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あなたは限界集落のリアルを知っているか?
地方創生を語る前に読むべき3冊
2015.6.20(土) 田口 幹人
「2040年までに896の自治体が消滅する」という衝撃の数字が話題となり注目を集めた『地方消滅 東京一極集中が招く人口急減』(増田寛也編、中公新書)。
それに対して真っ向から反論した『地方消滅の罠 増田レポートと人口減少社会の正体』(山下祐介著、ちくま新書)は、人口減少社会における地方の危機を表し、多種多様な地方の在り方の必要性と可能性を示した。
2015年上半期、消滅自治体と名指しされた地域では、この2冊を軸に書店を起点とした「地方創生」議論が、地域社会全体に波紋を広げた。
限界集落に生きる者の覚悟
地方創生は、まず地方を知ることから始まる。極端な例かもしれないが、限界集落を題材とした1冊からご紹介したい。
65歳以上の高齢者が人口比率で住民の50%を超えた集落は、やがて消滅する地域であるとして「限界集落」と呼ばれている。日本には、約8000もの限界集落があると言われている。しかし、それは行政単位として地域を維持することが限界なのであって、そこに人が住み、人としての営みを維持することができないわけではない。
若者は仕事を求めて都市部へ流出、少子化が進み、学校が統廃合し、地域医療が崩壊し、防災にも普段の交通にも深刻な影を落とす。職も無く、基幹産業の農林業の担い手もなく、荒れた里が虚しく広がっている。そこには、「限界」という言葉以上の「痛み」がある。そこに住むことを選んだ住人たちは、我々には想像することができないほどの「痛み」を通り越した「覚悟」がある。少なくとも、過疎地と呼ばれる地に生まれ育った私には、そう感じられる。
『限界集落株式会社』(黒野伸一著、小学館文庫、714円、税別)
黒野伸一著『限界集落株式会社』(小学館文庫)は、そんな「限界集落」と呼ばれる村を舞台とした地域活性化エンターテイメント小説だ。主人公・多岐川優は、起業のためIT関連会社を辞め、父の故郷を訪れる。その地は、限界集落と呼ばれる村だった。そこで、集落としての共同生活の維持すら困難な地域に住む者の現状を目の当たりにする。
実は、本書の最大の読みどころは、物語が大きく動く後半部ではなく、前半部の登場人物の圧倒的なリアルさにある。村の住人から発せられる何気ない一言にまで、過疎地に住む者が持つ頑固さや後ろ向きで少し斜に構えた物の考え方が根底に流れている。閉塞した地に住み、常に取り残された疎外感と、消滅してしまうかもしれないという恐怖感を持ち続けている住民たちが持つ独特な思いが宿っている。
優は、地域住人たちとの様々な軋轢(あつれき)を乗り越え、零細農家の娘・美穂と共に、集落営農組織を立ち上げ、農村再生への道を歩み出す。美穂が農業現場の代表、優が経営者として2人代表制を敷き、農業組織を運営し始める。
生産と収益、理想と現実。限界集落に限らず地方の過疎地と呼ばれる地は、都市部との比較対象として語られてきた。かつて高度経済成長期、都市部が過疎地にもたらした貨幣という価値が過疎地の暮らし方や考え方を変えた。効率を求めた企業を低賃金労働という効果で支えたのも多くの地方だった。経済成長が終わりを告げ、企業はさらなる効率を求めて、海外へ進出していった。取り残された倦怠感と諦めをその地に残して。
優が、地域の住人に集落営農組織の必要性を説く場面がある。その際、住人の声の背景にあったのは、まさしくその倦怠感と諦め、そして恐怖感なのである。
後半部は、地域住人を巻き込み事業を拡大させてゆく過程が描かれ、最大の試練が優と美穂に襲いかかるのだが、その結末は本編を読んで確かめていただきたい。
食べ物の奥に生身の人間を感じるか
『限界集落株式会社』でも描かれていたが、日本の多くの地方を考える上で避けて通れないものが第1次産業の問題だろう。深刻な後継者不足や生活様式の変化、そして安価な輸入食材の普及などにより、衰退しつつある日本の第1次産業。
2013年7月、食べもの付きの月刊誌「東北食べる通信」を発刊し、東北の地から第1次産業の復興の狼煙が上がったことをご存知だろうか。
「東北食べる通信」は、高橋博之編集長が、農家や漁師を徹底的に取材し、彼らを特集した雑誌が収穫された食べものと一緒に読者に届けられる。まさに食べもの付きの月刊誌だ。
産地直送などで、生産者から消費者へ直接食材が届く仕組みは既にある。しかし、この「東北食べる通信」の決定的な違いは、食材が主役なのではなく、生産者の想いと生き様をまとめた雑誌が主役であり、生産者のその想いを形にした食材が付録として届けられるという点にある。
続いてご紹介させていただくのは、食べもの付き月刊誌「東北食べる通信」の編集長であり、発行元のNPO法人 東北開墾の代表理事を務める高橋氏が、その挑戦の記録を綴った『だから、ぼくは農家をスターにする 「食べる通信」の挑戦』(CCCメディアハウス)だ。
『だから、ぼくは農家をスターにする』(高橋博之著、CCCメディアハウス、1500円、税別)
私たちが毎日、口にする食べもの。
その食べものの生産者がどんな人か知っていますか?
その食べものの生産者の顔を何人知っていますか?
全く知らないという人がほとんどでしょう。現在、スーパーなどで消費者が得られる食品の情報は、値段、見た目、食味、カロリーなど消費領域のものが中心となっている。もちろん、食材を選ぶ上でこれらの情報は大事かもしれない。しかし、著者は、その消費活動において欠落してしまったものがあると感じていた。
それは、食べ物の裏側にいる血の通った人間の存在である。そこを欠落した消費活動は、第1次産業の問題をどこか他人事に感じてしまっている風潮を生み出し、我々の命に直結する第1次産業の問題を自分事化する共感力を削いできたのだ、という考えに著者はたどり着いた。
共感力を失った日本の第1次産業は、非常に深刻な状況に陥っている。第1次産業に従事する若者が減り続けている現状において、私たちが毎日食べるものを、将来、誰が生産してくれるのか。そんな疑問と向き合い続けた著者は、消費者と生産者が大きな流通システムに分断されてしまったこの国の第1次産業を立て直すには、食べ物の裏側にいる生身の人間の存在を知り共感力を磨くことが必要だと訴える。
そんな想いを形にしたのが、「東北食べる通信」という雑誌だったのだ。本書には、著者の食を通じた世直しへの想いと、「東北食べる通信」を通じて起こった生産者と消費者の化学反応が綴られている。本書に書かれている彼らの活動は、交換可能な「食べものとお金」という貧しい関係から、「食べる人と作る人」の豊かな関係性を構築することで、完成された消費社会に生存実感という付加価値を生み出したのではないだろうか。
そう、彼らがやっているのは、月刊誌「東北食べる通信」のデザインではなく、読者と生産者の豊かな関係性をデザインなのだ。「世なおしは、食なおし」。地方と都市部の新しい関係性の大きなヒントが詰まっている気がする。
“ナウル共和国”は他人事ではない
最後にご紹介するのは、『アホウドリの糞でできた国―ナウル共和国物語』(文・古田靖、絵・寄藤文平、アスペクト)です。
『アホウドリの糞でできた国―ナウル共和国物語』(文・古田靖、絵・寄藤文平、アスペクト、1000円、税別)
太平洋の真ん中に、働かなくても豊かな暮らしができるほどのお金がもらえ、税金もタダ、学校や病院もタダ、食事はすべて外食。そんな夢のような国が、1900年頃まで存在していたことをご存知だろうか。
世界で3番目に小さな国・ナウル共和国は、珊瑚礁にアホウドリの糞が大量に堆積してできた島国だった。この糞は、長い年月を経て良質な肥料の原料になる燐鉱石となった。その鉱石を輸出することで莫大な富を得たナウルの国民は、前記のような生活を送ることができたのだ。そんな中、近い将来燐鉱石が枯渇してしまうという危機に直面したときにナウルの国民がとった打開策とはどんなものだったのか。それは本書を読んで確かめていただきたい。
ただし、本書をご紹介したいと思ったのは、その打開策を知ってもらうためではない。ナウルの国に流れていた空気感と今の日本にある諸問題を先延ばしにする空気感がどこか似ている気がするからだ。本書は、60糞で、いやいや60分で読めるのだが、非常に大切なことを問いかけてくれる。
「国ってなんでしょう? 政治ってなんでしょう? 資源ってなんでしょう? 働くってなんでしょう? 食べるって何でしょう?」と。
本当の豊かさとは何か?
真剣に考えるときなのかもしれませんね。
またお目にかかります。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/44054
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