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“塀の中”で見えた「依存なき自立」観の罪深さ
河合薫の新・リーダー術 上司と部下の力学
「自立」は、「依存」の先に存在する
2016年6月28日(火)
河合 薫
今回はいつか書こうと思いながら、なかなか書く機会のなかったことを取り上げようと思う。
テーマは……、仕事、雇用、高齢化、介護、家族、教育、人権、差別、自立――。
この現代社会のキーワードすべてがテーマでもあり、見る角度によって景色が大きく変わる問題……。今、こうやってパソコンに文字を打ち込みながらも、どれをテーマにすればいいのかわからないくらい、私の脳内も混沌としている。
ただ、“そこ”での経験はあまりにも衝撃的で、“そこ”は「ニッポンの縮図」で。知っているつもりの無責任さ、当たり前と思っていることの恐さ、無意識の“壁”を痛感させられた。
はい、そうです。“そこ”とは、「塀の中」。あの塀の中です。
昨年、縁あって累犯受刑者や暴力団員が入所する刑務所を訪問したのだが、“そこ”には今私たちが直面している社会問題が、そのまんま存在していたのである。
なので、私が実際に見て、感じて、考えたことを、できるだけストレートに書き綴るので、みなさんもそれぞれの視点で考えてみてください。
私が“塀の中”にお邪魔したきっかけ
きっかけは、ある日届いた一通のメールだった。
「私は○○刑務所で、キャリア支援を行っています。この刑務所は、累犯受刑者や暴力団員が入所する刑務所です。通常のキャリアカウンセリングでは対応が難しいため、試行錯誤をしながらテキストを作成したり、道徳的な授業に取り組んでいます。
刑務所内でのキャリア支援は、再犯を防ぐ為にとても重要です。
安倍内閣は、増え続けている出所後2年以内の再犯率を今後10年で20%減少させると共に、実協力雇用主を今の3倍に増やすという、数値目標を打ち出しています。
この刑務所も少しずつですが、離職率や再犯率が下がりつつあります。ただ、犯罪を繰り返す者はさまざまな問題をかかえています。この刑務所で仕事に関する講義をする担当者は私ひとりです。相談する相手もなく、自己流です。
河合さんのように、専門でキャリア研究をされている方のアドバイスを伺えたらと、思い切って連絡をしてみました。機会があれば是非、刑務所へのご訪問も検討してください」
お恥ずかしい話ではあるが、私はそれまで再犯率が上がっていることも、塀の中でキャリア支援というものが行われていることも、協力雇用主という制度も、仕事に就いていることが再犯率を下げることも知らなかった。仕事と生きる力の研究やコラムを散々、書いているのに、情けないことだ。
ただ、何か私にお役にたてることがあるなら、と思い、塀の中にお邪魔したいと即返信した。
基礎情報だけお伝えしておくと、一般刑法犯全体の再犯率は平成9年以降、一貫して上昇を続け、平成26年には過去最高の47.1%に達している(平成27年版「犯罪白書」)。また、仕事に就いている人の再犯率が7.6%であるのに対し、無職者は28.1%と4倍にもなる。また、刑務所に戻る人の7割超が無職であることもわかっている(平成21〜25年度「保護統計年報」)。
私はえらく緊張した
では、実際の塀の中はどうだったか?
一言で言うと……、「塀」は想像していた以上に高かった。どこまでもどこまで果てしなく高いところまでそびえたっていて。こんなにも高いものか、と。
といっても、当然ながら物理的な塀の高さではない。そこに漂う空気が、それまで一度も感じたことのない独特なもので。冷たいとか、こわばってるとか、尖っているとか、私の語彙力では表現不可能な空気に、私はえらく緊張してしまったのだ。
生きること、働くこと、年をとること、病気を患うこと、食べること、排泄すること……、そのすべてが「丸裸」に行われていて、それが妙に切なくもあり。
と同時に、人が人であろうとする健気さ、それを支える温かさ、無駄はないけど、決して無機質じゃない、行ってみないとわかりえない「生の吐息」が、そこには明らかに存在し、感動した。
つまり、塀の中には「人間の本質」が残酷なまでに切り取られた瞬間と景色が、存在したのである。
刑務所内ではご存知のとおり、クリーニング、民芸品の作製、洋服の縫合などの刑務作業が、刑務官が監視する中で行われていた。決められた姿勢で、規律正しく、受刑者はもくもくと手を動かす。当然ながら、私語は禁止だ。
ドラマや映画などでみかけることのあるシーンだが、実際のソレは実に重く、特にビビったのが「壁に!」(確かこんな言葉だったと思うのですが……)と、刑務官が号令をかけた瞬間である。
受刑者たちがいっせいに作業をやめ、壁にむかって全員が手をつき、下を向いたのだ。
「万が一」に備えてのルールだそうだが、微動だにしないその姿は異様で、「ああ、ここにいる人たちは罪を犯した人たちなんだ」と改めて思い知らされた。
刑務官が見せてくれたきれいな刺繍
ところが、である。
「ホラ、これみてくださいよ。丁寧な仕事でしょ? 作業をしながらこういったワザを身に付けていくんです」
案内する刑務官の方が見せてくれた納品前の製品には、とても美しい刺繍が施されていた。壁に向かう姿とギャップがありすぎて、ただ困惑するしかなかった。
これを作りながら、受刑者は何を考えていたのだろうか。
作り方を教える指導員の方は、どんな思いを受刑者の方たちに伝えたかったのだろうか。
そんな疑問が頭をよぎり、壁にむかってうつむいている受刑者に、思わず「ご苦労様です」と小さな声をかける自分がいた。今思うと、刺繍から受けたやさしい気持ちと、それを作る努力を感じたのかもしれないと、思ったりもする。
いずれにせよ、現場ではそんな複雑な感情を認識する余裕もなく、私自身も本能に従っていた。そして、そんな自分の言動が自分自身が緊張した。不思議なことだ。
案内する刑務官にも私の緊張が伝わったのだろう。「ここでは規律が何よりも、大事なんです。規律が乱れると、いろいろなことが乱れてきます。でもね、受刑者も人間です。気付かれないように河合さんのこと、盗み見てますよ」と、笑いかけてくれた。
ありがたかった。その一言に私はホッとし、極度の緊張状態から少しだけ解放されたのだ。
必要最低限のコミュニケーションしか許されない塀の中で、刑務官はこうやって敏感に相手の感情を汲み取り、巧みに反応しながら、受刑者の尖った心を宥め、傷ついた心を癒しているのだろう。
塀の外と変わらない“医療崩壊”
さて、いくつかの作業場を見学した後に案内されたのが、介護や治療が必要な受刑者が収容されている医療棟である。
深刻な高齢化が進んでいるのは、塀の中も例外ではない。刑務所人口の約2割を60歳以上が占め、疾病を抱える入所者は6割以上で、年々増加している。
65歳以上の犯罪はこの20年で約4倍に増え、再入者率も他の年齢層に比べて高く、高齢入所受刑者の約7割は再入所者(「平成27年版犯罪白書」より)。大半は窃盗で、家族がいなかったり、いても見放されていたりする場合が多い。
医療棟には、いくつかの個室があり、治療が必要な高齢の受刑者が布団にくるまって寝ていた。奥には、クリニックのような施設があり、医師と看護師が常駐。想像以上にきちんした設備で、刑務官の方によれば、受刑者の医療費は年々増加し続けているとのことだった。
また、深刻な医師不足から常勤の医師のいない刑務所もあり、医療機関への搬送は10年前に比べ8割増加。搬送は逃走の恐れを伴うため、受刑者1人に職員3人程度が付き添う規定があり、施設の負担は重く、刑務所の医師不足は危機的な状況を招くと危惧されている。
一方、健康問題のない高齢者は通常は雑居房に収容されるが、服役中に認知症の症状がでる受刑者も多い。徘徊したり、排泄ができなくなったりと、刑務官が介護を余儀なくされる。医師も足りない、介護する人もいない、でも、人は老いる――。社会から見放された高齢者が、再犯を繰り返す。完全なるネガティブスパイラルに陥っているのだ。
刑務所が「福祉施設」と化していると指摘する声はよく耳にするが、その陰には刑務官たちの苦労が存在した。受刑者の就労支援もさることながら、ここで働く人たちが少しでも元気に働けるようにすることも大切であると、強く感じた。
余談ではあるが、当日、刑務官の方たちに講演をすることにしていたので、元気になってもらえるような話をしなきゃと心したのだった。
あんな講義風景をみたのは、生まれて初めてだった
少々話が脱線してしまったが、そもそもの目的である、受刑者のキャリア支援についてお話しなければならない。
こちらは講義を見学させてもらったのだが、あんなにきちんとした講義風景をみたのは、生まれて初めてだった。
60分間の講義の間、受刑者たちは、足をそろえ、背筋を伸ばして、視線をそらすこともなく、講師の先生の話を聴き、意見し、仕事について真剣に議論していたのである。
こんなきちんとした姿勢で講義を受ける学生をみたこともないし、テレビの党首討論が「学級崩壊」状態と揶揄されるこのご時世に、なんということだ。
「最後に15分でもいいので、話をして欲しい」と頼まれていたので、受刑者の方たちに話をしたのだが、彼らの真っ正面に立った瞬間、私の頭は真っ白になった。
受刑者にとって、仕事、がどういった意味をもつのか?
仕事に対してどんな絶望を抱いているのか?
そもそも 働きたいという気持ちがあるのか?
そんないくつもの「?」が、受刑者と面と向き合った途端、私の脳内を埋め尽くし、どんな話をすればいいのかわからなくなった。で、散々悩んだ挙げ句(時間にするとわずかな時間だとは思いますが)、私は「仕事をしたいですか?」などと、ストレートすぎる質問をしてしまった。
なんという愚問。キャリア支援の講義で、仕事したいですか?なんて。しかも、どんな答えが返ってくるのか想像がつかないからビビる。
今、こうやって文字だけを追っている方には、「なんで?なんで、どんな答えが返ってくるのか想像つかなくて、ビビるわけ?」と疑問に思うかもしれない。が、あの独特の空気の中では、200%ビビってしまったのだ。
ところが、である。私の心配をよそに、「仕事をしたいですか?」という愚問に、受刑者全員が「はい」と答え、仕事をしたい理由を次のように答えた。
「仕事をしてお金を稼がないと、生活できない」
「仕事をして、自立したい」
「仕事をして、普通の生活をしたい」
「仕事をして、人を喜ばせたい」
……極めて普通。そうなのだ。返ってきた答えは、ごくごく普通のものだったのである。
私は、受刑者の方たちに面と向き合ったときに、無意識に「私たちとは違う」と偏見をもち、無意識に「特別な人たち」と区別した。それが、こうやって改めて書き出してみると、否が応でもわかる。
決して受刑者は特別な人たちではなく、私たちと同じなのに。たまたまつまずいてしまった人でしかないのに……。私自身も、つまずくことだってあるかもしれないのに。
世間の偏見が、彼らの生きづらさの大きな要因になっていると、頭ではわかっていたはずなのに、私自身が、彼らを偏見のまなざしでみていた。情けないことだ。
3人に1人が2年以内に刑務所に戻る理由
受刑者たちの「働きたい気持ち」は本心だと思う。だが、現実は厳しい。
刑務所を出て保護観察の対象になった人を雇い、立ち直りを支援する「協力雇用主」の登録は全国で約1万4000社あるが、実際に雇用しているのは約500社で、4%にも満たない。
2015年度から、年間最大72万円を支給する制度を導入し、雇用主登録は1万6千社に増え、雇用実績も800社弱まで増えたが、それでも全体の5%程度だ。
刑務所からは、毎年約3万人の受刑者が出所。仮に、1社平均、毎年2人を採用したとしても約1600人で、わずか5%しか就職できない計算になる。
しかも、刑務所などの矯正施設から出所する受刑者のうち、毎年、約6400人が帰る場所や家、頼る家族や親戚のあてのないままに出所している。
3人に1人は、2年以内に刑務所に戻るのはなぜか?その一因は、私がそうだったように、彼らを「特別な人」と区別するまなざしがあるのではないか。
塀の中で贖罪意識が醸成され、仕事への意欲を高め、しっかりと自立した生活をしよう!がんばろう!と気概を高めても、就職先がない。戻る場所もない。運良く就職できても、前科ものだと偏見の目で見られたら、自分の殻に閉じこもり、他者と関わりを避け、孤立する。
「働いて自立して、がんばって生きて行こう!」という気持ちも失せる。心だって折れる。
「刑期をおえて出所するときには、『二度ともどってきません!』って言うんです。あのときの気持ちにウソはないと思います。でも、また戻ってくる。特に正月が近づくと、アンパン一個盗んで、塀の中に戻ってくる。なんとか生活できるヤツも多いのに、戻ってきちゃう。居場所を求め刑務所に戻る。これも、現実なんです」
刑務官の方がそう話してくれた。
積極的に受刑者を受け入れている企業のひとつである、お好み焼きチェーン「千房」の中井政嗣社長は、
「過去は変えられないが、自分と未来は変えられる。改心は一人で出来ても更正はひとりではできない。私には、彼らが人間として立派に成長し、やがて店長となり、自分がお世話になった刑務所や少年院に赴いて後輩を面接し採用するようになる、という夢と希望がある」
と、平成21年から出所者ら計18人を雇用している。
犯罪を犯した人は、弱いし、忍耐力がない。だから仕事もすぐ辞める――。こんな偏見を持っている人は多いはずだ。
だが、60分の講義で、姿勢を崩さず、足をきちんとそろえて坐ることなど、早々できるものではない。もちろん中には、堪え性のない人もいるかもしれない。でも、人は環境で変わる動物である。
一回くらいつまずいても、再チャレンジの出来る社会にしようよ!と誰もが思っているのに、「自立」を許さない社会が存在するのだ。
“塀の中”のご飯は…本当に美味しかった!
そもそも「自立」の反対は「依存」ではない。社会的動物である人は、依存できる相手がいるからこそ、自立できる。「依存」の先に自立は存在する。
信頼できる他者との出会いで、踏ん張る力が引き出される。
手を差し伸べてくれる人がいるからこそ、困難を乗り越える強さが磨かれる。
悲しみや困難を分かち合ってくれる他者がいるからこそ、未来に光りが灯る。
なのに、自立できている人たちには、そのことに気付かない。だから、「依存する人、自立できない人=弱い人」と決めつけ、「やっぱりダメな人」と排除する。
そして、似たような状況は、塀の外の私たちの周りにもたくさんあるように思う。
たとえば、会社で失敗をする。
「おまえが悪い。何をやってるんだ!」と上司から徹底的に批判され、たった一回失敗しただけで、「できないヤツ」とレッテルがはられ、生きづらくなる。
たとえば、病気になる。
「仕事はボランティアじゃないだぞ」と、病気になったことが悪いことのように言われ、会社にいられなくなる。
誰だって失敗くらいするし、誰だって病気になる。そんなことくらい、だれだってわかっているのに。そのとき依存できる人がいれば、未来に光りが灯るのに。
ちょっとつまずいたとき、依存できる場所や人を探すけど、それがない。いや、あったとしても、依存することが悪いことのように批判する社会が存在してはいないか。
どこまで私の感じたことを、このとりとめもない文章で、どこまで伝えられたか自信がないのだが、現代社会の「生きづらさ」を考えるヒントになれば、と今回は書き綴りました。
最後に。
「食事だけは絶対に食べていって欲しかったんです。用意してありますから、召し上がってください!刑務所の飯はまずい、って思ってますよね? 絶対に驚きますから!」
刑務官の方たちに奨められて食べた“塀の中”のご飯は……、本当に美味しかった!
このコラムについて
河合薫の新・リーダー術 上司と部下の力学
上司と部下が、職場でいい人間関係を築けるかどうか。それは、日常のコミュニケーションにかかっている。このコラムでは、上司の立場、部下の立場をふまえて、真のリーダーとは何かについて考えてみたい。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/200475/062400059/
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