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イスタンブール(CNN) 国際テロ組織アルカイダの指導者オサマ・ビンラディン容疑者がパキスタンでどのような逃亡生活を送っていたかを調べた報告書の内容を、同国のメディアが一斉に伝えた。報告書は、パキスタン当局が同容疑者の潜入や米特殊部隊による殺害を阻止できなかったとして、厳しい批判を展開している。
報告書は337ページの長さで、執筆者には同国の元外交官や元最高裁判事、軍や警察の元幹部らが名を連ねている。
ビンラディン容疑者は最後の潜伏先となったパキスタン北部アボタバードの邸宅で、子どもや孫数十人とともに6年間暮らした。庭仕事をする時には住民の目や衛星カメラを避けるため、カウボーイハットをかぶっていたという。
潜伏先を見破られないようテレビの衛星アンテナや電話回線は設置せず、インターネットに接続することもなかった。子どもたちは近所の子と遊ぶことを許されず、塀に囲まれた敷地内でほとんどの時間を過ごした。ビンラディン容疑者は子どもたちに宗教を説いたり、庭に連れ出したりした。畑で良い野菜を育てた子どもにほうびを与えることもあった。
ビンラディン容疑者がパキスタンで逃亡生活に入ったのは、2001年9月11日に起きた米同時多発テロの1カ月後。アボタバードに落ち着く05年までの間は南部から北部へ、街から街へと移動を続けた。
妻の1人はこの間に4回出産し、そのたびに土地の病院にかかった。パキスタン人が話すウルドゥー語でなく、アラブ語を話すことが発覚すれば怪しまれるとの家族の判断で、医師の前ではろうあ者を装ったという。
北西部スワート渓谷に滞在した時期には、人相を変えるためにひげをそっていた。協力者らは、住民が「アラブ語を話す背の高い男」について尋ねることを許さなかった。
スワート渓谷で同容疑者を乗せた車が警察に止められたこともある。運転手は素早く対応し、車内をよく見られないうちに走り去った。
アボタバードではある時、邸宅に住み込んでいた女性がテレビに映った同容疑者の顔に気付いて夫に指摘した。協力者だった夫はあわてて、邸宅内のすべての女性たちにテレビの視聴禁止を言い渡したという。
アボタバードはパキスタン有数の軍基地があることで知られる。その街で何年間も、ビンラディン容疑者らは潜伏を続けていた。
米特殊部隊は同容疑者の殺害作戦で約3時間、パキスタン国内に入っていたが、軍はこれも察知できなかった。報告書は、同国の情報機関と軍、政府のあらゆる層における「独善と無知、怠慢、無能、無責任」の結果だと、厳しく批判している。
一方パキスタン側は、この殺害作戦は主権侵害であり、いわば戦争行為だとしている。
http://www.cnn.co.jp/world/35034487.html?tag=top;topStories
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