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日本の40代サラリーマンの男性ホルモン値が60代よりも低い、悲しい理由
[橘玲の日々刻々]
?テストステロンは代表的な男性ホルモンで、性行動だけでなく、健康や気分に大きな影響を与えます。
?男性ホルモンは競争や闘争にかかわり、ヒトでもチンパンジーでも集団のなかで地位が高いオスは濃度が高く、抑うつ状態だと低くなります。ただしこれは、男性ホルモン値が高いと成功するのではなく、地位の上昇でホルモン値が高くなっていく(地位がひとをつくる)のかもしれません。その証拠に、リーダーの地位から転落すると男性ホルモン値は急激に下がってしまいます。
?テストステロンは性ホルモンなので、思春期から20代にかけてもっとも多く、30歳くらいから減少しはじめ、年をとるにしたがって少なくなっていきます。現在では唾液から簡便に測定する方法が開発され、高齢では男性ホルモンが多いほど長生きするなど、研究が進んでいます。
?大手企業に勤務している健康な男性を対象に、2時間おきに男性ホルモン量を測った研究があります。それによると、20〜30代の男性ホルモン値は朝にもっとも高く、夜になるにつれて徐々に減少していきますが、40〜50代、および60代以上では昼食後の午後3時が最低になっています。午後の会議がつらいのは、じつはホルモン値が下がっているからかもしれません。
?しかしより衝撃的なのは、40〜50代の男性ホルモン値が、60代以上よりも明らかに低いことです。テストステロンの量が年齢で決まるなら、こんなことはあり得ないはずなのに、いったいなにが起きているのでしょう。
?研究者は、日本の企業では40〜50代のサラリーマンのストレスがもっとも大きく、それが男性ホルモン値を引き下げているのではないかと考えています。
?年功序列の人事制度では、年齢が上がるにつれて責任が重くなっていきます。それと同時に、会社組織はピラミッド型なので、出世街道から脱落するリスクも大きくなります。家庭でも、住宅ローンの支払いや子どもの教育費が重くのしかかる年代です。
?それに対して60歳を過ぎるとサラリーマン人生も終わりが見えてきて、挫折もあきらめと開き直りに変わってきます。子どもも手が離れ、家計にも余裕ができてくるでしょう。それにともなって、どん底だった男性ホルモン値が回復してくるのです。
?日本の労働市場では、転職が可能なのは35歳までといわれています。40歳を過ぎると会社にしがみつくしか生計を立てる方途がなくなり、「サラリーマンという罠」にとらえられてしまいます。男性ホルモン値をみるかぎり、ここから20年がもっともつらい時期で、それを耐え抜いて60代になるとようやく薄日が差してくる、というのが多くの日本人の人生のようです。
?40歳の男性ホルモン値が60歳より低いのは、かなり異常な状態です。日本企業では中高年の自殺が深刻な問題になっていますが、うつ病と男性ホルモンの低下に強い相関関係があることもわかっています。
?こうした現状を改善するには、年齢にかかわりなく能力を活かして転職できる流動性の高い労働市場が必要ですが、「日本的雇用を守れ」と頑強に抵抗するひとたちがたくさんいるので、いまだにそれは絵に描いた餅です。40代や50代は、これからも「置かれた場所で咲く」しかないようです。
参考文献:堀江重郎『ホルモン力が人生を変える』(小学館101新書)
『週刊プレイボーイ』2015年7月6日発売号に掲載
橘 玲(たちばな あきら)
作家。「海外投資を楽しむ会」創設メンバーのひとり。2002年、金融小説『マネーロンダリング』(幻冬舎文庫)でデビュー。『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』(幻冬舎)が30万部の大ベストセラーに。著書に『日本の国家破産に備える資産防衛マニュアル』(ダイヤモンド社)など。中国人の考え方、反日、政治体制、経済、不動産バブルなど「中国という大問題」に切り込んだ最新刊 『橘玲の中国私論』が絶賛発売中。
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日本の40代サラリーマンの男性ホルモン値が 60代よりも低い、悲しい理由 [橘玲の日々刻々][2015.07.13]
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国辱的な日本の男女不平等社会の変革は、官公庁が「隗より始めよ」 [橘玲の日々刻々][2015.06.22]
http://diamond.jp/articles/-/74890
黒い職場の事件簿〜タテマエばかりの人外魔境で生き残れるか? 吉田典史
【第23回】 2015年7月14日 吉田典史 [ジャーナリスト]
シャッター商店街の高齢者を
「弱者」と決めつける世論の歪み
老夫婦が営む店が閉店寸前になっていたのは、法改正のせいではなかった?
今回は、ある老夫婦を取り上げることで、本当の「弱者」は誰であるのかを考えたい。その夫婦は、神奈川県内のある町で商店を営んでいた。病気などですでに他界しているが、あることがきっかけで、この夫婦はメディアに登場することになった。
当時、夫婦を取り上げるメディアの目は明らかに歪んだものだった。夫婦はメディアによって「弱者」と目され、「救済されなければいけない対象」とされた。詳しくは後に続くエピソードを読んでほしいが、筆者はこの夫婦を取り巻く当時の状況には、現在の企業の職場にも相通じる課題が横たわっていたように思う。
企業の職場においても「弱者」と目される人はいるが、そもそも利害関係が複雑な企業において、特定の人を「弱者」と見なし、「救うべき対象」とすることにはあまりにも無理がある。こうした雰囲気が、世の中を息苦しくしている大きな理由の1つであるとさえ、筆者は思っている。
ところが、その歪んだ論理を押し通そうとする世論や空気がある。それを盛んにリードするメディアや識者もいる。そのいびつな構造の中で、本当の「弱者」が苦しみ、声なき声を発しているのだ。メディアは本来、そうした声こそ拾い上げるべきではないのか。
本当の「弱者」は誰なのか?
老いた女性の死から想起すること
数年前、1人の女性が亡くなった。70代後半だった。そのことを先日、知った。筆者はその女性と、1998年から2000年までの間に、取材を通じて10回ほど会った。その後も、電話で何度か話し合った。
1998年当時、彼女は64歳。それより8年前、夫が脳梗塞で倒れた。意識がなく、家の中で寝たきりだった。夫婦は40年以上にわたり、東急東横線の某駅から歩いて15分ほどにある「商店街」で、履物屋を営んでいた。
98年の時点で、店は閉店寸前だった。店主である夫は店に立つことなど、到底できない。妻であるその女性は、終始介護で夫に付き添った。
老夫婦が営んでいた商店と、活気を失った商店街
64歳という年齢のせいもあるのか、かなり疲れ切っているように見えた。ひざを痛め、ひきずって歩く。2階建ての家だったが、階段を降りるとき、特に痛みが激しいようだった。夫婦には子どもはいない。ヘルパーが週に2〜3日、介護をするために訪れていた。
当時、大店法(大規模小売店舗法)の緩和が話題となっていた。この法律のもとでは、大型店がその地域に出店する際には、地元業者と事前に調整することが求められていた。その意味では、自由に店を構えることができない「規制」と言える。国内の経済界を始め、アメリカなど海外の政府・経済界からも批判を受け、2000年に大店法は廃止された。
1998年当時、最寄り駅付近には、いくつもの大型スーパーなどが進出していた。この地域には、十数回取材で足を運んだが、連日多くの人が買い物で押し寄せる。主婦たちは、安くて、品ぞろえが行き届く大きなスーパーに向かう。
これでは、商店街の店主たちは収入がなくなり、生きていけない。日本の商いの文化とも言える商店街が消えていく――。
こんな報道が、新聞やテレビなどで大量に流された。特に「リベラル」「進歩的」と言われるメディアを中心に、当時の与党や政府、経済界に厳しい批判が浴びせられた。
経済界寄りと言われる雑誌なども、そのトーンに近いものだった。メディアに登場する識者の発言を見聞きすると、現場のことをさほど知らないのではないか、と筆者には思えた。それでも、盛んに政府・与党、経済界などを批判していた。その理由の1つが、冒頭で紹介した老夫婦などが生活苦で生きていけなくなる、というものだった。
大店法緩和の影響で息も絶え絶え?
「弱者救済」というヒューマニズムの裏側
実は64歳の女性は、そのような報道を行う新聞社の記事に登場した人だった。記事では、「市場原理が浸透し、大店法が緩和されたことで、店に客が来なくなり、息も絶え絶えの老夫婦」という扱いで紹介された。
筆者は放送局に勤めていた98年に、その記事を読んだ。規制が緩和されつつあるからと言って、そこまで急激に商店街が変わることはあり得ないと感じた。当時の上司もまた、「記事のつくり込み過ぎの疑いがある」として、筆者が取材することを認めてくれた。もともとこの記事を載せた新聞の経済面は、弱者救済のヒューマンな視点の記事が多い。
しかし、その「弱者」を本当に弱者と言い切るだけの根拠が、記事の中では不十分なことが少なからずある。そこに、筆者はかねてから疑問を持っていた。そこで、98年から2000年にかけて、老夫婦が営む履物店を何度も訪ねた。女性からじっくり話を聞くと、「大店法の緩和の影響で、店に客が来なくなり、息絶え絶えの老夫婦」という報道が、事実に基かないものであることが浮き彫りになった。
この店が閉店寸前になっていたのは、大店法の規制緩和や廃止云々の影響によるものではなかった。そもそも、ここは「商店街」とは言いがたい。当時も今も、店が並ぶ通りの幅や広さなどは変わらない。この幅を見れば、多くの人が思い描く「商店街」とはほど遠いのではないだろうか。
女性や他の店の店主たちから聞くと、1960年代には通り沿いに30近くの店が並んでいたようだ。だが、その頃からすでに「買い物には不便」として、客足が次第に遠のくようになっていたという。市役所の経済課なども、当時そのように回答をした。
この写真は、今回の記事を書く数日前に撮影したものだが、こんな細い道を自転車で通り、通り沿いの店に買い物に行く人は、いつの時代も少ないだろう。ましてや、車で買い物に行った場合、どこに止めるのだろうか。周りには、駐車場がほとんどない。
店主らによると、1960年代から駅付近のスーパーなどに買い物に行く人のほうが、はるかに多かったという。この通り沿いの店には、近所の人が時折、現れる程度だった。「商売繁盛の通り」とは言い難かったのだ。
1970年代、80年代と年を追うごとに、通り沿いの店の数は減った。98年当時には、10店ほどになっていた。それらの店の店主たちによると、店を閉じざるを得ない大きな理由は、「後継者がいない」ことなのだという。「大店法緩和によるもの」などと答えた人は、1人もいない。
もともとがシャッター商店街
本当に市場原理によるものか?
女性は、店の売上が落ち込み始めたのは1970年代の中頃と語っていた。石油危機の頃だ。98年よりもはるか前からのことである。
筆者には、98年の大店法緩和とこの老夫婦の店の売上が減ることの関係が、見えてこなかった。しかも、この履物店は店主である夫が1990年前後に意識不明となり、寝たきりとなっている。
次第に、こんな思いを確信するに至った。
「市場原理が浸透し、大店法が緩和されたことで、店に客が来なくなり、息も絶え絶えの老夫婦」と捉えられるのは、その論理に大きな無理がある。なにゆえに、大店法緩和や廃止、さらには市場原理によるものと言えるのか――。
この64歳の女性が抱え込む問題は、大店法云々とは別の次元で捉えるべきものなのだという記事を、筆者は憤りを込めて書いた。
店主である主人は、2000年頃に亡くなった。筆者との電話で女性が「お父さん、亡くなったの……」と話していた声が、今も頭から消えない。この通りは2015年の今、営業中の店がわずか数店になっている。老夫婦が営んだ履物店のシャッターは、閉まったままだった。
「リベラル」「市民派」と自認する人やメディアにかかると、なぜかこういう老夫婦が「救済せねばならない弱者」という存在にされる。その深層心理には、脳梗塞で寝たきりのままの夫や、それを介護する女性という、老夫婦に対する怖いほどの蔑視の思想があるように思える。少なくとも、日頃からそのような偏見があるがゆえに、何かがあると顕在化するのではないだろうか。
いつ店を止めてもいい
ボケ防止に店を開いている
視野を広くして捉えたい。この「商店街」から歩いて数分のところに、小さな通りがある。そこにもいくつかの店が並ぶ。その1つに、クリーニング店がある。筆者は2013年夏、このそばのビジネスホテルに泊まった。汗でワイシャツが汚れたため、クリーニング店に預けた。店主は、60代後半と思える老夫婦だった。特に妻は、店頭でのやりとりからして十分にはできていなかった。耳が遠く、軽い認知症気味に見えた。
嫌な予感がしたが、仕方なく依頼し、翌日にうかがったところ、妻である女性がかたつむりのように、のっそりと店頭まで歩いてきた。腰が痛いのか、前かがみだった。なんとかやりとりを終えると、筆者のワイシャツを信じられないほどスローテンポで探す。見つけるのに10分もかかった。
「天井近くの棚に吊るしてあるから、椅子の上に乗り、取ってくれないか」と、筆者にせがむ。筆者は客であり、女性は店主の妻であり、店の店員である。店には、店主である夫がいない。誰もいないのだ。
仕方なく、筆者はカウンター横の通路を越えた。なぜ椅子を運び、そこに足を載せ、シャツを取っているのか、解せない思いだった。
老夫婦は店頭のカウンターに、息子や孫たちと一緒に映った写真を何枚も飾っていた。女性に聞くと、店の裏には庭付きの家があるのだという。「いつ、店を止めてもいい。ボケ防止に店を開いている」とまで言い出す。
つくづく「こんな店を利用しなければよかった」と思った。幸福そのものであり、精神的にも経済的にも満たされた老人なのだ。「弱者」とは、とても言えない。
しかし、メディアはこういう人たちを、依然として今も「市場原理が浸透し、競争で淘汰されつつある高齢者」という視点で、ヒューマニスティックに捉える。本来この場合の「弱者」とは、たとえば体が不自由になり、こういう店しか利用することができない、近所の人たちなのではないか。「救済せねばならない弱者」とは、いったい誰なのか――。
「弱者」という言葉がひとり歩きする今、改めてそれを考えたい。
タテマエとホンネを見抜け!
「黒い職場」を生き抜く教訓
今回登場した老夫婦から筆者が感じ取った教訓は、次の通りだ。似たような境遇にいる読者は、参考にしてほしい。
1.弱者と認識されない
「真の弱者」にも目を向ける
職場においての利害関係は、複雑だ。たとえば、うつなどの精神疾患になっている人は、確かに「弱者」と言えるかもしれない。一方で、その周囲にいる社員のことも考えないといけない。上司などから、うつの人のフォローを命じられたことで、仕事が増え、困り果てている人も少なくない。あるいは、育児休業などで休む人の仕事をすることで、自分が抱え込む仕事が膨大なものとなり、疲れ切っている社員もいる。
本来、こういう社員もまた「弱者」であり、もっと配慮がなされなければならない。ところが、「リベラル」「市民派」と自認する人やメディアは、なぜか彼らを取り上げようともしない。現場を丹念に聞き取りしていない疑いがあるが、利害関係が複雑である以上、もっと広い視野で見据えるべきではないだろうか。
本来、「リベラル」なるものは、特定のイデオロギーや思想などを排し、一切の偶像を切り捨て、もっと広く、自由な眼差しで社会を見据えることだと筆者は思う。特定の人のみの言い分だけを聞き入れ、「弱者」と捉え、救済を求めるのは、その意味では「リベラル」とは言えない。
ここにも、メディアではなかなか指摘されない、タテマエとホンネのレトリックがある。今後、職場の利害関係は一段と複雑になる。ある一面だけを取り上げ、情緒的に、心情的に、感覚的に捉えることは避けたいものだ。それでは、救われない人たちが現れる。
2.人が淘汰される仕掛けには
「光の部分」もある
その人や会社、店などが淘汰され、消えていくことで、実はその周囲にいる人たちが救われることもある。たとえば、職場でトラブルメーカーになっている人がいなくなると、他の社員へのしわ寄せがなくなり、皆が納得して働くことができる場合がある。労働組合などは、そのようなことを積極的には認めないようだが、実は労組の中にも似たような構造はある。
「淘汰される」ということは、世の中で受け入れられない何かがあるからだ。その「何か」を冷静に検証すると、他の人や会社などに迷惑をかけ、損害さえ与えているケースもある。
そして、その被害を受け、泣き寝入りまでさせられている人たちがいる。残念なことに、今はそのような人は一層のこと、深刻な苦しみを受けている。特定の人のみが「弱者」となり、救済を受けるようなムードや空気が世の中にあるからだ。
この空気は、日本の社会に浸透するタテマエとホンネの使い分けを、一段と巧妙に、姑息にしていくのだ。意識の高い人たちが、職場で報われない理由の1つは、このあたりにある。
淘汰され、消えていく――。この仕組みの影の部分だけではなく、光の面も見つめ直すときが来ているのではないだろうか。消えるべき人は、「消えていくべき」なのである。
http://diamond.jp/articles/-/74859
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