http://www.asyura2.com/12/social9/msg/606.html
Tweet |
「今日、誰とも話してない……」 40代を襲う病魔の先にあるモノ あなたやあなたの親が病気になったら
2015年6月30日(火)河合 薫
誰だって、健康でいたい。
だが、食べ物に気をつけ、適度な運動をし、健康的な生活をしていても、病魔に侵されることはある。病気になるリスクを、ゼロにするのは不可能だ。
しかも、その“変化”は、皮肉にも元気であればあるほど突然に訪れる。
ある日を境に、満足に仕事ができなくなり、時短勤務でしか働けなくなり、長期療養が必要となり、最悪の場合、退職に追い込まれる。
と、何だかちょっとばかり重い出だしになってしまったが、今回はそんな健康不安と切ない気持ちが入り乱れた話からスタートします。
テーマは、20年、いや15年後の「私たちの問題」とでも言っておこう。
今から2年前、駅の構内に座り込んでいた73歳の男性が保護された。ホームレスの“見回り隊”に声をかけられた男性は、自分の状況を十分に説明することができず、
「認知症が進んでいる」――と判断されたのだ。
その後の調査で、
・男性が40年もの間、調理師として働いていたこと
・月収は、25万円程度だったこと
・ぜいたくはできないけど、それなりの不自由のない生活を送っていたこと
などが分かった。
そんな彼がなぜ、ホームレスになったのか?
きっかけは、身体を壊し退職を余儀なくされたことだった。
仕事を辞めた後、男性はコツコツと貯めてきた預金でアパートを借り、単身で生活をしていたという。
そんなある日、“事件”が起こる。なんと、天井からポタポタと、水が滴り落ちてきたのである。
驚いた男性はバケツを置き、なんとかしのぐ。それを相談できる家族も、友人もいなかった男性は、どうすることもできずにそのまま放置した。
男性はその頃から認知症の症状が出ていたと考えられ、部屋には荷物や食べ物が散乱。半年後には、何もかも水浸しになり、生活ができなくなった。そこで男性は部屋を出て、ビジネスホテルを転々とする暮らしを始めたのである。
そして、ホテル生活を始めてから2週間ほどたった頃。男性は再び病魔に襲われる。
持病の心臓の病気が悪化し、救急車で病院に運ばれたのだ。幸い大事には至らず退院したものの、直後に男性は銀行の通帳と現金が入ったカバンを紛失。40年貯め続けた全財産を失い、一文無しになってしまったのだ。
帰る家も、生活するお金も、頼れる友人も、家族もいなかった男性は、たった一人で、そうたった一人で街をさまよい続け、2カ月後、駅の構内の片隅で、うずくまっているところを保護されたというわけ。
―――。
実はこれ。先日、NHKの夜のニュース番組で流されたもの。
「認知症になった高齢者が、ホームレスになるケースが多い」ことがNHKの調査で分かり、その実態を取材した特集に、件の男性が登場していたのだ。
私はたまたまその特集を見ていたのだが、なんか見ていて、涙が出た。なぜか、涙が止まらなくて、自分でも驚いたほどだった。
「年取って、涙腺弱くなった?」
ふむ、それはある。
「涙が止まらないって。ちょっと不安定なんじゃない?」
確かに、最近、お疲れ気味だし、そうかもしれない。
「でも、その涙って、上から目線の偽善的な涙では?」
……、いや、それは違う。それだけは絶対に違う。
うまく言えないのだが、距離感の近い涙というかなんというか。つまり、遠い話のようで、遠くない。他人事のようであり、そんなこともない。
「老い」には正直リアリティーは持てなかったが、「病気」は、明日は我が身か? と。今は健康体そのもので、昨年、人間ドックに行ったときには医師に、「アッ、キミの胃はこの間見た女子高生よりもきれいだなぁ〜」などと笑われるほど、健康だったが、いつ自分が病気になってもおかしくないなぁ、と。
ある日突然、心臓がキュンときたら。ある晩突然、頭がキリっときたら。つい先日、「久しぶりにご飯でも行こう!」と約束していた知人が心筋梗塞で倒れるという、悲しい出来事もあり、他人事じゃないと、めちゃくちゃ感情が割れてしまったのだ。
釘付けになった画面には、
「今日の日付は?」
という見守り隊のスタッフに、
「ん? 今日?? ……2001年……、2004年……?」
と戸惑う男性の姿が映し出され、
「(一文無しになったときは)先行きどうなっちゃうんだろうと思ったさ〜。………う〜ん。でも、人に相談して“ああしてこうして”とは、考えてもみなかったからね」
これまでの出来事についていろいろと聞くディレクターの質問に、しっかりと、そうしっかりと答える男性がいた。
病気、退職、一人暮らし、孤立、老い、認知症、そして、ホームレス――。
無意識に目をそらしている現実を見せつけられたようで、暗たんたる気持ちになった。
これは私たち“現役世代の問題”
番組では高齢者の問題というフィルター越しに、ホームレスの男性たちを見つめていたが、私には、“私たち現役世代の問題”に見えた。うん、私たち世代の15年後、いや、もっと近い将来に迫り来る極めて深刻な問題だ、と。
もし、この先病気になったら。
もし、この先パートナーや親が病気になったら。
今の生活はどうなっていくのだろうか?
健康を失った先に待ち構えているのは、貧困なのかもしれない――。
そんなことを考えずには、いられなかったのである。
濃沼信夫・東北薬科大学教授の調査によると、仕事を持っていたがん患者の3割が病気を理由に離職。離職を経験した患者の半数が、年収300万円未満で、治療の自己負担額は平均年86万円もかかる。
加えて、突然の変化は、親にも訪れる。
親などの介護に専念するために仕事を辞める人は、年間10万人超。その多くの介護離職者は、40〜50代の企業でも中核を担う人材である。
しかも、社会の流れは、正社員から非正規社員主流の時代に向かいつつある。
非正規雇用の問題では、若年層にスポットが当てられがちだが、40代以上もかなり深刻な状況にあることを忘れてはならない。
再雇用の実態は非正規雇用
「100万人も雇用が増えた!」「いやいや、増えたのは非正規じゃないか!」と、安倍晋三首相に野党がかみついたのは、昨年のこと。
実際、総務省の労働力調査を調べてみると、第2次安倍内閣が発足した時の雇用者数は5502万人(2013年1月の雇用統計)で、そこから2014年9月には5636万人と134万人増えた。その内訳を見てみると、正規雇用者数はマイナス9万人、非正規はプラス147万人と大幅に増加している。
増加した非正規雇用者のうち55%に当たる81万人が55歳以上で、その約7割の57万人が65歳以上となっているのである。
背景には、2013年4月1日から「高年齢者等の雇用の安定等に関する法律」(高年齢者雇用安定法)が施行され、企業に、「定年を迎えても希望した人は全員何らかの形で65歳まで就労し続けられる仕組みを作る」ことが義務づけられたことがある。
再雇用制度、というと聞こえがよいが、その適用者のほぼ3分の2が非正規雇用で、賃金は定年前の半分程度。一般的に中小企業より大企業の方が、賃金の減額率は大きいとされ、中には再雇用後の給与を、学卒初任給かそれ以下に設定している企業も少なくない。
「でも、再雇用制度があるだけ、いいじゃん!」
はい、その通りです。再雇用されている人は、かなり恵まれた人と言っても過言ではない。定年後にハローワークに通い職を探しても60を過ぎた人を雇う企業は少ない。運良く見つかったとしても、賃金はアルバイト並み。体調を壊した途端、クビになることは明らかである。
世間の仕事の基準は、“健康”にあるので、“病気”で離職した場合、定年よりはるかに若い40代でも、就職先を見つけるのは難しい。ただでさえ、40歳以上の社員たちの扱いに手をこまぬいている企業が、病歴を持つミドルを積極的に雇うなどそうそう期待できないのが、現実なのだ。
かつてインタビューさせていただいた男性は、がん治療のために定期的に休むことになり、「他の社員に申し訳ない」と、会社を辞めた。
退職は、半年間治療に専念するために休職し、復職した直後の出来事だった。
「治療があるからと早退したり、体調が悪いと休むのが、何だか申し訳なくて。会社ってフルに働けないと、だんだんと自分の居場所がなくなっていくんです。基本、健康体がベースで、職場って回ってますから」
彼は、辞めた理由をこう話してくれた。それでもインタビューしたときは落ち込むというより、むしろホッとしているようにも見受けられた。
「体調がもう少し良くなったら、どこか契約で雇ってくれる会社を探しますよ」
そう笑っていたのである。
が、現実は想像以上に厳しかった。
だんだん孤立していく
体調が戻り、日常生活を普通に送れるようになった現在も、仕事が見つからずにいるというメールが、先日彼から届いたのだ。以下、一部を紹介する。
「薫さんにインタビューしてもらった後、親の介護もあったんで実家に戻ったんです。その半年後、母は他界しました。一方、私は順調に回復し、月1回の通院だけになった。それで、働こうと思って就活を始めたんですけど、地方だと転職もままならない。ホントにないんですよ。元気なときなら、例えば起業するとか、どうにかして仕事を作ることもできたかもしれません。でも、今は無理です。どうにかしなきゃって思っても、何もできないまま時間だけが過ぎています」
「東京に戻ることも考えました。でも、体調が万全ではない状況では、それもなかなか踏ん切りがつかない。気力とかヤル気って、身体が健康で初めて出るもんなんですね。今は、わずかばかりの貯金で食いつないでますけど、そのうち底を突く。それまでに何とかしなきゃです」
「でも、一番恐いのは、だんだんと自分自身が孤立してること。仕事していないと、こんなにも孤立するんだなぁと。かっこつけているわけじゃないんですけど、昔の同僚や友人と連絡を取りたくない自分もいて。男ってダメですね。なんか愚痴みたいなメールを長々と書いてしまって、すみません。失礼しました」
男性のメールはホントに、本当に長文だった。この文章を書くのに、どれだけの時間をかけてくれたのか?
「孤立」という言葉を彼はどんな思いで使ったのだろうか。
書くことで楽になった? それとも恐くなった?
ちょっとだけでも、楽になってくれたならいいのだが……。そんなことを願わずにはいられなかった。
「一番恐いのは、孤立」??。とてつもなく重い言葉だ。
彼には就職先を相談する人がいなかった。
ホームレスの男性も、「天井から水が落ちてきたときに、たったひとこと「ウチ、昨日か雨漏りしてるんだよ」言える相手がいなかった。
孤立。そう、孤立。この社会から切り離されたこの状態こそが、一番の問題なのかもしれない。
人間は言うまでもなく、社会的な動物である。
誰もが、自分の世界を作る「境界(boundaries)」を持つ。
「境界」という概念は、私の専門である、「ストレス対処力(Sense of Coherence=SOC)」を提唱した、アントノフスキー博士が用いたもの。
境界は、自分が日常的に関わるものごとや、自分が生きていく上で大切な人やものが明確になることで作られる。境界は人間の生きる力の土台でもある。
アントノフスキー博士は、「境界(=人生において大切だと主観的に考えられる領域)を一切持たない人は、生きる力が弱く、その人のストレス対処力が高くなる見込みは絶望的なほどにない」と断言している。
つまり、SOCは人間であれば誰もが持つ潜在的な力であるにもかかわらず、境界を持たないと、その炎が消されて生きる力まで萎える。居場所を失い、自分の存在価値を失い、生きている意味すら持てなくなる。
では、どういうときに、社会的動物である人が境界を失うのか?
人との関わりが無くなったとき。そう、答えは実にシンプルで、境界は他者との関わりの中で作られるため、孤立した途端、境界はどんどんと消滅していくのだ。
人は自分の存在価値を感じるために、コミュニティー(共同体)の中で生きると言われているが、その行為自体が境界を作ることであり、「生きたい」と願う人間の基本的欲求がなせる業。
だが、何人以上いるからコミュニティーになるというものではないし、群衆の中に身をおくだけでコミュニティーの一員になれるわけでもない。たった2人きりであれなんであれ、社会的つながりができて、初めてコミュニティーの一員になれる。
つながりをもたらすもの――。それは「会話」だ。
最小のコミュニティーは家族だとされているが、私はそこに会話がない限り、家族といえどもコミュニティーにはならないと考えている。最小のコミュニティーは会話だ、と。これは私の個人的な見解だが、そう考えているのだ。
人間関係が希薄になり、会社との関係が希薄になった現代社会で失われたもの。それは、会話という最小のコミュニティーなんじゃないだろうか。居場所を会社で失った男性は、同僚たちと会話を持てなかった。一人暮らしをしていたホームレスの男性は、アパートの住民たちと会話がなかった。
週1回他者と話さない人が2割
「人に相談して“ああしてこうして”とは、考えてもみなかったからね」
「一番恐いのは、だんだんと自分自身が孤立してること」
前者は73歳、後者は46歳の男性の、どちらも病気をきっかけに会社というコミュニティーから、離れた人たちの言葉である。
同居者以外の人との交流が週に1回未満の高齢者は、要介護や認知症のリスクが高くなり、死亡リスクも高くなることが、健康な男女1万2000人を10年にわたり追跡調査した結果から明らかになっている(日本福祉大や千葉大の研究チーム)。
この調査では、他者との交流が週1回未満の高齢者が、2割ほどいたそうだ。
病気、退職、一人暮らし、孤立、そして、貧困。
もし、孤立したときに、「会話」できる相手がいれば。「会話」をしてくれる他者と出会うことができれば、貧困の蜘蛛の巣に引き込まれるリスクを最小限にできるように思う。
具体的に、どうこうここで書けるほどの能力も知見も、残念ながら私にはない。机上の空論で話したくないし、自分が満足するだけの偽善的な提案をしたくもない。
だが、完全に孤立した人は、「私、孤立してます!」とSOSを出すことはない。声にならない声。そこに「いる」のに、見えない人々。その声を一人でも多くの人に伝えたいと思い、書きました。
そして、あえて書かせてもらうと、夢物語かもしれないけど、日常の多くを過ごした会社と、行政と、NPO(非営利組織)や企業と、地域が連携して、離職したり、単身でいたりする人たちと、せめて会話だけでも途絶えることなく交わす社会が作れないだろうか? ぼんやりではあるが、こう考えている。健康と仕事を失った人と社会を切り離されないために、何をすべきか? みなさんのご意見も、ぜひ、お聞かせくださいませ。
このコラムについて
河合薫の新・リーダー術 上司と部下の力学
上司と部下が、職場でいい人間関係を築けるかどうか。それは、日常のコミュニケーションにかかっている。このコラムでは、上司の立場、部下の立場をふまえて、真のリーダーとは何かについて考えてみたい。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/200475/062600002
投稿コメント全ログ コメント即時配信 スレ建て依頼 削除コメント確認方法
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。