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検察庁に自浄能力がないことを明らかにした虚偽報告書作成問題
2012.06.28 :(法と常識の狭間で考えよう)
最高検察庁は、2012年6月27日、小沢一郎氏の政治資金規正法違反事件において、虚偽報告書を作成したとされる田代政弘検事らに対する刑事処分を発表した。
田代検事は不起訴(嫌疑不十分)であり、佐久間達哉検事ら3名は不起訴(嫌疑なし)であった。併せて、法務省は懲戒処分として、田代検事について減給6ヶ月、佐久間検事及び木村匡良検事についてはいずれも戒告、齋藤隆博検事については訓告の処分が発表された。なお、田代検事は同日付けで辞職した。
この事件は、小沢一郎氏に対する政治資金規正法違反事件について、東京第五検察審査会において、最初の審査で起訴相当決議が出た後の再捜査において、田代検事が、小沢氏の秘書であった石川知裕衆院議員の事情聴取後に作成した捜査報告書の内容が、石川議員がICレコーダーで録音した内容と大きく食い違っていることから、虚偽公文書作成罪になるのではないか、法廷でそれを「記憶の混同」と証言したことが偽証罪になるのではないかなどとして市民団体が告発し、これを受けて捜査が行われていた。
当初は5月中にも処分が公表される見込みだったが、小川前法務大臣が、この件については指揮権発動を検討していたことを公表したこともあり、処分の決定と公表が大幅に遅れた。
最高検察庁は、処分の公表の際に、「国会議員の資金管理団体に係る政治資金規正法違反事件の捜査活動に関する捜査及び調査について」と題する検証結果報告書を公表した。
これは、田代検事ら関係者からの事情聴取等を踏まえて検討した結果が記載されている。この報告書においては、石川議員による録音の内容と田代検事が作成した捜査報告書の内容に齟齬があることは認めつつも、両者の供述の趣旨には実質的には相反するものではないと強弁し、田代検事の「記憶の混同」という弁解を受け入れて、「思い違いをしていた可能性を否定することができない」とし、上司らも、田代検事作成の捜査報告書の内容に不正確な記載があることを認識していたことをうかがわせる事情が一切ないと認定し、田代検事らに、虚偽公文書作成罪が成立することを否定した。この認定はかなり苦しい説明に終始しており、最初から結論ありきで、必死に強弁しているとしか受け取れず、一般国民にとっては大変に分かり難い説明となっていると言わざるを得ない。
また、この検証結果報告書では、田代検事の捜査報告書を含む5通の捜査報告書が、2回目の審理を行う検察審査会に提出されたことが、検察審査会を「起訴議決」に誘導しようとしたのではないかとの問題について、誘導する意図はなかったと結論づけて、問題はなかったとの認識を示している。
これらを踏まえて、検証結果報告書では、再発防止策として、検察審査会の起訴相当議決を受けた後の再捜査の際に、被疑者や共犯者の取調べにおいて原則として録音・録画を実施することや、捜査報告書はなるべく作成しないこと、第1次捜査の主任検察官を関与させず、より上位の検察官を主任検察官に指名することなどを指摘している。
今回問題となった検察審査会に提出された5通の捜査報告書は、普通に見れば、東京地検特捜部が組織的に作成したものであり、それは検察審査会の審査を、起訴議決に導くための誘導を意図して行われたことは明らかであり、そうだとすると、今回の出来事は、大阪地検特捜部による厚労省元局長無罪事件に較べても、より深刻で重大な事態であったはずである。
ところが、大阪の事件の時には、前田元検事を始め、特捜部長・副部長であった大坪・佐賀元検事をそれぞれ逮捕して立件したのと比較しても、今回の事件では誰も逮捕されず、最終的にも誰一人起訴された者はいないという結果となっている。
これは余りにも対応が違っているだけでなく、今回の方が、組織的に、一人の政治家を検察審査会によって起訴させようとして、検察審査会を誘導する意図で五通の捜査報告書を提出するなど、その態様は極めて悪質であり、検察にとっては存亡の危機に繋がる事態だったはずである。
ところが、今回の検証結果では、虚偽報告書の作成は、全て田代検事の個人の判断に矮小化し、組織的な関与を完全に否定するとともに、検察審査会を誘導する意思も完全に否定し、完全に「守りの姿勢」に徹する内容となっている。その結果、誰一人起訴される者はおらず、不起訴処分(嫌疑不十分又は嫌疑なし)となり、懲戒処分としても、極めて軽い処分にとどまったのである。
もちろん、田代検事らを告発していた市民団体は、すぐに検察審査会に申し立てるだろう。検察審査会を誘導するために、虚偽公文書を作成した田代検事らについて、欺された側である検察審査会に所属する市民である検察審査員の判断が注目される。
ところで、検察庁にとっては、今回、自浄能力を発揮する最後の機会だったと考えられるにもかかわらず、その自浄能力を発揮するどころから、かえって組織防衛のための調査に終始してしまったことが露呈された。
つまり、検察庁としては、自浄能力はない組織であることを自ら暴露してしまったのである。もはや、検察庁に正常な自浄能力を期待することはできないと言わなければならない。
昨年三月に、「検察の在り方検討会議」が一定の提言をしているが、東日本大震災の影響もあり、その提言は極めて不十分であった。
そこで、その後に発覚した今回の虚偽報告書作成問題を踏まえて、本来であれば、もう一度,「検察の在り方検討会議」が持たれるべきであり、その際には、法曹関係者をできる限り排して、一般人やジャーナリストなどの有識者を中心に構成し、事実調査権限も与えて、徹底的に調査を行った上で、特捜部の廃止を含めた抜本的な改革を議論する場とする必要がある。
海外では、イギリスやカナダでは、第三種による調査委員会が設置されて徹底的な調査が実施され、その結果に基づいて、関係者に対する厳しい処分や法改正が提言され実施されている。アメリカでも、独立した特別検察官制度が設けられて、徹底的な調査が実施されている。日本だけがこのような制度を持たず、警察や検察の不祥事についても、自らの手による検証がなされてうやむやにされている現状がある。
今回の事件では、小沢氏の刑事事件は控訴審に舞台を移して進行中である。その中での今回の最高検察庁による不起訴処分の公表は、この問題を矮小化し、早く幕引きを図ろうとする動きでしかなく、国民からの理解を得ることは到底できないと言わなければならない。
検察に対する国民の信頼は、再び地に落ちた。この信頼を回復するには、第三者機関による徹底的な調査・検証を経て、抜本的な改革を行う以外にはありえない。
その意味では、検察庁は自ら墓穴を掘るような自殺行為をしたことになる。「検察が死んだ日」として歴史上記録されることだろう。そして、新しい検察を再生するためには、市民を中心とした外部の第三者機関によって徹底的な調査と議論がなされなければならない。
それが実現できるよう、私たちは声を上げ続ける必要がある。
元記事リンク:http://beatniks.cocolog-nifty.com/cruising/2012/06/post-c5d9.html
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