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日野原重明氏の驚くべき発言−−地下鉄神経ガス事件の謎
http://blog.livedoor.jp/nishiokamasanori/archives/9090440.html
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1965699883&owner_id=6445842
1995年3月20日(月)に東京で起きた化学テロで使用された毒ガスは、(1)著しい縮瞳(2)呼吸困難(3)鮮紅色の皮膚をその症状とする物でした。
この内、(1)と(2)は、それが神経ガスであった事と一致します。ですから、使用された毒ガスが、神経ガスであった事は確かでしょう。しかし気に成るのは(3)です。
あの日、地下鉄に撒かれた毒ガスが、神経ガスであった事は確かでしょう。しかし私は、疑問を持って居ます。それは、この(3)鮮紅色の皮膚の問題が有るからです。
神経ガスには、サリン、タブン、VX、などが有ります。これらは皆、化学的には、有機リンです。そして、これらの有機リンは、副交感神経を刺激します。
その結果、縮瞳が起こり、気道の分泌物が増加します。ですから、縮瞳が顕著だった犠牲者達が、神経ガスに曝されたであろう事は、良く理解出来ます。しかし、皮膚が鮮紅色だったのは何故なのでしょうか?
私は、あの日、この化学テロの被害者たちの医療に当たった医師から直接話を聞きました。そして、その医師が言った次の言葉が忘れられないのです。
「始めは、一酸化炭素中毒かと思った。」
これが、その医師が私に言った言葉なのです。
一酸化炭素中毒の特徴は、皮膚が鮮紅色に成る事だからですが、それほど、あの日、地下鉄で化学テロに遭遇した被害者の皮膚は、鮮紅色だったのです。
もちろん、被害者たちは、一酸化炭素に曝された訳ではありません。縮瞳が著明だった事、呼吸困難を引き起こしてゐた事から判断して、神経ガスであった事は確かでしょう。しかし、サリンで皮膚が鮮紅色に成るのでしょうか?「一酸化炭素中毒かと思った」と、被害者の皮膚を見た医師が言った程に。
私は、文献を調べてみましたが、神経ガスの臨床症状に関する文献は極めて少なく、この点を文献的に確認する事は出来ませんでした。その上で今も思ふ事は、使はれたのは、神経ガスではあっただろうが、本当にサリンだったのか?或いは、サリンだけだったのか?と言ふ事なのです。
皮膚が鮮紅色に成ると言ふのは、一酸化炭素でないとすれば、シアノ基を持った物質ではないか?と、思ひます。
シアノ基(CN基)を持った神経ガスは有るのでしょうか?有ります。それは、タブン(tabun)です。歴史的には、サリンよりも先に、ドイツの化学者シュレーダーが、偶然、合成した最初の神経ガスです。そのタブンは、シアノ基を持つ物質です。あの日、タブンが撒かれた可能性は否定出来るのでしょうか?
こうした理由から、私は、1995年3月20日(月)に東京で起きた化学テロ事件を「地下鉄サリン事件」とではなく、「地下鉄神経ガス事件」と呼んで居ます。タブンが使用された可能性を否定出来るのか、分からないからです。
その地下鉄神経ガス事件(「地下鉄サリン事件」)に関して、驚くべき事実が有ります。それは、事件直後、聖路加国際病院院長(当時)だった日野原重明氏(1911〜2017)が、テレビカメラの前で行なった発言です。
事件直後、多くの被害者を受け入れた聖路加国際病院院長(当時)日野原重明氏は、テレビカメラの前で、「使はれたのは、青酸系サリン」と発表してゐるのです。しかし、「青酸系サリン」とは、何の事でしょうか?青酸系神経ガスと言ふ意味だったのではないのでしょうか?ならば、それは、タブンです。
私は、その動画を昨年(2017年)、日野原氏が他界された直後に、日野原氏の生涯を振る返るテレビ番組の中で見たのです。
日野原氏は、テレビカメラの前で、メモを手に、「使はれたのは、青酸系サリン」と言って居るのです。(この動画をネットで探したが、現時点では、まだ見つかりません。しかし、間違い無く、私は、それを見てゐます。)
「青酸系サリン」と言ふ言葉はおかしいのですが、これは、「青酸系神経ガス」の事なのではないでしょうか。つまり、日野原重明氏は、タブンが使はれた模様だと言ふ報告を受け、それを報告者が、「青酸系サリン」と書いた為、そのまま、それをテレビカメラの前で読み上げたのではないか?と思はれます。
仮にタブンが使用されたとする。その場合、問題に成るのは、オウムが、そのタブンを何処から入手したか?です。彼らは、自分達で、タブンを製造したのでしょうか?
この問題を追跡する有志が現れる事を期待します。
2018年3月20日(火)
西岡昌紀
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■地下鉄サリンから23年=駅員ら犠牲者追悼−事件遺族「次の段階に」・東京
(時事通信社 - 03月20日 09:00)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=5034446
13人が死亡、6000人以上が負傷した1995年の地下鉄サリン事件から23年となった20日、現場の一つとなった東京都千代田区の東京メトロ(旧営団地下鉄)霞ケ関駅では、駅員が犠牲者に黙とうをささげ、遺族らと共に冥福を祈った。
事件では、オウム真理教の信者が霞ケ関駅を通る3路線5本の電車内で猛毒ガスのサリンを散布。同駅では助役の高橋一正さん=当時(50)=と、代々木電車区助役の菱沼恒夫さん=同(51)=が犠牲となった。
駅員16人はこの日、発生時刻に近い午前8時から事務室で黙とうをささげ、大友豊彦・霞ケ関駅務管区長(57)が献花台に花束を供えた。
高橋さんの妻で地下鉄サリン事件被害者の会代表世話人のシズヱさん(71)も献花に訪れた。「また来たよ」と夫に報告したといい、「年とともに涙もろくなって。いろいろな思いが交錯し、複雑な気持ちだ」と23年の歳月を振り返った。
オウム真理教による一連の事件をめぐっては、元代表松本智津夫死刑囚(63)ら13人の死刑が確定しており、1月に全ての刑事裁判が終結。法務省は今月、死刑囚のうち元幹部7人を収容先の東京拘置所から仙台や名古屋、福岡など5カ所の拘置所に移送した。
死刑執行に向けた準備との見方もあるが、同省は否定している。シズヱさんは「次の段階に入ったんだと思う。法に従って粛々と進めてほしい」と話した。
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