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アメリカの無謀な人質救出作戦に、全世界があぜんとする中、当のアメリカ国民の中には、この強攻策を是認している人が多いという。 そこには、国際法上から、また、成功の可能性から、作戦自体は愚挙とはみなさないという考え方があるともいわれる。
だが、行為の原因の正当性を主張することは、今回のように、その影響が極めて重要な場合、妥当であるとは考えられない。 少なくとも、今世紀のプラグマティズム(pragmatism:事象に即して具体的に考える立場。 観念の意味と真理性は、それを行動に移した結果の有効性いかんによって明らかにされるとする。 主としてアメリカで唱えられ、パース・ジェームズ・デューイがその代表者。実用主義=広辞苑)の母体であるアメリカで、 こうした議論がなされているということは、判断が、いまや感情的なものになっていることを示すものではないだろうか。
効果の有用性のみをもって、真理の価値を判断するという、プラグマティズムの思想的基礎が、正しいか否かは議論の余地がある。 だが、抽象的論議をする場合は別としても、効果の有用性が価値として評価されるなら、それは、アメリカが最もよく理解しているはずである。
それにもかかわらず、各国に対して、今回の作戦を批判する資格はないというアメリカ国民は、 もはや、いらだちから理性的判断を失っている、としかいえないのではないか。
日本や西欧諸国が、これを戦争行為と決めつけるのは避けるとしても、 軽々しく、「人道的見地から、心情的には理解できる」という態度をとってよいかどうかは疑問である。
「理性を失った米国民の判断」(1980年5月5日付の朝日新聞「声」欄)
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