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広島、長崎の原爆忌を経て、六十七回目の終戦記念日です。東日本大震災と福島第一原発事故後の八月は、戦争と原発に向き合う月になりました。
毎週金曜夜に恒例となった首相官邸前の反原発デモは、ロンドン五輪の晩も、消費税増税法成立の夜も数万の人を集めて、収束どころか拡大の気配です。政府の全国十一市でのエネルギー政策意見聴取会でも原発ゼロが七割で「即廃炉」意見も多数でした。
二〇三〇年の原発比率をどうするのか。原発ゼロの選択は、われわれの価値観と生活スタイルを根元から変えることをも意味します。その勇気と気概、覚悟があるか、試されようとしています。
◆内なる成長信仰なお
それまで散発的だった各地の反原発抗議行動の火に油を注いだのは、関西電力大飯原発の再稼働を表明した野田佳彦首相の六月八日の記者会見でした。安全確認がおざなりなうえに、「原発を止めたままでは日本の社会は立ちゆかない」と、再稼働の理由が経済成長と原発推進という従来の国策のまま。「夏場限定の再稼働では国民の生活は守れない」とまで踏み込んでいました。
反原発や脱原発の市民が怒る一方で財界、産業界が安堵(あんど)、歓迎したのはもちろんです。最大手全国新聞の主筆は野田首相の「反ポピュリズム」的決断と評価、「電力・エネルギー不安を引き金とする経済破局は避けられるに違いない」と論評しています。
原発に関する世論調査では奇妙な傾向に気づきます。新聞やテレビの調査では、原発ゼロを求める声は、街頭に繰り出しているような勢いがなく、日本経済のために原発推進が少なくないことです。四十年前、水俣病の原因がチッソ水俣工場の廃液だったことが判明したあともチッソ擁護市民が少なくなかったように、フクシマ後も。われわれの内なる成長信仰は容易には変わらないようです。
◆倫理と規範と人の道
しかし、経済以上に忘れてはならない大切なものがあります。倫理や規範、あるいは人の道です。
作家村上春樹さんは、昨年の六月、スペイン・バルセロナのカタルーニャ国際賞授賞式のスピーチで、福島原発事故をめぐって「原発を許した我々は被害者であると同時に加害者。そのことを厳しく見つめなおさないと同じ失敗を繰り返す」と語りました。
村上さんの悔恨は、急速な経済発展の途上で、「効率」という安易な基準に流され、大事な道筋を見失ってしまったことでした。核爆弾を投下された国民として技術と叡智(えいち)を結集、原発に代わるエネルギーを国家レベルで追求、開発する。それを日本の戦後の歩みの中心命題に据えるべきだった。そんな骨太の倫理と規範、社会的メッセージが必要だった。世界に貢献できる機会になったはずだったというのです。我々は原発に警告を発した人々に貼られたレッテルの「非現実的な夢想家」でなくてはならないのだ、とも。
日本の原発は老朽化の末期症状から大事故の危険性があり、廃炉の研究も十分には進んでいません。毎日大量に生み出される低レベル放射性廃棄物で三百年、高レベルだと十万年の厳重な隔離管理が必要です。人知が及ばない時空、利便や快適な生活のために危険な放射性廃棄物を垂れ流しているとすれば、脱原発こそが、われわれの未来世代に対する倫理であり、人の道だと思えるのです。
千年に一度の大震災と原発事故は、人々を打ちのめしましたが、日本が受け入れてきた西洋文明や思想、科学技術について考える機会ともなりました。文明の転換期のようです。成長から脱成長の時代へ。どんな時代、国、社会へと変わっていくのかは不確かですが、この国には信じ、愛するに足る人たちがいます。
文学者のドナルド・キーンさんは、日本への帰化に際して、作家高見順が戦争中に日記に書いたのと同じ結論に至ったと打ち明けました。高見順は東京上野駅での空襲の罹災(りさい)民たちが、おとなしく健気(けなげ)、我慢強く、謙虚で沈着なのに感銘して、日記に「こうした人々と共に生き、死にたいと思った」と記したのでした。それは大震災での東北の人々と同じでした。
◆幸せな生き方さまざま
在野の思想家の渡辺京二氏が「逝きし世の面影」で紹介したのは、幕末に訪れた外国人の目に映った日本と日本人のすばらしさでした。
「貧乏人は存在するが、貧困なるものは存在しない」。貧しいけれど人間の尊厳が守られた幸せな人たち。当たり前のことながら、幸せは物質の豊かさではない。かつても、これからも、幸せな生き方はさまざまであることを教えています。
脱原発で雇用減?
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