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(回答先: テスト 投稿者 赤かぶ 日時 2012 年 6 月 30 日 09:13:40)
「壊し屋」の正体
http://www.the-journal.jp/contents/kokkai/2012/07/post_307.html
2012年7月13日 田中良紹の「国会探検」
小沢一郎氏の率いる新党「国民の生活が第一」が誕生した。メディアはこれを「誰からも相手にされない展望なき船出」として、小沢氏を「追い詰められた壊し屋」と冷ややかに見ている。
民主党内に留まっていれば100人を越す議員を動かす力を持ち、次の代表選挙に出馬するか、出馬しなくとも強い影響力を行使する事が出来たはずで、それを投げ打って離党した事はメディアの理解を超えているのだろう。
また過去に小沢氏が作った新生党、新進党、自由党のスタート時に比べ、人材や資金が不足しているように見えるから、常識人には「追い詰められた」挙句の「自殺行為」にしか見えないのである。
これまで小沢氏は日本の政界から「壊し屋」と呼ばれてきた。日本の政治にとって迷惑で排除すべき存在という意味である。しかし私に言わせれば「壊し屋」は既成の体制と秩序を「壊す」人間である。言い換えれば「革命家」だ。
政治家は既成の体制や秩序の枠内で社会の前進を図るが、革命家は体制や秩序を「壊す」ために政治を行なう。そして既成政治を破壊する事もある。体制や秩序の中で生きる政治家にとって革命家は恐ろしい。だから「壊し屋」は嫌われる。
しかし体制の矛盾や息苦しさを感じる国民に「壊し屋」は救いである。閉塞した状況を打破してくれるのは常識人ではなく「壊し屋」である。小沢氏に根強い支持者がいるのはそのためだ。ところがそれが政治家、官僚、メディアなど体制擁護の既成勢力には気に入らない。だから手を変え品を変え小沢氏は攻撃される。
日本では「政局よりも政策」と真面目に言う人がいる。そんな事を言う民主主義国が世界にあるだろうかといつも不思議になる。民主主義とは「政策と政局が常に一体のもの」だからである。「政局よりも政策」と言うのは官僚主義、全体主義、社会主義国家で民主主義とは異なる。
民主主義国家で政策を決めるのは国民である。国民は政策で賛同する議員や政党に投票し、国政の場で権力闘争をしてもらう。票が1票足りなくとも政策は実現されない。権力闘争に勝った政策だけが実現する。そのため国民は自分と同じ考えの議員や政党に票と金を与えて権力闘争に勝つよう支える。これが民主主義の原理である。
ところが日本では官僚の下僕に成り下がった政治家が「政局よりも政策」などとバカな事を言い、官僚に政策を丸投げして、官僚機構に媚を売る。すると官僚機構がその議員の選挙と金の面倒を見てくれる。これが政治家にとって最も楽な生き方である。
しかし政治家が官僚機構を無視して自前で政策を作ろうとすると大変な事になる。明治以来、そうした政治家は「金権政治家」のレッテルを貼られ、暗殺されるか検察に逮捕されるのがこの国の歴史であった。
民間業者から金を貰った政治家が業者の利益を図るために官僚の政策を捻じ曲げたと噂され、それを信ずる愚かな国民がいるために、この国の官僚支配は続いてきた。官僚支配を打ち破ろうとする政治家は楽に生きられないのが日本である。
冷戦体制が終わると、アメリカは日本経済をソ連に代わる敵と見て、日本叩きを始めた。政官業の癒着構造に楔を打ち込めば日本経済は潰れるというのが当時のアメリカの戦略だった。政策を官僚に丸投げしてきた自民党長期単独政権は見直しを迫られた。政権交代可能な二大政党体制を作る。それが政治課題となった。
自民党にいれば確実に総理になれた筈の小沢氏が「壊し屋」に転じたのはこの時である。自民党の大勢が中選挙区制を死守して政権に留まろうとする中、二大政党制を作るため小選挙区制を主張して新生党を作り、44人で自民党を飛び出した。そして200人を越す大自民党を政権の座から転落させ、さらに第一党の自民党と第二党の社会党が反対した小選挙区制を実現させたのである。
半世紀以上続いてきた日本の政治構造がここで初めて変わった。これに対する自民党と官僚勢力の反発は想像を超えた。8党派で作った新進党は解体を余儀なくされ、小沢氏は54人で自由党を作る。そこで政権復帰した自民党に対し小沢氏は連立の条件として政治改革案を飲ませる事に成功するのである。
明治以来、官僚が答弁してきた日本の国会を政治家が答弁する国会に変えた。同時に党首討論や副大臣制も導入した。明治からの官僚支配の国会を政治家主導の国会に変えたのである。民主主義政治では選挙で多数を得て権力を握り、その力で政策を実現させるのだが、小沢氏は少数党にいても「ねじれ」を利用して日本の政治構造を変えてみせた。
その後民主党と合併し、代表として参議院選挙に勝つと、再び「ねじれ」を利用して自民党に大連立の条件として安保政策の見直しを迫った。これは民主党の反対で実現しなかったが、もし実現していれば戦後日本政治の政策の根幹部分が変わったはずである。
2009年、小沢氏が「壊し屋」に転じて16年後に、目的としていた政権交代が成し遂げられた。日本は歴史上初めて国民が選挙で政権を交代させた。ところが既成勢力の反撃はここでも凄まじかった。小沢氏の政治資金を巡り検察が得意の「でっち上げ捜査」を行い、小沢氏はマニフェスト実現の動きを制約される事になる。
そして民主党も楽な生き方を選ぶようになった。既成勢力との権力闘争を放棄して「政局よりも政策」の道を歩み出した。さらに2010年の参議院選挙で「ねじれ」が生まれ、毎年総理の首を差し出さなければ予算関連法案が通らないという困った事態も起きた。
野党自民党は政権に復帰するため政権攻撃だけに終始して国民の支持が上がらない。与野党が共に国民に支持されない二大政党となった。しかも民主党にも自民党にも党内には意見の異なる勢力が混在する。このまま民主党と自民党で二大政党の構図を続ける訳にはいかない。
さりとてガラガラポンを仕掛けられる政治家は小沢氏以外に見当たらない。そこで考えられたのが消費税政局だと私は見ている。野田総理、輿石幹事長、小沢氏の3人によって自民党は消費税政局に引きずり込まれた。自民党は自分たちが民主党を分断させたと思っているが、そう思わされているだけではないか。
この政局は国民の選挙によって政界再編が促されるまで続く。つまり最終的に政局の帰趨を握るのは国民である。その国民の動向を見ながら、いかなる政界再編に行き着くか、そこで政治構造をどのように変えるか、それを「壊し屋」は考えているのではないか。
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