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JBpress>日本再生>国際激流と日本 [国際激流と日本]大統領執務室で何が語られていたのか?
「尖閣は日本領」と認めていたニクソン政権
2012年10月31日(Wed) 古森 義久
尖閣諸島を巡る日本と中国の衝突では米国の態度が大きなカギとなることは、このコラムで何回も書いてきた。米国のいまの態度は「尖閣には日米安保条約は適用されるが、主権については中立」という趣旨である。
ところが米国の歴代政権は実際には尖閣諸島の主権が日本側にあることを少なくとも非公式に認めてきた。その経緯もまた、このコラムで伝えてきた。アイゼンハワー、ケネディ、ジョンソンという3人の大統領いずれもが日本の尖閣への少なくとも「残存主権」を明確に認定してきたのだ。
「残存」とは「潜在的」とか「当面は停止状態だが、やがては必ず発効する」という意味である。要するに尖閣諸島の主権、領有権は日本以外の国には帰属しないという認識だった。
当初は「中立」ではなかったニクソン政権
ところが、この認識は1969年1月に登場したニクソン政権の時代に変わっていった。1971年10月に米国議会上院が開いた沖縄返還協定の批准に関する公聴会では、ニクソン政権の代表たちが「尖閣の主権についてはどの国の主張にも与しない」と言明したのだった。つまりは「中立」である。
しかしここで注目すべきなのは、そのニクソン政権でさえも、その上院公聴会の数カ月前までは実は尖閣の主権の日本帰属を認めていたという事実である。
この事実は、日本ではこの10月初め、時事通信が報じたニクソン政権当時の記録によって明らかとなった。時事通信のこの報道は1971年6月、当時のニクソン大統領がホワイトハウスのオーバルオフィス(大統領執務室)で国家安全保障担当のヘンリー・キッシンジャー大統領補佐官と交わした会話の内容を明らかにしていた。
その会話は当時もちろん秘密とされていたが、長い年月を経て解禁された。カリフォルニアのニクソン大統領図書館にその記録が音声資料として保管されていたのだ。
同資料の主要部分はすでに時事通信によって報道されたが、その全文を改めて入手して、内容を点検してみた。その中の尖閣関連部分を原文に忠実に翻訳紹介してみたい。そうすれば当時のニクソン政権の首脳が尖閣について本来はどう考えていたのかが、立体的に明確となるだろう。
台湾が唐突に尖閣の主権を主張してきた
この会話は正確には1971年6月7日午後3時26分から同48分までの22分間、オーバルオフィスで交わされた。同席したのはニクソン、キッシンジャー両氏のほかに国際経済担当の大統領補佐官だったピーター・ピーターソン氏だった。
以下が尖閣諸島に関わる会話の具体的な部分である。
キッシンジャー 「1951年に対日講和条約が調印されたとき、尖閣諸島は沖縄施政権の一部に組み込まれ、米国が施政権を得て、日本が(尖閣を含む沖縄の)主権を得ました。中国が当時、反対を唱えたということはない。その結果、われわれは尖閣諸島を沖縄諸島の一部として扱うことにしました。51年に米国はすでに日本に尖閣の残存主権を与え、その後、そのことはどの国からも異論を提起されなかったからです。であるのに、いまの段階で突然、尖閣の主権の問題を再提起することは沖縄返還交渉全体を壊しかねません」
ニクソン 「そうだ、われわれはそんなことはできない」
さて、以上の会話の背景にはこの時点で米国と正規の国交があった中華民国(台湾)政府の代表が尖閣諸島の主権を主張してきたという新たな展開があった。
台湾の動きは唐突なものだった。台湾はそれまで尖閣の主権について何も主張しなかったのに、沖縄の日本返還が近づいたときに、尖閣諸島も沖縄の一部として米国から日本に返されることが分かって、米国に抗議してきた、というのである。
「尖閣の主権は戦争でも起きない限り、日本に戻る」
その背景を踏まえ、さらに音声資料からの会話記録を紹介しよう。
キッシンジャー 「大統領、今回の展開も、官僚たちがきちんと報告をしないがために、支障が起きるというような実例の1つです。彼らはそんな問題があることなど、まったく告げていなかったのです。率直に言って、私は(台湾側が抗議してくるまで)そんな島の存在さえ知りませんでした」
ニクソン 「私も知らなかった」
キッシンジャー 「台湾代表が面会に来るまでは、ですね」
ニクソン 「そのとおり、彼がその島に触れたのだ」
キッシンジャー 「それで調べてみると、台湾がかつて日本に併合されたとき、尖閣諸島は沖縄県に編入されたことが分かりました。1945年に台湾が中国に返されても、尖閣諸島は沖縄側に残されました。1951年には尖閣は対日講和条約の一部に含まれ、日本の沖縄に対する日本の残存主権は米国によって認められました。
(尖閣は沖縄に含まれて、その主権に関する)大きな決定がそこで下され、この(1971年)4月に中国(台湾)が突然、問題を提起するまでは、尖閣諸島に関しては一切、なんの特別な交渉もなかったのです。この時点では尖閣諸島はすでに日本に返還される沖縄に自動的に含まれ、米側の手をも離れてしまったのです。これが私が再現できる(尖閣についての)歴史です」
ピーターソン 「この(尖閣)問題は日本にとってどれほど重要でしょうか。あなたがいままで知らなかったのだから、(もし尖閣の主権について米側が態度を変えれば)何が起きるのか。この問題は本当に緊急の重要性があるのでしょうか」
キッシンジャー 「もし6カ月前に提起されていたら、いくらかは違うかもしれない。しかし、もしいま(尖閣主権を改めて)提起したら、沖縄返還協定を破壊する意図的な試みとして(日本側に)映るでしょう。米国がもしこの問題を提起するとすれば、もっとずっと早くに提起すべきだった。いまとなっては尖閣の主権は戦争でも起きない限り、日本に戻ることになるのです」
キッシンジャー 「さらに歴史をたどるならば、琉球列島米国民政府の唯一の当事者だった米国は1953年にその統治の具体的な境界線を改めて発表し、その中には尖閣諸島も含めていました。その線引きに対し中国側は抗議をしませんでした」
ニクソン 「だから現在の対応があるということなのだろう」
キッシンジャー 「問題は、もし米国がいま日本側に対して尖閣の主権の問題を提起した場合、日本側は米国が台湾との繊維問題の取り引きを成立させるために、日本領の島を中国側に与えてしまう、と思いかねません」
明確に尖閣を日本領と認めていたニクソン政権
以上の記録からニクソン政権も当時、尖閣諸島を日本領だと認めていたことが再三、明らかにされたと言える。
だが1971年4月に台湾(中華民国)の代表が突然、尖閣の主権の主張をニクソン政権に伝えてきた。それまではニクソン政権の側にも、日本の残存主権への疑問はツユほどもなかった。
台湾代表の通告の後も、この会話の時点ではなお、ニクソン政権は日本の尖閣主権について疑問などを提起する意図はなかった。その判断をキッシンジャー大統領補佐官がニクソン大統領に説明し、同大統領も同意しているのがこの会話の核心なのである。
しかし前述のように、この会話から4カ月半ぐらい後の1971年10月下旬の上院公聴会の時点では、ニクソン政権は尖閣の主権については、「立場を取らない」というふうに変わっていった。この4カ月半の期間に、明らかに何かが起きたわけだ。
だがそれでも日本にとってはニクソン政権をも含む米国の歴代政権が尖閣諸島への日本の主権を認めていたという歴史的な経緯は大きな重みを持つ。今回、詳しく紹介した記録は、その重みを立証する貴重な資料だと言えよう。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/print/36434
尖閣防衛のカギは台湾にある
近くて親日な国を味方につけろ
2012年10月31日(水) 福島 香織
台湾で再スタートを切る日本人芸人
中国芸能界では何人かの日本人芸能人が活躍していたのだが、9月のひどい反日デモ以降、彼らが仕事を干されて大変だという。
中でも2006年から上海を拠点に活躍しているお笑い芸人のねんど大介さんは、私も何度か取材しよく知っている。反日デモ後に彼は電話をかけてきて「テレビ・イベント、軒並み中国の仕事がキャンセルになりましたよ。25本あった仕事のうち、22本がキャンセルです」と嘆き声をあげてきた。
「中国ラジオ映画テレビ総局が日本人タレントを使うな、と各テレビ局に通達を出したんです。もう中国で仕事を続けるのは難しいですかね」
ねんどさんは、ワハハ本舗所属の芸人さんで、2006年から上海を拠点に活躍の場を広げてきた人だ。中国の雑技団が公演のための来日の際、バックステージを手伝ったとき、雑技団の空中ブランコの少女が好きになり、天津まで追いかけて自身も雑技団に入団してしまったのが中国にかかわった始まりだとか。恋は実らなかったが、ステージビジネスの世界でお互いを励ましあうような良い友人を得て、中国芸能界に単身乗り込んだ。
とにかく中国語が流ちょうで上海語はじめ地元方言を交えた中国語コントや話芸でデビュー。上海万博のときは日本産業館の主なイベントの司会をこなしたのをきっかけに、中国のテレビのバラエティ番組のゲストや人気連続ドラマの客演俳優としても顔が知られるようになった。
だが、この秋以降は仕事がほぼすべて干されてしまった。「2005年の反日デモのあと、日中関係が厳しいと言われる中、お笑いの力で反日感情なんて吹き飛ばしてやるぞ、という意気込みで、中国に乗りこみました。でも、まさかここまでひどい状況になるとは」とうなだれていた。
彼はいったん日本に帰国。「反日デモで仕事をなくした日本人芸人」という自虐ネタで日本の番組にも出演したあたり、さすが芸人さんはたくましいな、と感心させられた。しかし、そんな仕事は長続きしない。なによりも彼の得意とする「中国語のお笑い」が使えない。いろいろ迷った末、「11月から台湾で再スタートを切ってみます」と拠点を台北に変える決断をした。
台湾メディアも今はほとんど中国資本が入っているが、日本人タレントの市場は本当にあるのか、と心配して尋ねると、ねんどさんは「先日、台湾に行ってテレビ局周りをしてみたんですけど、日台漁業協定さえうまくいけば何の問題もないといわれました」という。
そう言われて、改めて考えてみると、ねんどさんの決断は非常に意義のあることだと気付いた。尖閣諸島を守る意味でも、対中外交で有利に立つ上でも、今、最も優先すべきは台湾との関係なのだと。
巧みな国際世論形成にどう対抗するか
尖閣諸島をめぐる日中の外交問題は中国の大政治イベントの第18回党大会を前に一時的に鎮静化しているが、習近平・新政権に変わっても、日中関係が根本的に好転する要素はない。尖閣諸島について棚上げ状態に戻るとしても、40年前のように、棚上げにしておけば、その他の分野では全面的に日中協力という状況には程遠い。米国大統領選やその後の米国の対中外交戦略にも左右はされるが、日本は今後数年、厳しい神経をすり減らすような対中外交を強いられるだろう。
尖閣問題に関しては、中国とは外務次官級の交渉が10月から始まっているが、中国側窓口である中国の張志軍外務次官が一部日本メディアとの会見で言った文言は「(国有化をすれば)日中関係への殺傷力は原爆にも劣らない」「(中国側の譲歩の)最低ラインに挑戦するようであれば、強力に対応する」と恫喝にも似た強硬姿勢がにじんでいた。
譲歩の最低ラインとは、建前としては、日本に国有化をあきらめさせることだろうが、中国側も閣議決定までしたことを覆させるのは難しいことはわかっている。おそらく目下狙っている落とし所は、日本政府側に尖閣諸島が係争地域であると認めさせることだろう。
係争地と認めさせれば、そこをてこに、日本の実効支配の現状に食い込む道筋がこじ開けられる。すでに国際的なロビー活動により、欧米諸国では尖閣諸島が係争地であり、日本側が挑発してきたため、現在の日中関係が悪化したという印象操作を各国で行っている。日本国内にも、いっそ尖閣諸島を係争地域だと認めてしまって話し合いのテーブルに着けばいい、といった世論が若干出てきていることを見れば、中国の宣伝工作の巧みさには舌を巻く。
中国が近年力を入れている外交のやり方の1つに世界中に散っている華僑、華人勢力を使った中国にとって有利な国際世論形成だ。今や外国メディアにも華人記者が増え、中国報道に携わる記者も華人が多い。華人学者やテレビで影響力のある華人タレントも少なくない。彼らが意識して中国側に立った世論形成に加担しているとは言わないが、華人の中にある中華意識というのは簡単に消えるものではないし、両親や祖父母、親戚の暮らす中国との関係を重視する立場になる。日本にとって重要なのは、この膨大な数の華人たちが作り出す国際世論にどのように対抗していくかを考えることだろう。
日本も日本の立場を代弁してくれる華人を大切にしたり、育てたりすることを少しは考えた方がいいかもしれない。
おそらく日本のことを最も理解し、シンパシーを持つ華人は台湾人である。台湾人は華人ではあるが中国人ではない。華人意識はあるが、その近代化の過程で、日本精神(リップチェンシン)も欧米的民主主義の価値観も吸収してきた。もちろん国際社会で台湾を国家と認める国はほとんどないし、日本も政治的立場として国家として認めていないが、ここはあえて中国と違う人格ならぬ“国格”を持つ隣人と考えたい。
中国と台湾の尖閣に関する主張は違う
今さらだが、尖閣諸島の領有を主張しているのは中国と台湾である。しかし、中国の主張と台湾の主張は違う。
中国の主張は、「釣魚島はもともと清国に属する島で、それを日清戦争のどさくさにまぎれて奪われた。カイロ宣言、ポツダム宣言で清国が奪われた一切の地域を中華民国に返還することを決めたくせに、これを公然と無視して尖閣を返さなかった。台湾および彭湖列島の放棄と尖閣諸島を含む琉球諸島など北緯29度以南の島々を米国の信託統治下におくことを決めたサンフランシスコ平和条約は中国不在の席で決められたものなので無効だ」というものだ。
ちなみに、後に沖縄返還協定で尖閣諸島は沖縄諸島と一緒に日本に返されたが、このとき台湾人らが米国で激しい抗議デモを行い、尖閣の領有を主張。米国は領有権が日本と中華民国のどちらにあるかは関係なく、施政権(行政権)は日本に返還する、領有権は当事者同士で話し合え、という立場をとる。
台湾は、尖閣諸島はもともと台湾漁民が伝統的に漁場として活用してきた歴史を以て台湾に属するものと主張し、台湾として一番望んでいるのは、あの海域の漁業資源だ。中国のように海洋覇権戦略の要衝と見なしているわけではない。9月25日に台湾の漁船団約50隻が尖閣諸島周辺の接続水域に侵入した抗議活動は、漁業権を訴えていたのであり、「主権問題は関係ない」という台湾漁民サイドの発言を産経新聞が報じていた。
ここで重要なのは、中国側の主張は台湾を中国の一部だという前提で、成り立っているということだ。中国側は釣魚島(尖閣諸島)を台湾省宜蘭市に属するとしている。
日本は、尖閣諸島はもともと領有者のいない「無主地」であると現地調査で判断し、「無主地の先占」の原則で1895年に尖閣の領有を閣議決定した。はたして無主地と認識されていたかどうかは、疑問が提示されているが、百歩譲って「無主地」ではなく清国の統治が及んでいた地域だったとしても、沖縄返還の時点で、米国が主権について当事者同士で話し合え、とした当事者の片方は中華人民共和国ではなく中華民国政府である。こう考えると、尖閣問題において、中国共産党政権は本来部外者なのだ。
中国にとって釣魚島奪取と台湾統一はセット
このことを理解している中国は釣魚島を奪う戦略の中心に台湾を置いている。人民解放軍の理論派・羅援少将は7月に釣魚島奪取を目標とした六大戦略を掲げたが、筆頭に釣魚島を両岸(中台)を結び付ける絆と位置付け、中台が行政共同体、主権共同体となり、中台の軍部は連携すべし、と訴えた。要するに中国にとっては、釣魚島奪取と台湾統一はセットで取り組むテーマなのだ。逆にいえば、釣魚島における譲歩は台湾統一が遠のく。最近の中国は慎重に台湾統一という言葉を避けているが、要するにそういうことである。
親中派の馬英九政権は9月に東シナ海平和イニシアチブを打ち出し「日中台」の三方による尖閣諸島の「資源の共同開発」「行動規範の策定」などに向けた話し合いが必要だと呼びかけた。一応公開の場では釣魚島について中台が連携することはないという従来の立場を守っているが、本来部外者のはずの中国を話し合いに引き入れた点で、中国側へのおもねりがあろう。
しかし、このイニシアチブに基づき10月に台中で行われたシンポジウムの席では、中国側の出席者の劉江永・清華大学教授が「両岸(中台)ともに、釣魚島を『中国』のものであると主張するように」と求めたのに対し、台湾の国家安全会議(安全保障政策担当)の楊永明副秘書長は「釣魚島は中華民国のもの」と突っぱねている。
民進党前主席の蔡英文氏は10月下旬、ロサンゼルスでの講演会で、釣魚島問題について「(中国と台湾が手を取り合って、1つの中国の主権を守ろうとしているように欧米メディアには見えているようだが)、中国と台湾の主権は同一のものではない」と訴えた。
米ワシントンの保守系シンクタンク「戦略国際問題研究所(CSIS)」が開催した尖閣問題に関するシンポジウムの席で、米国国務省東アジア・太平洋担当の国務次官補代理をかつて務めたランディ・シュライバー氏は「台湾は釣魚島問題において難しい立場にある。台湾にとって最重要経済パートナーと安全保障上の最重要パートナーの間にあって、非常に神経を使わねばならない。また李登輝元総統が釣魚島は台湾に属さないと公言するなど、台湾内でのコンセンサスもまだない」と指摘した。
こういう台湾の状況をみれば、日本政府がまずすべきことは明白だ。日台漁業協定を一刻も早くまとめて、台湾世論を日本サイドにしっかり引き付けることである。そして主権問題はひとまず棚上げにしても、尖閣を中国に渡さないことが、台湾の事実上の独立を守り、台湾およびアジア・太平洋の安全保障に直結するという認識を共有することだろう。
あの島は安全保障上の要衝として中国に譲ってはならないのであって、台湾漁民が漁をする分については日本の利益が損なわれることはほとんどないのだ。
根強い台湾の親日感情
9月25日の漁船団抗議などをみて、台湾の親日神話が崩壊したという見方が一時的に日本に流れたが、ねんどさんが、台湾を訪れて台湾デビューの道を模索しながら強く体感したことは、やはり根強い親日感情だという。
「東日本大震災の被災地に200億円以上の義援金が集まったこの日本へのシンパシーは本物。これからは台湾の人たちに笑ってもらって、もっと親日家を増やしたい」
今の日本と日本人に必要なことは国際社会に日本の立場を理解してくれる人を増やすことだ。一番近くて一番親日度の高いところから親日家を増やしてゆくのは、民間レベルでも可能だ。たとえ馬英九政権が親中的であったとしても、台湾はまがりなりにも民主政治が実現している。民意を無視して政治は行えない。
反日の嵐がいつ吹き荒れるかわからない中国で、少々うんざりした気分になったとき、ねんどさんのように、宝石のような台湾の存在価値に気付く人が増えればいいと願う。
福島 香織(ふくしま・かおり)
ジャーナリスト
大阪大学文学部卒業後産経新聞に入社。上海・復旦大学で語学留学を経て2001年に香港、2002〜08年に北京で産経新聞特派員として取材活動に従事。2009年に産経新聞を退社後フリーに。おもに中国の政治経済社会をテーマに取材。著書に『潜入ルポ 中国の女―エイズ売春婦から大富豪まで』(文藝春秋)、『中国のマスゴミ―ジャーナリズムの挫折と目覚め』(扶桑社新書)、『危ない中国 点撃!』(産経新聞出版刊)、『中国のマスゴミ』(扶桑社新書)など。
中国新聞趣聞〜チャイナ・ゴシップス
新聞とは新しい話、ニュース。趣聞とは、中国語で興味深い話、噂話といった意味。
中国において公式の新聞メディアが流す情報は「新聞」だが、中国の公式メディアとは宣伝機関であり、その第一の目的は党の宣伝だ。当局の都合の良いように編集されたり、美化されていたりしていることもある。そこで人々は口コミ情報、つまり知人から聞いた興味深い「趣聞」も重視する。
特に北京のように古く歴史ある政治の街においては、その知人がしばしば中南海に出入りできるほどの人物であったり、軍関係者であったり、ということもあるので、根も葉もない話ばかりではない。時に公式メディアの流す新聞よりも早く正確であることも。特に昨今はインターネットのおかげでこの趣聞の伝播力はばかにできなくなった。新聞趣聞の両面から中国の事象を読み解いてゆくニュースコラム。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20121029/238738/?ST=print
JBpress>海外>The Economist [The Economist]
資本流出:人民元の逃避
2012年10月31日(Wed) The Economist
(英エコノミスト誌 2012年10月27日号)
国内での経済的抑圧を受け、海外に流れる中国マネーが増えている。
ミルトン・フリードマンは初めて中国を訪れた時、チップの習慣がないことに不満を抱いたという〔AFPBB News〕
ノーベル賞を受賞した経済学者で自由市場の主唱者であるミルトン・フリードマンは、1980年に初めて中国を訪れた。典型的な旅行者とは異なり、彼はチップを支払う習慣がないことについて不満を訴えた。
結局のところ、チップは価格(良いサービスに対する対価)を表すものであり、価格には、最も有効に使われるところに資源を配分するという魔法を自由に使わせるべきだとフリードマンは確信していた。
そして彼は中国で、チップの習慣がないと、ホテルのポーターがスーツケースと格闘している疲れ果てた米国人に手を貸す動機が存在しないことに気づいた。
フリードマンは、経済的な自由は政治的な自由の必要条件だと主張していた。しかし1962年刊行の著書『資本主義と自由』では、経済的な自由は政治的な自由がなくとも発展できることを認めた。
まだ限られている経済的自由
間もなく退陣する中国の指導者、胡錦濤氏と温家宝氏はきっとこれに同意するだろう。両氏は在任中に政治改革を進めることができなかった。だが、経済的な自由はどうだろうか?
自由市場と私有財産の進展は「世界経済自由度」指数によって測定されている。これはフリードマンが手を貸し、カナダのシンクタンク、フレイザー・インスティテュートとともに考案した指数だ。先月発表された最新の報告書では、胡錦濤・温家宝体制の間に経済的な自由が高まったとされている。
しかし中国はいまだに、このランキングで世界99カ国の後塵を拝している。例えば、多くの人々が試みてはいるものの、中国人はまだ完全に自由に資本を国外に持ち出すことができない。
いまだに残る中国の経済的な非自由主義は、コストが高くつくと同時に評判が悪い。コストの一部に関しては、北京に本拠を構える別のシンクタンク、天則経済研究所が試算している(同研究所の理事長、茅于軾氏は、今年のミルトン・フリードマン自由賞を受賞した)。
天則経済研究所の計算によれば、中国の国営通信企業は、競争から身を守ってくれる行政障壁のおかげで、年間約310億元(50億ドル)の超過利益を上げているという。こうした会社の高い価格は、市場価格なら払っただろう一部の顧客を阻むことにもなった。
こうして失われた商取引は、フリードマンが宿泊したホテルの運ばれなかったスーツケースや払われなかったチップのようなものだ。互いのためになるやり取りが実らなかったわけだ。しかし通信業界では、失われた利益は2003年から2010年にかけて4420億元相当にも上った。
中国の国有企業が顧客に対して過剰請求しているように、国営の銀行は預金者に対して十分な支払いをしていない。政府が決めた預金金利の上限は、貯蓄家が預金で得られるはずの市場リターンを奪っている。天則経済研究所の試算によると、払われなかった利息は2011年に約1兆1600億元、GDP比約2.6%に上ったという。
自発的な亡命
貯蓄家はこの金融抑圧から逃れるため、まず株式市場に、次に不動産市場に逃げ込んだ。そして最近は、海外に経済亡命を求める人もいる。
マーケティング企業の胡潤研究院は、中国の富豪(本人名義で1000万元以上の資産を保有している人)は資産の19%を国外に保有していると考えている(胡潤研究院によると、富豪の85%は子供を海外留学させる計画で、44%は自身の海外移住を考えているという)。
海外に資産を保有することは、もはや大富豪に限られた夢ではない。資産規模が小さめの投資家の中には、アリゾナ州フェニックスのような米国の2級都市の不動産に目をつける人もいる。
しかし、中国国民が国外に持ち出せる金額を年間5万ドルに制限している資本規制はどうなのか? 「それについてはあまり気にしていない」と、ある投資家は言う。「中国人は国外へ自分のカネを送るために、あらゆるルートを見つけることで有名だ」
外貨流入と外貨準備の計算が合わない〔AFPBB News〕
資本の流出を追跡するのは難しいが、今夏は流出が異様に多かったようだ。大手銀行スタンダード・チャータードのスティーブン・グリーン氏は、中国の貿易黒字と(ネットの)外国直接投資に伴う外貨流入は、第3四半期に約1080億ドルに上ったと指摘する。
にもかかわらず、中国の外貨準備に計上されたのはたった280億ドルだった。これは約800億ドルが反対方向に流れたことを示唆している。
こうした資金の一部は、国外に出ることなく人民元から流出したものだ。中国の銀行が保有している外貨預金は90億ドル増加した。また、中国の景気が上向いたことから、流出は恐らく9月に止まったとグリーン氏は話している。それでも一連の数字は、やはり今夏に資本逃避が起きたことを物語っている。
グリーン氏の計算は、中国の貿易黒字が正しく計算されていると仮定している。しかし企業は、輸出を過小申告したり、輸入を過大申告したりすることで、中国から資金を運び出すこともできる。例えば、海外で1000ドル相当のモノを売り、800ドルの請求書を提示して、差額を海外に残すかもしれない。
不正な資金の流れを防ぐ活動をしている米調査会社グローバル・フィナンシャル・インテグリティー(GFI)は、こうした不正な請求が横行していると考えている。GFIのデヴ・カー氏とサラ・フレータス氏は新たな研究の中で、中国が発表した世界各国に対する輸出額と、世界各国が発表した中国からの輸入額を比較した。
また、中国が世界各国から購入した額と世界各国の対中輸出も比較した。原則的に、これらの数字は合致するはずだ。だがカー、フレータス両氏は、その数値に大きな違いがあることを発見した(図参照)。
両氏が推奨する通り、香港およびマカオとの貿易を除外した場合、中国による輸出の過少申告と輸入の過大申告の合計額は2011年に4300億ドルに上ったと見られる。
これらの試算を額面通りに受け止めるのは難しい。何しろこの試算は、中国の本当の経常黒字(貿易黒字にほかの項目を1つ、2つ加えたもの)が2007年のピーク時にGDP比20%近くに達していたことを示唆している(公式統計では約10%だった)。
だが、たとえこうした数字が確定的というよりは例示的なものだったとしても、国境を越えた財の流れがこれほど多い国で、国境を越えた資本の流れを抑制することの難しさを浮き彫りにしている。
中国の新指導者は要注意
GFIが確認した資本逃避は、マクロ経済的な危険をもたらすものではない。この計算はある意味で、公式統計が示す以上に中国の対外収支が強いことを物語っている。GFIの方法論が言う資本逃避が1ドル発生するたび、隠されていた輸出収入が1ドル表に出るのだ(または、公式発表よりも輸入品にかかった金額が1ドル少なくなる)。
この資本逃避は、マクロ経済の安定にとって脅威ではないかもしれないが、中国の新しい指導者が留意すべき合図であることは確かだ。ミルトン・フリードマンは、出ていくぞという脅しが強力なメッセージになることを理解していた。
1980年に中国を訪問した時、フリードマンと妻は、北京郊外の退屈なホテルに置き去りにされたことに不満だった。そこで、場所を変えてもらえないのなら帰国すると訴えた。2日後、2人は北京市内の最上級ホテルに移されたという。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/print/36429
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