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坂の上のキノコ雲(オリバー・ストーンのドキュメンタリー)
2012年10月10日 | 政治
『原爆投下で対日戦争を終わらした』アメリカ製神話の真偽
赤旗アメリカ特派員山崎伸治さんの『「原爆投下で終戦」という米の「常識」に挑戦』との10月10日の署名記事によると、映画『プラトーン』『7月4日に生まれて』などの作品で米国の軍国主義を批判してきたオリバー・ストーン監督の、10回シリーズのテレビドキュメンタリー『米国の語られぬ歴史』の試写会が10月6日、第50回ニューヨーク映画祭で行われた。
第3回分は、米国による広島、長崎への原爆投下は必要なかったことを暴いている。
米国では原爆投下が『第二次世界大戦を終わらせるのに役立ち、日米両羽国民の命を救った』というのが、政府も含めた『公式見解』。
1995年の被爆50周年にあわせ、ワシントンのスミソニアン航空宇宙博物館の『原爆展』が当初、原爆投下を問い直す内容だったものが、議会保守派などの介入で『賛美』するものに修正され、日米で大きな議論となった。
ニューヨ−ク映画祭のスト−ン監督のドキュメンタリーは、第二次世界大戦からオバマ政権に至る米国の軍事・外交政策について『学校では教えてくれない歴史』を紹介するのが狙い。
『戦争を終わらしたのは「ソ連軍参戦」だった』
第三回分は原爆投下に至る過程を描いています。
第二次世界大戦末期、米政府・軍部にもソ連が対日参戦すれば日本は降伏し、『原爆投下は必要ない』という意見があった。
しかし(ソ連軍参戦での戦争終結の事実を隠蔽する目的で)、戦後(次の冷戦)をにらみ、対ソ優位を確保しようとしたトルーマン大統領が原爆投下を推し進めたことを歴史的資料で裏付けています。
原爆投下で『救われた』とされる命が大戦直後には『数千人』とされていたのが、その後『数百万人』にまで膨れ上がったことを指摘。『原爆投下が必要だった』という主張が誇張されていることを明らかにしています。
試写会後のパネル討論会でストーン監督は、もともと原爆投下を題材にした企画からこのドキュメンタリーシリーズが生まれたと説明。
『戦争を終わらして日米両国民の命を救ったとの原爆神話を信じる5割のアメリカ人』
ストーン監督とともに脚本を担当したアメリカン大学のピーター・カズニック准教授は、米国民は自国の歴史についてほとんど知識がないと指摘。『今でも世論調査では45〜55%の米国民が「原爆投下は必要だった」と考えている。こうした考え方に挑んだ』とその意図を説明した。
試写会参加者からは『原爆投下がなくとも1945年の春には日本が降伏する可能性があったのでは』、『日本の降伏には原爆よりもソ連の参戦の方が大きかったことが分かった』という声がありました。
このシリーズは11月に米国のケーブルテレビで放映予定。それに先立ち10月末には同じ題名の書籍も発売されます。
(10月10日赤旗)
『最後はキノコ雲だった日清日露の「坂の上の雲」』
日独国民の敗戦後の戦争感が大きく違う原因ですが、これは経験した戦争自体が大きく違い、ドイツは首都ベルリンの攻防戦を含めドイツ全土での本土決戦を行っている。
対して日本が戦ったのは本土から遥かに離れた辺境の沖縄県や硫黄島だけなのです。
日本人が未だに『日本が悪くなかった』などと寝ぼけたことを言っているのは本土決戦を回避した消化不良か欲求不満の後遺症ですね。
どんなに良いことでも一部には必ず良くない影響が出るのですが、日本国は半分しか戦争をしなかったのです。
日本軍精鋭部隊が無傷で半分が本土に残ってしまったのですね。
地獄の地上戦を経験した沖縄県民の方はドイツ国民と同じなのだが、本土の日本人は事情が大違いなのです。
同じ沖縄県人でも地上戦が無かった先島諸島では自衛隊の誘致など『日本軍は悪くなかった』との本土の人々と同じような無責任でのんきな戦争感なのですね。
地上戦の無かった本土の方は、君主論のマキャベリが言う通りで、全員男は殺されて女は犯されると思っていたのにチョコレートを貰って大感激。
『人間というものは、危害を加えられると思い込んでいた相手から、親切にされたり恩恵を施されたりすると、そうでない人からの場合よりずっと恩に感ずるものである。』
の見本みたいな態度ですね。
多くの日本人ですが、大きな勘違いを全員がしているのですよ。
『国家間の全面戦争と、領土紛争の局地戦とはまったく性質や中身が違う』
第二次世界大戦でもギリギリの最後の最後に回避したように、日清・日露でも本土決戦していません。
これが日本が行った戦争の不思議の中でも、一番不思議な核心部分なのです。
普通なら本土決戦こそが戦争を起こした『本命』(目的)なのですよ。
周辺部分の海洋でも戦うが、それはあくまで序盤戦。本当の目的ではない。
戦争とは将棋と同じで相手の『王』を取るまで終わらないのです。
国境線を突破して全土を攻略、相手の首都を占領して皇帝を殺すか捕虜にするか降伏させることで戦争は終わるのですが、日本の行った日清日露では行わない。
ナポレオンもナチスドイツも、例外なく真っ直ぐ首都モスクワに向かって進軍したのです。イラク戦争でも国境を突破した米軍はまっしぐらに首都バグダッドに向かいフセイン大統領を拘束し殺しているが、国家間の全面戦争とは常に同じなのですが。ところが不思議なことに、日本は最初から、そんなことは考えてもいなかったらしいのですよ。
逆に本物の帝国主義の欧米諸国では、それを目的に戦争を始めるのですよ。
日清戦争ではまだしも山東半島など中国本土に上陸して戦ったのですが、日露戦争では日本軍は満州とか日本海などに戦場を限定して、目の前にあるロシア国境を一歩も超えなかったのですね。
なんとなくプロレス(ゲームとか見世物)を連想する摩訶不思議な戦争なのですよ。
日本軍は、沿海州のウラジオストックやカムチャッカのペトロパブロフスクには指一本触れなかったのです。
これは対米戦争戦争でも同じで、ハワイやアリューシャン列島のアラスカは当時はアメリカの植民地で、今のような州ではない。真珠湾はアメリカの扱いとしてはフィリピンと同じなのです。
日本軍は近代要塞の旅順軍港を苦労して占領するのですが、数分の一の規模のウラジオストックは艦砲射撃すらしていない。
もっと小さく簡単に攻略できそうなペトロパブロフスクすら何もしないのですよ。
欧米の戦争は日本の戦争とは大違い。
ペリーの日本来航時に、ロシアのプチャーチンも外交交渉で長崎に来航する。
この時にクリミヤ戦争が勃発。下田沖で1854年の安政大地震の大津波で軍艦が座礁、急遽日本で軍艦を建造したプチャーチンは英仏軍に包囲され陥落寸前のペトロパブロフスクに向かうのですが、これが普通の戦争です。
戦争とは場所を選ばないのです。
日本の奇襲攻撃で始まった日清日露の戦争では、国家間の全面戦争では必ずつきものである相手の首都の攻略とか本土決戦の構想が最初から欠落していた。
もちろん日米戦でも、日本側は全く同じ態度だった。
ところが、相手のアメリカは当たり前ですがグローバルスタンダードなので最後の首都攻略とか本土決戦を開戦の最初から考えていた。
日本ですが局地戦の超巨大なもの(病的に肥大化した)であり本物の全面戦争など一度も考えていなかった。
対して相手のアメリカは、最初から国家間の本物の全面戦争だったので、これでは日米戦争は最初から勝負にはなりません。
『日露戦争ではなくて、日露事変の表記の方が正しい』
日露戦争よりも期間も規模もけた違いに大きい日中15年戦争の方は満州事変だとか支那事変だとか呼んで、当時は『戦争』とは絶対に言わなかったのです。
日中両国の明らかな戦争だったのですが、日本政府は最後まで宣戦布告しなかった。
乱やら変やらと表現して限定的な軍事衝突(局地戦)であるとの体裁をとっていたのですよ。
中国政府も宣戦布告するのは真珠湾以後の話で、それまでは宣戦布告していないのですが、この理由は戦争だと当時の国際連盟の規約で交戦国は武器の貿易(輸入)を行へない。
イタリアのエチオピア侵攻では武器を自国で生産しているイタリアと輸入に頼るエチオピアの差が露骨に出てエチオピアが敗北する。
中国としては宣戦布告が出来なかったのですね。
日清日露では宣戦布告したので『戦争』の名前が付いているが、宣戦布告の有る無しで戦争かどうかが決まるなど、インチキですよね。
第二次世界大戦終結後の国連の時代に起きた全ての戦争ですが、宣戦布告など1回もないのですよ。
この原因ですが国連憲章には日本国憲法と同じ『戦争は違法』との条項があるからで宣戦布告自体が違法なのです。
それなら本格的な戦争は、第二次世界大戦後に一度も起きなかったとのバカバカしい話になる。
全面戦争かどうかの判断ですが、意識的に戦場が限定されていて本土決戦を絶対に回避している場合には、領土紛争の『局地戦』であると定義するべきでしょう。
それなら日本軍がロシア領土への攻撃を意識的に回避していたらしい日露戦争は宣戦布告はあったが、日本がモスクワ攻略の目標がまったく無かったのです。
ですから、日露戦争は戦場を限定した範囲に止める局地戦で、事変の名称の方が正しいでしょう。
本格的な戦争というより、日本軍による危険な遊戯、『戦争ゲーム』の巨大なものですね。
『仕方なし(いやいやの)本土決戦と、いやいやのソ連軍参戦での降伏』
対米戦争でも政府や日本軍の態度は日清日露戦争の時と同じだった。
いわば『戦争ゲーム』を地球規模で行なっていたのですから、正気とは到底思えない愚行中の愚行。
ところが相手のアメリカは本物の戦争を行っていたので、最初から首都攻略や本土決戦を考えていた。
日米戦争には勝ち目がまったくなく短期戦で有利に展開して早期に和睦するとの甘すぎる予測だったが、アメリカは長期戦を苦にしない。
日本はどちらにも花を持たせる『引き分け』が最良なのだが、欧米では『引き分け』は一番嫌われる。
アメリカは日本との和平に応じる考えが全くない。
それで仕方なく日本も沖縄を捨石(時間稼ぎ)に使い本土決戦を嫌々準備したのですが、元々の戦争を始めた最初の日本軍の計画とは大きく違うのです。
そもそも最初から本物の戦争(本土決戦)をやる気がないので日本本土に敵兵が一兵も上陸していないにもかかわらず、日本国はソ連軍参戦で即座に降伏を決意するのです。
日本ですが、これらの歴史を正しく総括出来ないので未だに『日本は悪くなかった』というお馬鹿な輩が、繰り返し繰り返し少しも懲りずに現れるのです。
本当のことが恥ずかしくて絶対に口に出せないのが原因しているのですね。
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