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早死したくないなら「仕事に本気にならない」ことだ
養老孟司×隈研吾 日本人はどう死ぬべきか? 第5回
2015年1月9日(金) 清野 由美
(前回から読む)
日本社会において血縁共同体の代わりを担った「サラリーマン共同体」。だがそれには、「死」に対しては無責任であるという欠点があった。「定年=死」という生き方を回避するための秘訣は「仕事に本気にならないこと」と養老先生は説く。「日本人はどう死ぬべきか?」最終回です!
今回の対談は、私たちにとって切実な未来である「死ぬこと」について語っていただいています。養老先生、隈さんの共通したご意見は「死ぬことを考えるのは無駄」ということでした。
そこまで達観できればいいのですが、「日経ビジネス オンライン」の読者の方々には、40代から60代男性の自殺率の増加などは、身につまされることも多いのではないかと思います。
養老:自殺は、それぞれの国によって特徴があるんですよ。
隈:そうなんですか。
養老孟司(ようろう・たけし)
1937年、鎌倉市生まれ。1962年、東京大学医学部卒業後、解剖学教室へ。1995年より同大名誉教授。著書に『からだの見方』(サントリー学芸賞)『人間科学』『唯脳論』『バカの壁』(毎日出版文化賞)『死の壁』『養老孟司の大言論』『身体巡礼』など、隈研吾との共著に『日本人はどう住まうべきか?』がある。(写真:鈴木愛子、以下同)
養老:自殺の原因には世界的、人類的な傾向というものがあるんです。だいたい、一人当たりGDP(国内総生産)の増加と比例して自殺が増える。日本では働き盛りの中年男性の自殺が多いけれども、中国では若い女性の既婚者の自殺が多いんです。
隈:死を選ぶ理由は何なんですか。
養老:抗議の自殺ですね。嫁さんがだんなの家族に抗議して死ぬんだ。
儒教的な考え方の中で、嫁が人間扱いされないということでしょうか。
養老:詳しいことは分からないんだけど、中国では、男の子を大事にするけど、女の子は相当下に見られているでしょう。
死の恐怖から救ってくれない「サラリーマン共同体」
日本の働き盛りの男性の自殺は、1999年から一気に増加しました。養老先生はどう見ていますか。
養老:日本の世間って結構うっとうしくて、そこに丸々付き合ったらたまったものじゃないよね。でも、丸々付き合ってしまって、にっちもさっちもいかなくなるんでしょう。そういう背景があると思いますよ。
不況をバックに、中小企業経営者の自殺が増えましたが、同時に定年前後の会社員も多いと言われています。
隈:サラリーマン人生って、勝ち残りの競争の中で、すごくクリティカルな、重大な分岐点がいくつもあるじゃないですか。判断ひとつで後戻りもできないし、先にも行けないというような。あれ、みんな、よく平気だなと思いますよ。
確かに。エリートになればなるほど、過酷をきわめる。
隈:それで定年間際には、そのストレスと、自分の体力的な転換点が重なるわけだから、おかしくなってしまうのは、よく分かるな。
この連載が本になりました。『日本人はどう死ぬべきか?』2014年12月11日発売。解剖学者と建築家の師弟コンビが、ニッポン人の大問題に切り込みます。
戦後の日本では、かつての血縁共同体がサラリーマン社会に置き換えられたわけじゃないですか。前世紀のサラリーマン社会も、ここにきて変貌が激しいし、それとどう付き合うかなんて、人類として未体験ゾーンですよね。
第4回の、隈さんのお父さまのお話とつながりますね(前回参照)。隈さんは、本能的にその事態を避けた。
隈:そうですね。うちのおやじから教訓を得て、サラリーマン人生を回避した。
でも、お父さまは定年を超えて、長生きされたわけですよね。
隈:85歳まで生きました。息子である僕や、家族にいろいろ八つ当たりしたから、長生きしたと思うんですよね。毒を周りに吐き散らかしながら(笑)。
養老:医学の方から言うと、中年男性の自殺は、初老期うつ病ということはあると思いますね。これは今に始まったことではなく、昔からあるんですよ。
それは男性特有なんですか。
養老:特有ではないけれど、女性の場合はその前段階で更年期障害があるから。初老期うつ病よりも更年期障害の方が認知度が高いでしょう。その分、自覚もしやすいし、対処のしようがまだあるんだと思いますよ。
隈研吾(くま・けんご)
1954年、横浜市生まれ。1979年、東京大学工学部建築学科大学院修了。米コロンビア大学客員研究員を経て、隈研吾建築都市設計事務所主宰。2009年より東京大学教授。1997年「森舞台/登米町伝統芸能伝承館」で日本建築学会賞受賞。同年「水/ガラス」でアメリカ建築家協会ベネディクタス賞受賞。2010年「根津美術館」で毎日芸術賞受賞。2011年「梼原・木橋ミュージアム」で芸術選奨文部科学大臣賞受賞。著書に『負ける建築』『つなぐ建築』『建築家、走る』『僕の場所』、清野由美との共著に『新・都市論TOKYO』『新・ムラ論TOKYO』などがある。
隈:日本で一番死に近いのが、僕と同年代のサラリーマンだというのは、身につまされますね。確かに僕の仕事先の会社でも、そういう例を聞きます。「え、あの、先週ご一緒した〇〇さんが?」と、驚くことがある。
いい人ほど耐え切れなくなる、ということはありますか。
養老:それは個別には分からないね。ただ、イヤなやつは死なないんだ。池井戸潤の銀行小説に出てくるような野郎どもとかはね(笑)。
思い詰めてしまっている人に向けて、何かアドバイスはありますか。
養老:言ったって無駄でしょう、その年で。
隈:ラオスに虫捕りに行きなさい、とか。
養老:そういう忠告が効く段階としては、40代後半から50代って、もう遅いんだよ。
30代から考える、老後の生き方
いつだったら間に合いますか。
養老:やっぱり30代ぐらいで考えなきゃいけないことじゃないですかね。日本の場合は、大学を出て22歳でしょう。そこで社会に入ったとして、28〜29歳で社会的適応がほぼ完成する。そこから10年たったら、40歳近く。その辺で考えなきゃいけないんじゃないですか。でも、仕事に追われて、一番考えない時期ですよね。
今、アラフォーの読者の方々は、ぜひご傾聴ください。
養老:そうね。この後、どうするんだよ、ということは一応考えていた方がいい。
当の養老先生は考えておられましたか?
養老:まあ、考えるといったって、何か行動を起こす、というわけでもないよね。僕はだいたい40代で、「55歳になったら職場は辞めよう」とは思っていたかな。
養老先生の40代は、高度成長の世の中でしたよね。
養老:そんなのは全然関係なかった、と言ってもいいですね。
みんなが仕事にまい進している時期に、養老先生が辞め時を考えることができたのは、なぜだったのですか。
養老:なぜでしょうね。やっぱり仕事にあんまり本気でなかったんだろうね。
さらっと(笑)。
養老:実は、そういう態度が大事なんじゃないかと思っている。『アンナ・カレーニナ』に、官僚だったアンナの兄貴の話が出てくるけど、彼は官僚の仕事が好きじゃなくて、本気でやってなかったから官僚として成功した、と書いてある。実際に官僚組織に勤めないと分からないけれど、確かにあれは本気で肩入れしちゃいけない仕事だと思いますよ。
日本ではメディアをあげて「仕事しろ、仕事しろ、有能であれ、有能であれ」と、日々、強迫観念を押しつけてきます。
養老:人って、あんまり働くと周りに迷惑が掛かるよ。仕事というものに対しては、適度な距離がなきゃいけない。一番いい仕事をするのは、本来は仕事に関心がない人なんです。
建築家はどうですか。
養老:建築家は違うよ、全然。組織の仕組みの中にいる人と、何かを作らなきゃいけない人は違う。
隈:ただ建築家も、一個一個の建物で傑作を作ろうとすると、ストレスで破綻すると思います。
養老:それはそうですよね。
目の前の仕事を完璧にしようとすると破綻する
隈:クライアントがいて、予算があって、法律があってと、とにかくいろいろな制約があるでしょう。その中でいちいち完璧を目指そうと思ったら、破綻します。だからある種、超越した無関心さはいるかもしれません。
超越した無関心?
隈:目の前にある1個の建物にこだわるのではなくて、何か自分は別の価値を求めているんだ、という思考法。いちいちすべてが解決するとは思わない。そういった超越性のことですね。
17世紀のイタリアに、パッラーディオという建築家がいて、当時最高の建築家と謳われていたんです。パッラーディオは、ベネツィアの郊外に邸宅の傑作をいろいろ作っていて、それが後のヨーロッパのあらゆる住宅建築のモデルになったと言われています。
でも、あれだけの建築家でも、自分は本当はこうやりたかったけど、施主の都合でできなかった、というのがほとんどなわけです。だから「建築四書」という一種の作品集を自分でまとめた時は、全部自分がやりたかったように直したの(笑)。
養老:写真がない時代だからできたんだ。
隈:20世紀最大の建築家と言われたコルビュジエはもっとひどくて、自分の作品を撮った白黒写真で、白い壁の構成がうまくなかったと思うと、周りの影にスプレーをかけて、美しくなるように修正しました。彼の作品集の写真をよく見ると、影が不自然なものが多いんです。
「フォトショップ」(写真加工など画像編集ソフト)の先駆けですね。
隈:そうそう。自分の手で行うフォトショップで写真を全部直した。建築家って、そのぐらいのずうずうしさがないと、やっていけないんです(笑)。
養老:でも、クライアントには違う言葉で接していたはずですよね。
隈:パッラーディオが設計していたのはベネツィアのお金持ちたちの農園だから、お金持ちに絶大な信頼があったわけだけど、たぶんクライアントには全然違うことをしていたはずです(笑)。
養老:あの「半沢直樹」の作者の池井戸潤さんって、銀行に勤めていたのかな。
1963年生まれで、慶應義塾大学を卒業してから、三菱銀行(現・三菱東京UFJ銀行)に勤めています。銀行を退職されたのは95年。バブルの最中から崩壊後までの時代ですね。
養老:彼も銀行の生活を、ああやって自分なりのフォトショップで書き直したんでしょうね。
隈:なるほど。
養老:銀行という組織内部のえげつない権力闘争の中で、こうあったらいい、というのが「半沢直樹」ですよね。
隈:現実では絶対にあり得ない、銀行内の下克上ですよね。
養老:あの小説とテレビドラマは、サラリーマンの健康法だよね。銀行のディテールを分かった上でのファンタジーだから、みんなに効いたんですよ。
隈:それは、さきほど養老先生がアンナ・カレーニナの兄のところでおっしゃったように、作者に「本気じゃない距離感」があったから描けたわけですよね。
養老:そう、距離があったわけですよ。銀行組織という、あの内部に丸ごと入っちゃうと、年を取ってから、もうどうしようもなくなっちゃう。
あんまり真剣になり過ぎないように、というのが養老先生のアドバイスですね。
養老:好きなことが何か1つでもあればいいんですよ。それがない人が、自分の仕事に真剣になっちゃう。でも、しょせん仕事なんて、誰かが代われるものなんだしさ。そういうことに真剣になりすぎるって、使い物にならないという、そのことだからね。
定年目前から死ぬまでにある「30年」
日本のサラリーマンは、定年を目前にして、「好きなものがない」と気が付くパターンも多いとか。
養老:そうなんですよね。ゴルフといったって、実は会社のやつとしか行ってない。しかも会計も会社持ちだったとしたら、趣味とか楽しみとかじゃなくて、業務の一環だよね。
50代で気づいても、もう遅いですか。
養老:いや、そこは断言できない。そこは知りませんよ。だって、今、みんな長生きになりましたからね。
厚生労働省が今年発表した2013年の平均寿命は、男性が80.21歳、女性が86.61歳で、男性もついに80歳を超えました。
養老:50歳から80歳まで、30年あるんだよ。モーツァルトは、35年の生涯の中で、600以上も作曲したわけだし、高杉晋作だって死んだのは28歳ぐらいだよね。
体力の問題は置いといて、革命の志士にもなれてしまう時間が目の前にある時代になりました。
隈:なんか、生きる意欲というより、もうどうなってもいいや、って思っちゃいますけどね(笑)。
養老:ともあれ、自殺は絶対にお勧めしません。死んでも当人は困りません、ということをこの対談でもさんざん言ってきましたが、周囲の人は困りますからね。自分がいなくなって悲しむ人は必ずいる。それは常に思っておいた方がいい。それと、無理心中も困りますよ。
殉死という概念に惹かれたりはしますか。
養老:典型は乃木大将でしょうけど。あれは、奥さんと一緒に自刃したんだよね。当時もいろいろ論議はあったんですけどね。息子たちが2人とも先に戦死していて、生きていてもしょうがないと思ったのか。田原坂で軍旗を取られたから、その時に死んだつもりで、というのが乃木さんの言い分だったんだけど、それを明治天皇が止めて、だったら明治天皇が生きている限りは、生きていようと。
その心境はご理解できますか?
養老:分かりませんね。
あっさり、分からない、と。隈さんはいかがですか。
隈:分からないですねえ(笑)。
鎌倉にて(2014年6月撮影)。
あと、太宰治のように女性を道連れにして自殺未遂を繰り返すというのは、どう思われますか。
養老:あれは特別だよね。太宰は鎌倉の鶴岡八幡宮の裏山でも一度、首を吊っているんだよ。当然、失敗していますけど(笑)。
渡辺淳一じゃありませんが、心中あるいは殉死ということに、ある種あこがれるというのが、日本人の中にはあるんじゃないですか。
養老:知らない。
知らない、と。
薄くなった共同体の関係性をどう埋めるか
養老:自殺にあこがれるって、俺はよく分からないんだよね。
隈:僕も理解不能。
養老:理屈で言えば、別に本人は困らないからいいんだけど。それを生かしているのは、周りの知り合い、つまり共同体ですよね。その中に悲しむ人がいるんだから、自殺はやめてほしい。
ただ逆に言うと、共同体の関係性が薄くなってしまえば、生きる理由も薄まって、「もう死ぬよ」と言いやすくなってしまう。それは今の日本の社会に起きていることだと思います。
人間関係が薄くなれば、死ぬのは勝手でしょう、となりやすい。
養老:俺が死んでも俺は困らないし、だったら周りも困らない、という理屈が立ってしまう。しかも現代人には、命は自分のものだ、という意識があるから、ますますそうなっていくでしょう。昨今の無差別殺人の動機なんかはそれですよね。
でも、それは本当に困る。そこについては、誤解してほしくない。日本の世間は窮屈だと、僕はことあるごとに言ってきましたが、だから勝手に死んでもいい、ということではありません。「二人称の死」が持つ意味こそ、もう一度考えるべきでしょう。
日本人らしい生と死を考えてきたこの連載、今回はここまでです。ご愛読、ありがとうございました。
(おわり)
このコラムについて
養老孟司×隈研吾 「ともだおれ」思想が日本を救う
環境問題に代表されるいまの社会のさまざまな課題は、「生き物」としての私たちが、合理性、均質化、分業による効率の追求に耐えきれなくなってきた、その表れなのではないか? 偏ったバランスを、カラダの方ににちょっと戻すためにはどうしたらいいのか。
現代人は「脳化社会」の中に生きていると喝破した養老孟司氏と、ヒトの毎日の環境である住宅、都市の設計を行う建築家の隈研吾氏が、次のパラダイムを求めてゆったりと語り合います。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20141203/274627/?ST=print
【政策ウォッチ編・第90回(上)】 2015年1月9日 みわよしこ [フリーランス・ライター]
住宅扶助・冬季加算の引き下げをめぐる攻防
(上)「住」と「暖房」から崩れる生活保護 減額へと誘導する厚労省の“統計マジック”
――政策ウォッチ編・第90回(上)
2014年12月26日、御用納めの日の夕方から夜にかけ、社保審・生活保護基準部会が開催された。その直後、「住宅扶助と冬季加算は引き下げ」とする大手メディア報道が重なった。
部会委員たちは、本当に引き下げをよしとしているのだろうか? 実際に基準部会では、どのような議論がなされたのだろうか? 本当に、引き下げは既定路線なのだろうか?
第二次安倍内閣続投
絶望するのはまだ早い
御用納めの日に開催された、第21回基準部会。やや広めの会議室が用意されていた
Photo by Yoshiko Miwa
2014年12月16日、衆議院総選挙が行われ、自民党・公明党が解散前と同等の議席を獲得した。このことにより、第二次安倍内閣の続投が事実上決定した。得票数で見れば、「これまでと何も変わらない」と言っても過言ではないかもしれない。
しかし今回の総選挙の結果に、筆者は小さな希望を見出している。「普通の人の普通の暮らし」を大切にしている候補者、福祉を重要視している候補者が、優勢とはいえない政党からの立候補であっても、不利な条件があっての立候補であっても、議席を維持したり、議員としての復活を果たしたりしているからだ。
筆者が「この人の議席は維持されてほしい」「この人は当選してほしい」と思っていた候補者は、全員が当選した。また、「外国人への生活保護は廃止する」をスローガンとし、事実と反する内容を少なからず含んだ主張で選挙活動を展開していた「次世代の党」は、議席を大幅に減らす結果となった。日本政府がどのようであれ、日本人の賢明さや人間としてのまっとうさには、まだしばらく、期待してよいのかもしれない。
ちなみに2012年末の総選挙で議席を失った初鹿明博氏( 本連載第11回参照)も、今回、日本維新の会から立候補して当選し、議員としての復活を果たした。議員でなかった期間、障害児デイケアなどの福祉事業に従事し、フェイスブックでは家族のための美味しそうな手料理写真を公開し続けていた初鹿氏に対し、筆者は正直なところ「なぜ維新?」と思ったのだが、初鹿氏によれば、意図するところは下記のとおりだ。
「維新の党を選択したのは(略)消費増税や脱原発に対するスタンスでは一致していることです。
そして、新しい党なので、個々の政策についはまだ固まっていないところも多く、私が得意としている福祉や社会保障、雇用、貧困問題、子育て支援などの分野では私の考えで政策を引っ張り、リベラル色を出していくことが可能だと感じているからです。
政党がどこであろうと、自由と人権を守って公正で、格差の少ない社会を創っていくという私の理念に変わることはありません」( http://www.hatsushika.net/page01.htmlより)
政局の激流の中にあっても初鹿氏の思いが実現することを、筆者も心から願う。一人一人の人が生まれ育ち、成人して職業生活をはじめとする社会へと接続され、人の中で人として生きる生涯を送ることなくして、国の維持も発展も振興もありえない。そこに「右」も「左」も関係ないであろう。
今回は、年末最終日の2014年12月26日に開催された 社保審・第21回生活保護基準部会(以下、基準部会)で示された報告書案と議論についてレポートする。
「住宅扶助引き下げが妥当」を導ける
データは皆無に近かった報告書の中身
開会前。緊張した面持ちの駒村康平氏(部会長)
Photo by Y.M.
2014年12月26日の第21回基準部会は、16時開始、18時終了の予定であった。しかし終了したのは19時10分ごろであった。厚労省の事務局による報告書案の「説明」に時間がかかったからである。
事務局は、通例通り、提出資料を解説した。住宅扶助・冬季加算に関する提出資料をそれぞれ説明し、ついで33ページに及ぶ報告書案を最初から最後まで読み上げた。もちろん、まったく言葉通りに読み上げたのではなく、要約しつつの読み上げではあった。また、あまりにも時間がかかっているため、部会長の駒村康平氏(慶応大学教授・経済政策論)が「少し急いでください」と促したりもした。それでも、事務局による「説明」が終了したとき、すでに17時2 0分であった。同席していた知人の新聞記者によれば「あれは時間を引き伸ばして議論させない作戦。だから、あんな間延びした口調になる」ということである。なお、報告書案も含め、資料は厚労省サイト内ですべて公開されている(http://www.mhlw.go.jp/stf/shingi2/0000070195.html)。
筆者は、厚労省事務局による読み上げの間に、報告書案を4回ほど最初から最後まで読んだ。そうしなくては、眠気を誘う読み上げの魔力に負けてしまいそうだったし、もちろん報告書案の内容が気にならないわけはないからである。「引き下げが妥当」「引き下げるべし」と読みとることの可能な内容は、少なくとも全く見当たらない。それもそのはず。掲載されているデータには、現状でさえ住宅扶助はまったく不足しており、冬季加算も冬季の必要を満たしているとは言えない実情が反映されているからだ。にもかかわらず、「引き下げる場合には……につき配慮が必要である」といった記述が、あちこちに目立つ。
たとえば、 報告書案を見てみよう。7ページには、
「c) 生活保護受給世帯の居住状況
○ 生活保護受給世帯の住宅水準は、一般世帯(生活保護受給世帯を含む)に比べると、低くなっている(図表4〜10)。
○ 生活保護受給世帯が居住する民営借家における最低居住面積水準の達成率は、単身世帯で 46%、2人以上世帯で 67%となっており、一般世帯(生活保護受給世帯を含む)の最低居住面積水準が、単身世帯で 76%、2人以上世帯で 86%となっているのと比較すると、大きく下回っている(図表 11,12)。
「生活保護利用者は公営住宅に住めばよい」という意見は多い。しかし公営住宅の数が十分でなく、特に単身者は民間賃貸住宅を選択せざるを得ない
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○ 住宅種類別にみると、民営借家の生活保護受給世帯は最低居住面積水準及び設備条件を満たしていないものが単身世帯で約7割となっている。また、給与住宅の最低居住面積水準達成率も 34%となっており、一般世帯(生活保護受給世帯を含む)の達成率を大きく下回っている(図表 11,14)。
それに対して、公営借家、UR 賃貸住宅での最低居住面積水準達成率は高くなっており、居住する住宅の所有関係によって、住宅水準が大きく異なっている(図表 14)。
民間賃貸住宅・公営住宅など、どのような形態の住宅においても、国交省の最低居住面積水準を満たす住宅に住んでいる生活保護利用者は、一般世帯に比べて少ない
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○ 以上のことから、生活保護受給世帯において、より適切な住環境を確保するための方策を検討することが必要である」
と、生活保護の「住」が一般世帯に比べて劣悪であることが述べられている。このことは、厚労省としても認めざるを得ないのであろう。面している道路の道路幅( 本連載政策ウォッチ編・第82回参照)など、安全・健康を損なう可能性もある住居に住む生活保護利用者が多いことが、なぜ本文に記載されなかったのかは気になるけれども、厚労省が、
「生活保護利用者の住居は一般に比べて劣悪すぎる」
という事実を認めたこと自体は前進といえよう。
生活保護世帯の「住」は現状でも、安全性・利便性などあらゆる観点で、一般世帯の「住」より劣悪である
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住宅扶助減額で
「よい住」へと誘導?
報告書14ページを見てみると、 では厚労省は、どのように解決されるべきと考えているのだろうか?
「現行の住宅扶助特別基準は上限額の範囲内で必要な家賃額の実費を支給する仕組みであるものの、住宅の質に応じた上限額の設定がないため、居室が著しく狭隘で設備が十分でない劣悪な住宅で、生活保護受給者の自立の助長に支障をもたらす恐れがあるにもかかわらず、住宅扶助特別基準で家賃額を設定し、不当な利益を得る、いわゆる貧困ビジネスの温床にもなっていると考えられる」
という記述がある。これは一概に「貧困ビジネス」と言い切れるものではなく、ちょっとした生活支援や見守りなどのサービスに対する対価・生活保護利用者が抱えていることの多い高い死亡リスクなどに備える費用という面もある。しかし、そもそも、「生活保護だから住宅扶助上限額まで家賃を取ろう」という意図が読み取れる住宅は多くはない。
このことは、8月に行われた実態調査でも明らかになっている。報告書11ページには、
「近隣同種の住宅の家賃額より明らかに高額な家賃が設定されている疑義の有無(福祉事務所のケースワーカーが回答)についてみると、『疑義あり』が 0.6%、『疑義無し」が 90.4%、『判断ができない』が 9.0%となっている」
とあり、少なくとも90%は近隣に対して「生活保護だから高い家賃」とはなっていない。また、「疑義あり」の0.6%(114世帯:抽出調査のため)についても、「保証料・敷金・礼金・共益費・管理費を上乗せしているため」というありがちなパターンが87%、残る13%は「家事援助、健康管理や生活支援などのサービスの対価が家賃に上乗せされている」というものであった。
本来ならばサービスの対価は別立てで行われるべきであろうけれども、生活保護利用者の生活の場の選択肢が現在でも充分に多くはないことを考えると、「いたしかたない」の範囲と考えるべきではないかと筆者は思う。いずれにしても、今回、厚労省はこの点を問題にする気はなさそうだ。
筆者がどうにも気になるのは、同じ11ページに、
「より適切な住環境を備えた住宅へ誘導していくという観点から、床面積が狭小な住宅については、床面積に応じた支給額とするなどにより、住宅扶助費の支給額を住宅の質に見合ったものにする必要がある」
という記述があることだ。
単身者の場合の最低居住面積水準・25平方メートルを満たさない住宅に住んでいる比率は、民営借家に住んでいる一般世帯では20%であるのに対し、生活保護世帯では59%である。過去、さまざまな物品やサービスが生活保護利用者に対して「ぜいたく品」とみなされなくなる基準は、「一般世帯の70%に普及している」であったということを考えると、生活保護世帯に対して「せめて最低居住面積水準を満たす住と、それが可能な住宅扶助を」と考えるのが自然であろう。しかしこの記述は、
それによって転居を促すということ?」 「たとえば、単身者の住宅扶助特別基準額が5万円の地域で、専有面積15平方メートルの、ベッドだけでいっぱいになってしまうようなワンルームに住んでいる単身の生活保護利用者に対しては、面積に応じて3万円の住宅扶助しか支給しないということ?
と首をかしげてしまうような記述だ。
障害者・傷病者と
その他の生活保護利用者は分断される?
自身が車椅子使用者である筆者は、障害を持つ生活保護利用者の「住」がどうなるのか、非常に気になる。筆者自身は、今のところは屋内では車椅子を使用せずに生活できているが、屋内でも車椅子を利用する必要がある生活保護利用者の多くは、東京都の住宅扶助特別基準額に障害者に対する「1.3倍」の特例(単身で6万9800円)が適用されても、居住できる住居に入居するのが困難なのが現状だ。ほとんどが「基準額を超える分は共益費名目にしてもらい、生活扶助から1〜3万円を持ち出す」「建物が非常に古いこと・不便な地域であること・冬は寒く夏は暑いことなど何らかのマイナス要因をガマンする」のいずれか、または両方によって住宅を確保しているが、劣悪な住居によってさらに健康を害していることもある。彼ら彼女らの「住」は、どうなってしまうのだろうか?
15ページには「個別の事情による住宅扶助特別基準の設定」という項目がある。このようなケースに対しては、
「車椅子使用の障害者等で特に通常より広い居室を必要とする場合等、当該額の範囲内では住宅が確保できない場合、更なる措置を講じることについて検討を行うことが必要である」
と記述されている。また、多人数世帯の場合・供給が少ない地域の場合には、
「世帯人員にかかわらず、当該地域において住宅扶助特別基準の範囲内で適切な住宅がない場合であって、さらに障害等により広い居室を必要とする場合は、当該上限額を超える更なる措置を講じることも検討することが望ましい」
とある。
さらに、多人数世帯・子どものいる世帯については13ページにも記述がある。現在の世帯人員区分が「単身・2〜6人・7人以上」の3段階で「ざっくり」すぎることを
「現在では少人数世帯が大勢を占めていることを踏まえると、2〜6人世帯を同一基準としている現行の区分は、実態に即した設定とすることが望まれる」
とした上、
「複数人数の世帯については、世帯構成による住宅のニーズの差が大きい(例えば、夫婦2人世帯と、母と年齢の高い男児の世帯など)ことなども踏まえ、柔軟な選択ができるよう留意する必要がある」
としている。しかし、それらの区分のしかた・上限額の定め方に関する具体的な記述はまったく見られない。
悲観的になってきた筆者は、
「立場の弱いもの同士を対立させて分断する作戦なのかなあ」
少なくとも現政府は、生活保護の「住」を一部なりとも向上させるのであれば、その人々をより生きづらく、より分断しやすいようにという広報活動も同時に行いそうだ。2012年4月に激化した、河本準一氏に対するバッシングのように。 と考えてしまう。たとえば住宅扶助基準が「障害者はそのまま、健常者は引き下げ」となったら、同じ生活保護利用者といえども、障害者と健常者の連帯が困難になる。また子どものいる世帯については、特に複数の子どもがいる場合に、低所得世帯で「生活保護の方がマシ」という現状が既にある。複数の子どものいる生活保護世帯の「住」が向上することによって、生活保護への偏見やスティグマ感は軽減されるだろうか?
根拠なき
「引き下げ」既定路線
この報告書の「結論および結論を踏まえた方針」と読むことの可能な部分「4 住宅扶助特別基準の検証結果に関する留意事項」を見てみると、ここには「見事に」といってよいほど、「現在の『生活保護の住』の貧困を解決するために住宅扶助を見直す」という方針は見受けられない。7ページで示された認識は、いったい何のためだろうか?
「厚生労働省において住宅扶助特別基準の見直しを検討する際には、上記3の検証結果を考慮するとともに、以下の点についても留意する必要がある」
見直しを「行わない」とは述べていない。では、どういう見直しなのだろうか?
「検証で使用した住宅・土地統計調査のデータは、平成 20 年 10 月1日時点のものである。(略)調査後の市場家賃の動向を勘案した上で、住宅扶助特別基準の見直しには十分な注意を払う必要がある」
生活扶助引き下げのために「生活扶助相当CPI」という独自指標を持ち込んだときのように( 本連載政策ウォッチ編・第21回参照)、「市場家賃の動向を勘案」したとして引き下げを行う、という可能性は濃厚そうだ。
「特に、東日本大震災後に、家賃相場が上昇している地域において、住宅扶助特別基準の範囲内で適切な住宅を確保可能な水準となるよう十分に留意することが必要である」
被災地の状況も一応は考慮されているようではある。しかし「適切な住宅が存在する住宅扶助特別基準である」ということと、その住宅に生活保護利用者が入居して生活を営むことができるということには、直接の関係はない。この「実際に生活保護利用者が入居できるのか」についての具体的な配慮は、報告書からは見いだせない。
「今回の検証結果を反映させた場合の住宅扶助特別基準が、現行の住宅扶助特別基準から大きく減額となる場合は、生活保護受給世帯の生活の維持に支障が生じることなどが懸念されるため、激変緩和の観点から、減額幅には一定の上限を設けるなどの措置が望まれる」
ここまで読んできた筆者は、深く深くため息をついた。厚労省の「引き下げる」という意思を読み取らずにいることはできない。
その箇所以後は、引き下げを前提とした「配慮」「措置」といったものばかりである。内容は、
・家賃が変わらない限り、住宅扶助が引き下げられれば、それまでの住宅扶助との差額が生活扶助等から持ちだされることになり、「健康で文化的な最低限度の生活」が維持できなくなる。このため、次の契約更新時までは住宅扶助引き下げを猶予するなどの経過措置を検討する
・貸主が家賃額の値下げを了承しない場合には、転居を可能とする(生活保護利用者本人にとっては、「転居か、生活扶助等からの持ち出しか」のいずれかの選択を迫られるということである)。
・現在の住宅に住み続けることが「自立助長」の観点から必要と認められる場合には、現在の住宅扶助費の適用を認める
といったものである。もはや「厚生省は『見直し』の結果として引き上げも行うかもしれない」という期待は全くできない。まことに気の滅入った筆者を、最後の一節がノックアウトした。
・住宅扶助引き下げは、貸主の生活に大きく影響する。このため、厚労省と自治体は(具体的には福祉事務所は)、貸主や管理業者に引き下げの趣旨を周知し、理解を得る。
「生活保護がバレた後で家主にハラスメントされている」という事例は、実際に存在する。そして、そのような理由では、なかなか転居が認められない地域も少なくない。 生活保護利用者は、「生活保護」以外にも数多くのハンディキャップを抱えていることが多い。無職であったり、高齢者であったり、障害者であったり、病気を抱えていたり、何人もの子どもがいる一人親であったり。「生活保護であることだけは隠して、やっと審査を通過して契約と入居が可能になった」というケースは少なくない。また、「近々、生活保護申請を余儀なくされそうだから」という判断のもと、最後の一財産を使ってアパートに入居し、その後で生活保護を申請した例も多い。生活保護であることを隠して、やっと「健康で文化的な最低限度」にも足りない生活を維持できている人々は、家主に「生活保護」と知られたらどうなってしまうのだろうか?
それでなくても、現在でも不十分な住宅扶助がさらに引き下げられるということ、本人の身体と生活を守る「住」がさらに貧困になることは、まぎれもない健康や生命の危機に直結する。私は、現在より数千円の住宅扶助引き下げによって即刻、危機的な状況に陥りかねない生活保護利用者たちの何人かの姿を、住まいや生活環境とともに思い浮かべ、自分の無力さに深い悲しみと怒りを覚えた。
そうこうするうちに、事務局の説明が終わり、部会委員たちによる議論が始まった。
※「住宅扶助・冬季加算の引き下げをめぐる攻防(下)」に続く
http://diamond.jp/articles/-/64817
住宅扶助・冬季加算の引き下げをめぐる攻防(下)
減額へと誘導する厚労省の“統計マジック”
――政策ウォッチ編・第90回(下)
2014年12月26日の夕方から夜にかけ、開催された社保審・生活保護基準部会。その直後、大手メディアによって「住宅扶助と冬季加算は引き下げ」と大々的に報じられた。
厚労省事務局の説明後に行われた部会議員たちによる議論では、引き下げに賛成する部会議員は1人もいなかった。 本当に、引き下げは既定路線なのだろうか?
(※「住宅扶助・冬季加算の引き下げをめぐる攻防(上)」はこちら)
引き下げ方向への見直し
賛成する部会委員は皆無
取材陣は多くはなく、TVクルーのほとんどは冒頭の「頭撮り」以後は退出していた
Photo by Yoshiko Miwa
今回、部会委員のうち、新自由主義を支持していることで知られる大竹文雄氏(大阪大学教授・経済学)、筆者の理解では「生活保護利用者・世帯の個々に対する給付を充実させる」という方向性にはあまり積極的でない宮本みち子氏(放送大学教授・社会学)は欠席だった。
出席していた委員のうち、引き下げ方向への見直しに反対というわけではなさそうなのは、栃本一三郎氏(上智大学教授・社会福祉政策論)のみであったが、栃本氏は、
「粛々と進めていくのが政策。相対化されるものではないというのは分かる。政策というものは、一歩一歩進めていくことが必要。その中でギリギリを狙うことも必要」
と述べたのみであった(以下とも、部会委員発言は筆者のメモによる)。
真意は筆者にはわからない。 あるいは、「住宅扶助減額で『いぶり出す』という方法はいけませんよ」とクギを刺したのだろうか? 道中隆氏(関西国際大学教授・社会福祉学)は、悪質な不良住宅に居住している生活保護利用者に対する転居指導について、「まず生活保護法27条による指導を」と述べた。生活保護法27条「保護の実施機関は、被保護者に対して、生活の維持、向上その他保護の目的達成に必要な指導又は指示をすることができる」というもので、2項・3項に「被保護者の自由を尊重」「強制し得るものと解釈してはならない」とある。ケースワーカー経験もある道中氏は、「生活保護利用者自身の生活と人生を向上させる」という共通の目的のために、利用者本人とケースワーカーが協力できる可能性があるのなら、それが優先されるべき、と言いたかったのだろうか?
園田真理子氏(明治大学教授・建築学)は、
「今、日本はとんでもない供給過剰状態です。今回(検討に使用したデータ)は平成20年のものです。速報値は平成25年のものが出ていて、空き家率、13%、800戸以上です。その半分は、賃貸住宅です。現在の生活保護世帯の三倍の住宅ストックがあるわけです。需給環境が歪んでいます」
と切り出し、
「住宅マーケットは、各地域ごとに異なる形成をされています。上げ下げでどうなるかは、ミクロに見ないとわかりません。今回の(住宅扶助)見直しは、賃貸住宅の空き室が非常に増えているという天井で、フローの家賃にどう(影響が)でてくるか、予測付きません」
と指摘した上、
「空き室問題との関係も、どこかに書いてください」
と述べた。原因も現状も今後も、「生活保護の住」にとどまらない。日本の住宅政策の問題なのだ。
影響が甚大になる可能性については、山田篤裕氏(慶応大学教授・労働経済学)も、
「住宅扶助の特別基準を下げることによって、少なからぬ生保世帯が影響されて、全体の家賃が下がります。それを参照して、住宅扶助が下がります。そして住宅市場に壊滅的な影響があるかもしれません、循環参照の問題を考慮すべき」
と述べた。これらの問題について、厚労省の事務局は、
「市場への影響、考えています。これから反映、見直しをした場合、その影響をよく見ながら検討していく必要があると考えます」
と回答した。どのように影響を評価するのか。いつ再検討するのか。それについては全く答えなかった。
あくまで「具体的に」と迫った阿部彩氏
阿部彩氏(国立社会保障・人口問題研究所)は、今回の基準部会において、力強い調子で数多くの発言をした。
まず、生活保護利用者がそもそも住宅の獲得に関しても弱い立場にあることに関して、
「生活保護制度の信頼性を高めていくために、貧困ビジネスや高額な家賃の設定、無料低額宿泊所の家賃設定も含め、生活保護受給者への指導指示、転居指導が必要。福祉事務所に住宅に精通した人の設置も必要だと思う」
と切り出した上で、「具体的に」と強調しつつ、
「生活保護受給者で高額な家賃の民間賃貸住宅、あるいは無料低額宿泊所に住んでいる人は、厳しい状況にあります。指導指示だけで転居できません。そういう人たちを守るために、何らかの方策を考えてほしいです」
「生活保護制度の持っている極めて重要な役割、生活保護基準、生活保護制度の基準だけではなく国民を守る基準。報告書には、それを書いてほしいです」
と述べ、
「今回、住宅扶助基準を、はじめて検証しました。方式は、生活保護基準で考えられてきた水準均衡方式と同じなのか、違うのか。どういう考え方で扶助の考え方と検証をしたのかを書いてほしいです」
と、方式についても言及した。「生活保護基準」とそれを定める方式は、生活保護制度とともに検討が始まり、当初数年間の「基準なし」時代を経て、マーケットバスケット方式・エンゲル方式・格差縮小方式・水準均衡方式と推移して現在に至っているが、2013年の生活扶助見直し以後、方式やその決定方式までもが「グダグダ」にされつつあるのが実態だ。背後にはどのようなポリシーも思想も見いだせない。もしかすると「下げられれば何でもいい」ということなのかもしれない。
さらに阿部氏は高齢者・障害者・傷病者の「住」について、
「生活保護受給者の半数が高齢者です。これから高齢化がさらに進みます。低年金、無年金高齢者の住宅の保障。これからどうやって継続的に行うか。障害者、傷病者も。生活の単位を考えた住環境を考えていく必要があります。生活保護制度の中でやれる範囲は、最後のネット。その前に、障害者、傷病者の住宅保障を考えたうえで、生活保護でできることを考えては」
と、生活保護とは別立てでの住宅保障の可能性を提案し、
「本人の意志に反する転居を強要しないという文言を。本人がイヤだと思っているところに強要して転居させること、国家としてすべきでないです。基本的な考え方として入れてほしい」
「継続性。高齢者、障害者、有子世帯には配慮というけれども、その人達の多くは、調査で分かったとおり、生活保護受給前からの住まい、我が家に住んでいます。その人達に転居を強いることは、新しいハードルです。もともと、特に家賃の高いところに住んでいるわけではない。生活保護の範囲の中で、さらに動くことを強いるべきではありません」
「高齢者では、転居が認知症などの病気を進めることが分かっています。生活保護の中の自立支援、地域包括。NPOなどが関連する中での自立支援を転居によって切ることは、本人が『引き続き』と望むならば、すべきではありません。それも入れてほしいです」
「子どものある世帯について、具体的に書いてほしいです。子どもの貧困問題でも、勉強するためにも、大きな子どもの個室は重要です。『検討を行うことが必要である』ではなく、もっと強い書き方にしてください」
「基本的な考え方の中に、『相対的に決められるものではない』と書いてほしいです。最低の居住の基準です。一般世帯との比較で決めるものではありません」
と主張した。
「自分の名前は外してほしい」と迫った
部会長代理・岩田正美氏
開会前、緊張の面持ちで厚労省事務局側を見る岩田正美氏(部会長代理)
Photo by Y.M.
岩田正美氏(日本女子大学教授・社会福祉学)は、報告書に見られる「生活保護世帯を除く」が、統計マジックによる誘導のための操作である可能性を鋭く指摘した。
最低水準を満たす民営借家等の家賃額と住宅扶助特別基準の比較について」は、民営借家・UR賃貸に関して、生活保護世帯の居住している住宅を除いて 報告書の25ページ〜29ページにある「別紙1
「その地域に存在する住宅のうち、最低居住面積水準を満たす住宅のうち◯%をカバーできる金額は◯円」
を表にまとめたものだ。たとえば北海道では、単身者向け住宅のうちやっと5%をカバーできる家が3万円。北海道の住宅扶助特別基準の上限額は2万9000円なので、まったく足りていないことが読み取れる。25%をカバーできる家賃は、3万5000円となる。同じく東京都では、25%をカバーできるのが6万3000円となり、現在の住宅扶助特別基準の上限額5万3700円では足りていないことが読み取れる。
岩田氏は、この「生活保護世帯を除く」に対して、
「(生活保護世帯の)高齢者比率、時点の違いを含めることに加担したくありません。これは操作です」
「今、8月に訪問した世帯(基準部会が全国の福祉事務所を通じて行った生活保護利用者の居住実態調査の対象世帯)、計算してみました。単身の高齢世帯、少ないです。高齢世帯は、就労支援が必要なわけではないですから、(ケースワーカーによる)訪問の頻度が少ないんです。だからバイアスがかかっていて、若干少なくなっています」
「納得できません。これ(居住実態調査結果)が、生活保護世帯の10分の1で全体を反映しているとは思えません。そのことが意味を持つと困ります。どんな留意事項をつけても、『基準部会の』の意味は大きいです」
と述べ、
「これを入れるならば、私の名前を削除してください。何のために専門委員として参加しているか分かりません。もしくは『岩田は反対』と書いてください」
と強い調子で主張した。
岩田氏が「自分の名前を削除してほしい」と強く主張する根拠となった資料
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知ったことか」 「冬季加算の意味?
そう言わんばかりの厚労省事務局
18時40分ごろ、冬季加算の議論が開始された。
前回、部会委員から指摘のあったデータの不備や留意点(たとえば「2月の電気料金は3月に請求されて払うのは4月」など)を一応は反映したものが報告書に含められているものの、
「これで確実に生活保護世帯の冬の需要がカバーできるかどうか」
に関する検証は、少なくとも結論が出るほどには行われていない。それでも、報告書は取りまとめられようとしている。
委員たちからは、
「冬季に光熱費で圧迫されて最低生活以下になる生活保護世帯の生活を最低に引き上げるのが冬季加算と理解しています。冬季加算の時期を、地域によって長くする政策オプションはありますか?」(山田篤弘氏)
「除雪のこと、最後に触れられている。冬季のさまざまな費用、非常に重要。もっと強調を。強調しても強調し足りないが、節約してうまく賄うことが絶対に無理」(栃本一三郎氏)
「現在の生活保護世帯の生命や健康に悪影響があってはならない」(駒村康平氏)
「灯油の消費額。家系調査の支出でも、なかなか把握できない。電気、ガスも考慮して。特定加算が必要なのかも」(岩田正美氏)
「生活保護世帯は、貯金をしないことになっています(筆者注:生活保護制度では、公金による個人の資産形成はさせないという観点からも、当初からストック形成が想定されず、フローのみが想定されている)。一般世帯の場合、月別の支出を平準化しつつ『冬季はこれに』ができます。生保世帯はそれがないから、冬季加算。それを考える必要があります。実質的に冬季に暖房が使えなくならないような傍証が必要」(岩田正美氏)
「あとでとんでもないことが起こったら、私たちは責任を負うことができない。現実的な消費量を取り上げていくことが大事。差額、そんなにないにしても。確証がほしい」(岩田正美氏)
という発言があった。特に岩田氏からは、生活扶助と特定加算とはこれまで設定の方式が異なってきたこと・現在の検討方式に関する発言もあった。これらの発言は、「生活保護基準」の根幹といってもよい内容であるが、あまりにも専門的なため今回は触れない。
委員たちに対し、厚労省事務局は、
「光熱費、生活必需品目で節約が難しいので、冬季の増加分で検証した。冬季の灯油の消費量も考慮した。念のため、上の分位も考えた。でも全体で大きな差がなく、それが『それ以上節約できないので確保すべき』となるのかも」
と、引き下げるという方向性を匂わせ、
「生活保護世帯は、貯金してはいけないということはなく、やりくりしてもらうことはできる。一般低所得者もやりくりしている。光熱費のやりくりも含めて、異なることはないと思う」
知ったことか」ということだろうか? と述べた。言い換えれば「冬季加算の意味?
終了は19時10分過ぎごろだった。顔見知りの厚労省の若手官僚が、筆者に
「遅くまでありがとうございました。寒いのでお気をつけてお帰りください」
と声をかけてくれた。
「ありがとうございます。よいお年を」
「いや、この仕事があるから、年末年始関係ないですよ」
という会話流れの中、
「どうぞ、委員の先生方のご心配がなくなるような、良い報告書をお願いします。期待しています」
と、ことさら笑顔で声をかけた筆者の前で、若手官僚は悲しそうに顔を歪めた。間違っても、「社会保障を削減する」という志のもとに厚労省に入省したわけではないだろう。
次回は、本記事公開日・2015年1月9日に開催される第22回生活保護基準部会と、取りまとめられた報告書について報告したい。もし日程的に可能であれば、予算案にどのように反映されるかもレポートしたい。
大阪市の「生活扶助プリペイドカード化」など、気になる動きがあまりにも多い生活保護問題とその周辺ではあるが、最も重要なのは国家予算レベルでの動きであろう。
http://diamond.jp/articles/-/64905
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