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(回答先: Re: てすと 投稿者 初心に帰るお天道様に恥じない生き方 日時 2014 年 4 月 02 日 07:38:08)
今の日本人は本当に大丈夫なのでしょうか。 まぁ、それとも国民の7割がマスコミ大本営を信用しているような国家だし、放射能は人の思考力なんかも低下させるそうだから、飼い馴らされた羊と同じで、その場その場での対応しかできない、過去から学ぼうとする姿勢が欠落しているのでしょう。
民主主義国家において選挙の透明性が万人に対して確保されるのは、理の当然であるはずなのに、それが担保されていないような選挙制度下で行われる選挙は、最早、民主主義ではないでしょう。
選挙で一番先に論議されるべきは投票率と、選挙行動の定義にあるのではないのでしょうか。 選挙行動は、特に民主主義国家において認められた大きな権利であると同時に、ある種の義務でもあると言えるのではないのでしょうか。 現在の投票所に行かない事が、棄権とみなされる定義では、選挙が家族サービス日等に成り下がっているのをみても、さらなる低投票率の促進=さらなる民意の結果であるはずの選挙の陳腐化を招いているのは明らかでしょう。 これは、民主主義の退廃を促進するに他ならないのではないのでしょうか。
ある国家が民主主義を標榜するなら、このような選挙システムの放置は、違法行為にも当たる可能性もあるでしょう。 投票権の行使を破棄する、投票所へ行かない行為は民主主義の根幹の否定にも当たり、厳罰に処されるべきでしょう。 厳罰といっても、将来の投票権の回数剥奪や割に合わない高い罰金等が効果的でしょう。 棄権したければ、投票所へ足を運び、どの候補者も選ばない、棄権にサークルすればよいのです。 こうすれば、当事者である投票権を持つ大多数は、厳罰を恐れ、高投票率を維持できるどころか、権利行使に当たって、国民の政治意識の高揚にもなり、より多数からの民意の反映という民主主義もすすみ、一石二鳥にも三鳥にもなるでしょう。
次にくるのは、不正選挙が行われている可能性が考えられる問題で、特に最近ではゴールドマンサックス資本と考えられているムサシ社に対する疑惑や、選挙管理委員会そのものの非透明性を指摘する声が少なくありません。
今後の選挙の透明性を再構築するためにも、選挙制度そのものを見直すべきではないのでしょうか。 投票箱ひとつ運ぶ動作をとっても、その透明性の担保のための明瞭な決まりも存在しない選挙管理委員会というのは、どうなんでしょう?
もうひとつ、重要な論点は選挙に金がかかりすぎるという問題があります。 これがネックとなり、金がかかる地盤型選挙が政治家の二世、三世化を加速している状況が一般化し、利害軸の固定化による弊害は、受け皿や支持層が富のある方向にしか、向かなくなるでしょう。
万人が平等なら、万人が為政者になりうる可能性を提供するのが民主主義でしょ。
資本主義社会では誰かや何かの不幸や不利益は必ず、誰かや何かの幸福や利益になります。 ゆえに、利害が富のある方向にしか向かなくなった、今の状況のような社会は、環境や大多数の不幸や不利益しか促進しなくなるでしょう。
これを突き詰めると矛盾に遭遇します。
法の下に人は平等であるはずが、富や権力の偏在のある社会を許す。
選挙制度を思考するはずが、その肝心の社会の有様と衝突しちゃった。 ということは、資本主義社会と民主主義はお互い受け入れ難い存在ということになりますね。
これを、阿呆な投稿者の妄想だ、というなら、TPP、消費税増税、75歳定年制提唱等、秘密保護法案等政府が今後、採り入れようとしている政策をみて意見してください。 選挙問題は秘密保護法施行前に論議されるのがベストなんだろうけど。。。
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長期的な低投票率を許す社会を果たして民主主義社会と呼べるのでしょうか。
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