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タイタニックから逃げられない男たち 「男性は強者である」という神話
2015年3月2日(月) 久米 泰介
女性差別という言葉は誰しも聞いたことがあるだろう。「女性差別がある」ということも、誰も否定しないはずだ。女性が社会や人生において、性別を理由に不利益を被ることは既に糾弾されてきたし、これからもされていくだろう。では男性が、男性という性別において不利益を被るということはあるのだろうか?
日本において「男性差別」という言葉は取るに足らない冗談か、女性差別の是正のためのわずかなコスト、といった言説に吸収され、あまり考察や指摘はされてこなかった。
「男性差別は存在するか」という問いに対して、 おそらく保守派、フェミニズム、そしてその大元の流れを組む社会学(人類学含む)の答えはノーである。なぜならこれらの思想はどれも、過去現在含めて「男性の方が強く権力があり、女性は権力がない弱者」と見ているからである。しかし実際に検証していけば男性差別というものは存在する。ただ見えなくなっているだけである。このコラムではそれを可視化し、その構造や経緯を描き出すことで、男性も女性もよりよく生きるための課題を明らかにしていきたい。
女性=マイノリティなのか?
男性差別を可視化するには、まず「男性=強者、女性=弱者・マイノリティ」という構図が「神話」であるということを解明しなくてはならない。
様々な差別・被差別の構造において、「強者」と「弱者」の関係が常に存在している。例えば 白人/黒人、日本人(自国民、多数派民族)/在日外国人、多数派宗教/少数派宗教(アメリカならイスラム教などが該当)、健常者/障害者、異性愛者/セクシャルマイノリティなどである。
後者はマイノリティであり、多くの場合、人数が少なく力(権力)が弱い。様々な状態で弱者であるため、それをフォローする法律制定やアファーマティブ・アクションなどにより弱さの部分を埋め合わせ、皆が平等な社会にしていこうというのが、リベラルや社会学(人文系学問はほぼすべてリベラルの流れを汲む)の考え方である。つまり、弱者をフォローすることにより平等を実現するという考え方だ。この流れの中にジェンダーの思想があり、そしてジェンダーは男性と女性において女性を弱者としている。
では、果たして女性は、黒人や在日外国人、少数民族、被差別部落出身者などと同等のマイノリティであろうか。そもそも、本来の意味である「人数の少なさ」においては当てはまらない(人数の多さはそれだけで権力に結びつきやすい)。
軽視されてきた男性の「命」
これはさらに深く論考する必要はあるが、あくまでも概論で分かりやすい例を挙げてみよう。男性差別論の提唱者であるワレン・ファレルが概説として挙げている、黒人差別との比較である(ファレルが挙げたのは90年代中盤のアメリカの状況だが、現状としてもそれほど差異はない)。
弱者である黒人は白人に比べて…
1. 社会的地位が低い
2. 経済的地位が低い
3. 社会の消費をコントロールする力、消費力が弱い
4. 犯罪率が高い
5. 平均寿命は短い
6. 自殺率は高い
7. 暴力被害率は高い
8. 同じ犯罪をしても重い罪になりやすい
(量刑ガイドラインが作られる基になった)
9. 被疑者として疑われやすい
10. ホームレスになる数が多い
11. 教育を受けられる機会が低い
12. 軍隊、危険な職業など命を危険にさらす職業に就かざるを得ない
これらはアメリカにおいて(その他の先進国も含め)黒人差別として批判されてきていることだ。これらはすべて弱者であることの証明である。その他のマイノリティについても同じような傾向がある。しかし女性については、これには当てはまらない。
女性が当てはまるのは1と2だけで、残りの10項目に当てはまるのは男性の方である(11の「教育の機会」は、日本においては微妙だが、アメリカでは既に男性の方が低い。他の先進国でも同様の傾向が見られる)。
例えばタイタニック号が沈む場合を考えてみよう。男女の場合、救命ボートで後回しにされるのは男性である。女性(と子供)が優先、男の方が先にボートに乗るなんてとんでもないという話だ。男性が女性を差し置いて先にボートに乗ろうとすれば、西洋社会では「男らしくない」、「男のくせに」と批判され、事実上、男性は女性より先にボートに乗ることができない。
これは、男性側が性役割として自発的に譲ったと見ることもできる。しかし、もしこれを黒人と白人の場合に置き換えて、黒人が白人にボートを譲るという場面を想定したらどうだろう。それは「学習された従属による、刷り込まれた人種差別」と見られるだろう。ではなぜ、男女の場合はそれが見過ごされてしまうのか?
フェミニズムもマスキュリズムもゴールは同じ
あらゆる権利において、生きる権利(命)より優先されるものなどない。仮にどんなメリットが別に存在していても、命がまず一番優先される権利である。しかし男性は性役割においても、その命は女性より軽視されていたのである。これはタイタニック号という限定された状況だけでなく、戦争などにおいても同じである。
つまり男女差別においては、差別はどちら側にも存在している。
また、女性は消費においても、極めて強い権力を持っている。これは経済力(収入)には必ずしも比例していない。特に日本においては、消費管理権は妻が持ち、夫はお小遣い制という家庭も存在する。少なくとも西洋社会よりはその数は多い。消費管理決定権を、稼ぐ者とは別の者が持っていた場合、本来の意味での経済力という権力は大部分が制限される。消費を支配する力を持つ(例えば視聴率によってCMスポンサーを動かし、テレビに影響を与える)マイノリティなどいない。
つまり、女性はリベラルの観点で見ると一方的なマイノリティとは言いづらいにもかかわらず、社会学はそのように扱ってきていない。これについては社会学の始祖の人たちにも問題があるだろう。彼ら自身が既存のジェンダー特権と男性差別に縛られ、その影響下にあった可能性が高いからだ(女性をマイノリティとして見なす考察も、ほとんど検証もなくいきなり前提として出てきている)。
フェミニズムと対称関係にあり、かつ類似的で、男性差別撤廃を追求する思想がマスキュリズムである。マスキュリズムはフェミニズムと並立する思想であると言える(フェミニズムが本当に男女平等を目指していれば)。
つまりマスキュリズムとフェミニズムは、担当分野は異っても目指すゴールは同じはずだ。それは男女が平等で、人が性別によって得も損もしない社会である。
例えば兵役が男性だけに強制されていることを、マスキュリズムは「男性の命を犠牲にする男性差別だ」と批判するし、フェミニズムは「女性が指導的地位に就けないから兵役が男性だけなのは女性差別だ」と言ったとしても(後者は男性への差別を見て見ぬふりをする言い分のようにも取れるが)、いずれにせよゴールは一緒で、兵役を男女平等にするということだろう。例えば男女平等先進国の北欧のノルウェーでは、2015年から女性も徴兵制の対象になる法律が成立した。ノルウェーは現在、議員や大臣の男女比はほぼ半々である。アメリカなども徐々に女性の戦地派遣を合法化しており、いずれ平等になるだろう。
マスキュリズムは性役割温存派とは対立することになる。女が社会に出るなという思想は、裏を返せば、男には育児にかかわる権利がなく、兵役や危ない職業について女よりも命を粗末にしろという思想でもあるからだ。それは男性差別そのものである。
フェミニズムやメイルフェミニスト(男性学主義者)だけに任せていると、女性差別はなくなっても男性差別は決してなくならない。男性が男性の性差別撤廃のための研究と活動を行い、フェミニズムを見習って男性差別を批判していかなくてはならない。
男性差別を生みやすい?「母系社会」日本
日本の場合、男性差別に関しては少し特別なポジションにあると言える。父系型の西洋社会に比べて、日本社会は「母系社会(マトリアキー)」寄りであるという事実があるためだ。
父系(パトリアキー)型社会は女性差別の原因になることは西洋のフェミ二ストも、その理論を踏んでいる日本のフェミニストも批判してきた。しかしパトリアキーが女性差別的なら当然、母系社会であるマトリアキーは男性差別的であるはずだが、この考察が学術上も全くされていない。
このことは、アジア圏で一番早く男女平等先進国になった日本の男性がリードして指摘、批判する必要があるだろう。日本は、世界の男女平等を目指す上での男性差別批判において、かなり重要なポジションにあると言えるだろう。これに関しては改めて詳しく触れていきたい。
見えない男性差別 〜生きづらさの理由
「女性が輝く社会」を標榜する政府の下で進む女性活用。しかし一方で、「男性であるがゆえの差別」は見過ごされている。男性差別はほとんど意識されていないが、個人にも社会にも様々な影響をもたらしている。それは単に「女性差別撤廃によって起きる逆差別」にはとどまらない根の深い問題だ。男性差別を認識し、その構造、経緯を描き出すことで、男性も女性もよりよく生きるための課題を明らかにする。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20150224/277938/?ST=print
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