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(回答先: Re: てすと 投稿者 初心に帰るお天道様に恥じない生き方 日時 2013 年 12 月 03 日 19:33:40)
石破茂自民党幹事長の発言が批判を浴びている。問題になったブログは以下の11月29日の記述だ。
(引用開始)
今も議員会館の外では「特定機密保護法絶対阻止!」を叫ぶ大音量が鳴り響いています。いかなる勢力なのか知る由もありませんが、左右どのような主張であっ ても、ただひたすら己の主張を絶叫し、多くの人々の静穏を妨げるような行為は決して世論の共感を呼ぶことはないでしょう。
主義主張を実現したければ、民主主義に従って理解者を一人でも増やし、支持の輪を広げるべきなのであって、単なる絶叫戦術はテロ行為とその本質においてあまり変わらないように思われます。
http://ishiba-shigeru.cocolog-nifty.com/
(引用終わり)
石破茂のブログの記述は以下の部分にわかれている。
(1)左右どのような主張であっ
ても、ただひたすら己の主張を絶叫し、多くの人々の静穏を妨げるような行為は決して世論の共感を呼ぶことはない
(2)主義主張を実現したければ、民主主義に従って理解者を一人でも増やし、支持の輪を広げるべき
(3)単なる絶叫戦術はテロ行為とその本質においてあまり変わらない
(1)と(2)については私も同感である。しかし問題は(3)だ。
権力者である政治家、しかも与党の幹事長が「絶叫を行うデモ」という表現手法をテロと変わらないと発言したことは極めて重大だ。
確かに私も「絶叫戦術」に傾きがちな今のデモ行動には違和感を覚えている。しかし、政権与党に党議拘束がかかっているような今、個別の議員にロビー活動を行うことには限界がある。自民党の一党独裁体制が続く限り、個別の法案はスルスルと通過していくだろう。それでも絶叫だけではない手法を考えるべきであると私も思う。
しかし、それは単なる一市民の感想にすぎないのであって、立法権限をもつ与党幹事長の石破の発言とは全く性質が違う。その意味するところを理解していないはずはない。
結局、石破は(3)については日曜日に撤回したようだ。
(引用開始)
石破氏は講演で、デモを「本質においてテロ行為と変わらない」とブログで指摘したことについて「表現に足らざるところがあれば、おわびしなければならない」と謝罪した。
その後、記者団に、デモについて「(テロの)全ての要件を具備するわけではない」と説明し、「テロと同じと見たと受け取られる部分があるとすれば、撤回する」と表明した。ただし、ブログは削除せず、真意を加筆するとした。
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2013120290081428.html
(引用終わり)
石破茂のいう「テロの要件」とは何なんだろうか。ぜひ山本太郎あたりに質問主意書で聞いてもらいたいところだ。これは秘密保護法の条文審議にも直結する内容であるからだ。
石破は真意を説明するというが、真意を加筆すればすむという話ではない。石破はさらに同じ場で次のように発言しているからだ。東京新聞の記事から続ける。
(引用開始)
石破氏は、デモ活動について「整然と行われるデモは、民主主義の当然の手段として許される」と述べた。
その上で、国会や議員会館周辺などで現在行われている、秘密保護法案への抗議や脱原発を訴える活動に関しては「一般人に対して大音量という有形の圧力を加えるという点で、民主主義とは相いれない部分がある」と指摘した。
デモは、警察の許可を得て行われているが、石破氏は「規制のやり方に問題がある。一般人の静穏は必ず守られなければならない」と、警備の在り方に疑問を示した。
(引用終わり)
石破にとって憲法で認められる表現の自由の範囲であるデモは「整然と行われるもの」に限られるようだ。しかし、「整然と」という要件は非常に曖昧である。あるいは、騒音のレベルでこれらからはデモを規制しようという腹だろうか。
石破は「今後はデモの態様によって、許可するかしないかを決める。規制も行う」というふうに警察庁幹部に向けて明言したとも受け取れるのだ。もし、違うならばそのように明確に釈明してもらわないと困る。
もし撤回しないのであれば、官憲が自由に表現の自由を制限できるという宣言でもある。戦前の日本に逆戻りさせるということである。官僚は政治家の発言を踏まえて行動する政治家が曖昧な発言をすれば官僚はそれを自分たちの権限強化のために利用する。
政治家は情報を官僚から与えられないだけではない。官僚による統制強化に利用されるのだ。今回の石破の一連の発言は自民党が「憲法21条」を非常にうっとおしく思っていて、国民管理に厄介だと考えていることを浮き彫りにした。自民党の政治家は今回の石破のように憲法違反の発言を次々に行い、いわば「口先介入」ならぬ「口先改憲」を行っていって、現行憲法体制を崩してゆき、改憲につなげるという狙いだろう。あの手口に学んだらどうか?
なお、石破茂は自民党政調会の田村重信が書いた憲法改正についての本の帯に推薦文を載せている。この自民党の憲法改正案はすでに多くの学者が立憲主義の無視、自由の制限に傾いた問題の多い草案であるということは指摘されている。評判らしいのでその田村の本を立ち読みしたが、運用次第ではこのような私の抱く疑念が現実のものとなるように思われる内容であった。権利に関する規定など、田村の説明通りならあえて改正する必要は全くないと思わされた。
更に言えば、田村自身の思い込みをつらつらと書き連ねた同書の後半(聖徳太子の憲法に隠された美徳、経済豊かさから精神的豊かさ云々)は殆どどうでもいい内容だった。(そもそも聖徳太子は存在しない)故に私の疑念は払拭されない。(ちなみにマイケル・グリーンとも田村重信は親しい)
デモ規制は日本だけの流儀ではない。デモ規制の先進国のエジプトではアメリカに応援されてモルシ政権を打倒した現政権が更に強化を強めている。
(貼り付け開始)
■エジプト、デモ規制法 権威主義傾向、強まる 民主化勢力抑制へ先手
産経新聞(2013年12月2日)
【カイロ=大内清】クーデター後の政情不安が続くエジプトの暫定政権が「デモ規制法」を発布し、権威主義的な傾向を強めている。失脚したモルシー前大統
領の支持派や、軍の政治関与を批判する民主化勢力を押さえ込む狙いがある。エジプトでは2011年のムバラク政権崩壊後、あらゆる勢力がデモを影響力拡大
の手段としてきており、デモ規制で存在感が低下しかねないとの危機感が各勢力に広がっている。
規制法は11月下旬に施行され、デモ日時や場所を当局に事前申告し、許可を得るよう義務付けた。
エジプトでは民衆デモをきっかけとした11年の政変後、政治や物価高への不満、公務員による上層部の罷免や賃上げ要求など、街頭行動を通じて、あらゆる問題で主張を通そうとする風潮が広がった。(中略)
平和的なデモでも当局の判断だけで、参加者が大量に逮捕される懸念もあり、「重大な人権侵害につながる恐れがある」(人権団体関係者)との指摘も強い。
(貼り付け終わり)
この記事ではエジプトではデモ規制を行っていくが、それは「デモ日時や場所を当局に事前申告し、許可を得るよう義務付けた」という規制内容だという。
日本ではそんなこととっくに行われている。日本ではデモは事前に届け出をし、警察の警備を受ける。これは右翼からの攻撃を避けるという意味もあり、問題というわけではない。
しかし、石破茂の言うような「平穏なデモ」しか許さないということになれば話は別だ。今までのデモ届け出制度は、自由な主張を保証するという前提があるので国民にも利益があったのだ。
よく考えて見れば、国会前でデモをどのようなスタイルで行おうが、暴徒化しなければ、それが他の一般大衆に耐え難い苦痛を与えるなんてことはない。石破は存在もしないであろう架空の被害者をでっち上げて、デモを批判しているのだろう。確かにこれを住宅市街地でやられると困るというのであればわかるが、それでもデモの自由を認めるということは「民主主義のコスト」だから、それは多少うるさくても甘受すべきだ。選挙カーがうるさくても我慢しなければならないのと同じだ。
どうやら、憲法をよく理解していないのは山本太郎のような左派の政治家だけではない。石破茂も同じくらい、日本国憲法に対する理解が足りない。「憲法を改正したい」という意欲を持つことと、それが現在の憲法に権力者である政治家が縛られなくても良いというのは全く別のことだ。権力者は行動を取る前に「自分たちの行動を憲法に照らして考える」ということをもっとやって欲しい。
なお、石破茂は田中角栄の弟子でもあるようだが、どうやら田中角栄の遺伝子をあまり受け継いでいない。強いて言えば選挙戦術くらいだろう。その点、角栄没後20周年で小沢一郎が産経新聞に述べている回想が示唆に富む。石破にはしっかり読んでもらいたい内容だ。
(引用開始)
小沢 僕の裁判もそうだと思うが、ロッキード裁判も司法の自殺行為だったと思う。田中裁判では、お金をもらったかどうかの問題以前に、最高裁の裁判官会議で相手方の免責を決めた上で証言をとるという違法なやり方で得たものを証拠として訴追し裁判を始めた。
僕は裁判を全部傍聴しました。日本の裁判・司法に対する問題意識からだ。もちろんいろいろ心情的な思いもあった。親とも思っている人が首相にまでなった
のに、今度は目の前で被告人になっているのだから。でも、田中先生は、あれだけ権力を持っていながら、結局最後まで自分の捜査や裁判では決して権力を使お
うとしなかった。
■【角栄の流儀】田中元首相没後20年 番外編 生活の党・小沢一郎代表に聞く(12月2日
産経新聞)
(引用終わり)
石破茂にしろ誰にしろ、自民党の政治家は「もっと権力者は謙虚であるべき。権力は抑制して行使されるべき」という角栄の流儀をしっかりともっと学んでもらいたい。角栄は草葉の陰で泣いているだろう。
角影消えて官僚はびこる。
自転車通行をめぐる以下の様な報道も、日本が官僚機構がやりたい放題に国民から金をむしり取る「山賊国家」(バンディット・ネイション)と化していることの現れだろう。
(貼り付け開始)
無免許厳罰・自転車は左の路側帯 改正道交法、きょう施行
朝日新聞(2013年12月1日05時00分)
無免許運転の厳罰化を盛り込んだ改正道路交通法が12月1日、施行される。自転車事故の対策も拡充する。主な改正点は、無免許運転とその命令・容認、免許証の不正取得の罰則がこれまでの「懲役1年以下か罰金30万円以下」から「懲役3年以下か罰金50万円以下」に引き上げられる。
自転車対策では、自転車が通行できる路側帯を左側だけに限った。これまでは右側通行も認めていた。競技用の「ピストバイク」など、ブレーキがなかったり整備不良だったりする自転車を警察官が検査し、整備や運転禁止を命じられる規定も新設。命令に違反すると5万円以下の罰金を科せる。(吉田伸八)
(貼り付け終わり)
要するに警察官が「オイコラ」と市民を足止めできる口実がまた一つ増えたのだ。少し前は自転車は歩道を走るなという「お触れ」を警察は出した。実は、イギリスでは車道を走る自転車を巻き込む事故が相次いでいるようだ。自転車が左側の車道しか走れなくなって事故が増えたら警察はまた規制を強化することだろう。警察は規制を強化したいのであって安全確保は口実にすぎない。
要はこの種の規制強化は安全確保を名目にした警察の利権づくりである。自動車の駐車違反切符もそうだ。罰金を収入源にしているわけだ。そもそも交通事故を回避するのはある程度までは個人の責任であって、いちいち警察に指示されるべきものではない。こういう余計な法律を国会議員が知らない間にろくに議論もせずに通してしまっている。
この他、「安心まちづくり条例」とかはすべて警察業界の利権だという話もあるほどだ。ブレーキなし自転車は規制されてもしかたないが、通行するべき自転車専用レーンもろくに整備しない間に、自転車の一方通行を罰金と刑事罰で取り締まるというのは本末転倒だ。レーン整備は警察の利権ではないから興味が無いのだろう。この新しい自転車の交通規制はわかりやすく言えば、警察による「自転車通行税」の導入ということだ。ただ、警察には課税権限がないので、罰金の形をとっているだけだ。
この新しい「自転車通行税」は警察の重要な収入源になるだろう。警官同士の摘発ノルマ合戦の加速するに違いない。罰金の収益は「自転車安全」を啓発する団体でも作られるか、交通安全協会のような警察の天下り組織に配分されるのだろう。
イギリスでも自転車事故が増えているが、その場合でもいきなり規制を導入するのではなく、ちゃんと議論を重ねる。日本の場合はある日突然、新しい規制が導入されたと新聞に載る。いつ議論されたのかすらもわからない。これも、各省の官僚のアジェンダ・セッティングがうまい証拠だ。いかなるところにも官僚は利権を見出し、市民生活を統制しようと待ち構えている。
私達はじきに右側の路側帯を通行する自転車を摘発しようと待ち構えているノルマを稼ごうと躍起になる暇な警察官の姿を夜な夜な見かけるようになるだろう。どうしても右側を通行しなければならないケースも考えられるはずだし、そもそも自転車の交通ルールが一番なってないのは横一列でまとめて署から交番に通勤する警察官たちだ。
やらずぶったくりとはこのことだ。このようにして規制と統制が少しづつ強められていく。この国の土人たちは鈍感なのか、こういう警察の利権拡大をなぜか歓迎する。本当に規制されるのが好きな原住民たちだ。
話を戻すと、秘密保護法にはそもそも立法が必要である重要な前提となる「立法事実」が存在するかどうかの議論が置き去りにされている。従来の制度では国民の利益を守れないという事実がなければ本来は立法などあってはならないことである。政府は同盟国との情報のやりとりの保全を立法事実としてあげているようだが、それだけで十分に新法を作るに値するかどうかは疑問だ。
いずれにせよ、いまのデモの状況は「テロ」と呼べるに値するものは全くない。騒々しいことは事実だろうが、テロに値するというのは、今のタイで起きているような反タクシン派のデモのことをいうのである。
(参考記事)
この「赤旗」だが、現在においても保全されるべき機密情報の選定はかなり問題があるということが明らかにされている。現行制度にも運用も含めてかなり問題があるということだ。
秘密保護法を通過させるのであれば、さらに「公益通報者保護」の条文を規定に加えるべきだろう。問題のある機密指定を行う公務員が出る可能性があるからこそそれを監視する制度が必要なのだし、そのために罰則も情報を漏洩した側以外にも指定する側にも課す規定も必要なのだ。官僚に対しては「性善説」に基づいた対応ではなく、官僚機構は肥大化するという原則に基づいた対応こそが必要だ。その上で、秘密保護のあり方について議論するのは別に良い。
(貼り付け開始)
しんぶん赤旗(11月26日)
秘密保護法案
「情報保全」も担当した 幹部自衛官が証言
拡大解釈で処分乱用
「秘密の範囲や対象も隠される秘密保護法が作られたら拡大解釈で簡単に情報漏えい者として処分されてしまう」。自民、公明政権が強行成立をたくらむ「秘密保護法案」について、現職の幹部自衛官が本紙の取材に応じ、「隊内で不正がまかり通る今の自衛隊で、(秘密保護法は)犯罪常習者に拳銃を渡すよう
なものだ」と断罪しました。(山本眞直)
この幹部自衛官は陸上自衛隊霞ケ浦駐屯地業務隊(茨城県土浦市)所属の島田雄一1等陸尉(43)。
島田氏が政府の動きを告発するのは勤務体験を通して自衛隊のあり方に強い疑問を感じているからです。
「不正」確認
自衛隊埼玉地方協力本部赴任中に自衛隊支援功労者に国(天皇)が与える藍綬褒章叙勲手続きで「不正」を確認。その是正を求めて行った内部告発(公益通報、09年7月)をめぐり、昨年2月、停職処分(6日)を受けました。
処分の取り消し、上司、上級機関による嫌がらせ的な業務の強要など「違法な公権力の行使」(訴状)への慰謝料を求める国家賠償請求の訴えを昨年10月、東京地裁に起こしています。
島田氏は埼玉地方協力本部では総務班長として「情報保全」も担当。「防衛秘密」に指定された文書類の管理をはじめ、部署や情報の取り扱いレベルごとに決められている「適性評価」の期限を迎える隊員の再評価を情報保全隊に申請してきました。
島田氏は「自衛官として秘密保護は重要」としながらも、秘密保護法案の危険性をこう指摘します。
「『情報保全』を担当して実感したことは、すでに公表されていたり、これがなぜ秘密なのかと疑うようなものが防衛秘密に指定されているものがある
こと。これらが秘密保護法ではそのまま特定秘密に指定される。隊員や民間人がこうした情報を口にしただけで処分、捜索、逮捕されるというのは、特高警察に
マークされた時代につながりかねない」
嫌がらせ
島田氏が自衛隊の「不正」を指摘したのは埼玉地方協力本部に勤務(総務班長)していた2007年のことです。自衛隊員の募集業務に貢献した民間人
を藍綬褒章候補者に推薦する手続きで、上級が指定してきた人物の功績情報を調べた結果、推薦基準に見合う実績を確認できる資料がないことを確認。島田氏は
「上申できない」と適切な条件整備を求めました。
島田氏は、この不正と不当処分を裁判で告発するための証拠資料などを「無用に拡散させないため」、自衛隊の業務用パソコンに入力しています。自衛
隊は10月に入り、「防衛秘密の漏えいの疑いがある」としてパスワードの解除を要求、事情聴取、供述調書を作成。提訴での報道機関の取材について「陸上自
衛隊の広報活動に関する達」「秘密保全に関する達」に違反するとして懲戒処分の対象にすると通告してきています。
島田氏は「自衛隊の公益通報制度も通報者を不利益扱いしてならないとある。しかし実際には職務権限を使った嫌がらせや不正の隠ぺいのための処分が繰り返されている事例は私ひとりではない」とし、こう訴えます。
「その多くが法令や『達』などの内部規則にある『等』を都合よく拡大解釈して行われている。こんな不正行為がまかり通る自衛隊に、秘密の指定や範囲もあいまいな秘密保護法が適用されれば、拡大解釈で処分が乱用され、民間人までが逮捕される恐ろしいことになる」
(貼り付け終わり)
[#石破茂]角影消えて官僚はびこる―やっぱり憲法を理解していない自民党議員―エジプト化する日本 ジャパンハンドラーズと合理的選択
http://blog.livedoor.jp/bilderberg54/archives/35317155.html
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