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「引きこもり」するオトナたち
【第236回】 2015年4月10日 池上正樹 [ジャーナリスト]
淡路島刺殺事件40歳容疑者を他人事に思えない人々
孤独な40代の気持ちとは?
※写真はイメージです
先月、兵庫県淡路島で起きた5人刺殺事件を取り上げた前々回のコラム『孤独な40歳が5人を殺害するまでに一体何があったのか』に対し、数多くの方からどっと反響が寄せられた。
目立ったのは、40歳前後の同世代からのメールだ。
「他人事ではない」
「自分も同じような状況(境遇)にあります」
とりわけ地方に住む人たちからの、そんな切羽詰まった反応が目についた。
あまりの数の多さに、筆者1人では対応しきれず、いまだすべての方に返事ができずにいることを申し訳なく思っている。
ただ、すべての方のメールは目を通していて、深刻度の高そうな状況にある方から優先的に順次、返信していきたい。
さて、今回はそうした感想の一部を引用して情報共有したいと思う。
「自分たちだって人間なのです」
<私も一時期、接触は求めていましたが、それでも外部との関わりが途絶えていたことがありました>
自分を「社会的弱者」だという地方の方から、こんな感想をいただいた。
<最近では「ひきこもり→A型、B型就労(*)」という強引な支援法?が、こちらでは、普通になってきています。ただ自分達だって人間なのです。自分達の意思も尊重してもらいたいというのが本音です>
以前から指摘してきたように、当事者たちを様々な診断名義や定義、実態のないレッテルなどで分類することは、支援者側からすると便宜上、必要な面もあるのだろうが、本人たちにとっては、あまり意味がない。
なぜなら、引きこもりとは、そういう現在の状態が共通しているだけであって、そうなった背景も要因も、望んでいる将来の人生も、みんな様々だ。
引きこもりやすい傾向の人たちは、周囲の気持ちがわかる心優しい持ち主が多く、相手を気遣いし過ぎて疲れてしまう。
(*)厚生労働省による障害者の就労支援事業のこと。通常の事業所に雇用されることが困難な障害者に就労の機会を提供するとともに、生産活動その他の活動の機会の提供を通じて、その知識及び能力の向上のために必要な訓練を行う。雇用契約を結び利用する「A型」と、雇用契約を結ばないで利用する「B型」の2種類がある(編集部注)。
相談に行った先で、すでに用意されている「結論」をすすめられる。あるいは強要されたとしても、断ることができない特性があるだけに、ズルズルと「就労」することは可能だ。
ただ、元々、自分の望まない形で、ピースを当てはめたような「就労」であれば、長続きするはずもなく、結局、相談に来る前以上に、ますます深く引きこもってしまうケースも少なくない。
大事なことは、この方が言うように、「みんな、ひとりの人間である」という視点を、周囲の人たちが持つことだと思う。
1度の失敗で2度とレールに戻れない社会
<まさに、何の為に生きているのか、自問自答の毎日です>
そんな意見を寄せてくれたのは、やはり地方に住む「長期高齢引きこもり」という方だ。
<容疑者ですが、被害妄想があり一方的に恨みや不満、憎悪を募らせた可能性も高いと思いますが、そう思わせるだけの当事者間の何かがあった、少なくとも、コミュニケーションを試みなかったというのは有ると思います。
健常であると自認?している方々の多くは、自ら理解出来ないモノは、『キモい』などの単純な言葉を浴びせるのみで、理解を示すどころか、排斥または、暗に攻撃して来ます(笑)。
自分の意見が正しいかどうかはわかりませんが、引きこもりにある人達の多くは、様々な偏見やコンプレックス、自分の居場所、存在意義と戦っているのではないかと思います。また、それを良しとはしておりません。
好き好んで怠けている様な印象を持たれがちですが、活躍出来る場があるのなら、活躍したいと思って居るのでは無いでしょうか?>
たった1度の失敗や、ちょっとしたきっかけで、「通常」の社会のレールから外れてしまい、2度と社会に戻れなくなってしまった人たちがいる。
そもそも、「通常」とか「普通」の基準って、いったいどこにあるのか。
平日の日中に
歩いているだけで「不審者」扱い
<敗者復活を許さない日本社会は病んでいる>
そんな感想をメールで寄せてくれた読者もいた。
履歴書の空白は、周囲の無理解によって、当事者たちが問い詰められる材料となるだけで、これから社会に出て自立していくための“きっかけ”を阻み、生きていこうとする意欲さえもついばむ。
「何もない自分を答えられない」という理由で、誰からも話しかけられないよう、人目を避けるようになる。
また、平日の日中、外を歩いているだけで「不審者」扱いされる。
先入観などから「怖い」と、周囲から思われる。
しかし、当の本人にとっても、外に出れば、そんな周囲から刺さる視線を「怖い」と感じる。
こうして外に出られなくなるから、ますます引きこもらざるを得ない。
地方へ行けば行くほど、こうした傾向は顕著だ。
とくに支援団体がほとんどない小さな地域では、その団体の車が駐車場に停まっているだけで、当事者の存在が近所にわかってしまうし、苦情を受けることさえあると聞く。
しかし、淡路島のような殺傷事件が起きると、その責任はきちんとした検証もないまま、個人の問題に置きかえられる。
子が引きこもるのは親が愛情不足だから?
「親の愛情不足だ」などと、親を責める専門家のコメントもあった。
そこには、本人の中で何が起きていたのかという、当事者の視点が欠けている。
では、生きていくために、彼はどこへ行けばよかったのか。彼はどこにも行くところがなく、家庭の中にも居場所がなかった。
<人ごとではありません。状況が全く一緒です>
<我が子もいつか?と心配しています。何か、方法があったら教えてください>
そんな家族からのメールもいくつもいただいた。
どこに相談すればいいのか。そうした情報提供も必要だ。
つまり、地域の中で、存在自体を隠さざるを得なかった本人の心の内や家族の気持ちを想像して、みんなで一緒に向き合い、考えていかなければいけない課題だったのではないか。
無料で相談できる自治体の相談窓口も
意外に知られていないのだが、4月1日から施行された「生活困窮者自立支援法」に基づく相談窓口が、福祉事務所のある全国の自治体に一斉に開設された。
「生活困窮」といっても経済的な問題だけでなく、「引きこもり」や「仕事」、「住居」など、生活していくうえで遭遇する様々な困難について、無料で相談にのってもらえる。
しかも、窓口まで行くことができない人には、電話やFAX、メールでも対応してくれる。
自治体によっては、相談員が自宅まで訪問もしてくれるという。
しかし、これからの自治体の課題は、当事者や家族などの相談者が、それぞれの望む社会資源に出会えるようなメニューを、地域でいかに掘り起こすことができるかという点にある。
また、すでに「ひきこもりに特化した第一次相談窓口」である厚労省の「ひきこもり地域支援センター」も、県庁所在都市と政令指定都市のほとんど(2014年度末現在、52自治体56ヵ所)に設置された。
同センターは、当事者団体である家族会と行政が連携し、相談者の状況に応じて、適切な関係機関につないでいこうとしているところが大きな特徴だ。
さらに、ひきこもり経験者である「ピアサポーター」も含む「ひきこもりサポーター養成研修」(ひきこもり本人や家族などに対する支援に関心のある者を対象に研修)や、「ひきこもりサポーター派遣事業」(希望すれば訪問による支援を受けられる)も、各市町村で少しずつ実施され始めている。
外に「行き場所」がなくなり、引きこもるのは、個人の問題ではない。
こうした機関に相談するのは無料だ。周囲も本人を問い詰めるのではなく、「相談してみたら」と声をかけてみるのもいいかもしれない。
※この記事や引きこもり問題に関する情報や感想をお持ちの方、また、「こういうきっかけが欲しい」「こういう情報を知りたい」「こんなことを取材してほしい」といったリクエストがあれば、下記までお寄せください。
otonahiki@gmail.com(送信の際は「@」を半角の「@」に変換してお送りください)
http://diamond.jp/articles/-/69823
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