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BBC This World 2012 Inside the Meltdown
日本人としてはたとえ既知の内容だったとしても、あの9日間を淡々とした編集とナレーションでこうやって凝縮して見せられると、改めて、いかにギリギリだったのかが迫ってきます。
派手な演出はなく、あくまでも淡々と。政府も東電も実は12日の時点ですでに「炉心溶融」の可能性は認めていたので、「メルトダウンを後になるまで認めなかった」と言い切るくだりはいささか残念でしたが、それでも総じて優れたドキュメンタリーだと思いました。 と紹介されているが、今まで見た記憶のない映像も入っている 「秀逸」なドキュメンタリーだと思う。
英語版ではあるが、登場する日本人の発言が明瞭に記録されており、英語部分は完全に分からなくとも、十分理解できる。ご覧になっていない方には、お勧めかもしれない。-- 所要時間 59分 --
goo news 2012年2月29日(水)引用
番組は、3月11日からの9日間を1時間に凝縮して振り返っています。福島第一原発の完全メルトダウンを防ごうと戦った人たちを丁寧に取材して。当時の記録映像に後日撮影した映像を織り交ぜて。当時を振り返って語るのは、たとえば「この浜には地震がくれば津波が来る」と承知していた地元の漁師。
「3号機が爆発した時は、もう終わりだなと社員の人たちも言っていた」と語る元原発作業員。「日の丸を背負ってあの発電所で戦わなくてはいけないと思った」と語る現作業員。
さらには、燃料プールに上空から放水するため、「誰かがやらなきゃいけないんだったら、一生懸命がんばってきてください」と泣く妻に送り出された自衛官。「いつでもそういう時にはそのまま現場にいく」と家族を教育しているので家族には連絡せずに、現場入りした消防隊員(任務終了後に家族から「電話一本くらい」と怒られたそう)。
津波で見失った家族を探そうにも、ベント前に避難を迫られ、助かった長女を守るために大熊町を離れた父親。SPEEDIの放射能影響予測データが公表されなかったせいで、線量のより高い地域へ避難してしまった子連れの妊婦。避難から間もなく赤ちゃんが無事に生まれた時、「思わず指を数えた」と語る父親。 (引用終り)
後は 本編をご覧ください。
また、外国の放送や報道を紹介しなくてはならなくなるのだろうか。取材源にもっとも近い 「日本のマスコミ」 は何をしているのだろう。
今から発表されるであろう、そういう番組に 「期待」 しておこう。 多分、裏切られるだろうが ……
【追加編集 : 産経ニュース 2.28 引用】
民間事故調は福島第1原発の免震重要棟2階の対策本部にいた作業員からも聴取。吉田昌郎所長(当時)の怒号が響く様子や死を覚悟でベントに向かった社員の表情など刻々と事態が悪化する状況を生々しく証言した。
「そんなことは聞いてない」「何でもいいから液体を持ってきてくれ」。津波による配電盤の冠水などで、全電源が喪失した昨年3月11日午後。構内のPHSが使えなくなり、1〜4号機の状態が把握できない事態を前に「吉田所長の怒号がマイクで響いた」。
水位の低下で燃料露出の可能性が浮上した夕方、吉田所長が「作業に従事していない人は逃げて」と指示を出したものの「誰も帰ろうとせず、われ先に逃げる雰囲気ではなかった」。
午後7時過ぎ、原子炉建屋に白い蒸気が充満しているのを見た運転員からの報告が入る。「この原発は終わった。東電は終わりだ」との思いがよぎった。
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