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震災がれき受け入れに見る”絆”劣化する日本人の精神構造 鳥越俊太郎
最近のニュースの中でどうにも腑に落ちないのが3・11の大震災で大量に出たがれきの処分に関する話だ。
福島のがれきは福島で処理する方針らしいが、問題は宮城、岩手の被災地で大量に出たがれき処分。
県によって対応が違っているが、「環境省の受け入れ要請」に無回答を貫いている県が余りにも多い。
つまり、どうやら各県の意向はがれき処分は引き受けたくないようなのだ。
がれきの処理は震災復興の第一歩だ。津波で倒壊した家屋などのがれきの処理については
日本中の各県が分担して引き受けるものだと軽く考えていた。甘いなあ!
私の見通しはなんと甘かったことか!震災直後からメディアを通じ日本人はこぞって震災の被災者に心を寄せ何でも協力するような空気が流されていた。
あれはどこへ行ったのか?昨年末の恒例、清水寺の今年の象徴する文字は「絆」だった。
それが半年も経たないうちからこうだ。結局他の県ならいいんだけど、うちに来てもらっては困る。おいおい、「絆」はどこへ行ったんだよ!!
福島の原発がらみのがれきは放射性物質が付着している可能性があり、住民が戸惑うのなら分かる。
でも岩手や宮城ではほとんど放射能とは関係ない話だと思う。だけど、住民の中には今回の震災によるがれきは一切ごめんだ!という気分なんだろう。
日本人の助け合いの精神なんてまあ、こんなもんかと思う。
これはこれまでにはよく似た話でゴミ焼却場の建設問題のとき各地で持ち上がった問題だ。
簡単に言うと地域エゴ。ゴミ処理場は必要だけど私のところにはダメ!という論理。
この手のごて住民がよくいたなあ。今回の話も結局は同じことだと思う。
日本人の精神構造はますます劣化する一方だ。
「絆」を振り回すなんてチャンチャラおかしいぜ!
(私のコメント)
神奈川県知事は、受け入れるとしたら、猛反対の市民グループが「帰れ。帰れ!」の大合唱をしていた。
昨年の3月11日は、たまたま巨大地震が起きて、原発事故が起こったのです。
私たちは、たまたま福島をはじめとする東北に住んでいなかっただけ。かろうじて難を免れただけ。
福島県の子ども達が、避難先でいじめにあっているという話もひどい話である。福島の子どもたちは
被災者で、被害者であるのに、いじめという人災にも遭わなければならないのですか!
「絆」を振り回すなんてチャンチャラおかしいぜ!本当にそう思います。
明日は、いよいよ3月11日、テレビでは、追悼番組が流れることでしょう。
さぞかし、たくさんの「絆」という言葉が使われることでしょうね。
もしも本当に「絆」の大切さとか、悲しみの分かち合いをしたいのなら、
私も鳥越さんと同じ意見で、日本中の各県が分担して引き受けるのが良いと思います。
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