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(回答先: Re: てすと 投稿者 初心に帰るお天道様に恥じない生き方 日時 2014 年 5 月 03 日 21:14:30)
人は欲望の達成のために生きるのか
生きて自分が何であるかを悟ろうとするのも人生、目標を持ってその達成を図ろうとするのも人生、生かされているから何となく生きようとするのも人生、
でもなぜその機会が、このようないびつな搾取社会のもとで、私たちに与えられたのだろう。 残念だがこの社会は、真実を知ろうとしたり、人々に福音をもたらそうとしたりする行為を喜ぼうとしない、むしろ、真実を覆ったり、人々から利益を吸い上げたりすることを好んでいるんじゃないのか。 思考することも、世の中の仕組みを的確に掴もうとすることも、何にでも興味を持ち、幅広い視野を持とうとすることも、時にはその社会や規範等あらゆるものの枠組みについても疑問を持つことも、この社会はそれらを嫌がっているようにみえる。
しかし、それらの欲求は人間が人間らしく生きようとする、本来当たり前の行為のいくらかだろうに。 あからさまに、現代社会は人が人らしく生きるのを否定している気がしてならない。 人間が人間らしく生きようとする道は、環境との共生や水や空気を汚さない、他種の保護等、思考することが許されたものゆえの義務が多くあるというのに、
世の中は混沌や争い、またそれに伴う破壊で満ちている。。。
人間は本当の義務を放棄し、我欲に溺れている。。。
現代教育はそれらをあたかも助長するような、記憶偏重型権威主義的規範の刷り込みでしかないんじゃないか?
だから昨今のさらなる教育(高卒より大卒、大卒より院卒)が非社会適合性をより広げるために、就職率も低学歴のほうが歓迎されているのだろうに。。。
人間が人間らしく生きようとすることをいくら社会が否定し続けても、結局、種は種でしかなく、人は居心地の悪い現在の立ち位置が、そのまんま、人間が人間らしく生きようとするのを否定するポイントにあることを知り、人が心地よい利他への前進を図るのは、論理的なんだけど。
現在の世の中を見回してみると、とてもじゃないが、そのような日がやってくる気がしないのと、
もうすぐ、それも比較的そう遠くない日にやってきそうな気がするのが、50/50
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