾頭ICBMやステルス戦闘機なども装備し、つい先日は空母を就役させ、米国に圧力をかけるまでになった。
また、韓国・北朝鮮も軍事費を5%前後伸ばしながら近代化を図ってきたし、ロシアに至っては2009年度が27%という驚異的な伸び率であったため翌年度こそ5%止まりとなったが、その前後は20%台で現在に至っている。
こうした結果、周辺諸国の軍事力が著しく増大し、近代化と十分な量の兵器装備を取得しているにもかかわらず、日本は国際情勢に我関せずの状況であった。露中韓の大胆極まる「日本の離島」に対する行動は、こうしてもたらされた軍事力の著しい格差による面も大きいであろう。
いざという時に最小限必要とされ、長い間維持されてきた18万人の陸上自衛官定数は、架空的数値に変質してしまい、「平成8年以降の防衛計画の大綱(通称07大綱)」では、可能と見込まれる充足数を定員(16万人)とする姑息な方法で糊塗した。
しかも内訳を見ると、常備自衛官は14.5万人に約20%も削減され、新たに設けられた即応予備自衛官1.5万人を補充するとしている。
日本を取り巻く国際情勢、なかんずく極東アジアの情勢が厳しくなり、日本が積極的効果的に日本の防衛を実施するため防衛庁を省に昇格させる必要性が高まっていた時期(実際の昇格は2007年1月)に、定員が削減される状況になったのである。
実際、16大綱では15.5万人(常備14.8万人、即自0.7万人)となり、22大綱では15.4万人(常備14.7万人、即自0.7万人)と性懲りもなく削減してきたのである。
憲法における自衛隊の位置づけが明確でないことや少子化も大いに影響しているが、こうした間違った施策の結果として、自衛隊は有事に必要とされる最小限の編制(戦闘に必要な師団・旅団数や、師団内の人員・装備など)さえ維持できない状況まで追い込まれた。
即応予備自衛官制度
そこで、即応予備自衛官(以下「即自」と略称)制度を創出して、師団の1個普通科連隊(一般の歩兵連隊)は連隊本部要員だけを置き、有事には即自で充足する、あるいは各種大隊等では一部を欠員状態にしておいて、非常時に即自で充足するシステムに改編したのである。
下の図は首都防衛にあたる第1師団と第12旅団の平時編成を示している。すなわち、師旅団の基幹部隊である4個の普通科連隊のうち1個連隊は連隊本部のみで、有事に即自で補充するというわけである。同様に特科隊や偵察隊、後方支援連隊なども普段は一部が欠員状態である。
普段から存在する連隊本部や、大隊等を構成する主要な中隊は「コア」部隊と称され、有事には即自などで補充して機能させる、いわゆるエクスバンド方式に改編したのである。「効率的」などの謳い文句で行われたが、実際は欠員をぼかす体のいい表現でしかない。
即自要員は民間人であるから、普段は会社などで勤務している。年間30日の訓練が課されることもあり、その捻出には勤務先の理解と協力が不可欠である。
そのため、即自制度に協力してくれる勤務先とは契約が交わされる。ちなみに、年間訓練5日間の予備自衛官制度(自衛隊経験者)と、予備自衛官を希望する予備自衛官補制度(自衛隊未経験者)もあるが、彼らは休日などを活用するので勤務先との契約問題はない。
即自は1年以上の自衛隊勤務歴を有するか、予備自衛官である者が対象である。彼らは民間に在りながらも、なおかつ国家危急の折には自衛官として奉仕したいという高い志操の持ち主である。
私はそうした人たちと、原発事故で半径20キロ圏内の避難指示区域であったが昼間だけ解除された南相馬市でボランティア活動に参加する機会を得た。野外での食事や就寝時のテントの中での会話などから感じ取った参加者たちの思いに、改めて感動させられた。
デューティ(Duty)とオブリージュ(Oblige)
デューティ(Duty)は義務である。「本分」や「職責」とも訳されるように、本来の職務を遂行することであり、契約に基づく任務を遂行することである。
「Military Duty」は軍務である。「Duty」には税という意味もあり、法に基づく税金が課され、国民には納税の義務がある。免税は「Duty Free」である。
軍隊は国家の存亡や名誉を保障するための組織である。存亡を脅かしたり、名誉を棄損する脅威を排除する義務を有する。旧陸海軍は実戦に継ぐ実戦を経験してきたこともあって、軍役を退いた後も非常に強い団結をしていたと言われる。
自衛隊は、近年でこそイラクや南スーダンなど厳しい環境に派遣されるようになったが、大部の自衛官は戦争にも戦闘にもほとんど関係を持たなかった。いわゆる平和時の自衛官で死線をくぐるなど一度もなかったこともあってか、定年後の団結にはいま一つ足りないものが感じられる。
自衛官の義務は「自衛隊法」に基づくもので、内発的なものではない。隊内における教育・訓練と自己研鑽で心中深く内在させ、内発的なものへ発酵・昇華させることはできる。
しかし、大部分の自衛官はそこまで至っていない。従って、宣誓の主意、すなわち国を守るという「心の構え」は、定年と同時に雲散霧消してしまう人が多いようである。
他方、オブリージュ(Oblige) は「同じ日本人ではないか」「恩義を受けた」「感謝している」などの代償として「何かをやって応えたい」という意識を発揚させる。
東日本大震災時の寄付や被災地でのボランティア志向は、同じ日本人という同族意識が強く働いた結果であったろう。あるいは世の中の慣習として、目上の人に礼節を尽くしたり、女性に席を譲ったりする自然な行為も日本人に遺伝子的に受け継がれてきたものであろう。
ノーブレスオブリージュ(Noblesse Oblige)は「高い身分に伴う義務」と一般に訳されるが、金銭的に豊かな人や高い徳義を持ち合わせた人が行う社会奉仕的なものであろう。
広い意味で法的なものではなく、金銭の授受による行為でもなく、「心の発露」に由来する行為ではなかろうか。
宮沢賢治の「アメニモマケズ」が、オブリージュをうまく表現しているのではないかと思う。
夕餉で知る崇高な気持ち
自衛隊は法的組織で、隊員が「宣誓」することからも分かるように、契約によって任務に服する義務を課される。
隊員個々の考えにはかかわりなく、「国土の防衛」が行動の原点(ズバリ言って国民の生命・財産の保護は第一義的な任務ではない)である。従って、個人的には被災者でありながらも、契約に基づく公的義務があり、個人的な行動は許されない。
その点、ボランティアは大いに異なる。自分の都合が優先である。都合を環境に合わせることはできる。
ボランティア活動に参加する人たちは家庭的な、あるいは仕事上の都合をグループの環境に折り合わせて参加する努力をしているわけである。そこには、困っている地域・人たちに手を差し伸べたいという、内発的な心が働いている。これがすべてである。
ボランティアは金持ちの余興などと思っている人が多いようだが、決してそうではない。金持ちは、すなわち寄付で貢献する。これはこれで有難いであろうが、ボランティア活動に参加する人は、お金では解決できない「思いやりの心」で「時間と体力」を捻出し提供する。
夕餉と言っても、ボランティアだからコンビニで自分の金で買ってきたおにぎりと1本の缶ビールという粗末なものである。しかし、夕餉の場で交わされる会話には千金の重みがある。
ほんの一例であるが、普通科連隊に勤務し、その後即自となり東日本大震災では出動しようとするも会社と意見の相違をきたして叶わない。
いたたまれず会社を辞職し、惨状にたえない宮城・岩手両県でいち早くボランティア活動し、その後は福島県下で原発事故処理に関わる会社に身を置きながら、立ち入りが緩和された地区などでボランティアに積極的に参加する1人の若者がいる。
「我々は自衛官として飯を食ってきた時期があるが、自分に支払われた税金(給料のこと)に見合う実行動をした意識がない。今次の震災でも、過去に受領した税金に見合った費用対効果を十分示せなかった。だから、『いざという時には身を挺してあなたたちを守るから金をくれ』と言って受け取った税金分の働きを遅ればせながらしているだけだ」という強烈であり、また謙虚な意識の持ち主もいる。
金銭に勝る体力提供
湾岸戦争で、日本は自衛隊を派遣せずに130億ドルの金銭的支援をした。生まれたばかりの赤ん坊から老人まで1人当たり1万円に相当する多額なものであったが、クウェートが行った感謝の広告に「日の丸」の旗はなかった。この気持ちはたった1日の体力提供のボランティアをしただけで容易に理解できる。
目の前で活躍する姿は被災者には文句なしに嬉しいし、感謝の気持ちが湧き上がってくる。イラクに侵攻されたクウェートの人にとっては、一人ひとりの外国人兵士の背中に自国を助けてくれる国家があると理解され、何個師団にも何個軍にも見えたことであろう。
わずかな兵士しか差し出さなかった国も、130億ドルの支援国よりもずっとずっと価値あるものに見えて当然なのだ。
ボランティアしながら、一人ひとりは小さな力でしかないが、眼前の様変わりした状況に茫然自失の被災者には至上の支援に見え、再起の力を目に見える形で示してくれたと映ったに違いない。
「感謝」という言葉は、困っている人や地域に対し我を忘れて支援する姿に対する気持ちの謂いであろう。1億円寄付する人にも、草刈り機を寄付する人にも同様に感謝の気持ちを持つであろうが、その度合いは非常時には現場で汗する人に敵わない。
日本が提供した130億ドルが米軍のサウジアラビア展開でどれほど役に立ったかはシュワーツコフ総司令官が「日本のおかげがなかったら、〈砂漠の楯〉は8月中に破産していたはずだ。(中略)リヤドの日本大使館は黙々と何千万ドルを、中東司令部の口座に振り込んでくれたのだった。おかげで我々は日々の運営費をこれで賄うことができた」(『シュワーツコフ回想録』)と記していることで明確である。
しかし、クウェートには目の前で活躍する兵員を差し出した国の姿が強烈に映ったに違いない。ボランティア活動で「体力の提供」が理屈抜きに感謝される道理と同じである。
おわりに
3.11から1年7カ月が過ぎた今、当時のボランティア熱はどこへ行ってしまったのだろうか。原発周辺の立ち入りが緩和された地域は、震災当時の無残な姿を晒したままである。
政府の無責任体質はどこまでも続いている。復興支援につくべき予算の9割が被災地とは直接関わりないところで使われていることも判明した。
被災者たちは東電を犯人に仕立て上げて損害賠償を申し立てるが、元凶は最高指揮官であった菅直人首相(もっと広義には当時のイエスマン閣僚たち)であったことが各種報告ではっきりしてきた。
当人は反論ばかりしているので裁判で決着をつける以外にないが、申し立てる人がいないのが不思議である。
首相降板後の菅氏がまずやるべきことは、原発反対運動より先に被災地・被災者の復旧支援を市民運動家たちに呼びかけることではなかったのか。
自分だけの心の平安を求めて、以前の巡礼で残した四国の霊場を護衛付きで歩く行為は、被災者の心を踏みにじる以外の何ものでもなく、無責任であり許し難いの一語に尽きる。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/print/36432
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。