http://www.asyura2.com/12/warb10/msg/331.html
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日米同盟:蹂躙された沖縄
2012年10月23日(Tue) The Economist
(英エコノミスト誌 2012年10月20日号)
沖縄県民が日米同盟の利点に疑問を投げ掛ける新たな理由が加わった。
沖縄に駐留する約2万6000の兵士を束ねる米軍司令官たちは、不運に呪われていると感じている。一方、140万人の沖縄県民の多くは、米国人そのものに呪われていると感じている。
米海軍の兵士2人が地元の女性に性的暴行を加えた容疑で逮捕、送検されたのは厄介なタイミングだった。沖縄では既に、米軍基地に対する抗議の気運が盛り上がっていた。きっかけはこの10月、宜野湾市の普天間基地に12機のMV22オスプレイが配備されたことだった。オスプレイはヘリコプターのように離着陸し、固定翼機のように飛行する。
抗議行動に参加したある住民は、「世界で最も危険な基地に世界で最も危険な航空機」が配備されたと見る。米国側は、最も危険な基地でも最も危険な航空機でもないと異議を唱え、沖縄で最も犯罪率が高いのは米軍の兵士だという主張も否定している。
それでも、今回起きたレイプ事件は、地元住民の激しい怒りの火に油を注ぐだけのものだっだ。
普天間に配備されたオスプレイ
米海兵隊の垂直離着陸輸送機MV22オスプレイ〔AFPBB News〕
オスプレイに関して言えば、不運は2012年に入ってからの米フロリダ州とモロッコの事故という形で訪れた。オスプレイが安全でないというのは不公正な印象だと米国は繰り返すが、2件の事故でこの印象はさらに強まった。
海兵隊によれば、オスプレイはこれまでに米軍が配備したほとんどの航空機より安全性の実績が高いという。
そして、オスプレイは沖縄での軍事能力を大幅に高めてくれると考えている。老朽化したヘリコプター、シーナイトの代替としてオスプレイを配備すれば、飛行速度を2倍に、積載量を3倍に、航続距離を4倍にできる。
沖縄はかつて琉球諸島と呼ばれた列島の本島だ。日本は19世紀に琉球諸島を併合し、台湾に向けて南西に1000キロ以上、領土を拡大した。沖縄本島は日米の安全保障同盟の中核を成し、日本に駐留する米軍の3分の2が集中している。
米国が世界における軍事戦略をアジアに「旋回」している今、沖縄の位置づけは、かつてないほど高まっている。沖縄は中国と太平洋の公海との間にある「第1列島線」に属し、台湾海峡や北の朝鮮半島で問題が生じた際には、そこを作戦範囲に収められる位置にあるからだ。
また、日本が攻撃を受けた際には米国が防衛にあたるという条約上の約束は今、単なる仮定以上の意味を持つように思える。
今のところはまだ、日本の施政下にある小さな無人島の集まり尖閣諸島(中国は釣魚島と呼んでいる)を巡る日中間の軋轢が戦争に発展することはほぼあり得ないように見える。だが、その理由は、尖閣諸島が日米条約の対象であると米国が明言していることだ。
米国防省の依頼を受けてワシントンにあるシンクタンク、戦略国際問題研究所(CSIS)が作成し、8月に公表した米国の太平洋戦略に関する評価報告書は、条約の「軸となる戦略的な取引」に言及している。その取引とは、米国が安全保障を提供し、日本が基地の使用を認めるというもの。つまり、日本政府には沖縄での怒りの拡大を心配する理由があるわけだ。
膨れ上がる地元住民の怒り
普天間基地のゲート前には、その数こそ減少しているものの、高齢者を中心にオスプレイ配備に反対する人々が毎日集まっている。9月に10万人を超える規模のデモがあり、その後も抗議行動が続いているのだ。
米軍駐留の歴史と同じくらいの67歳になるある参加者は、1982年から米軍基地に反対する抗議活動を続けているという。1982年というのは、一部の地主が基地の用地の貸借契約を打ち切ろうとした時だ。
そして1995年、3人の米兵が12歳の少女を集団レイプした事件をきっかけに、それまでより積極的に抗議活動にかかわるようになった。2004年、基地の外の大学にヘリコプターが墜落した(死者は出なかった)時もデモに参加した。
オスプレイ配備、そして今回起きたレイプ事件は長年の恨みを再燃させ、新たな怒りに火をつけた。沖縄県知事公室長の又吉進氏は、県民の80〜90%がオスプレイ配備に反対していると推測する。日米条約の確固たる支持者も例外ではないという。
地元住民の不安の一部は、基地そのものの立地に問題があることから来ている。宜野湾は開発が進み、基地を完全に囲むように市街地が広がっている。
1996年、日米両国は普天間基地の移転で合意し、2006年には移転先を辺野古に決めた。辺野古は島の北東に位置し、人口が比較的少ない。
CSISの報告書は、普天間を「沖縄で最高の場所」、辺野古をほかの選択肢の中では最善と評価している。これは、米国にとって移転の遅れはほとんど懸念材料にならないことを示唆している。ただし、普天間基地で航空団の指揮を執るクリストファー・オーエンズ氏は、もっと制約のない基地に移転した方がいいと考えている。
移転が実現するかに見えた時もあった。ところが2009年、民主党新政権は基地を沖縄県外に移転する意向を示した。これは後に撤回されることになったが、その時には既に、県内では新基地に頑なに反対する世論が広がっていた。
普天間基地の移転が暗礁に乗り上げたため、日米両国は4月、2006年に交わした合意のほかの部分を切り離して考えることに決めた。すなわち、沖縄南部にあるほかの基地の返還と普天間基地に駐留する海兵隊員9000人のグアム移転だ。ただし、いずれも長期にわたる計画で、こちらも既に遅れを生じている。
遠く離れ、忘れられがちな場所
第2次世界大戦の末期、米軍と日本軍の戦闘によって大きな苦しみを味わった沖縄県民は、終戦からずっとこの地に置かれてきた米軍基地の「負担」を必ず軽くすると、早くから約束されてきた。しかし、今ではそれどころか、オスプレイとレイプ事件が新たな怒りの火種になっている。
東京にいる政治家は、沖縄県民の不安に口先で同意しながら、カネで片付けられると考えているように見える。
ある民主党議員は、オスプレイの配備を天の恵みと喜んでいる。シーナイトの航続距離では届かなかった尖閣諸島が作戦範囲に入り、中国に対する抑止力が大幅に高まるためだ。また、このタイミングで、中国の一部で琉球諸島の領有権を主張する声が発せられ、日本の安全保障に対する現実的な脅威が生じているということもある。これはオスプレイ配備への反対を和らげるはずだという。
こうした主張について、知事公室の又吉氏は、レイプ事件の前から「とんでもない論理の飛躍」だと考えていた。レイプ事件は、尖閣周辺海域への中国の軍艦の侵入に関する地元メディアの報道をかき消すことになるだろう。
こうしたことを知ると、普天間基地で抗議行動に参加していたある若い女性の話の理由が見えてくる。友人たちとビールを飲んでいると、すぐに沖縄の独立というはるかなる夢の話になるというのだ。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/print/36362
米国大統領につきまとう「9.11」の長い影
2012年10月23日(Tue) Financial Times
(2012年10月22日付 英フィナンシャル・タイムズ紙)
2001年9月11日以降で3度目となる米国大統領選挙は終盤に入った。しかし、ツインタワー(世界貿易センタービル)への攻撃が投げかけた影は、今でもほとんど薄れていない。
22日夜に行われるバラク・オバマ、ミット・ロムニー両氏による最後のテレビ討論会では、リビアの都市ベンガジでの米国領事館襲撃事件が最も激しい争点になるだろう。クリストファー・スティーブンス駐リビア大使と職員3人が、ツインタワー攻撃のちょうど11年後に当たる先月11日に殺害された事件だ。ロムニー氏はこれ以降ずっと、この事件を利用しようと試みている。
最後のテレビ討論の3分の2は中東問題
今年9月11日に武装集団に襲撃されたベンガジの米国領事館〔AFPBB News〕
ロムニー氏は22日、討論会の司会を務めるCBSのボブ・シーファー氏からも必要な支援(あるいは好きにできる時間)をもらえることになる。
シーファー氏は、討論の3分の2を中東に割り当てている。そして同氏が取り上げた6つのトピックのうち、2つは「中東のテロリズムの新しい側面」に関するものだ。
つまり、ベンガジの事件には「中国の台頭」および「世界における米国の役割」という2つのトピックの合計と同程度の時間がかけられる可能性があるのだ。
なお、これ以外にはイスラエルとイランの問題、およびアフガニスタンとパキスタンの問題の2つがトピックに選ばれている。
シーファー氏のリストは、米国大統領選挙の討論会に9.11が引き続き影を落としていることを浮き彫りにしている。全体的に見れば2012年の大統領選挙は、米国がまだジョージ・W・ブッシュ時代を引きずっていることを示すものになっている。2人の候補者は基本的に、ブッシュ前大統領が行った政権運営の対照的なパターンを有権者に提案している。
ブッシュ前大統領の1期目と2期目の違い
ロムニー氏は、ブッシュ氏が第1期に推進したユニラテラリズム(単独主義)への回帰を公約している。片やオバマ氏は、ブッシュ氏の第2期を軽くした感じの政権運営を今後も続けるだろう。有権者に選択肢が示されていることは間違いない。だがこれは、米国が直面するこれ以外のおびただしい数の難題について議論する意欲をあまり持っていないことの裏返しでもある。
ブッシュ氏は2001年から2003年の間に2つの戦争を始め、先制的戦争のドクトリンを正式に採用した。再選を果たした第2期ではディック・チェイニー副大統領を遠ざけ、ドナルド・ラムズフェルド国防長官を更迭した。その後釜には外交政策のリアリスト、ロバート・ゲーツ氏を据えた。ゲーツ氏はオバマ政権に代わっても国防長官に留任した。
ブッシュ氏とオバマ氏はそれぞれ、米軍の増派作戦をゲーツ氏に託した。22日の討論会を見る人は、アフガニスタンでの戦争――今では米国史上ダントツの長期戦となっている――が少なくともあと2年続くことを思い出すことになる。この戦費は今でも、年当たりでざっと1000億ドルに上っている。
しかし9.11が突きつける最大のコストは、「これまで起こらなかったこと」にあるのかもしれない。オバマ氏は2008年、ブッシュ時代と訣別し、世界における米国の威信を回復すると公約してホワイトハウス入りした。そして数々の計画を一度に打ち出した。
果たされなかった約束
グアンタナモ湾の収容所を1年以内に閉鎖せよと命じたり、テロリストを米国内の一般の裁判所で裁判にかけようとしたり、中央情報局(CIA)の演出を終わらせたり拷問を禁止したりしようとした。水責めの禁止を除いて、オバマ氏の宣言はいずれも9.11後の政治の流砂の中に消えていった。
大統領就任後の最初の週にぶち上げた、アラブとイスラエルの和平プロセスを開始する試みも同様だった。このことも手伝って、イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相はロムニー氏が大統領になることを事実上支持している。
先月の大統領候補指名受諾演説ではほんの少しだけ言及したものの、オバマ氏は気候変動の問題についても口を閉ざしてしまった。2009年にプラハで明らかにしたが静かに忘れ去られている、核兵器のない世界を目指す計画も同様だ。同じことは、オバマ氏が期待していた米中(いわゆるG2)協力の新時代などにも当てはまる。
こうした失望の多くは、恐らく避けられなかったのだろう。就任直後に大風呂敷を広げてしまったことの大半は、首長の経験が当時はまだなかったことに起因する。しかし、米国の政治状況は2008年以降、驚くほど変化していない。
2012年に入ってからのオバマ氏の外交政策の宣伝文句は、ウサマ・ビンラディン容疑者の殺害に終始する。再選に向けた選挙戦でオバマ氏は、実行できていればブッシュ氏との差別化ができたと思われる施策のほとんどについて、トーンダウンしたり全く言及しなかったりしている。前政権との徹底した訣別は、もう終わってしまったのだ。
テロに関しては、海外のテロ容疑者に対する無人機攻撃が急増したにもかかわらず、オバマ氏は一般に思われていたより弱い。3週間前まで、オバマ氏は国家安全保障でロムニー氏に大差をつけていた。
だが、ビンラディン容疑者の殺害はもう形勢を一変させるカードではないかもしれない。ロムニー氏に2ケタの差をつけていたオバマ氏のリードは、10月初め以降、4ポイント前後まで詰められている。
オバマ氏が外交政策でロムニー氏の後塵を拝していることを示す世論調査もある。ある調査では、どちらの方がリビア問題にうまく対処したかという設問でロムニー氏が2ポイントリードしていた。
経済が最大の争点のはずなのに・・・
11月6日の結果を左右する最大の要因として、経済に取って代わるものはない。だが、ここでも討論のテーマは、除外された問題という点で多くを物語っている。国際通貨基金(IMF)によると、世界経済に占める米国のシェアは2001年以降8ポイント低下し、23%になっている。
にもかかわらず米国の競争力は討論のトピックにならなかった。どうやら、世界を見るレンズとして9.11と張り合えるものは存在しないようだ。ロムニー氏が米国の「一番の地政学的敵」と呼んだにもかかわらず、ロシアは討論で取り上げられることはなかった。西半球も議論されず、欧州、アフリカ、中国以外のアジア諸国も話題にならなかった。
議論することはたくさんあるのに、時間がない。財政緊縮、あるいはそれ以上に劇的な事態が迫ってきている時に、オバマ氏は米国の多額の国防費を維持せざるを得ないと考えており、ロムニー氏は国防費を大幅に増やそうとしている。ロムニー氏は年間15隻の新しいフリゲート艦と兵士の10万人増強を約束した。
両者とも、核を持ったイランの封じ込めに甘んじるくらいなら、戦争を始めた方がいいと思っていることを示唆した。もっとも、オバマ氏の言葉を額面通りに受け止める識者はほとんどいないが。
どちらの候補も、ブッシュ氏についてプラスの評価をする発言をカメラに捉えられることはないだろう。しかし、どちらもブッシュ氏が後に残した世界から脱却する意思や力がないようだ。
By Edward Luce
http://jbpress.ismedia.jp/articles/print/36370
今こそ再考すべき「米国式ITガバナンス」
日本企業はなぜ消化し切れなかったのか
2012年10月23日(Tue) 横山 彰吾
当社のサービスは「グローバル、CRM、クラウド」をキーワードとしているため、企業から「グローバルを視野に入れたCRM」に関する相談を受けるケースが多い。
ただ面白いのが、そうは言いつつ、「まずは日本、その後は未定」という話がいまだに大半を占めるという点だ。よく話を聞くと、グローバルプロジェクトのつもりでやりたいが、“現地との調整”が必要なので、まずは日本で成果を出してから、その先どうなるかは未定、だという。
実はこの時点で、グローバルプロジェクトとしての成功はすでにずいぶん遠ざかったと言ってよい。「成功」の定義にもよるので乱暴なことは言えないが、正確には「迅速に成果を上げることは難しくなった」ということだ。
グローバルプロジェクトはなぜ迷走するのか
その企業の強みを生かすためには、当然のことながら優れた業務プロセスを各国各拠点で取り入れるべきだし、それを支えるシステムは同じものであることが望ましい。それによって、グローバルでの業務レベルの底上げや、迅速な意思決定などが可能となる。
また、それを実現するためのITに関するお金の使い方や、プロジェクトの進め方、役割分担なども、グローバルで一定のルール化がなされている形が望ましい。
そういった一連の約束事を決めて守らせるのは本社のIT部門の仕事である。これがいわゆる「ITガバナンス」だ。
ところが、そういった「うちの会社のITガバナンスはこういうものだ」というものが存在しないままグローバルでのプロジェクトを進めると、あらゆることが各国事情に振り回され、個別対応になってしまう。経営はグローバル化しているものの、ITにおけるマネジメントがそれについていけておらず、本社としての意思を通すことが難しいという状況だ。
これが、いつ終わるか分らないグローバルプロジェクトを生み出してしまう大きな原因と言えよう。
米国でITガバナンスが流行ったのは約10年前。当時、日本企業は一生懸命海外の先進企業のベストプラクティスを学習している状況であった。しかしほとんどが「学習」に留まっていた。
今になって「あの頃に力を入れてやっておけば・・・」という嘆きも聞こえてきそうである。だが当時は、ここまでグローバルでの迅速な意思決定やITの全体最適が必要になるとイメージできた企業はほとんどなかった。本当の意味でのITガバナンスの必要性は今になって気づいたという会社が多いのではなかろうか。
ITガバナンスの実現を妨げる「人の問題」
筆者は必ずしも米国流の「各国個別事情は無視して強力に何でも統制するITガバナンス」に大賛成というわけではない。実際に、米企業のローカルスタッフとして“US Centric”(アメリカの一極体制)の良い面も悪い面も経験してきた。
しかし、現代のように世界中の市場で、どこで何が起こっているかを手に取るように分かるようにしなければならない経営環境下では、多少気に入らないスタイルだとしても、強力なガバナンスがあるとないとでは大きな違いが出てくる。
とはいえ、そうは分かっていてもなかなかできないのが日本企業の現場である。
日本のグローバル企業と接していて、米国式ITガバナンスに近いものを実現するのは相当難しいのではないかと感じるときがある。
いくつか理由があるのだが、実務的な話として言うと「人の問題」はやはり大きい。人と言っても能力の話ではなく、長年培われた組織・部門を超えた上下関係である。
大企業ほどいまだにプロパー志向は強く、海外のあちこちの拠点に日本で十分に経験を積んだ先輩社員がいたりする。そういう人たちを相手に、「本社はこういうことをしたい」と言っても、なかなかすんなりいかないものだ。
往々にして「それは本社の都合だろう。現地にはあまりメリットがない」と現地側が長年の力関係を持ち出して言い返すケースが多い。
会社のルールやガバナンスとは違うところでそういう事情が先に立つ。すると本社側が定めたガバナンスや、大胆な発想のプロジェクト企画があったとしても、まずは現地の先輩を説得しないと、という話になってしまうのである。
ここが、米国企業とは決定的に違うところだ。あちらの場合は、仕事で人が雇われているので、ある意味、しがらみがなくシンプルである。逆に仕事をスムーズにいかせるためのものとして、権限や責任の明確化が求められ、ITにおいてはガバナンスが確立していないとむしろ機能しない。
日本でも、しがらみのない新興の会社では、驚くようなグローバル一斉展開のプロジェクトを立ち上げ、平然とやってのけたりしてしまう。
「管理」が目的になってしまいがち
また、冒頭でも若干触れたが、「ガバナンス」「マネジメント」というと、本来成果を上げるためのものが、日本企業においてはなぜか「管理」の話になってしまうところもネックだ。
一般的に米国企業では、ITの活用はあくまでも各拠点や各部門がミッションを果たして成果を上げるためのものである。そして、そのITを活用するための最適解を専門的な視点で提供するのが「ITガバナンス」だと言ってもよい。つまり「攻め」のためのものなのだ。
しかし日本のITガバナンスは、セキュリティ、内部統制、TCO削減など「守り」の話に走ってしまいがちだ。おそらくIT部門がビジネス部門に遠慮していることが起因しているのだと思われるが、この根本的な勘違いは本当に問題である。
さらに言うと、この手の話をするのは大体ある程度以上の大企業となるが、そういう企業ほど組織が縦割りになっていて、本来の目的を忘れて管理に目がいってしまう傾向がある。
アーリーアダプターほど抱えている「トラウマ」
もう1点。これもよく現場で耳にする話だが、過去にコンサルティングファームを使ったところうまくいかず、トラウマになっているというケースもある。
特に、改革に前向きで新しいことに取り組もうとしていた企業ほど、ナレッジがあるコンサルティングファームに依頼し、グローバル標準レベルを目指して様々なトライをしてきた。しかし、多額の費用がかかったものの成果が見られず、最後は立ち消えになってしまう。そして残ったのは「外部の手を借りたら痛い目に遭った」というトラウマである。
だが、これは決してコンサルティングファームだけが悪いわけではない。お互いに手探りだったのでうまくいかなかったということだと思う。しかし、誰もそうとは言わない。
そのトラウマに今でも支配されていると、なかなか同じ名前のテーマで何か始めるのは難しいのである。特に当時を知る人が組織の上層部にいると拒絶反応はすさまじいものがある。
過去の失敗やしがらみを気にしている余裕はない
以上のようにいくつかの事情があって、日本企業におけるグローバルでのITガバナンスの確立は極めて難しいテーマとなってしまっている。むしろ忘れられていると言ってもよい。
昨今は米国流の経営を否定する企業も多く現れている。では日本流が確立されたのかというと、必ずしもそうとは言えない。大きく言うと何も変わっていないのである。
これだけビジネスの環境がグローバル化してきた今、過去の失敗やしがらみを気にして停滞している余裕はない。本社の強力なリーダーシップを発揮して、世界規模でプロジェクトを加速できる土台を作ることは急務であろう。
日本企業の各国拠点、代理店などでも日本の本社のリーダーシップを期待しているのではないだろうか。現状の危機感をバネに、今こそITガバナンスの確立を急いでほしいと願う。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/print/36340
どんなに強くなっても中国が米国に代われない理由
グローバルガバナンスのこの破壊者は、創造者ではない
2012年10月23日(Tue) 樋口 譲次
グローバルガバナンスとは、「地球統治」と解釈すると誤解を生じるが、世界各国の異なった立場や意見を調整または統制し、地球あるいは世界全体を上手く管理運営していくことである。
グローバルガバナンスと国際公共財
地球には「世界国家」が存在せず、主権を有する国家が平等な立場で並列的に存在している。国家には主権あるいは主権者が存在するが、国際社会には各国家を超越して統治する主権あるいは主権者が存在しない。
現在の国際社会は、各国の合意の下、調和できる範囲で協力・協同することを基本として管理運営されており、それ以上のグローバルガバナンスのシステムは存在しない。見通し得る将来においても、主権国家を統治する世界国家の誕生を予測することはできないであろう。
グローバルガバナンスの最大の担い手である「国際連合」は、その現実認識を前提として設立された。
「国連憲章」の第1章「目的及び原則」の第1条「国際連合の目的」では、第1項から第3項の3つの目的を挙げ、末項(第4項)で 「(国際連合は、)これらの共通の目的の達成に当って諸国の行動を調和するための中心となること」と謳っている。
7項目からなる第2条「目的を達成するに当たっての行動原則」の第1項で、「この機構は、そのすべての加盟国の主権平等の原則に基礎をおいている」とし、さらに、第7項では、「この原則は、第7章に基く強制措置の適用を妨げるものではない」との条件を付しているものの、「この憲章のいかなる規定も、本質上いずれかの国の国内管轄権内にある事項に干渉する権限を国際連合に与えるものではなく、また、その事項をこの憲章に基く解決に付託することを加盟国に要求するものでもない」としている。(以上の太字および括弧書きは、筆者注記)
つまり、国連憲章から引用すれば、現存のグローバルガバナンスとは、「世界各国の主権平等の原則に基礎をおいて、各国の行動を調和すること」にほかならず、ましてや、覇権大国が一方的な統治を行うものではない。
また、各国の「国内管轄権内にある事項に干渉する権限はなく、その解決を加盟国に要求するものでもない」との基本理念の合意の下に成立している。
一方、「諸国の行動を調和」するためには、その基準となる規範、合意形成のための機構、管理運営するための制度・システムなどが必要であり、近年、それらを「国際公共財(グローバルコモンズ)」と呼ぶようになった。前述の国連および国連憲章は、その象徴的存在である。
今日、「国際公共財」と呼ばれているものには、国際連合、IMF(国際通貨基金)、WTO(世界貿易機構)、世界銀行、そして、NATO(北太平洋条約機構)、EU(欧州連合)、ADB(アジア開発銀行)、ASEAN(東南アジア諸国連合)等の地域協力(統合)機構などがある。
これらの機構、それを支える規範や制度は、第2次世界大戦後、世界的な覇権を握った米国が中心となり、そのイニシアティブによって作られたものが多い。
このように、「国際公共財」とグローバルガバナンスの形成には、その時代の覇権大国が強く、かつ、深く係わっているのである。
覇権大国とグローバルガバナンスのための「国際公共財」
国際法も、重要な「国際公共財」の1つである。近代国際法は、宗教戦争(1618〜48年)を終結させたウエストファリア条約(1648年)に起源があることを、多くの研究者が認めている。
皇帝による専制支配の中国が「明」から「後金」へ移行していた頃の近世前期のヨーロッパには、すでに領域主権国家とヨーロッパ「国際社会」が成立し、人間、商品、資本の移動に伴う安全や信頼の確保と国家の国際的活動の相互調整の必要が生じていた。
つまり、当時のヨーロッパは、国際社会が成立した世界の先進地域であり、また、国境を跨いだ宗教戦争や英蘭を中心に海上権力の争奪戦が繰り広げられていたことが、その背景にある。
宗教戦争の結果、神聖ローマ帝国が崩壊し、ウエストファリア条約によって、従来のカトリック教会の権威と国家の権力が政治秩序の中で併存していた二元的な体制が一掃され、「優位するいかなる権威も認めない多数の独立国家を基礎とする国際制度」(イタリアの国際法学者アントニオ・カッセーゼ)が誕生した。
国際政治における国家間の「勢力均衡(バランス・オブ・パワー)」の概念もこの頃に生まれている。
その後、国際社会は、当時の覇権を握るヨーロッパを中心として、第1次世界大戦までに、多くの基本的国際法規及び原則(領域主権原則、公海自由の原則、国家(主権)免除に関する法、外交及び領事関係法、条約法、外交的保護に関する規則、中立に関する規則など)を確立した。
国際法制度は、一般的に、1648年から1918年までの伝統的国際法制度と、第1次大戦以降(1919年〜)の現代的国際法制度に分けられるようである。
その後者の対象期間に該当する第2次大戦終了から冷戦終結までの間に、国際社会は、米ソ2大国を中心として動き、国際連合が設立され、武力行使の一般的禁止と集団(的)安全保障を制度化した。
また、戦後処理の中で、個人の権利及び民族自決権が認められ、多くの国が独立した。非植民地化のプロセスは、1960年の国連総会で「植民地諸国、諸人民に対する独立付与に関する宣言」が採択され、1960年代に完了した。
冷戦終結後は、大量破壊兵器の拡散や地域紛争、国際テロなどの新しい形の紛争が多発する中、米ソの共同核削減が進展し、人道に対する罪や戦争犯罪に対する刑事分野での国際法の発展が見られ、環境や開発への関心も高まった。
一方、冷戦期における西側自由社会は、米国のヘゲモニーの下、米国を中心として前述のような政治、経済、安全保障等に係わる国際機構及びそれを支える規範や制度を整備し、グローバルガバナンスを推進する上で、極めて重要な役割を果たしてきた。
以上、縷々述べてきたのは、現在の世界秩序が、平等な主権国家を基礎として「国際社会」をいち早く発達させた欧米を中心に、葛藤と検証を繰り返しつつ、3世紀半余の長い歴史を積み重ねて作られた事実を再確認するためである。
そして、これまでに作られた機構や規範、制度は、簡単に破壊して、直ちに新たな秩序に置き換えたりすることができるものではなく、至って頑丈にかつ体系的にできている。また、日本、欧州等の先進諸国はもとより、発展途上国にとっても受け入れ可能で、合理的かつ有益なものとなっており、国際社会に深く根付いている。
冷戦は、米国の一方的な勝利で終わった。その敗者となったソ連(ロシア)および中国は、今日、米国一極支配に反対し、共同して多極化の推進を目指している。
特に、中国は、長年、国際秩序の形成に参画できなかったが、1970年代末以降、驚異的な経済発展を梃子として急速に台頭し、国際社会での発言力を増大している。そして、ケ小平が「国際旧秩序を打ち破り、『公正かつ合理的な国際政治経済新秩序』を構築する」との構想を打ち出して以来、言うなれば「中華的新秩序」の確立を強く主張するようになっている。
グローバルガバナンスの破壊者にはなれても創造者ではない
中国は、1978年、ケ小平の指導の下、「改革開放」を決定し、以降、30年余にわったって「奇跡の経済発展」を遂げた。
中国の世界経済及び東アジア地域経済への融合あるいは統合は急速に進み、2008年には、外貨準備高において、日本を抜いて世界最大の外貨準備国となった。また、2009年、中国は、ドイツを抜いて世界第1位の輸出大国そして第2位の輸入大国となった。
翌2010年、中国は、全体の規模において日本を凌駕し、世界第2位の経済大国となり、2030年前後には、米国さえも追い抜く勢いである。
中国の国防費は、経済発展とともに、過去二十数年にわたって驚異的なペースで増加を続けている。
公表された国防費の名目上の規模は、2010年度の約9.8%を例外として、2012年度まで23年連続で、経済成長率を優に超える2桁(十数%)の伸び率を記録し、過去5年間で2倍以上、過去24年間で約30倍の規模に膨らんでいる。しかも、中国の国防関連支出は、公表数値の2〜3倍に上っていると言われている。
その結果、「接近阻止/領域拒否」戦略に基づき、海空軍の増強近代化、宇宙・サイバー空間における軍事能力の強化、空母、ステルス性能を備えた次世代戦闘機、対艦弾道ミサイル(ASBM)などの開発・装備化が急速に進行している。
中国の国力は、明らかに強大となっている。世界大国・米国との力のバランスは相対的に変化し、東アジアはもとより、世界全体に大きな影響を及ぼすことはもはや否定できない。
この中国の台頭によって、「米中の覇権交代はあり得るか」の問いに対して、白石隆、ハウ・カロライン著『中国は東アジアをどう変えるか―21世紀の新地域システム―』(中公新書)は、「二つ、対照的な答えがありうる」と述べている。
その1つは、ジョン・アイケンベリー氏の主張で、要約すると「米国が中心となって作ったIMF、世界銀行、WTOなどは国際公共財であり、日本、欧州などの先進諸国をはじめ、発展途上国にとっても有益な、意味ある機関である。中国がこれに代えて、自分にもっと都合の良いものを作ろうとしても、容易に変えることはできない。現在の世界秩序は、それなりに頑丈で、簡単に壊れるものではない」という現秩序代替不能論である。
これに対して、船橋洋一氏のもう1つの見方は、「中国が発展途上国であることには変わりなく、大国の責任を果たすというより、国内利益を優先する。インド、ブラジルなども同様で、その結果、世界はますます多極化し、現在のグローバルガバナンスのシステムは、WTOのドーハ・ラウンドのように機能不全に陥り、行き詰まっていく」(以上、要約)との現秩序悪化の悲観論である。
中国は、現グローバルガバナンスの破壊者として扱われているが、新グローバルガバナンスの創造者とは見なされていない。
世界の歴史を振り返ると、国際社会では、優越を求める勢力と対等を求める勢力、現状維持を図る勢力と現状打破を図る勢力、権力の地位にある勢力と弱者の立場に置かれ逆襲や復権を図る勢力、あるいは先進勢力と新興勢力などの対立・抗争が繰り返されてきた。
特に、現在は、米中の覇権交代期との指摘もあるように、国際情勢がダイナミックに動く可能性を秘めながら推移している。
一方、現在の世界には、近世以降、ヨーロッパを中心に整備された国際法制度と、第2次大戦後、米国の覇権の下に作られた多くの国際機構やそれを支える規範、制度がある。
勃興する中国、インド、ロシア、ブラジルなどの国力増大に伴って、世界的、地球的な富と力の分布は変化するであろう。すでに東アジア(アジア太平洋地域)は、中国の台頭とともに、さまざまな変容を迫られている。
しかし、米国を中心とする東アジアの地域的な安全保障システム等に支えられた現秩序が全面的に変化するとは、直ちに考えにくい。また、東アジアそして世界に中国中心の秩序が形成されるとは限らない。
中国は、経済力と軍事力について言えば、紛れもない世界強国である。そして、この2つの突出したハード・パワーによる影響力・支配力を拡大的に行使し、まずは東アジアにおける中華的地域統合を成し遂げ、さらに発展させて、世界的に影響力を拡大する戦略を推進しているように見られる。
しかしながら、現時点から見通した将来、中国が既存の国際公共財に代えて、より有用かつ魅力的で、多くの国が賛同するソフトパワー上の代替案を提示し、自国を中心としたグローバルガバナンスを確立できる覇権大国になれるかとの問いには、大いなる疑問符を付さざるを得ない。
国際社会は、(1)自由平等、(2)民主主義、(3)人権、(4)法の支配を守るべき共通の価値、すなわち国際公共財として広く受け入れている。
それに反して、中国は、いまだに中華思想−不平等な上下関係の華夷秩序−に囚われている。かつまた、共産党一党独裁を堅持し、全体主義及び強権支配の政治体制を変えていない。
その中国を中心としたグローバルガバナンスを、東アジア周辺のほとんどの国そして世界各国は、力ずくで強制されることがあったとしても、自ら望むことは決してないであろう。
あえて繰り返せば、世界に向かって国際公共財というソフトパワーを提供できない中国には、グローバルガバナンスの中心としての覇権大国の地位を占める資格が備わっていないということに帰着するのではないか。
今後、国際政治の焦点となる東アジアは、中華文明、日本文明、ヒンドゥー・仏教文明、イスラム文明、西欧文明などが混在していることからも明らかなように、地域政治の発展が遅れている。
しかし、日本をはじめとする中国周辺の東アジア諸国は、中国の大国化とともに、「法の支配」に代表される現行の世界秩序を否定する「力ずくでの強制」だけは、何としても阻止したいと決意しているのは間違いなかろう。
そのため、各国は、防衛力(軍事力)を強化し、また、他国あるいは地域との連携・協力関係を構築しつつ、「関与」「ヘッジ」「バランシング」などの戦略的選択肢を駆使して、その対応に細心の注意を払う「長く厳しい戦い」、しかし「避けては通れない戦い」が続いていくことになろう。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/print/36345
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