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日本に巣食う「学歴病」の正体 (第20回) 平凡で自由な妹に嫉妬する「高学歴・独身姉」の屈折人生
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投稿者 軽毛 日時 2016 年 5 月 31 日 06:48:01: pa/Xvdnb8K3Zc jHmW0Q
 

日本に巣食う「学歴病」の正体
【第20回】 2016年5月31日 吉田典史 [ジャーナリスト]
平凡で自由な妹に嫉妬する「高学歴・独身姉」の屈折人生
 今回は、「学歴コンプレックス」の親のもとで育てられた姉と妹の生き様を取り上げたい。筆者がこの母親・橋本富美(仮名)と初めて面識を持ったのは、2001年。当時、60歳前後。富美は、取材時に録音するテープを聞き、書き起こす「テープリライト」の会社を営んでいた。社員数は2人だ。

 30歳の頃からテープ起こしの仕事を始め、40代後半のとき法人化して創業。その後、20年近く会社を経営していた。筆者は年に数回、富美のもとを訪れ仕事の依頼をした。その場で雑談などをよくした。最後となった2011年までに、20回は訪ねた。そのときに聞いていたことをまとめたのが、今回の記事である。

 富美には2人の娘がいる。姉は上智大学文学部、妹は青山学院大学文学部を卒業し、現在はそれぞれ50代半ばと40代後半。様々な意味で対照的な生き方をしている。筆者が富美に聞いたところによると、姉は妹に対して嫉妬やひがみの思いを抱いているという。この3人の生き様を通じて、「学歴病」を考えたい。読者にはどのように映るだろうか。

学歴コンプレックス家庭で
妹の人生に嫉妬する優秀な姉


高学歴で外資系企業の部長を務める優秀な姉が、平凡な家庭を築いた妹に嫉妬し続けるのはなぜか
 妹の節子(仮名)は、2011年の時点で44歳。22歳で青山学院大の文学部(英文科)を卒業し、大手損害保険会社に一般職として就職。25歳のとき、学生の頃に知り合った男性と結婚した。

 この結婚を嫉妬の眼差しで見ていたのが、4歳上の姉の冴子(仮名)である。この頃、29歳。結婚を意識する年齢だったが、相手はいなかった。母親の富美によると、結婚寸前まで話が進んだ男性は数人いたという。

 1人は、上智大文学部(英文科)に在籍しているときに知り合った、サークルの先輩だった。2人は学生であったが、富美の言葉を借りれば「夫婦同然」の仲だった。親には「サークル活動」と言い、深夜まで帰って来ない。また「サークル活動」と称し、2人で海外旅行にも出かけた。だが、いつしか関係は途切れた。冴子から「サークル活動」という言葉を聞くこともなくなった。

 結婚寸前まで進んだ2人目の男性とは、27歳のとき見合いで知り合った。冴子は当時、外資系の金融機関に勤務していた。上智大を卒業し、最初に入った大手メーカーは1年で退職した。理由は富美にもわからない。

 見合いの相手は、外資系のファイナンス関係の会社に勤務する30代半ばの男性。2人は数週間で「夫婦同然」の関係になった。富美が心配するほどに、国内や海外の旅行を繰り返した。旅行は半年で10回ほどに及んだという。

 富美らが知らぬ間に、2人は結婚式場などの予約をしていた。しかし、式を1ヵ月前に控えて「破断」となった。男性の親が強硬に反対したようだ。富美は、このあたりのいきさつについては語らない。

 冴子の結婚について語るのは、家庭ではタブーとなった。50代半ばの今も、独身である。節子の結婚式当日、冴子は式場に現れた。だが、「仕事が忙しい」と30分ほどでいなくなったという。相手の男性に挨拶をすることもなかった。数年後、節子に子どもが生まれた。そのことを知らせても、冴子からはお祝いもなかった。

私が子どもを産んだら
絶対に大学に入れないといけない

 冴子は、小学生の頃から成績がよかった。中学生のとき、英語の成績は1学年400人ほどのなかで、常に1〜3番だった。県立の進学校に入り、そこでも英語の成績は1学年450人ほどのなかで、5番以内をキープしていた。全国の模擬試験でも、英語は「成績優秀者」の欄に頻繁に名前が載るほどだった。

 その後、現役で上智大文学部に合格した。大学進学率がぐんぐんと伸びている1970年代後半の頃である。当時、上智大は入学時の偏差値を急激に上昇させていた。しかし冴子は、上智大の看板学部である外国語学部には受からなかった。50代半ばの今でも、人と話すときには卒業大学を「上智大」と誇らしげに口にするが、「文学部卒」とは言わない。「外国語学部に入れなかったことがトラウマになっているのかもしれない」と、富美は見ている。冴子にはこの頃から「学歴病」の影が見えていたと言えまいか。

 冴子の「学歴病」を後押ししたのが、母親の富美だ。1945年の終戦時、彼女は3歳だった。九州の北部で生まれ育った。戦後の厳しい時代であり、家庭に高校に進む経済的な余裕はなかった。中学を卒業し、集団就職で大阪の工場に入社し、寮に住み込み、働いた。

 その後、高度経済成長の時代となる。工場には、ブルーカラーとして働く中卒・高卒の男性が多かった。この男性たちが休憩時間などに不満を述べていたのが、大学を卒業した新入社員たちの扱いだった。

「大卒をどうして優遇するのか?」「どうせ、俺は高卒だしな……」

 その姿を富美は、哀れな眼差しで見ていたという。工場には、大阪大や神戸大、東工大を卒業した男性が数人、配属された。旧帝国大学卒の学生が、「幹部候補」として迎え入られた時代である。3人は大学を卒業したばかりでありながら、役職は課長補佐くらいの扱いだったようだ。昇格は早く、3人は数年勤務しただけで課長になり、本社に転勤となった。富美は、こんなことを語り、振り返る。

「中卒や高卒の男は、嘆いていた。不公平な人事だ、と。私が子どもを産んだら、絶対に大学に入れないといけない、と強く思った」

 富美は、見合いで「高卒」の男性と結婚した。夫も機会あるごとに、「高卒」である身の不幸を嘆いたという。富美は、冴子と節子には小学校3年の頃から家庭教師をつけたり、学習塾に通わせたりした。「勉強をしなさい!」と毎日何度も叱った。

 家庭では、成績や偏差値、大学受験の話で毎日盛り上がった。中心的な存在が、富美と冴子だった。2人は親子というよりも、「同志」だった。冴子は「学歴コンプレックス」とも言える両親の教えを忠実に守り、勉強を黙々と続けた。

 一方節子は、中学に入った頃から親に口ごたえをするようになる。勉強もあまりしない、学習塾にも行かない。高校は姉と同じ進学高に入ったが、成績は1学年450人ほどのなかで、80〜90番ほどだった。

 富美との関係も、ぎくしゃくしたものになる。冴子は妹が上智大文学部よりも難易度の高い大学に進学することを警戒していた。4つ下の妹とはいえ、ライバルのように見ていたのだ。節子が本命であった上智大の試験に不合格だとわかった日、大騒ぎして喜んでいたという。

 青山学院大の文学部(英文科)と上智大の文学部(英文科)の難易度は、1980年代前半当時、ほとんど変わらなかった。それでも冴子は、妹の前で「青学ならそこそこだから、いいじゃん!」と、当時浸透しつつあった「じゃん言葉」を使い、なだめていたという。この頃を境に、姉と妹の関係は変わり始める。あくまで、自分のほうが優秀であることを強調する冴子。学生としての生活に満足し、日々を楽しむ節子。

 冴子は、機会あるごとに節子の生活を富美に聞いて探った。交際している男性や就職活動のこと、損害保険会社に入ってからのこと――。敏感に反応したのが、節子の結婚や出産だった。子どもが生まれたことを知ったとき、口惜しそうな表情を見せたという。

立派な学歴を身につけても
生き方に問題があるとダメになる

 冴子は、挫折を繰り返した。上智大4年の就職活動では、希望するほとんどの会社の試験で不採用となる。入社した大手メーカーは、1年も経たないうちに退職。そして、「夫婦同然」の関係だった男性たちとの数々の「別れ」も経験した。

 50代半ばの今、独身で子どもはいない。これまで6つほどの会社に勤務した。現在の外資系のファイナンス関連の会社(正社員数350人)では、経理部長である。社会的地位があるにもかかわらず、60歳が見えつつある今でも妹の生活をねたんでいる。節子の一人息子が大学受験に失敗して浪人したときには、喜んで富美に電話をしてきたという。

 2011年、富美は筆者にこんなことを淡々と話していた。

「立派だなと思える大学を卒業しても、その人の考え方や生きる姿勢に問題があると、ダメになるのねぇ」「大多数の人は、平凡な人生で終わっていくの。学歴って、そんなものしか得ることができないのね」

 昨年(2015年)、ある人から聞いた話によると、富美は前年(2014年)に病死したという。

姉は本当に「不幸」だったのか?
幸福は追い求めるものではない

 彼女たちの価値観を、「一昔前の学歴観」と切り捨てることは簡単だが、このエピソードには今の時代を生きる人にも通じるものがあるのではないだろうか。富美のわが子の教育にかける思いなどは、筆者は心情的に理解できるつもりだ。親ならば、子どもに学歴で苦労をさせたくないと思うものだろう。この家庭では、それがいびつな形にまで肥大してしまったのかもしれない。

 この親子をベースにして、「学歴病」を考える上でいくつかのポイントを書きたい。まず、姉の冴子である。本人は自分のことを不幸と思っているようだが、不幸と言えるのだろうか。後になってみないとわからないが、別れた男性は結婚しないほうがよかった相手かもしれない。また、独身で子どもがいないことは不幸だろうか。筆者が取材をしてきた人のなかにも、明らかに不幸せな夫婦や親子はいる。男性と女性の関係は、一概には「幸か不幸か」を評価できないものだ。

 さらに、50代半ばの冴子は、男女雇用機会均等法の施行以前に就職活動をしていたことになる。その苦労は、今の20〜40代の女性の比ではないはずだ。会社員としては相当に優秀である可能性が高い。そのことに目を向けてきただろうか。世間を見渡すと、心や体の病で働くことができない人も、リストラなどで辞めていかざるを得ない人も数え切れないほどいる。そうした人たちと比べれば、50代半ばで企業の部長を務める冴子ははるかに満たされている。

 人は何かをしたから、あるいは何かを得たから幸福になるというものではなく、今の生活や人生の中で「自分は満たされている」と感じ取ることができるかどうかの違いだけなのではないか、と筆者は思う。幸福は追い求めるものではない、と思えてならない。冴子は味方によっては、実は「幸福」と感じることができる生き方をしてきたはずなのである。

 中高年になり、「学歴病」になる人の特徴はここにある。目の前の現実から幸福を見つけ出し、生きていこうとすることなく、「こんなものは自分にはふさわしくない」と不満や劣等感を抱える。そして、数十年前の「過去の栄光」に浸ろうとする。だから泥沼化する。

 前述の3人の生き様から考えるべきは、時代の変化と学歴の価値である。富美が10〜20代の頃と2人の娘が10〜20代の頃とでは、学歴の意味や価値が大きく異なる。富美が10〜20代のときは、世間では大卒が重宝される人材だった。それに対して冴子や節子の時代は、大学進学率がすでに30%を超えていた。

 当時から、上智大と青山学院大は立派な大学ではある。だが、大卒が多数ひしめく時代においては、その学歴だけで希少価値があるとは言いがたい。「上智大卒+α」という、学歴以外の付加価値を身につける考え方が必要だったのではないか。「+α」と言える高い技術やスキルを身につけないと、社会では十分には認められないだろう。

 事実、冴子は学歴は高いものの、その「+α」がないがために、新卒時の就職活動で、つまりは社外の労働市場で「一流の人材」として認められなかった可能性もある。転職時の試験でも、そのように言えるかもしれない。時代の変化の中で学歴の意味を捉えることができないと、一定の学歴を身につけたとしても浮かばれないことはあり得る。

学歴の価値は時代の流れと
ともに変わりゆくもの

 最近の傾向で言えば、2020年以降の厳しい時代を見据え、一部の大企業などでは「超総合職」が誕生しつつある。「超総合職」とは、東大・京大などを卒業した人たちである。このあたりは連載第4回で紹介した。

 総額人件費を一段と厳密に管理するために、新卒の社員をいくつかのグループに分けて育成する。トップエリートのグループは、東大・京大などを卒業した人に限定したものである。20代後半から30代前半で役職に就くことができ、30代半ばで関連会社の役員などになる。そしていずれは、親会社である大企業で役員や社長になる。

 今回の3人のエピソードを振り返ると、富美の若い頃、旧帝国大学卒の新人が早々と課長になるというくだりがある。これに近いことが、わずかではあるが戦後70年以上が経った足もとでも始まっている。このトレンドは今後多くの企業に広がると、筆者は見ている。その意味で、「東京帝国大学」「京都帝国大学」の復活と言えるかもしれない。

 裏を返すと、「トップエリート」とは言えない多くの会社員は、30代後半から40代になっても役職が上がらず、年収も500〜600万円前後で頭打ちになる可能性もある。こうした時代の移ろいのなかで「一流大卒」をアピールしたところで、それが認められるか否かは、社外・社内の労働市場の判断となる。ビジネスパーソンにとって厳しい状況になることは間違いないが、「自他ともに認めるエリート」ならば恵まれた時代と言えるし、「普通のエリート」なら苦労することになるだろう。

 真のトップエリートこそが認められる――。厳しい言い方かもしれないが、それがこの連載で筆者が問題提起してきた「学歴病」を克服する手立ての1つとも言える。

 生前、富美は筆者にこう語っていた。「大多数の人は、平凡な人生で終わっていくの。学歴って、そんなものしか得ることができないのね」。

 そのとき、筆者はこんな言葉を返した記憶がある。

「一定の学歴がないと、平凡な生き方もできない。親は子どもに平凡な生き方ができる力を身につけさせることができたならば、もう十分な使命を果たしたと言えると思う」

 冴子は富美から「その力」を授かりながら、そのことに気がつかない人生を送ってきたのではないだろうか。
http://diamond.jp/articles/-/92144  

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コメント
 
1. 2016年6月03日 13:35:33 : ykabuyZUaw : jp8jyzKRr7I[2]
外資系企業で経理部長なんてかなり優秀というか恵まれている方だろう。

>最近の傾向で言えば、2020年以降の厳しい時代を見据え、一部の大企業などでは「超総合職」が誕生しつつある。「超総合職」とは、東大・京大などを卒業した人たちである。このあたりは連載第4回で紹介した。

> 総額人件費を一段と厳密に管理するために、新卒の社員をいくつかのグループに分けて育成する。トップエリートのグループは、東大・京大などを卒業した人に限定したものである。20代後半から30代前半で役職に就くことができ、30代半ばで関連会社の役員などになる。そしていずれは、親会社である大企業で役員や社長になる。

欧米ではそれが普通と聞く。
日本もまた欧米並み人事へ向かうのかな?


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