http://www.asyura2.com/12/social9/msg/791.html
Tweet |
いじめに関する議論はいろいろある。そして、結論はまだ出ていない。それぞれ各個人の問題だとされている。だがこれは、組織の問題である。組織というのは個人とは比較にならないほど強力であり、強大だ。組織の力と比べたら個人の力などは無に等しい。数の力には歴然とした差がある。組織に所属する人は、やはり組織の方針に従う。組織の人間であっても、それは個人なのだが、組織の力を背景にしている。どんな組織であろうとも、それが個人の力を何倍にも増幅させる。組織の命令に服従している限り、組織に所属している人間は保護され、安全である。ところが、ひとたび、組織に歯向かう存在となると判断された場合、自動的に組織の敵となり、排除、攻撃の対象となる。学校や職場のいじめもこの原理が働いている。いじめはなくすべきことだが、いじめの被害者が学校や会社を批難した場合、それは正当なことなのだが、組織の敵となってしまう。学校側、会社側の敵となり、排除、攻撃の対象となる。すると、いじめと戦うという正義はどこかへと消滅し、ただひたすらに組織を守るためだけに戦う。つまり、普通に生活をして、組織内部で活動していたのに、いじめ攻撃をされ、それに対して相談したり、悩みを述べたり、改善を求めただけなのに、すぐに組織の敵となり、排除するべき者、邪魔者、迷惑な存在、組織に害をなす存在となり、徹底的に攻撃される。しかもそれは組織の力が働いているので、すさまじい打撃となる。これも同じように個人の力では対抗できない。こういう背景をいじめ常習の熟練者はよく心得ている。つまり、何の落ち度もない、普通の生活していた者をいじめ攻撃して、異変を起こさせ、組織の敵にしてしまうのだ。その巧妙さはかなりのものだ。他の同じ組織内部で生活している人々も、何もできない。もしもこのいじめ被害者の味方になって、組織を批判したり、いろいろ陰口悪口を述べたり、どこかに密告したり、マスコミに知らせたりすれば、やはり同じように排除の対象となり、組織の力で、簡単に踏みつぶされてしまう。これがいじめである。いじめだけでなく、セクハラ、パワハラ、猥褻行為、痴漢行為、性的暴行、虐待、無視、ネグレクトなども同じである。これが組織悪というものだ。普通は、暴力団などだけが特別な組織悪であると考えられているが、そういう組織だけでなく、普通一般の組織でも組織悪は存在する。マザーテレサは、組織悪について述べている。組織悪は学校などの教育機関だけでなく、福祉関係でも存在し、病院などの医療機関、介護現場、障がい者施設などでも存在する。職場も同じことで、どんな会社であろうとも、大企業、中小企業に限らず組織悪は存在する。しかし、そういうものは見過ごされやすい。いじめとは、そういう組織悪を巧妙に操作し、悪用したものだ。いじめは、特別ないじめグループだけがこそこそとやっているように思われているが、実際はそうではない。組織相ぐるみでやっている。まず、いじめ主犯格がおり、これに腹心がいる。そしていじめの実行犯がいる。さらにいじめ仲間がいる。だが、これらだけではない。いじめを背後で応援している連中がいる。また、いじめには直接かかわっていないものの、それらを無視する者がいる。これが多い。組織に所属している人は組織の方針に従い上司の命令で動いているので、どうにもならない。それどころか、いじめの主犯格が、生徒ではなく、教師のことも多い。体罰として直接暴力をふるったり、完全無視する。組織の人間は大なり小なり組織に絶対服従なので、善悪の判断もそれに影響される。むしろそんなものはどこかに吹き飛んでしまう。いじめがはびこる組織というのは、決して、個人の問題ではなく、組織が腐敗していることをいじめグループが悪用しているのだ。組織が無能化し、腐敗し、何かの不正行為をしていると、たちまちにして悪のいじめグループがそれを察知する。つまりそこにいじめを実行するチャンスがあることを即座に見抜く。そしてたちまち仲間を集めていじめを実行するということだ。これは組織のトップや幹部が、無能であることを示す。あるいは、何か別のことに熱中しており、組織の管理には無関心であることを示す。組織というのはすぐに腐敗し、放置しておくと、必ず悪に向かう。利益優先となり、組織のためであれば何をしてもよいことになる。つまり何でも正当化してしまうのだ。組織そのものには正義はない。組織は常には巨大化し、増幅し、拡大し、とにかく利益を上げることが優先される。学校では周囲から称賛され、栄光を獲得することだ。大きな建物を建て、巨大化し、すべてを支配しようとする。そのためにはいかなることでも犠牲にしようとする。そういう目標があるので、いじめ問題などには取り組まない。そんなものは無視する。いじめなど解決などせず、むしろいじめの被害者や告発者を黙らせようとする。そういうものは、組織にとって何の意味もないからだ。いじめ常習犯はそういう組織悪を利用し、巧妙にいじめを繰り返しながら、被害者がどのように行動をするのかを見ている。そしていじめ被害者が、組織に相談することもあらかじめ計算に入れている。しかし、組織は何もしないことを知っている。いじめ被害者が、どこか別のところに相談したり、知らせることも知っている。そういうこともすべて計算に入れている。だがどこに相談しても相手にされないし、いじめ対象者がしおれで悩み苦しむ様子を見て、おもしろがる。そして結局は、いじめ対象者を追い出したり、自殺に追い込んだり、地位を失わせたり、破滅に追い込んで面白がる。いじめ対象者がいなくなると、すぐに別のターゲットを探して見つける。それどころか、同時進行で、いろいろな人をいじめていることが多い。とにかく非常に巧妙だ。外部の人は、組織内部の実情を全く知らないので、何が起きているのかわからない。実は何もしていない。そもそもそういうことに取り組む気は全くない。そんなことはどうでもいいのだ。組織の幹部からすると、そんな一部の人間がどうなろうとも、痛くもかゆくもないし、知ったことではないのだ。ここにいじめの恐ろしさがある。これは猥褻行為でも同じだ。こういう組織の被害者は、何も悪いことをしていないのに、ターゲットにされただけで、悲惨な末路となる。こういうことは組織内部で起きる。組織には別の組織との戦いがあり、競争が常にある。安泰な組織など存在しない。それで、常に別の組織との戦いや競争に集中しており、利益優先で、個人の生活は無視する。大きな組織に所属している人は常に立身出世のみに関心があり、そのために生きている。自分にマイナスになるようなことにはかかわらない。同じ組織の人間であっても、いじめの被害者を助けようとしないのはそういうことだ。だが、優しい人もいるので、そういう人も巻き添えになり、犠牲になることも多い。いじめ常習犯とはどういう人間なのかというと、そういう背景を見抜く能力があり、仲間をすぐに集めたり、操作する力がある。だが、いじめグループも決して安泰ではない。厳しい上下関係があるし、常に命令する側と、服従する側に分かれる。いじめをするときには協力していても、仲間同士で喧嘩をしたりすることも多い。それどころか仲間同士で争い、いがみ合うことも珍しくない。いじめ常習犯の考え方は、世の中はいじめで成り立っており、常にいじめる側と、いじめられる側にわかれているとしている。だから、常にいじめる側にいたいということらしい。確かにそういう面もあるが、それだけではないと思う。いじめの問題は、いじめそのもだけではなく、いじめに無関心なこと、いじめを無視する態度に問題がある。またどんな組織であろうとも、組織で生活している人は、組織悪が存在するのだということを知っておいてほしい。また強い組織が正しいとは限らない。
投稿コメント全ログ コメント即時配信 スレ建て依頼 削除コメント確認方法
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。