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「審議会」による大臣権限の侵害ではないのか。
2012/11/09 : (日々雑感)
田中文科大臣が大学設置審議会の認可すべしとの答申に反して「三大学の設置等を不認可」としたため、大学側が大臣の不認可発言を撤回せよと迫り、大学所在地の県知事などが「撤回させてやる」と息巻き、与野党国会議員も「撤回しろ」と迫った。これでは大臣権限は一体どうなっているのかと思わざるを得ない。大臣とは官僚組織のお飾りに過ぎず、審議会などが実質的に省庁を動かしていて、許認可権や許可権を実質的に官僚が牛耳っている実例ではないのだろうか。
今朝もバカなコメンテータが「来年応募予定の生徒が迷った」だとか、4年制に移行を前提に短大に入学している生徒たちは就職もしていないのだから、今後の人生設計に関わることだとか、増設している建築がストップするなど大きな影響があることを田中大臣が勝手に行っただとか、それこそ勝手な発言をしている。
しかし大学設置審議会が答申すればそのまま大臣が自動的に答申をなぞって許認可するのなら大臣は単なるお飾りに過ぎない。審議会を牛耳っている大学関係者や文科官僚たちが実質的に文科行政を動かしていることになる。国民の代表者たる大臣の行政統制権は一体何処へ消えてしまったのだろうか。
しかも許認可は今出るわけで、2年前から短大が4年制大学へ移行することを予定して学生を入学させていた大学当局の根拠は一体何だろうか。学部拡充を予定して既に新校舎を建築していたとは、審議会の決定を何を根拠に見越して大学側はそうした行為をしていたのだろうか。
申請した大学等が大学設置基準を満たしていたから新増設を認めたのなら新たに校舎の建設は必要なかったはずだし、今後増設するから認めるというのなら大臣の認可によって新校舎建設の根拠となるはずだ。大学法人は何を根拠に動いていたのだろうか。
これは何も大学新・増設だけの問題ではない。かくして行政権は官僚がすべて牛耳り、大臣が少しでも自身の行政権を発揮すると大マスメディアが前代未聞のことだ、とか既に4年制を前提としていた学生が可哀相だ、とかキャンペーンを張り、大学所在地の市長や県知事などが大きな顔をして「絶対に不許可を覆してやる」と叫ぶ異常事態をテレビが延々と報道する。その陰で国民の負託を受けた大臣の権能が実質的に奪われ国会で謝罪し今後大臣の権能を揮わないと誓わされる。この方が日本国憲法に反する異常事態ではないだろうか。
大臣認可があるまで大学は4年制への移行を前提とした学生の募集は違法行為ではないだろうか。これまで大学の設置基準を満たしている申請はすべて許可されて来たから当然許可されるのだ、というのなら大臣や審議会そのものも必要なくなる。
もっと本質的な議論として少子化の時代に定員割れしている大学が全国にゴマンとあり、それら私学にも国の補助金が年間3000億円も支出されている現実を無視してはならない。国民は教育を受ける権利を等しく有しているが、それは能力に応じてのことであり、機会均等と全員入学とは別物だ。
大卒の就職率が低下したままだが、それも仕方ないと思わざる大卒者が増えているのも現実だ。それは学生だけではない。大マスメディアの記者がいつの間にか大学教授になっていたり、官僚だった者が大学教授になっていたり、テレビに出ていたと思ったら大学教授になっていたりと、驚くような場面に出くわすことが多い。彼らは教授論文の一本でも学会に発表しているのだろうかと、疑問を呈さざるを得ないほど低能な連中がゴマンと教授の名をかたっているのも現実だ。これでは真面目にコツコツと長年研究する学者たちが激減するのも頷ける。
大学設置基準と設置許認可のありようを変えなければならないのも事実ではないだろうか。大学教授が学生を集めるタレント崩れの人寄せパンダであってはならないのはいうまでもなく、学究の場として「研究の仕方」を学ぶ場が大学なのだということをもう一度考えて、大学関係者は大学の在り方の原点へ回帰すべきだ。大学を商売だけで捉えてはならない。
元記事リンク:http://km2295.iza.ne.jp/blog/entry/2921322/
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