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憲法の精神、置き去り 公布あす66年
2012年11月02日
●原発事故被災地から考える
日本国憲法が公布されてから3日で66年を迎える。東京電力福島第一原発の事故のあと、個人を尊重し、個人の権利を保障する憲法の精神が、置き去りにされてはいないか。福島から憲法を考える。
◎描いていた将来像崩れ/第22条 何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。
生まれ育った故郷に戻って暮らしたい。原発事故後、避難生活を送る大浦悦子さん(69)はそう願う。「潮風を受けたい。故郷だからね、大熊に帰りたい」
大熊町から約100キロ離れた会津若松市の仮設住宅で、独り暮らし。震災から1年7カ月がすぎた。町は警戒区域に指定されたまま、自由に行き来できない状態が続いている。
大浦さんには、大切な場所がある。第一原発から3.5キロの高台にある30アールの畑だ。津波で自宅が流されたあと、家族6人で再起を図ろうとした土地だ。近くに先祖が眠る墓もある。
大浦さんは今年8月、新聞報道を見て驚いた。自分の土地が、国の中間貯蔵施設の候補地に挙げられていたからだ。施設の建設が決まれば、長く戻ることはできない。「地権者の私たちには、計画があることさえ知らされていない。説明もない。順番が逆」と憤る。
◇
本格的な柿の収穫期がやって来るが、伊達市梁川町の林哲也さん(74)の表情は晴れない。「草を刈るのも、肥やしをやるのも、力が入んねえんだ」
ニット製造をしていたが14年前、「自分のペースでできる」農業を始めた。トマトやエンドウ豆などの野菜を育て、90年以上の歴史を持つ特産の「あんぽ柿」作りに力を入れてきた。
首都圏の市場に出荷するなど経営が軌道に乗り、震災前年に過去最高の売り上げを記録。これからと思っていた矢先、放射性物質で土地が汚された。
「後継ぎの長男とケンカしながら楽しくやるつもりだったんだ」。あんぽ柿は先月、2年連続での出荷自粛が決まった。描いていた将来像が崩れた。「産業がこのままなくなるんじゃないかって不安がある。目の前は真っ暗なのね」
◆「故郷求める権利」 日本でも議論を
22条は、居住や移転、職業選択の自由を保障している。原発事故で奪われたのは、日常の生活そのものだ。東電の賠償も緊急避難にすぎず、暮らしの復興にはほど遠い。
早稲田大の水島朝穂教授(憲法)は、22条について「日本では国内外の移動が問題なくでき、移動の自由についてのリアリティーがあまりなかった。権利としては使い切れていない」と指摘する。それが今、原発事故によって問われている。
水島教授は「人がそこに住み、働き、家族・友人を持てるような場所を求める権利」として、ドイツで主張される「故郷を求める権利」のようなものを「日本でも真剣に考える必要があるのではないか」と話す。
●故郷追い出された難民/第25条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
原発事故で浪江町から二本松市の仮設住宅へ避難してから、柴田明範さん(46)は、精神安定剤が手放せない。
仮設住宅に入った直後の昨年7月。めまいに突然襲われ、救急車で病院に運ばれた。気分が落ち込みやすくなり、夜中に目が覚める。今は心療内科に通う。
はっきりした原因は分からない。ただ、「こんな根無し草みたいな生活していたら誰だっておかしくなる」。
原発から約30キロの浪江町津島地区の自宅にはまだ、約500万円のローンが残る。東電から精神的損害の賠償として受け取る月10万円のうち、9万円はローンの支払いに消える。9人の大家族は柴田さんを含む5人が働いていたが、原発事故で全員が職を失った。今は三男がアルバイトに出ているだけ。賠償はあるが、収入は激減した。
高線量の自宅にいつ戻れるか分からず、将来に向けて蓄えをする余裕もない。「おれらは避難民じゃなくて、故郷を追い出された難民だ」。柴田さんの口調は強くなる。
東電からの賠償は日々の生活費に消え、体調を崩す人が増えている。仮設住宅では6月、元気だった60代の男性が心臓発作で突然亡くなった。
◆日々損なわれる人間らしい生活
県によると、原発事故後に避難先で亡くなった人は、1日現在で1152人に上る。多くは持病の悪化が原因とみられる。県内避難者9万8995人のうち、3万2550人が仮設住宅で暮らしている。
25条は「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を保障するが、仮設住宅で暮らす柴田さんには、この当たり前の権利が遠いものに思える。
人権NGO「ヒューマンライツ・ナウ」事務局長の伊藤和子弁護士は「賠償も仮設住宅での生活もいつ打ち切られるか分からず、人間らしい生活が日々損なわれている。国や県は一刻も早く、避難者が尊厳を持って暮らせる環境を整えるべきだ」
●必要な情報提供されず/第21条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
昨年3月12日夜。浪江町津島地区には、住民約5千人が原発の爆発を知って逃げてきた。浪江町川添地区から避難した女性(47)は、この場所に大量の放射能が降り注いでいることを知るよしもなかった。
事態の異常さに気づいたのは、翌日に二本松市の県男女共生センターを訪れたときだ。双葉厚生病院からヘリで搬送された父(当時77)に会いに駆けつけた。白い防護服姿の自衛隊員が、普段着姿の住民の外部被曝(ひばく)量を調べていた。
「私たちは何も教えてもらえないまま、ただ被曝させられていたんだ」。当時のことを思い返すたび、みじめな気持ちになる。政府が繰り返した「ただちに健康に影響はない」という言葉がむなしく聞こえた。
国、県、東電は住民が必要とする情報を提供しているのか――。昨秋、県の甲状腺検査を受けた高校2年の長女(17)に、小さな嚢(のう)胞が見つかった。検査結果に「問題はありません」とだけあった。医学的な根拠を県立医大に尋ねたが、同じ言葉が返ってきた。
将来、自分や子どもの体に異変が起きたら、国や県はどう責任を取るつもりなのか。「原発事故との因果関係を認めてもらえないんだろうけど、こっちには反論するための情報もない」
◆民主主義への理解 東電や行政は欠如
主権者の国民が自分の考えや行動を正しい情報に基づいて決められるよう、21条などを根拠に「知る権利」が保障されている。
だが、原発事故後、国民や住民に有益な情報が知らされないケースが相次いだ。
国は放射能の拡散予測を公表せず、県は入手したデータを活用しないまま消去。国の対応について国会事故調は「避難に役立つ情報を知りたいという住民のニーズに応えていない」と指摘した。
県が18歳以下の県民を対象に行う甲状腺検査では、今も自費で情報公開請求をしない限り、詳細なカルテやエコー検査画像を見ることができない。
県市民オンブズマン代表の広田次男弁護士は、これまでの原子力政策などの情報について「ずっと権力側が管理し、操作してきた」と指摘する。
原発事故後も状況が変わったとは思えない。「知る権利は民主主義の出発点にもかかわらず、住民の手にはいまだに正しく判断を下せるだけの情報がわたっていない。行政や東電には、民主主義に対する基本的な理解が絶対的に欠けている」
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