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【第105回】 2015年2月21日 降旗 学 [ノンフィクションライター]
ギャンブル依存症536万人説!?
生活を賭けたらもはや娯楽ではない(上)
テレビドラマの新クールが始まって二週間ほどすると、週刊文春にあのページが登場する。『今井舞(毒)ブッタ斬り!』である。今井舞という超辛辣で超毒舌なテレビ評が始まったのはほんの三、四年前のことだ。
初めて彼女の記事を読んだときは、本当にブッ飛んだ。新番組を一刀両断に切り捨てる見事さは、惚れ惚れするほどだった。毒にまみれてはいるが、彼女の指摘はあまりにも的を射いていて、しかも、誰も言いそうにない厳しいことを言っているからである。
今井舞が口を開けば、故ナンシー関なんか華奢なお嬢さんにしか見えないかもしれない。クドカンこと宮藤官九郎ですら、彼が脚本を担当する新番組が始まる前は、今井舞の「ブッタ斬り」が怖い――、と文春連載のエッセイに書いていたほどだ。今井舞は人前に姿を現さないが、週刊文春の担当編集者が言うには、ロングヘアーの美女とのことだ。会ってみたいぞ。
新春ドラマを、今井舞はこんなふうに評した。たとえば大河ドラマ。
〈大河といえば、昔は錚々たる大物の俳優陣が、一年かけて歴史を紡ぐ、大人な作品として、確固たる地位を築いていたのに(中略)『花燃ゆ』は、ただ「若い人気女優を大河の主演に据えるため」という業界の都合が透けて鼻白む。どんな経緯で始まっても、作品が面白ければ文句ないのだが。主演の井上真央が、川原で大沢たかおと転んでドキドキ、神社で東出昌大の涙に胸キュンと、「花より男子」と同じベクトルで大河を描かれても(中略)「幕末男子の育て方。」ってキャッチコピーも「大河版イケメン☆パラダイスはじめました」って張り紙みたいで偏差値低(中略)大河は大河にしかできない世界観、そして物語、役者陣というものがあったのに。長年築いたその価値を自らうっちゃり、イケパラ的なものに庇を貸してしまった結果、昔からいた大河ファンはすっかり遠のき、かといってイケパラ好きが見るでもなく、母屋取られてもらい水ぴちょーん。数滴であと一年を凌がねばならない(後略)〉
彼女の手厳しさはこんな感じだ。
『家政婦のミタ』と同じ脚本家・制作スタッフが送る『○○妻』は、
〈現代版二口女的な設定を思いついたまではいいが、味つけはハッタリと外連味(けれんみ)だけ。広げられるだけ大風呂敷を広げる「見せ物小屋手法」も相変わらず。しかし、ミタの時ほど「見せ物」に求心力はなし。無表情で時々激昂し大声を出すという柴咲コウのキャラクターは、ミステリアスの説得力不足で、単なる情緒不安定にしか見えず。夫役の東山紀之も、エキセントリックな妻の引き立て役という損な役回りも手伝って「この人、こんなヘタだったっけ?」という愚鈍な一本調子。納得いく回収が期待できない。浅い伏線が張り巡らされた柳の下に、制作側が期待する二匹目のドジョウの姿は、ない〉
淀みなく新作をブッタ斬る今井舞が、今期ワーストと切り捨てたのがTBSの『流星ワゴン』だ。日曜夜十時の放映時間には、かつて『半沢直樹』や『ルーズヴェルト・ゲーム』なども放映されました。別名・香川照之レギュラー枠もしくは香川照之しかいないのか枠。
〈そして今期ワーストは、迷うことなく「流星ワゴン」。会社をリストラされ、妻は別の男に走り、息子はひきこもりで家庭内暴力。絶望的な日々を送る西島秀俊。そんな彼の前に、突如不思議なワゴン車が。乗ってみると、幽霊の父子が運転しており、彼の一年前の過去へ連れて行く(中略)唐突とご都合主義の嵐に、とにかくついて行けん。一年前の世界に戻ると、そこはちょうど嫁の浮気現場。さらにそこに若い父親が現れ、「嫁さん連れ戻さんでええんか」「父さん? なんでそんな若いの? なんで美代子のこと知ってんの?」「なんでか知らんが、ここにおって、何となく、お前の事も嫁の事も、わかるんじゃあ」何じゃそりゃあ。一事が万事この調子で、父親役の香川照之の「よくわからんが、こっちに行ったらいい気がするけん」という、強引な水先案内で無理やり話が進んでいく(中略)こうしたファンタジーの話は、最低限の辻褄合わせはしてくれないと。何で過去に行けるの? 何で父親がいるの? 何で若い姿なの? と疑問だらけなのに「よくわからんが、とくかく、こうなんじゃあ」で話を進められても。付き合う気力が一ミリも湧かない(後略)〉
といった感じだ。バッサリなのである。
他にも『問題のあるレストラン』や『まっしろ』等々、新春ドラマが次々と切り捨てられる。
で、あまりにも今井舞のブッタ斬りが面白いものだから興味をそそられ、ブッタ斬られた番組を見てみたところ、なるほどと思わざるを得ないことばかりだった。これ以上は書きませんよ。今井舞さんが書いたように堀北真希の演技は大根を通り越してロボットみたいで、あまりの演技力のなさに今後のスケジュールが『まっしろ』になるんじゃないかとか、セクハラ・パワハラ・モラハラで煮え湯を飲まされた女たちが集まってレストランを始めた番組は、今井舞さんが書いたとおり、何かこう、目新しさのないツルツルな設定で、登場人物たちも「前向きでめげない主人公」とか「東大卒の堅物」とか「ひきこもり」とか「オネエ」でステレオタイプのキャラクターが並んでいるだけだなあとか。
今井舞に「今期ワースト」と謳われた『流星ワゴン』を見て思ったのだが、原作は重松清の同名小説で、一三〇万部も売れたベストセラーだ。でも、もしかしたら重松清は、浅田次郎の『鉄道員(ぽっぽや)』や『地下鉄に乗って(メトロにのって)』に憧れて、あんな作品を書きたくで『流星ワゴン』を書いたんじゃないだろうか、なんて思ってしまった。鉄道員も地下鉄も涙腺を弛めずにはいられない感動的な物語だからね。
でなければ、『ドラえもん』と『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を足して二で割ったような作品にしたかったのか。車がタイムマシンだったり、香川照之はジャイアンみたいだし。ポール・オースターを意識してたら大笑いだけど。
という話はさておき、番組中、浮気をしていると思われていた嫁が、実はパチンコにのめり込んでいたという場面が登場する。井川遥演じる美代子は、しょっちゅう男と会っているために浮気を疑われるが、その男の正体は消費者金融の取り立て屋だったという寸法だ。男と会っていたのは、借りた金を返済していたからなんですね。
美代子は、夫から渡される月々の生活費はおろか積み立てていた定期も解約し、全額をパチンコにあてていた。依存症なのである。このあと物語がどう進行するのかはわからないが、今回は「依存症」のお話です。たいへん長い前フリでした。でも、今井舞のブッタ斬りは、ヨイショばかりの番宣なんかより本音が語られていて、めちゃ面白いですよ。
さて、大誤報をさせたら朝日新聞に並ぶ新聞社はない。「アサヒる」なんて社名をいじられる新聞社も朝日新聞だけだ。毎日新聞は「マイニチる」なんて言われないし、読売新聞の記事を「ヨミウる」なんて言わない。さらにいえば、かつての「KY」事件のように、自作自演でスクープを飛ばすのも朝日新聞だけだ。珊瑚礁ねつ造事件ですね。
どーでもいい話をすると、皆さまのNHKに『ドキュメント72時間』という番組があって、これはカメラを三日間(72時間)同じ場所に固定し、そこでどんな人間模様が描かれるかを追った番組なのだが、昨年、とあるボクシングジムを描いた回があった。仕事帰りばかりでなく、自分を奮い立たせるため出勤前にジムに通う人たちがいたりするのだが、そんな人たちに皆さまのNHKはマイクを向ける。あなたは何故ジムに通うのでですかと。たまたま、あるブン屋さんがそのジムに通っていた。年の頃は三〇前後。
「どちらの新聞社なんですか」
「いま叩かれているところです」
やり取りはこれだけだが、朝日の記者さんってのは、会社が世間から槍玉にあげられてるってのに、マイクを向けられると堂々と応えるんだね。普通こーいうときは、あ、同業者なんでカメラはちょっと……、と断るんですけど。それを堂々と、いま叩かれている新聞社の者ですと名乗るあたり、アサヒにありがちな厚顔無恥さがよく出ているように感じられた。編集でカットしなかった皆さまのNHKもすごいけど。
という話は措いといて、朝日新聞だってアサヒッてばかりではない。不定期に掲載される二面右上の「ひと」というコーナーには、何故か韓国や中国と関わりのある人が取り上げられることが多く、さすが親中友韓新聞だなと思わざるを得ないし、スポーツ欄に連載されている『あの夏』は話があっちこっちに飛んで読みづらいことこの上なく、先輩の西村欣也を見習えよ、と言いたくなるが、ときには読み応えのある記事が掲載されたりもする。朝日だからってアサヒッてばかりじゃないのだ。たぶん。
『ギャンブル依存症 回復の道』と題され、上下二回にわたって掲載された記事は、依存症から立ち直った人たちへのインタビュー他で構成されている。
紹介されているのは、奈良県大和高田市にある『セレニティーパークジャパン』という施設だ。ギャンブル依存から抜け出したい人たちが集う施設である。二〇一一年四月の開設以来、施設は約三〇〇人を受け入れてきたそうだ。現在も、二〇人近い人が近くの民家で「共同生活」をしながら施設に通っているとのことだ。
厚生労働省の研究班の調査によると、ギャンブル依存症の疑いがある人は、国内に五三六万人ほどもいるそうだ。この五三六万人がどういう数字かというと、横浜市と大阪市の人口を足した数に相当する。すごいね、横浜市民と大阪市民の全員に依存症の疑いがあることになる。
依存症を克服するための専門の医療機関も増えているそうだ。国立病院機構久里浜医療センターは二〇一三年に、北里大学東病院は昨年、ギャンブル依存症の「専門外来」を開設した(久里浜医療センターは依存症研究の全国拠点に指定される)。
依存症者の自助グループは全国に一四七団体あり、二〇〇八年と比べて倍増した。セレニティーパークジャパンにような専門施設も全国十施設以上を数えるまでになった。疑いのある五三六万人といい、ギャンブル依存症は、もはや他人事と思えるレベルを超えているということだ。
岡山県精神科医療センターの橋本望医師が三三〇人の患者の傾向を調べたところ、ギャンブルを始めたのは平均で二一・一歳。初めて借金をしたのが三一・一歳、治療開始年齢は平均で四一・一歳だった。
十年ごとに変化があることがわかるが、すると、成人してパチンコやスロット、競馬などのギャンブルを覚え、当初は趣味の域だったのだろうが、やがてのめり込み生活費の全てをギャンブルに注ぎ込む。でも、それでも足りずに金を借りる。その金もギャンブルの資金だ。そんな生活が十年続き、ともすれば依存症のせいで家族すらも失い、初めて自分の過ちに気づく。それが四一歳……、ということか。
「ギャンブルは薬物やアルコールと違い、体調には変化が現れにくいため、病気と気づくのに時間がかかる」(橋本医師)
朝日新聞は、さきのセレニティーパークジャパンに、二年前にやってきた四四歳男性の話を訊いている。その男性は、二六歳のとき、夫婦関係がうまくいかず離婚した。仕事も行き詰まり、ストレスが溜まる。捌け口はパチンコだったそうだ。
「パチンコ台に座っているときだけ、嫌なことを忘れられた」
数ヵ月で貯金を使い果たし、消費者金融を利用した。債務は、十数年で一〇〇〇万円を超え、しかし返済のほとんどは家族らを頼ったという。ついにはヤミ金に手を出してしまい、職場まで取り立てが来たそうだ。仕事を辞めて車上生活を送っていたとき、医師に「依存症」と診断され、施設を訪れた。
>>後編「ギャンブル依存症536万人説も 生活を賭けたらもはや娯楽ではない」に続きます。
ギャンブル依存症536万人説!?
生活を賭けたらもはや娯楽ではない(下)
>>(上)より続く
施設の利用料は月二〇万円だから決して安いとは言えない。スタッフは精神保健福祉の資格を持ち、医師と連係して症状の改善状況を観察する。その男性は共同生活に戸惑い、ふて腐れてもいたそうだ。だが、周囲が声をかけてきた。
「オレも借金で大変だったんですよ」
「つらくないっすか」
共同生活者は、いずれもが依存症で苦しんできた人たちだ。互いの苦しみがわかるから、助け合おうという気持ちが芽生えるのだろう。
ある日の講義で、ギャンブルで失ったものを書き出した。
「家族」「友人」「信頼」
書き出しているうちに感情が込みあげ、声をあげて泣いたそうだ。そして、かつて迷惑をかけた元妻と家族、元同僚らに謝りに行った。
「自分の現状を受け入れ、人生を見直していくうちに気持ちが楽になった。ギャンブルがなくても生活できる自信が少しずつ生まれてきた」
私は、麻雀以外のギャンブルをやらない。というか、パチンコも競馬も、やったことがない。麻雀も、気づけばもう十五年近く牌も握っていない。打ちたくてもメンツが揃わないから、年に一回か二回、プレステで打つくらいだ。恥ずかしい。
だから、ギャンブル依存症というものがどういうものかを私は知らない。
ただ、思うに、依存症というのは、罪悪感のないことを言うのだろうとは思う。まずいな、借金した金でパチンコやってたらまずいよな、と思っているあいだはまだ依存症とは呼べないような気がする。女房にすまないと思い、後ろめたさがあるうちは、足抜けしたい気持ちも垣間見られるからだ。
だが、借りた金をギャンブルに注ぎ込むことに悪びれもしなくなったら、それが依存症だ。自分の稼ぎだけでは足りず、金を借りてでもやりたい、やらなければ眠れないといった状態を言うのだろう。
四、五年前、『リカバリーサポートセンター』という、パチンコ依存症の人たちを救済するNPOを設立した人を取材した。力武一郎さんという方だが、彼は、パチンコ店の経営者だった。パチンコ店の経営者が、パチンコ依存症の人たちを救う組織をつくったのである。
パチンコ店とは言っても、力武氏が経営する施設にはボーリング場とサウナがあり、託児所を兼ねた保育園まで運営している。保育園をつくったのは、真夏にパチンコに興じているあいだに、車に置いた赤ん坊が熱中症で死亡したニュースを見たとき、うちの客にそんなことがあってはならないと思い、急ぎ設立したものだ。取材時のパチンコ台とスロット台の数はあわせて五六〇台。それでも規模は中規模になるらしい。
母親にどうしてもと泣きつかれ、力武氏は大学を卒業すると郷里の大分市に戻り、父親の経営するパチンコ店で働き始めた。父親の後を継ぎ、会社を任されたのが二〇〇一年のことだ。
その間、力武氏は鬱病を発症してもいる。理由は、パチンコ店経営という稼業が嫌いだったこと。また、彼の店は、地元暴力団組織への「みかじめ料」の支払いを拒んでいたこともあって、怖い筋の兄さん方の嫌がらせがひっきりなしだった。彼はその担当を任されていた。
トラブルは毎日のようにあったらしい。露骨な嫌がらせは警察沙汰になるからやらないが、兄さん方は店に来ては玉が出ないとクレームを付け、その際、袖口から彫り物の図柄を周囲に見せたりする。効果は絶大で、お客さんたちが怖がって店に来なくなるのだそうだ。
その後、営業の担当になったとき、人気が出ると踏んだ新台の選定を読み違え、一五〇〇万円ものの損失を出した。度重なるストレスが原因だったのだろうが、気がついたときには鬱と診断されていた。病院に行ったころには、どこで死のうか、どうやって死のうかと、毎日そればかりを考えるようになっていたらしい。
社長就任から間もなく、ホール内に「ご意見箱」を設置した。客の声を聞くための目安箱だが、設置早々にこんなハガキが投函された。
『苦しい借金生活から小さな幸せを取り戻したい。一日で年金を取られた。今日から水で食事。毎日何万円も取られる。借金もする。楽しくない。苦しい。貧しい人たちから金を取って経営者は笑ってよい生活をしているのでしょう』
文言は部分的に抜粋したものだが、殴り書きのような文字だった。ご意見箱には、もっと玉を出せと言ったクレームまがいの投書がほとんどだっただけに、この投書は力武氏の目を引いた。
常連客の自殺を知ったのも、同じころだ。借金苦を悩んでの自殺だったが、故人は縁者とのトラブルを抱えていた。親戚じゅうから金を借りまくり、その金をパチンコに注ぎ込んでいたからだ。
「ホールでは平日の朝から何百人もの人が遊んでいて、なかには失礼だけどお金を持っていそうにない人の姿もありました。でも、そういう人が毎日遊びに来る」
お金を持ってなさそうなのに、彼らはどうして毎日遊びに来られるのだろうと疑問に思ってはいたが、力武氏はそういった人たちに目を向けていなかったと言った。パチンコのために借金を背負い、パチンコのせいで死ぬ人がいたことが驚きであるとともに、許せないと思ったのだ。
パチンコは七割の人が負けるからくりになっている、と力武氏は明かす。
「本当のことを言ったほうがいい。七割が負けると知って、それでお客さんが来てくれなくなったらそれまでのことです。お客さんを騙してまで儲けようとは思いませんから」
大切なのは、七割の人が負ける、という事実だ。負けるために、借金をしてまでギャンブルに注ぎ込むのが依存症なのだ。たまに勝ったときの快感が忘れられないから。だから、また勝つつもりで注ぎ込む。一攫千金を狙い、負債などすぐにちゃらにできると思い込んでしまう。
常連客の自殺から、力武氏は初めて「ギャンブル依存症」という言葉を知り、調べていくと、横浜に日本で初めて『ワンデーサポート』という救援組織が立ち上がったことを知る。さっそく連絡を取り、ホールにワンデーサポートのポスターを貼ってみた。
すると、その年だけで三人の客がワンデーサポートに問い合わせた。
「パチンコ店は全国に一万五〇〇〇店あるんですよ。うちだけで三人のお客さんが相談の電話を入れたということは、単純計算すれば全国に四万五〇〇〇人もの人がギャンブル依存で悩んでいることになるじゃないですか。これは放置できる問題じゃなかった」
力武氏は、パチンコ業者が加盟している全日本遊技事業組合連合会や関連団体へ働きかけ、大分県の青年部会でもセミナーを開催した。が、当初の反応は決して芳しいものではなかったようだ。むしろ、拒絶に近い意見ばかりだったという。
ギャンブル依存症や自己破産は個人の問題で、パチンコ業者が関わる問題ではない――、という意見が圧倒的だった。冗談のようだが、中には、力武は何か新しい宗教でも始めるみたいだから近づくなという業者もいた。
力武氏は各方面を説いて周り、二〇〇三年には全日遊連に「ぱちんこ依存問題研究会」が発足。二〇〇店舗五六〇〇人を対象に全国規模の聞き取り調査が行なわれ、結果、約三割の人たちにギャンブル依存の傾向もしくは自覚があるとの結果を出した。
ホールを覗けばすぐにわかるのだそうだ。生活を賭け、玉を弾いている人は。
ワンデーサポート事務局から、沖縄に薬物依存問題に取り組む精神科医がいると教えられ、その医師らと力武氏はNPO法人『リカバリー・サポートセンター』を設立した。
基本的な取り組みは電話相談だが、家族からの問い合わせを受けつけ、本人が本気で依存症から脱却したい意思があるのなら、各都道府県にある福祉施設や医療機関あるいは相互扶助グループなどを当人の「依存度」にあわせ紹介している。設立から五年での相談件数は五〇〇〇件を超えた。
力武氏は言うのだ。人は誰でも、どんなにつらい状況に追い込まれても、出口さえ見えれば必ず立ち直れるのだと。依存症に陥った人たちは、出口が見えずに藻掻いているのかもしれない。彼らに出口のある場所を教えてやるのが、各地に設立された回復支援施設だ。
ギャンブルというのは、本来、娯楽でなければならない。
借金をし、家族を苦しめ、生活を賭けてまでのめりこむものを娯楽とは言わない。血走った目で取り組むものを、誰が娯楽と呼ぶだろう。娯楽とは、楽しいから娯楽なのだ。
七割が負けることを知り、七割も負けることを楽しめてこその賭け事でもある。
(文中一部敬称略)
参考記事:週刊文春2月5日号
朝日新聞1月9日10日付
http://diamond.jp/articles/-/67235
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