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戦勝を狂信、同胞を傷つける移民社会の悲劇を描く 
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投稿者 MR 日時 2012 年 9 月 10 日 13:05:52: cT5Wxjlo3Xe3.
 

JBpress>海外>海外の日系紙 [海外の日系紙]


戦勝を狂信、同胞を傷つける移民社会の悲劇を描く
映画「汚れた心」のアモリン監督に聞く


2012年09月10日(Mon) ニッケイ新聞


http://www.nikkeyshimbun.com.br/">ニッケイ新聞 2012年8月1〜3日


勝ち負け描いた異色作


http://jbpress.ismedia.jp/mwimgs/7/6/250/img_7643a816b2390a201adb5d4113c6ed3d18644.jpg" alt="" />ヴィセンチ・アモリン監督(Foto: Ricardo Picchi / Nada Audiovisual)

 「パンドラの箱」のようにコロニアのタブーが詰まった勝ち負け抗争を、なぜかブラジル人監督が映画化した。その名も『汚れた心』――。


 映画の冒頭では、現代日本ではほぼ使われなくなった言葉「国賊」が筆書きされ、知る人ぞ知るツッパンの「日の丸事件」をそのまま映像化したようなシーンで始まる。


 映画の前半は、まるでマリリア周辺のパウリスタ延長線の植民地を舞台にしたようなリアルな情景描写が続く。勝ち負け抗争をなぜブラジル人が映画化したのか。ヴィセンチ・アモリン監督(45)へのインタビューを中心に、この映画の意義を考えてみた(深沢正雪記者)。


 日本の有名ジャーナリストの田原総一朗は、《これほど凄まじい映画は観たことがない。平凡な一人の男が、正義のために次々に殺人を犯す経緯を怖いほどリアルに描いている》、また武蔵大学社会学部のアンジェロ・イシ教授(二世)も《戦争が引き起こす狂気、孤立したカリスマ指揮官の暴走、問われる忠誠、揺らぐアイデンティティ。これはブラジル版『地獄の黙示録』である。この映画を見ないと、日本人の“戦後”は終わらない》(同映画公式サイト)というコメントを寄せている。


 映画『汚(けが)れた心』は10年に3カ月間、パウリニア市や東山農場でロケを行った。7月21日の東京・渋谷ユーロスペースを皮切りに、日本国内十数カ所で上映される予定だ。


 ブラジルでも8月中旬から一般公開される。すでに県連日本祭りで試写会が開かれるなどコロニア向けの先行上映も始まったこの機会に、ヴィセンチ・アモリン監督(45)にメールで製作意図などを取材した。


  ◎    ◎


 公式サイトの同監督のメッセージには、《この戦争を体験した移民の子孫の方たちの多くが、こう言いました。「この出来事はガイジンでなければ語れない」。これは、この作品を作る上で、肝となる言葉でした》と書いてある。これは、どういう意味なのか。


 勝ち負け抗争が発生した背景には、戦前戦中のヴァルガス独裁政権時代に、敵性国民として日本移民がブラジル官憲から徹底的に抑圧されたことが原因の一つとしてあげられる。


 日系人は戦後、ブラジル官憲に反抗したり、正式な抗議をしておらず、やり場のない不満を日本移民同士で内攻させ、コロニア内の抗争として激化させたことが特徴だ。


 その結果、勝ち組負け組双方の過激派が入り乱れて邦人社会の要人暗殺を謀り、20人前後が死亡し、100人以上が負傷するという伯国史上に類を見ない少数民族内の抗争劇をくり広げた。不思議なほど、被害者の大半が日本人だった。


 勝ち負け抗争の発端は、46年正月にツッパンで起きた日の丸事件だ。日の丸で靴を拭く場面はブラジル官憲を悪役にしないと成り立たないが、現実の事件では証拠が警察により隠滅されたといわれ、今からは実証しようがない。フィクションの中でしか描けないシーンだ。

 だが、もしそれを日系監督が撮れば、当地右翼の逆鱗に触れて日系人攻撃の材料にされる恐れがある―と当時を知るものは二の足を踏む。


 事実、山崎千津薫監督(二世)の『GAIJIN2』(05年)にも、伯国官憲を悪役にするシーンはない。日本から役者を呼び、日本語のセリフ中心という考え方は、今回とよく似ている。だが、その視線はどこか内向きで日系人的な配慮にあふれていた。


 おそらくあの時代に関する公式な場での官憲批判は、現在の日系二世インテリ層においてすらタブーなのだろう。


「弾圧から抗争生まれた」


 米国日系人は戦後、国を相手取って裁判を起こし、戦争中の強制収容が間違いだったことを認めさせ、賠償金を支払わせた。


 当地において、大戦中に強制退去させられたサントス地方の数千家族、コンデ・デ・サルゼーダス界隈の数百家族が人権問題として訴えた話は寡聞にして聞かない。同じ日系とはいえ、ブラジル日系人が独自の精神性を育んできたからだろう。


 そのような中、非日系のフェルナンド・モラエスが勝ち負け抗争を取材したルポ著作『CORACOES SUJOS』(00年)を発表して話題を呼び、それを原作に今回映画化された。非日系だから踏み込める表現であり、実際にそれが現われたことに当地社会の懐の深さがある。


 殺人事件まで起こしてしまった引け目から、日系人は戦後60年余りも勝ち負け抗争に関して口を噤んできた。その心情が理解できる人には、日の丸事件の場面だけで強いカタルシスを感じる。「この出来事はガイジンでなければ語れない」という声は、そういう意味に違いない。


  ◎    ◎


 アモリン監督に、なぜセリフの9割が日本語で、主な俳優が日本から来ているという異例の映画にしたのかその理由を尋ねると、「40年代のコロニアの内幕を描くには、日本語でないと現実味がでないから」と応えた。


 勝ち組のはずの登場人物がポ語をしゃべれば、それだけで負け組的であり、当時を知るものには確かに違和感がある。


 ハリウッド映画『ラストサムライ(The Last Samurai)』(エドワード・ズウィック監督、03年)の登場人物が流暢な英語をしゃべっていることに違和感を覚えた人は、アモリン監督のこだわりにうなずくだろう。


 とはいえ、これはブラジル資本で作られた映画であり、当地の観客がどう反応するかが最大の鍵だ。普通の当地映画ならブラジル人が素直に感情移入しやすいように作る。

 ところが、この作品には一般の伯人が「なぜ自分たちが悪者として描かれるのか」と感じ、「なぜ自分たちの言葉をしゃべっていないのか」と奇妙に感じる可能性がある。


http://jbpress.ismedia.jp/mwimgs/5/d/250/img_5db5aa7c8ede7f7eb43b4ccc6ed48e6b43398.jpg" alt="" />映画の一場面(映画会社提供)

 そのリスクを計算しつつも当地大手映画会社から商業作品として製作したという意味で、若い監督ながら器の大きさを感じさせる。


 その違和感を和らげる意味でも、伯人の強い関心を呼ぶ「夫婦愛」を筋書きの中心に据えているのだろう。


 前半が比較的に実録風だが、後半の筋書きは実話から大きく逸脱して独自の空想世界に突入し、あくまでフィクション(架空)であることが痛感される。


 この抗争を題材に選んだ訳を聞くと、「規模の大きさ、被害者の多さに加え、抗争が生まれた原因(政府の迫害、白人中心思想)には他に類を見ない根の深い問題がある。それにブラジルの歴史であると同時に日本の歴史そのもの」とし、勝ち負け抗争のブラジル史における特異性を強調した。


 別のインタビュー記事の中で監督は、「戦争中の政府からの強い弾圧がなければ、戦後の同抗争は起きなかっただろう。もし日本語情報が禁止されていなかれば、勝ち組の数ははるかに少なく、このような規模の抗争には発展しなかったのでは」と語っている。


 そこまでこの抗争を当地の歴史に引き寄せて、政府の責任を認識している伯人インテリ自体が非常に稀といえそうだ。


移民通して世界的課題問う


 アモリン監督がこのような広い視点をもっているのは、父セルソ・アモリンが元外務大臣にして、現国防大臣という血筋も関係する。親が外交官だったため、同監督はオーストリアで生まれ、諸外国を点々として成長する中で、マイノリティ(少数民族)としての国際人的視点を養ったようだ。


 次回作は「アイデンティティと社会適応」を題材に撮ろうと考えていた時に同抗争のことを知り、これなら世界に通低する問題―社会宗教的な不寛容、人種差別、原理主義―への問いかけを背景とする作品にできると閃いたという。


 だからこそ、同監督は「それゆえに時代を超えて、世界の国々にとって重要な教訓を孕んでいる」と説明した。中東における原理主義や宗教対立の問題、欧米社会に深く根を張る人種差別などの世界的な課題を、日本移民の歴史を通してブラジル映画として描こうとする試みがこの作品だ。


 「勝ち負け抗争をテーマにした映画は日本で作られても良かった」との声を聞くが、ナショナリズム的なテーマを描くことは戦後民主主義が幅を利かす日本においてはタブー的であり、当地の移民史を調べに来る歴史家すらいない関心希薄な現状では無理だろう。

 日系人にはタブー、日本人は関心なし、その間隙を衝いたのがアモリン監督といえる。この作品により、日本国内における移民への歴史認識が高まることに期待できないだろうか。


 この映画はあえて日本公開を先にした。7月18日に東京で行われた映画公開記念イベントで、主演の伊原剛志は、役作りのために移民史を猛勉強したと打ち明け、「遠くにあればあるほど、祖国を思う気持ちは強くなるんだと実感した」と分かり、全編ブラジル・ロケだったので、「僕ら日本人キャストが一致団結し、みんなで戦った」と舞台で挨拶したと「映画.com ニュース」は報じた。


 義務教育の場での国旗掲揚が“問題”にされる日本で、冒頭の日の丸事件がどう解釈されるのか、興味深い。


  ◎    ◎


 実は、アモリン監督は昨年の東日本大震災時に、この映画の打ち合わせのために東京にいた。


 その時の様子を尋ねると「あれだけの大災害にも関わらず、あんなに沈着冷静に行動していた日本国民に深く感動しました。大震災、津波、メルトダウンと、どんどん悲劇的な事実が報道され、まるで悪夢のように混沌とした現実の中、日本国民は努めて冷静であろうとしたことに、心底感銘を受けた」と返答した。


http://jbpress.ismedia.jp/mwimgs/e/e/250/img_ee05b64a70ee2cd9d26f59d00d17d1e624322.jpg" alt="" />撮影中に談笑するアモリン監督(Foto: Ricardo Picchi / Nada Audiovisual)

 その時が初訪日だったというので、04年頃から企画を温めて数年がかりで脚本を練り、撮影をした時には、日本未体験だった訳だ。


 この6月に日本封切りの宣伝などのために2度目の訪日をし、「すっかり日本文化と日本国民に魅了された。日本の文化と民族の形成はブラジル人とまったく違っている。お互いに惹きあい、扶助できる関係があると感じた」という。


 日系人が忘れ去ろうとしていた“暗黒時代”の記憶が、ブラジルの歴史として解釈し直され、祖国日本に逆輸入されて「日本人とは何か」を問いかけている――この映画の成り立ち自体が、独自の歴史を持つ日伯間ならではの、興味深い遠隔地ナショナリズム的現象といえそうだ。


(深沢正雪記者)


注:2012年8月1日から3回にわたった連載、「『汚れた心』8月公開=アモリン監督に聞く」をひとつにまとめました。


映画『汚れた心』公式サイトはhttp://www.kegaretakokoro.com/pc/">こちら 


http://www.nikkeyshimbun.com.br/">ニッケイ新聞

http://jbpress.ismedia.jp/articles/print/36051  

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