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(回答先: テスト 投稿者 赤かぶ 日時 2012 年 9 月 24 日 15:21:59)
東電、事故直後の会議映像を追加公開 :TBS
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye5148999.html
東京電力は福島第一原発の事故直後のテレビ会議の映像、150時間分のうち、およそ6時間分を報道機関の要請に応じて、追加で提供しました。3つの原子炉がメルトダウンするという想像を絶する事態に直面し、疲弊する現場と対応を現場に任せきりにする本店との衝突が浮き彫りとなっています。
「あれがダウンスケールしちゃったじゃん、水位が!うへぇ。小森さん!」(福島第一原発 吉田所長<当時>)
「水位がダウンスケールしている?」(東京電力本店・小森常務<当時>)
「これは危機的状況ですよ。完全に(燃料が)露出した状態になっているよ」(福島第一原発 吉田所長<当時>)
事故発生から4日目の3月14日早朝。吉田所長の悲痛な声が響きました。3号機の冷却水が干上がり、燃料棒がすべてむき出しになってしまったのです。
そして、5時間後・・・
「本店、本店、大変です!」(福島第一原発 吉田所長<当時>)
1号機に続いて、3号機が水素爆発を起こします。さらに、その夜の会議では、2号機も危機的な状況に陥っていることが報告されました。
「18時22分ぐらいに燃料がむき出しになっているのではないかと想定しています。そうすると2時間で完全に燃料が溶融すると、非常に危機的状況であると思います」(福島第一原発)
「1号、3号、炉心溶融しているんだよね」(東電本店)
つぶやくように繰り返す幹部たち。
「3基炉心溶融ですもんね」(東電本店)
「炉心溶融」とは「メルトダウン」のことです。事故調査報告書と照らし合わせても、メルトダウンが起きていることを、当時、リアルタイムで把握していたことを物語るやりとりです。しかし、東京電力が、その事実を正式に認めたのは、事故から2か月も経ってからでした。
「こういった解析を事故発災当時にできなかったのかという話があるが、原子炉への注水を安定的に継続させることに集中していた」(東京電力の会見、去年5月24日)
14日の夜に戻ります。危機的状況の2号機のベント(=原子炉の圧力を下げる作業)をめぐり、議論が続いていました。
「ベントできるんだったら、もう、すぐやれ早く。余計なことを考えるな。こっちで全部責任とるから」(東電本店)
別の幹部からも・・・
「吉田所長!開けてくれよ」(東電本店)
「指示してます」(福島第一原発 吉田所長<当時>)
「小弁開いても、もう1弁あるから、そっちは開いているのかい?」(東電本店)
矢継ぎ早に飛ぶ東京からの問いかけに、ついに、所長は、こう言い放ちました。
「いろいろ聞かないでください!ドライウェルベント開ける操作をしているんで、ディスターブ(邪魔)しないでください」(福島第一原発 吉田所長<当時>)
悪化を続ける事態を受け、吉田所長は東京で見守る「トップ」に直訴します。
「2つの爆発があって、サイトもかなりショック。職員がみんな落ち込んでいるんですよ」(福島第一原発 吉田所長<当時>)
「お察し申し上げます」(東京電力本店)
「それと被ばく線量がパンパンで、その辺の配慮をぜひお願いしたい」(福島第一原発 吉田所長<当時>)
必死の懇願に清水社長は・・・
「可能な範囲で対処しますので、今しばらくは頑張っていただく」(東電本店・清水社長<当時>)
現場と本店との温度差。吉田所長は職員に、こう呼びかけました。
「1回ここで深呼吸して冷静になって、みんなで深呼吸しましょう。はい、吸って・・・吐いて・・・」(福島第一原発 吉田所長<当時>)
原発事故の貴重な記録となるテレビ会議のやりとり。東京電力は3月16日から1か月分の映像、およそ650時間分についても順次、公開するとしています。(05日15:21)
◇
福島第1原発事故 テレビ会議の映像の一部を一般に公開 :FNN
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00232958.html
福島第1原発事故直後の混乱と、そして、東電幹部のいい加減な対応がさらに明らかになった。
5日、新たに公開された当時のテレビ会議の映像に、その様子が克明に残されていた。
原発事故直後、東電本店と福島第1原発をつないで行われたテレビ会議。
これまで公開されていなかったテレビ会議の映像の一部が5日、ようやく一般に公開された。
吉田所長(当時)は「これはもう『じじいの決死隊』で行こうかなと...」と話していた。
事故直後から官邸に派遣されていた武黒フェロー(当時)は、東電本店に戻り、当時の菅首相の言動について、「『イラ菅』という言葉があるけど、まあ、とにかくよく怒るんだよね」と愚痴をこぼしていた。
本店の武黒フェロー(当時)は「きのうも退避、避難の区域を決めた時、最初は菅さんとかに呼ばれて、『どうすりゃいいんだ、どうするんだ』って、言うわけですね。わたしと(原子力安全委員会の)斑目さんとで説明すると、『どういう根拠なんだ! 何があっても大丈夫だと言えるのか』と散々、ギャーギャー言うわけです」と話していた。
そして、震災から3日後、福島第1原発の3号機が水素爆発を起こした時には、吉田所長(当時)が職員らを落ち着かせるため、「1回、ここで深呼吸して、冷静になって。じゃ、みんなで深呼吸しましょう。息を吸ってー、吐いてー。吸ってー、吐いてー、はい」と、深呼吸をするように促す姿があった。
そして爆発を受けて、本店・高橋フェローは「水素爆発かどうかわからないけど、国が保安院が水素爆発と言ってるから、もういいんじゃないの、この水素爆発で(可能性ということで...)」と話した。
本店担当者の「いかがでしょうか?」との問いに、本店の清水社長(当時)は「いいです。これでいいから、スピード。(担当者)ゴーサインです。スピード勝負」と答えた。
こうしたやり取りが行われたあと、3月14日、枝野官房長官(当時)は「(爆発の状況等から見て)1号機で発生した水素爆発と同種のものと推定されている」と発表。
また、東電も会見で「水素の爆発が起きた可能性が高いのではないか」と発表した。
一方、この前日には吉田所長(当時)が、「2号機の『海水注入ライン』はまだ生きてない。そこを生かしに行くのはかなり勇気がいるけど、これはもう『じじいの決死隊』で行こうかなと」と話していた。
年配の職員を中心とした決死隊を提案。
そして、資材を調達する福島第一資材班は「これから『バッテリー』等を買い出しに行きます。現金が不足しております。現金をこちらに持ち出している方、ぜひお貸しいただきたいと思います」と話していた。
現場の混乱ぶりが、新たに明らかになった。
さらに、映像には国会事故調査委員会が指摘した官邸の過剰な介入に、現場が混乱する様子が克明に記録されていた。
東京電力本店が「(官邸が)しかるべき人と、とにかく直接至急話がしたいので電話をくれと」と伝えたのに対し、吉田所長(当時)は「これ電話、いつも官邸につながらないんだよ。何とかできない?」と話した。
そして、東電本店を通して官邸から吉田所長(当時)へ電話があった。
東京電力本店から「首相官邸から電話がかかってるので、電話を転送しますので」との電話があった。
吉田所長(当時)は「官邸からちょっと海水を使う判断をするのが、早すぎるんじゃないかとコメントが来ました」と話した。
その後も、東京電力本店から「吉田さーん、吉田所長、官邸から電話が入ってるんですけど、転送します」などと連絡があった。
このあと官邸からのホットラインが開設されると、吉田所長(当時)はその対応に忙殺されることになった。
3号機が水素爆発した直後も電話に対応した吉田所長(当時)は「吉田でございます。煙の中で見えないんです」と話していた。
記録された映像は、全部で150時間に及んでいるが、これまでに公開された映像は、5日に公開されたものをあわせても7時間半ほどだった。
(10/05 20:39)
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